業績
提供されたPDF資料から読み取れる西和彦の業績は、IT・コンピュータ分野にとどまらず、教育、出版・メディア、映画・音楽製作、さらには建築やオーディオ機器の開発に至るまで、極めて多岐にわたります。
資料に基づき、主要な業績をいくつかの分野に分類して分析・要約します。
1. IT・コンピュータビジネスとハードウェア・ソフトウェア開発
- 株式会社アスキーの創業と経営: 1977年に創業メンバーとして株式会社アスキーを立ち上げ、出版事業とソフトウェア事業を拡大させて1989年に株式店頭公開を実現しました。また、ベンチャーキャピタリストの先駆けとして米国の多数のテクノロジー企業(InformixやMacromediaなど)に投資し、IPOやM&Aを成功に導きました。
- マイクロソフトとの協業: マイクロソフトBASICの拡張と日本での販売をはじめ、MS-DOSやGW-BASICの開発、Windows 1.0/2.0の企画開発、初代Microsoft Mouseの開発と商用化など、同社の初期の重要な事業に深く関与しました。
- ハードウェアと次世代システムの開発: NEC PC-8000/6000シリーズの開発参画や、8ビットパソコンの共通規格「MSX」を開発し国内外のメーカーへライセンスしました。その後も、世界初のIBM互換ラップトップPC「Z-180」の開発、オリジナル互換CPU(R800、VM8600)の開発、日本最高速のパソコンクラスター「SUPERNOVA」の開発など、常に最先端のハードウェア設計を主導しました。
- ネットワーク技術の普及推進: 1980年代前半より、Ethernetの標準化やTCP/IPプロトコルの採用を提唱・牽引し、通信衛星を利用したVSATシステムの開発なども行いました。
2. 教育分野への貢献とリーダーシップ
- 須磨学園における学校改革: 2001年に須磨学園高等学校の校長(後に学園長)に着任し、女子校から男女共学の進学校への大規模な移行を主導しました。中学校の開設による中高一貫教育の開始、TM/PM教育の導入、1人1台のノートパソコンや「制携帯」によるICT教育、そして世界一周研修旅行など、独自の教育プログラムを構築しました。
- 高等教育・研究機関での活動: 尚美学園大学や東京大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボなどで教授やディレクターを歴任し、メディアシステム工学やベンチャー経営学を指導しています。また、「日本先端工科大学(仮称)」の設立準備にも取り組んでいます。
3. 出版・メディア・コンテンツ制作
- IT関連出版事業: 1978年に日本初のパソコン向け月刊誌「月刊アスキー」を創刊し、「週刊アスキー」も立ち上げました。プログラム集や技術マニュアルの出版を確立し、後年には電子出版会社「アカシックライブラリー」を設立しました。
- 映画製作・配給: ハリウッド映画『フライド・グリーン・トマト』のエグゼクティブプロデューサーを務め、アカデミー賞候補となる成功を収めました。他にも複数の映画への出資や配給ビジネスを展開しました。
- 音楽出版とプロデュース: ウィーン・フィルの名録音CD全集の出版や、ザルツブルグ音楽祭と共同での作品制作など、クラシック音楽分野でも活動を行いました。
4. 建築・オーディオ・その他の専門的活動
- ハイエンドオーディオ機器の開発: 2005年に「デジタルドメイン」社を設立し、SITを用いたパワーアンプやマルチビットDAコンバーターなどを開発し、グッドデザイン賞を受賞しました。
- 建築都市計画・デザイン: オフィスやマンションのインテリアデザイン、須磨学園のキャンパス改修、大規模都市開発のプロデュースなど、空間設計分野でも実績を残しました。
- 機械翻訳プラットフォームの構築: 国際連合大学高等研究所において、共通言語仕様(UNLシステム)を提唱し、多言語間翻訳の基礎研究を行いました。
西和彦の業績は、単一分野にとどまらず、「最先端技術の社会実装」「教育による人材育成」「文化・芸術の創出」という複数の軸で展開されており、世界規模でのイノベーションを実現してきた点に最大の特徴があります。
アスキー
- 株式会社アスキーの創業
- アスキーの事業多角化
- アスキーの株式公開
- ベンチャーキャピタル
- アスキーのリストラ
マイクロソフト
- マイクロソフトBASICの拡張と日本への販売
- MS-DOSの開発
- GW-BASICの開発
- 16ビットIBMパソコンキーボードのレイアウト
- 8ビットMSXパソコン規格の開発
- マイクロソフトWindows1.0/2.0の企画開発
- マイクロソフトMouseの開発
- CD-ROMをWindowsのメディアに採用
- マイクロソフトプレスを始める
- サブロジックフライトシュミレーターをマイクロソフトにリクルート
須磨学園
- 高等学校の進学校化
- 中学校の設置と6年一貫教育の実施
- 夙川中学校高等学校の設置と6年一貫教育の実施
大学関係
- 国際大学グローコムを改組しインターネット社会学研究に特化し産学協同プログラム展開
- 国際連合大学高等研究所で国際関係の研究と機械語翻訳
- マサチューセッツ工科大学メディアラボでユニバーサルノレッジ計画を推進
- 尚美学園大学設置委員、尚美学園大学大学院設置委員、尚美学園大学新学科設置委員
- 東京大学大学院工学系研究科でIoTメディアラボラトリーディレクター
- NPO法人 IoTメディアラボラトリー理事長
建築都市計画研究
- オフィス
- レジデンス
- ホテル
- 中学高校大学キャンパスマスタープラン
- 工業団地・物流団地・データセンター企画設計
- 大規模開発計画・都市計画
| 1977 - | 株式会社アスキーの創業 |
店頭公開時の創業メンバー。左から郡司明郎、塚本慶一郎、西和彦。 アスキーのロゴ |
ベンチャービジネス経営
Venture business administration
アスキーの創業
西和彦のアスキーにおける業績は、日本におけるパソコン産業の黎明期を支えた「出版事業の確立」と、グローバルな視点での「技術標準化と多角化経営」の2軸に集約されます。
主要な業績を以下のカテゴリに分けてまとめます。
1. 出版事業:コンピュータ文化の普及
- アスキー出版の創設: 1977年、大学在学中に郡司明郎、塚本慶一郎の両氏と共に創業しました。
- 専門誌の創刊: 日本初のパソコン専門誌『月刊アスキー』を立ち上げ、米国のコンピュータ関連出版物の翻訳出版も数多く手がけることで、海外の最新技術を国内に紹介しました。
- 週刊アスキーの創刊: 1997年の創業20周年記念事業として、日本初の週間パソコン情報誌『週刊アスキー』を創設し、発行部数30万部の人気誌へと成長させました。
2. 技術標準化とグローバル展開
- マイクロソフトとの提携: マイクロソフトのビル・ゲイツ氏と直接交渉し、1978年にBASICの極東代理店契約を締結。アスキーを、芽生え始めたばかりの日本パソコン産業の「顔」へと押し上げました。
- MSX規格の提唱と開発: 1983年、メーカーごとに乱立していたパソコン仕様の統一を目指し、共通規格「MSX」を開発・発表しました。これはマイクロソフトとアスキーが共同開発したもので、日本国内外で普及しました。
3. 多角化経営とベンチャー投資
- 上場と規模拡大: 1989年に株式会社アスキーを店頭公開し、当時最年少の社長として年商300億円を達成しました。
- 事業の多角化: マイクロソフトとの提携解消後(1986年〜)、独自路線を強め、半導体、通信、ビジネスソフト、マルチメディア、映画配給などへ事業を広げました。
- 米国スタートアップへの投資: 西氏の主導により、米国のエレクトロニクス産業のスタートアップへ積極的に投資を行いました。
4. 教育・研究事業への注力
- 教育事業の立ち上げ: アスキーの経営再建期(1990年代後半)、教育事業部門を自ら立ち上げ、売り上げ50億円・黒字化を達成して同社での復権を果たしました。
- 自動翻訳の研究: 国際連合大学高等研究所と協力し、多言語間の瞬時翻訳を可能にする中間言語(UNLシステム)の基礎・応用研究を開始しました。
西氏のアスキー時代は、その独創的なアイデアと行動力によって、単なる出版社を「総合的なマルチメディア企業」へと変貌させ、日本のIT社会の基盤を築いた時代と言えます。
| 1986- | アスキー社長に就任 ・42億円の第3者割当増資を実行 ・マイクロソフト関連事業を失ったアスキーの事業の再編 ・株式の公開準備 などを行った。 |
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| 1987- |
1978年(昭和53年)アスキー出版を創業し、月刊アスキー、週刊アスキーを立ち上げた。
| 1978 - | パソコン月刊誌 「月刊アスキー」創刊- 日本初のパーソナルコンピュータに的を絞った出版事業を展開. |
| - |
パソコン週刊誌 「週刊アスキー」創刊- 創業20周年記念事業として日本初の週間パソコン情報誌を発行部数30万部に. |
週刊ASCII創刊号 週刊アスキー最終号 |
| 1979 - | Basic Computer Games 日本語版 米コンピューター雑誌Creative Conputerの出版したBASIC ゲーム集のソースリストを出版した。日本で最初のパソコン向けプログラム集。 |
Basic Computer Games 日本語版 |
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PC8001 ゲーム集+TAPE
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| 1985 - | テクニカルライティング出版の確立 ソフトウェアの説明書を翻訳、オリジナルで出版するなど、技術マニュアルの出版事業を手がてた。 |
MS-DOS3.1ハンドブック |
| 1985 - | MS−DOSプログラマーズハンドブック |
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| 1985 - | MS-DOSプログラミングテクニック |
グラフィックス・写真・デザイン制作
| - | 中学時代より写真の現像・引き延ばしの技法を習得し、写真作品を製作している。 高校時代よりシルクスクリーン印刷による版画の技法を習得し、シルクスクリーン作品を製作した。 この経験はプリント基板の制作や半導体のエッチングに対する感覚として、受け継がれている。 |
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| - | マルク・シャガールのリトグラフ作品を1000点以上収集した。このコレクションは高知県立美術館に収納されている。 | |
| - | 米国メトロポリタン美術館の客員委員に選ばれ、主に21世紀の現代美術とインターーネットと美術館運営についての提案をルアーズ館長、ホーキンズ副館長に続けた。これによってメトは早くから世界で一番進んだWEBサイトを運営してきた。 | |
| - | デザイナー田中一光とコラボレーションし、ポスターをプロデュースした。 一つはアスキー再生のシンボルポスター。 二つ目は、日本機械学会100周年記念のシンポジウムポスター。 三つ目は、国際連合大学高等研究所主催のシンポジウムのポスター。 |
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| - | ミニマリズムを掲げてオーディオ機器のデザインを行った。GKデザイン研究所と共同で製作しグッドデザイン賞受賞した。 |
パソコン アプリケーションソフトの開発
| - | JG | 日本で最初のDTP型ワープロを共同開発。 |
| - | Wings | Informix社の表計算ソフトを日本語化。 |
| - | CARD | オリジナルのパーソナルデータベースソフト |
| - | Informix | Informix社に投資、株式公開。のちに事業部門を売却、株式売却。 |
音楽出版
| 2000 - | ウィーン・フィルの名録音の3レーベル DECCA, ドイツ・グラモフォン, Philips と提携し、CD全集全40巻を創刊。 |
ウィーン・フィル世界の名曲 CDパッケージ |
音楽作曲委嘱・コンサート企画、録音、CD出版
| 2006 - | ACT4 ジョセフィーヌの音楽 製作 ナポレオンの居城であったマルメゾンのサロンで、ジョセフィーヌが好んで演奏させていたと思われる音楽のコレクション。ナポレオン・ディナーで演奏されたものを、スタジオで再録音した。デンマーク製の最高級マイクで収録。一曲目はエコーなどの処理をしないピユア録音版。 |
ジョセフィーヌのサロンのCDパッケージ |
| 1999 - | ザルツブルグ音楽祭の後援で21世紀のための合唱付き交響曲「平和のシンフォニー」を制作した。シンフォニーの作曲はフリップ・グラスに委嘱し、ザルツブルグ音楽祭で世界初演された。 | ピースシンフォニーCD |
| コンサートの企画を20回以上行ってきた。 また、コンサートを録音して、CDを出版した。 |
プロデュースしたコンサートのリハーサルにて |
コマーシャル制作
| 1985 - | MSX 100万台キャンペーンのための特別番組に放送されたMSXと株式会社アスキーのイメージコマーシャル |
映画共同制作、単独制作・外国映画配給
| - | ベム・ベンダースの「夢の果てまで」 | |
| 1989 - | ヘンリー5世 ケネス・ブラナーが監督した英国映画に出資した。また、日本で配給の企画を行った。 |
ヘンリー5世 |
| 1990 - | プレスマンフィルム | |
| - | エドワード・プレスマン「ホミサイド」制作 | 日本で配給 |
| 1990 - | ジョン・アブネット監督「フライド・グリーン・トマト」をエクゼクティブプロデューサーとして製作 |
映像編集中 |
| - | カンヌ映画祭ににおいて、フランス「ル・モンド」紙の主催する「映画の未来」でプレゼンテーションした。 |
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| - | アスキー映画 500本の配給をビデオ、DVDにした。 | |
| - | 試写室を作った |
映画日本配給・ハリウッドで映画制作
| 1990 - | アメリカベストロン社の映画200本を日本に配給 | |
| 1991- | ハリウッドに映画制作会社 Electronic Shadow Productions を設立し、映画「フライド・グリーン・トマト」をエクゼクティブプロディユーサーとして原作選定、脚本、キャスティング、編集、音楽を指揮した。アカデミー賞の候補になり、1年間のロングランを記録した。 | エレクトリックシャドープロダクションのチーム 「フライド・グリーン・トマト」を製作 アカデミー賞受賞の女優2人を起用。キャッシー・ベイツとジェシカ・タンディー この映画で有名になったふたり。 フライド・グリーン・トマト DVDパッケージ |
電子出版プラットフォームの構築
| 2010 - | 電子出版のためのインフラ構築を行った。端末に依存しないウェブブラウザベースの電子出版プラットフォームを構築している。 |
アカシックライブラリのロゴ
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| EWB | ASCII VAX780 |
アスキーの株式公開
| 1989 - | 株式会社アスキーの株式店頭公開 出版事業とソフト事業で年商300億円を達成した最年少(当時)の社長. |
日本証券業協会より株式店頭登録をいただく。 アスキー株式店頭公開公告のトゥームストーン |
| 1989 - | 株式会社アスキーの株式店頭公開 出版事業とソフト事業で年商300億円を達成した最年少(当時)の社長. |
ベンチャーキャピタル
Venture startup investments
| 1985 - 2000 | ベンチャー投資 |
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| 1985 - 2000 | 投資してIPOした会社 |
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アスキーのリストラ
| 1990 - | 銀行16行による協調融資組成とリストラ- バブル破裂に先立ち、アスキーのリストラに着手し 事業部制を導入し、先を見た経営に本格的に取り組む. |
アスキー役員と共に日本興業銀行の木下茂樹氏(3番目)と。アスキーのリストラに親身になってご指導頂いた。いわばアスキーの半沢直樹である。
CORPORATE PROFILE 1991 |
CSKグループ入り
| 2000 - | CSKグループ入り 第三者割り当て増資によりCSKから100億円の出資を仰ぐ 金融資本に加えて、産業資本による企業体質強化 |
CSK創業者 大川功氏と |
| 2000 - | アスキーから退き、出版事業から撤退した。 | |
| 2010 - | 10年ぶりに出版事業にふたたび参入して、「アゴラブックス」を池田信夫と共に設立(現アカシックライブラリー)。 | |
| 2011 - | 電子出版開発会社「アカシックライブラリー」特別顧問。 電子出版会社のアカシックライブラリーでは、電子出版のシステムを出版社や個人に提供し、また、古今の名著を再版する活動を行っている。 |
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| 2014 - | アスペクト出版局の出版電子化受注 |
メディアシステムの構築
Media system engineering
| 1978 - 1985 | マイクロソフトにてパソコンの企画・設計を担当する。 | マイクロソフト社にて、ビルゲイツ社長と。
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西和彦が1978年から1986年にかけてマイクロソフトで果たした役割は、単なる代理店主にとどまらず、「実質的な副社長」として同社の世界的成長と日本のパソコン産業の基盤形成を主導したものでした。
ビル・ゲイツと共に独創的・革新的なアイデアを次々と提案し、マイクロソフト初期の躍進を支えた主な業績は以下の通りです。
1. グローバル経営と日本市場の開拓
- 初代極東担当副社長: 1979年から1986年までマイクロソフトの極東担当副社長を務め、米本社のボードメンバー(取締役)にも名を連ねました。
- 日本におけるBASICブームの創出: 1978年にマイクロソフトBASICの極東代理店契約を締結。NEC(PC-8001等)をはじめとする国内主要メーカーへBASICを供給し、日本におけるパソコン普及の決定的な役割を果たしました。
- 莫大な売上への貢献: 1980年時点でマイクロソフト全体の売上の大部分を日本市場で稼ぎ出し、黎明期の同社の財務基盤を支えました。
2. OS・ソフトウェア開発の主導
- MS-DOSの開発参画: 16ビット時代の標準OSとなったMS-DOSの開発に深く関与しました。
- Windows 1.0の企画: 初代Windows(Version 1.0)の企画・開発に携わり、GUI時代の幕開けを先導しました。
- 各種言語の拡張: GW-BASICのほか、GMLやMMLといったプログラミング・音楽関連言語の拡張を推進しました。
3. ハードウェア規格と周辺機器の革新
- MSX規格の提唱: マイクロソフトとアスキーの共同開発として、世界初のホームコンピュータ共通規格「MSX」を企画・設計しました。
- 世界初のラップトップPCの設計: 京セラが製造し、後に「Tandy Model 100」や「NEC PC-8201」として世界的にヒットしたハンドヘルドコンピュータの基本コンセプトをビル・ゲイツらと設計しました。
- マイクロソフト・マウスの誕生: Windowsの普及を見据え、安価な入力デバイスとして「マイクロソフト・マウス」のデザインと商品化を主導しました。
- IBM PCへの影響: 初代IBM PCのキーボード・レイアウトのデザインにも関与しました。
4. 新領域・コンテンツの企画
- CD-ROMの提唱: CD-ROMをコンピュータの記録メディアとして活用するアイデアを出し、初期のCD-ROMカンファレンスなどを企画しました。
- マイクロソフト・プレスの創設: 出版を通じた技術普及を目指し、出版部門である「マイクロソフト・プレス」を提案・企画しました。
- フライトシミュレーターの導入: subLOGIC社のソフトをスカウトし、後に世界的な定番となる「マイクロソフト フライトシミュレーター」としての製品化を企画しました。
西和彦の独創的なビジョンとビル・ゲイツの実行力が組み合わさったこの時期は、マイクロソフトが世界企業へと成長する最も重要なターニングポイントであったと評価されています。
パソコンソフトの開発
| - | MS-DOS | |
| - | DR-DOS | |
| - | MS-Windows 1.0, 2.0 | |
| MSX-DOS |
パーソナルコンピュータの開発
キャラクター ユーザ インターフェース システム
8ビットパーソナルシステム
| 1978 - | NEC PCの開発に参画 NEC PC 8001, N-BASICを核とするNEC PC 8000シリーズの企画・開発を行った。日本のパソコンの歴史の原点。 |
NEC PC 8000シリーズ
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| 1980 - | NEC PC6000の開発に参画 ROMカートリッジをIOにも使う考え方を初めて導入した。 |
NEC PC 6000シリーズ |
| 1981 - | スペクトラビデオ SVI- 318の開発に参画 |
SVI-318 |
| SVI-328 | SVI-328 |
ホームコンピュータの開発
| 1982 - | MSX PCを開発 松下電器,ソニー,フィリップス, 他約16社へライセンス.
MSXロゴ
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| 1982 - | MSX PCを開発 松下電器,ソニー,フィリップス, 他約16社へライセンス. |
松下のMSX
ソニーのMSX
Philips(オランダ)のMSX
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ポータブルコンピュータの開発
| 1979 - | CANON X-07R ハンドヘルドコンピュータ開発 | CANON X-07R |
| 1980 - | EPSON HC-20 ハンドヘルドコンピュータ | EPSON HC-20 |
| 1981 - | EPSON HC-40 ハンドヘルドコンピュータ | EPSON HC-40 |
| 1982 - | ハンドヘルドPCを開発- Tandy M100, NEC PC8201,Olivetti M10へOEM納入 |
NEC PC8201 Olivetti M10 Tandy TRS-80 model M100 |
| 1984 - | ハンドヘルドパソコンの拡張 大ヒットしたTANDY M100のディスプレイを拡大し、新型モデルを企画した。 |
TANDY M200 |
| 1995 - | ポケットチャレンジ 携帯学習機 を企画・開発した。ベネッセコーポレーションにOEM供給した。単語カードを置き換えようとした。教材はROMカートリッジになっていた。 |
ポケットチャレンジ本体 |
ビジネスパーソナルコンピュータの開発
8ビットビジネスシステム
| 1980 - | 日立製作所BASIC マスターLEVEL3パソコンの開発に参画 IOのプラグインカードにROMでドライバーソフトウェアを搭載したプラグアンドプレイの原点となるような機種。 |
HITACHI BASIC MASTER LEVEL 3 |
| 1980 - | 沖電気工業ビジネスパソコン if800を企画開発
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OKI if800 MODEL20 |
16ビットシステム
| 1981 - | 三菱電機 MULTI16 パーソナルコンピューターの開発に参画 |
MITSUBISHI MULTI16 |
| 1982- | HITACHI MB-16000 パーソナルコンピューターの開発に参画 |
HITACHI MB-16000 |
| 1981 - | IBM PCの開発に参画 MS-DOSの開発 |
IBM PC
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| MS-DOSの開発 | ||
| キーボードのレイアウト | IBM 5150キーボード |
|
| GW BASICの拡張 | ||
| ローカルネットワークの開発 | ||
| 1981 - | Ethernetの標準化とXerox、DEC、Intel、(マイクロソフト) 西和彦とBlair Newman(元SUMMA Corporation(ハワードヒューズの持ち株会社))は、Ethernetの発明者であるRobert M. Metcalfeに対して、「Xerox社は、Ethernetのパテントを解放し、MACアドレス発行事業に参入するべきだ」と提言した。同時にサーバのパートナーとしてミニコンのDEC、半導体のパートナーとしてIntel、ネットワークプリンタのパートナーとして、Xeroxの3社でEthernetの普及させようとする構想を立案した。当初、マイクロソフトもMS/DOSをEthernetにつなぐということで参加する予定であったが、見送られた。その後Metcalfは、3COMを設立した。 |
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| 1982 - | 日本最初のEthernet I/0ボードを輸入 3COM社最初の商品である、DEC社のPDP11用Ethernetボードを輸入し、NTT横須賀電気通信研究所および東京大学大型計算センターに納入。ハードウェアは存在したが、ソフトウェアが存在せず、NTT横須賀電気通信研究所と東京大学大型計算センターからソフトウェアの調達を要請される。 |
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| 1983 - | TCP/IPをEthernet上のプロトコルとして採用を決断 3COMのMetcalfeと共同して当時インターネットのノード間の伝送プロトコルであったTCP/IPをEthernetの標準プロトコルとして使用することをDARPA(国防高等研究開発機構)に要請し許可され、3COMとアスキーはその販売を開始した。 |
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| 1984 - | PCNFSの開発 Ethernet上でファイルを共有するためのソフトPCNFSを導入し、日本語化し提供をはじめた。 |
16ビットラップトップPCの開発
| 1985 - | ラップトップPCを開発 このパソコンによってデスクトップIBM PCがラップトップになり、互換ラップトップブームの第一号となった。CGA完全互換の液晶コンピューターはこれが初めて。 |
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グループウェアプラットフォームの構築
| 1993 - | グループウェアとしてFirstClassの開発協力 |
FirstClassサーバ パッケージ
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衛星放送・衛星通信 システムの開発
| 1988 - | 衛星放送、衛星通信開発会社の経営 |
IDCシステムに使用したJCSAT1号機の模型 IDC(International Datacasting Corporation)のロゴ |
| 1988 - | ISDN VSATシステムのHUB局の開発 |
HUB局パラボラアンテナ センター装置 |
| 1988 - | 通信衛星を利用したVSATシステムの開発 128kのISDNをサポートするVSATシステムをNTTの注文を受け開発 |
VSAT用 パラボラアンテナ VSAT用 加入ターミナル(DSU) |
| 1985 - | データ放送システムの開発と実証実験 ケーブルテレビを利用したデータ放送システムを開発した。長野県のレークシティケーブルテレビジョンと共同で、実証実験を行った。高速のQPSKモデムを使ってハードディスクの内容を放送し、受信機にはMSXパーソナルコンピューターを接続した。 |
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インターネットカメラ ビジネスモデルの構築
| 1996 - | PLANETARY DIALOGU ユネスコ世界遺産のサイトにインターネットカメラを設置する発願した。独立して事業が展開できるようなビジネスモデルを設計しビジネスプランにまとめあげた。最初のスポンサーにアスキーが名乗りを上げたが、時期尚早で中止になった。 |
コンピュータ向け半導体の開発
| 1985 - | グラフィックプロセッサー, オリジナルコンパチCPUの開発 |
最初に設計したLSIのマスクプリントの前で 西、持田、石村
最初に開発した半導体のYAMAHA設計チームと西和彦とビル・ゲイツ
アスキーの半導体設計チーム
SILICON SOFTWARE のカタログ |
| 1984 - | CHIPS and Technologies社のIBM PC/AT 互換チップを使ったマザーボード。 インテルの286 CPU以外は全部CHIPS社のASICで互換機を作ることがはじめて可能になった。 |
CHIPS and Technologies 286 マザーボード |
| 1986 - | 同社の386 互換機のためのASIC群を搭載したマザーボード。286に比べて約2倍のパフォーマンスをあげることができた。 | CHIPS and Technologies 386 マザーボード |
グラフィックプロセッサーの開発
ヤマハ社長 石村 和清 氏と
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| 1985 - | ビデオスプライトプロセッサー開発 MSX2に使用するためにスプライトとグラフィックスが表示可能なプロセッサーをYAMAHAと共同で開発した。このLSI V9938は、500万本以上生産され米AT&T社情報端末にも採用された。 |
V9938ビデオディスプレイコントローラ
V9958ビデオディスプレイコントローラ |
| 1986 - |
V9990ビデオセットトップボックス パチンコシステム向け コントローラ |
| 1987 - | IBM PC互換液晶ディスプレイコントローラー開発 ノートPCに使用するためのIBM PC互換チップを設計した。マウスインターフェースのWindowsの完成を予想して搭載した。最初のユーザーはゼニス・マイクロシステム、独立系パソコンメーカーの工人舎のポータブルコンピュータに採用された。 |
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CPU(8/16/32/64ビット)の開発
| 1989 - | R800 互換CPUの開発 ZILOG社 CPU Z80完全互換の高速版CPUを開発した。互換性とライセンスの正当性を保証するために、R800はZILOG社にライセンスされた。ZILOG社からは、Z80のライセンスを取得した。 |
RISC型 CPU R800
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| 1990 - |
マイクロコンピュータの誕生「わが青春の4004」出版記念会
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| 1991 - | オリジナル互換CPU開発 オリジナルな16ビットCPUをマイクロコンピューター発明者 嶋正利 と共に開発。 |
VM860
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| 1992 - | オリジナル互換CPU開発 オリジナルな32ビットCPUをマイクロコンピューター発明者 嶋正利 と共に開発。 |
VM8600 |
| 1993 - | NexGen 586マイクロプロセッサの開発に参画 インテル互換マイクロプロセッサの開発に成功した唯一の会社、ネクスジェンマイクロシステムに投資・参画した。株式公開。 |
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| 1993 - | NexGen 586 CPUを使ったPCIマザーボードを開発。インテルよりも早いスピード、AMD 586よりも小さなチップサイズの当時としては最速のパソコンマザーボードを実現。 | ![]() |
| 1996 - | AMD K6(NexGen 686)マイクロプロセッサの開発に参画 インテルよりも高速な互換マイクロプロセッサの開発に成功した唯一の会社、ネクスジェンマイクロシステムはAMDと合併し、AMDの次世代マイクロプロセッサATHRON等を開発。 |
NexGen686マイクロプロセッサ NexGen686マイクロプロセッサ |
32ビットシステムの開発
| 1983 - | NEC PC100の開発に参画 MS-DOS 3.0, MS-Windows 1.0/2.0の企画・開発. Windowsを搭載することを前提とした世界最初のパソコン。 NEC社内の政治闘争で敗れ生産は中止された。 ハードウェアの設計は松本吉彦(東京工業大学教授)。 |
NEC PC100 |
| 1982 - | 初代Microsoft MOUSEの開発商用化 Microsoft Windows 1.0、2.0の開発にともないポインティングデバイスとしてマウスが注目されていたが、高価であったため、安価なマウスを作ることになり、アルプス電気のトラックボールをベースにパソコン用のマウスを初めて開発した。西の手のなかにすっぽり収まる形にした。 |
初代Microsoft MOUSE
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| 1985 - | FM-TOWNSにCD-ROMドライブ標準搭載を進言 Fujitsuがパソコンを開発するにあたり、WindowsとCD-ROMを組み合わせた電子出版プラットフォームとしてのパソコンを提案した。ソフトがないときは最も値段の高いCDオーディオプレーヤーと揶揄されたが、その後ほとんどのパソコンにCD-ROMドライブが搭載されるきっかけとなった。 |
Fujitsu FM-TOWNS
Windowsのソフトが入ったCD-ROMこのCD-ROMソフトはWindowsの動く全てのパソコンで実行が可能となり、ソフトウェアの独立性がはじめて多機種間、異なるディスプレイ間で確保された。 |
デジタル圧縮のアルゴリズムの研究
| 1990 - | MPEGオーディオの開発標準化に参画 現在ではMP3としてデジタルオーディオの標準となった. |
Digital Audio Digital Video圧縮の標準化会合を提唱 DAVIC協議会で決定された画像圧縮仕様MPEGのたたき台となった。 |
| 1990 - | MPEGビデオの開発と標準化に参画 パソコンで最も広く使われているデジタルビデオ圧縮方式の標準化活動を推進. |
日刊工業新聞社よりMPEGエンコーダの開発で新製品賞を受賞。 |
64ビットシステム
マルチCPUのコンピューターシステムの構築
| 2000 - | ハイエンドパソコン・パソコンクラスタによるスーパーコンピュータの設計 | Visual Technology 川股社長と Visual Technology ロゴ |
64ビット ワークステーション
| 2002 - | 日本初の64ビットPCの商品化
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VT64 |
64ビット メディアプレーヤーPC
| 2001 - | メディアセンターPCの商品化 |
ビジュアルテクノロジー「VT-100」 |
64ビット スーパーコンピュータ システム
| 2003- | 日本最高速のパソコンクラスターを開発 AMD64ビットCPUを512基使用して、2003年日本最高速(TOP500で世界93位)のパソコンクラスターを開発 |
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| 2002 - | 先に開発したメディアセンターPCの廉価版モデル。 |
ビジュアルテクノロジー「VT-50」 |
ハイエンドオーディオシステムの開発
| 2005 - | 長年続けてきたオーディオ研究をさらに発展させて事業化することを決心した。まず、静電誘導トランジスタ(SIT)を使ったアンプ、マルチビットDACを使ったDAコンバーターを開発した。スピーカーやアナログプレイヤーなど、ハイエンドオーディオ全般に取り組んでいる。 |
持田康典氏と デジタル ドメイン ロゴ |
| 2005 |
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DAコンバータD1とメインアンプB1と 15インチ同軸スピーカー LC-1N、 15インチサブウーハー LC-1W |
| ハイエンドオーディオ開発会社「デジタルドメイン」を設立し、社長に就任。現任。 |
持田康典氏と
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| 2007 - | 静電誘導トランジスターアンプの開発 東北大学名誉教授の西沢潤一博士が発明された静電誘導トランジスターの特許を譲り受け、オリジナルの第2世代SITを製造し、アンプB-1aとしてまとめ上げている。静電誘導トランジスタは、ゲルマニウム、バイポーラー、電界効果トランジスタに続く究極のトランジスタと言われている。出力段のインピーダンスが極端に低く、アンプに好ましい性質を持っている。 |
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| マルチビットDACの開発 また、英国dcs社のDACをしのぐ最高級のDACと言われている、米国MSBテクノロジー社のマルチビットDAコンバーターモジュールを内蔵したDACを開発し、D1a、D1bとしてまとめあげた。スーパーオーディオCDのデーターをDSPで計算し、PCM信号に変換してアナログ化するシステムを構築した。 |
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| 同軸スピーカーの開発 1945年に米国RCA研究所でオルソン博士が開発した放送局向けスピーカーLC1Aの改良を行っている。 |
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| アナログ録音・再生システムの開発 独国ノイマン社のレコードのカッティング装置、米ウエスタンエレクトリック社の再生装置の歴史的解析、改良研究に取り組んでいる。 |
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| 4K、6K、8K テレビシステムの研究 一貫した開発テーマはコンピュータと共存する次世代オーディオ・ビデオシステムの開発である。 |
| 2008 - | マルチビット DA コンバーター | 世界最高級といわれるDAコンバータモジュール設計者 MSBテクノロジー社長 ガルマン氏と D-1aマルチビットDAコンバータ ルビジウムクロック付 |
| 2012 - | GPSカウンター付 ルビジウムクロック |
G-3Rb |
| 2014 - | 静電誘導トランジスタ プリアンプ |
C-2d |
| 2007 - | 静電誘導トランジスタ パワーアンプ | B-1aSITメインアンプ 2008年度 グッドデザイン・中小企業庁長官賞 表彰状 2008年度 グッドデザイン・中小企業庁長官賞 トロフィー 2008年度グッドデザイン賞 表彰状 |
オーディオ向け静電誘導トランジスタの開発
| 2007 - | 静電誘導トランジスタ パワーアンプ |
静電誘導トランジスタ発明者の西澤潤一博士と |
| 2000 - | 2SK77B 第3世代の静電誘導トランジスタを東北大学の半導体研究所で産学協同プログラムに参加して開発製造した。このトランジスタはデジタルドメイン社のパワーアンプに使用された。 第1世代のSITはYAMAHAが開発した。第2世代のSITは東北金属が開発した。第3世代のSITは、最初SRCが開発し、その成果を受け継ぎデジタルドメインが完成させた。 |
2SK77Bのウエハー 2SK77B |
| 2007 - | 2SK78Bと2SJ78Bと2SK278B デジタルドメイン社のパワーアンプの信号増幅用にNチャンネル静電誘導トランジスタとTチャンネル静電誘導トランジスタを開発製造した。またカレントミラー回路に対応するため、トランジスタツインを同一パッケージに封入した静電誘導トランジスタも開発製造した。 |
2SK278Bと2SJ78Bと2SK78B |
| 2005 - | 同軸スピーカーとサブウーファー | LC-1N, LC-1W同軸スピーカー サブウーハー |
中等教育
| 2001 - | 須磨学園高等学校 校長。 理事長 西泰子が打ち出した職業女子校から進学男女共学校に転換する方針の下、須磨学園高等学校の運営に参画し,西泰子と共に大幅な改革を行った。 |
創立90周年記念誌より
須磨学園 高等学校 中学校
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西和彦の須磨学園における業績
西和彦が須磨学園において成し遂げた業績は、単なる学校経営の枠を超え、 ビジネス界のマネジメント手法を教育現場へ完全に移植し、21世紀型の「自立型人間」を育成するシステムを構築したこと に集約されます。
提供された資料に基づき、西和彦の具体的な業績を「教育システムの構築」「ICT・情報の革新」「国際化の推進」「学校経営の改革」の4つの観点から詳述します。
1. 独自教育システムの構築:PM・TM教育と「なりたい自分」の創造
西和彦の最大の業績の一つは、ビジネスの世界で培ったマネジメント術を中高生向けにアレンジして導入したことです。
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PM(プロジェクトマネジメント)・TM(タイムマネジメント)教育
大きな夢を「小さな行動の固まり」に分解するPMノートと、1週間単位で1時間刻みのスケジュールを管理するTMノートを導入しました。 毎週金曜日の1時間目をこの「タイムマネジメントの時間」に充て、生徒が自ら計画・実行・分析する習慣を定着させました。 -
TBM(To Be Myself)教育
「なりたい自分になる。そして…」というスローガンを掲げ、将来の夢を具体化するTBMシートや、心の座標軸を考えるxyzTシートを開発しました。 -
「9時まで自学」と個別指導の徹底
希望者が21時まで学校で自習できる環境を整え、教員が随時質問に対応する「塾・予備校いらず」の学習体制を確立しました。
2. ICT・情報の革新:先駆的なデジタル教育の実装
マイクロソフト副社長やアスキー社長を歴任した西和彦の知見が、最も直接的に反映された分野です。
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制パソコンと制携帯の導入
2004年の中学校開校時から生徒に1人1台のノートパソコンを所持させ、情報の授業だけでなく全教科での活用を推進しました。 また、「制携帯」を導入し、禁止するのではなく、学校管理のサーバーを通した安全な環境で情報リテラシーやモラルを学ぶ「教材」として活用しました。 -
オンライン授業配信システムの早期確立
コロナ禍において、「学校は学びを止めない」という方針のもと、2020年4月の時点でZoom、Teams、YouTube等を駆使した 「インターネット授業配信1.0」を立ち上げ、双方向のライブ授業を実現しました。
3. 国際化の推進:地球儀を俯瞰する研修プログラム
「日本人よりも地球人、国籍は日本」という国際人としてのマインドを育むための体験型プログラムを構築しました。
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世界一周研修旅行の構想と実施
中学2年でアジア、中学3年でアメリカ、高校1年でヨーロッパを巡る3段階の研修旅行を提案・実施しました。 NASA(ケネディ宇宙センター)訪問や大英博物館での本物鑑賞など、単なる観光ではなく「知恵」としての知識を習得する場としました。 -
海外短期留学と学校交流の開拓
オックスフォードやケンブリッジといった世界トップレベルの大学に滞在し、現地の大学生と交流しながら学ぶプログラムを拡充しました。
4. 学校経営の改革と「須磨学園ブランド」の確立
理事長(実妹・西泰子氏)との強力なコラボレーションにより、教育内容の質を客観的に担保する体制を築きました。
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ISOトリプル認証の取得
学校教育の質を継続的に改善するため、ISO 14001(環境)、ISO 9001(品質)、ISO 27001(情報セキュリティ)の認証を、 学校法人として全国に先駆けて取得しました。 -
学力の飛躍的向上と進学校化
毎回の授業での「確認テスト」や、成績優秀者に贈られる「鉄人バッジ」制度などを導入し、 東京大学・京都大学をはじめとする難関大学への合格実績を大幅に伸ばしました。 -
夙川学院の経営支援と再生
2018年に学校法人夙川学院から設置者変更を行い、須磨学園夙川中学校・高等学校として再スタートさせ、 伝統ある校名を残しつつ少人数制の進学校へと再生させました。
中等総合教育
Teaching self management
| Leadership | リーダーシップ教育 須磨学園高等学校の生徒会役員と教員推薦者を対象にリーダーとしての心得を講義。2011年から。 |
リーダーシップ講義
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中等教養教育
Teaching liberal arts
| Liberal Arts | 高校での教養教育 |
1.共学化と中高一貫教育へ向けた改革
1998年から2022年にかけて、須磨学園は女子校から男女共学の進学校へ、さらに中高一貫教育を行う学園へと大きく発展した。その改革を推進したのが、1998年に第5代理事長に就任した西泰子と、2001年に高校校長、翌年に初代学園長となった西和彦である。阪神・淡路大震災を契機に学校の将来像を見直し、従来の面倒見の良い教育を受け継ぎながら、進学指導、情報教育、国際理解教育、施設整備などを総合的に進めた。その中心には、「to be myself,… なりたい自分になる。そして…」という、生徒一人ひとりの自己実現と社会との関わりを重視する理念があった。
2.男女共学の須磨学園高等学校が誕生
男女共学化に向けた本格的な準備は1997年に始まった。当初は男子生徒の募集に不安があり、中学校関係者からも否定的な意見が寄せられた。しかし、人数だけにこだわらず、優秀な生徒を育てる進学校を目指す方針を定め、教育内容の充実と広報活動に取り組んだ。1999年には校名を「須磨学園高等学校」に改め、男女共学として出発した。初年度の志願者は2,118名に達し、男子99名を含む508名が入学した。2002年には志願者が3,435名となり、県内私立高校でも上位の規模に成長した。
3.教育理念の明確化と新たな校風づくり
共学化に際しては、校名に歴史と愛着のある「須磨」を残しながら、学校のイメージを刷新した。「SGマーク」を制定し、阿久悠作詞、都倉俊一作曲の新校歌を採用した。制服も教職員や生徒の意見を取り入れ、個性を生かせる組み合わせと統一感を両立させた。教育理念として「心に力を。」、教育目標として「自立する力」「向上する心」を掲げ、パンフレットや広告、説明会を通じて発信した。男子生徒の受け入れに合わせ、施設や校則、生徒指導、学校行事、部活動の体制も整え、新たな校風を築いた。
4.特進コースの充実と自主学習の支援
進学校への転換を支えたのは、特進コースの充実である。難関私立大学を目指すⅠ類、国公立大学を目指すⅡ類を設け、2003年には国公立大学の医歯薬理系を目指すⅢ類を新設した。先進校の研究、シラバスの作成、大学入試問題の分析、特別講座、進学合宿などを進め、共学1期生から国公立大学や難関私立大学への合格者を送り出した。2003年には教室を夜9時まで開放する「9時まで自学」を開始し、自主学習と教員による指導を支える環境を整えた。
5.中学校開校と6年間の一貫教育
2004年には須磨学園中学校を開校し、148名の1期生を迎えて中高一貫教育を開始した。6年間を通した大学進学準備に加え、英会話、1人1台のパソコンによる情報教育、世界一周研修旅行、芸術鑑賞、生徒会活動などを組み合わせ、知識を実際に使う力を育てることを目指した。自分で考え、行動し、困難を乗り越える経験を重視し、大学進学後や社会に出てからも役立つ力の育成を掲げた。開校に合わせ、実験室、情報室、音楽室、図書室などを改修し、耐震補強や体育施設の整備も進めた。
6.目標を行動につなげるPM・TM教育
独自の教育を代表するのが、2004年に導入したPM・TM教育である。PMは目標を具体的な行動に分けるプロジェクトマネジメント、TMはその行動を日々の予定に組み込むタイムマネジメントを意味する。生徒は専用ノートに目標、計画、学習時間、睡眠時間などを記録し、毎週振り返って改善する。金曜日の1時間目には全校で計画を見直し、教員が助言する時間を設けた。目的は単なる効率化ではなく、自分の時間を主体的に使い、創造的な活動や新しい挑戦を増やすことにある。
7.基礎学力と探究心を育む教科指導
学習指導では、基礎の定着と探究心の育成を両立させた。国語では百人一首の暗唱や新聞コラムの筆写、要約、感想文を通して読解力と表現力を養い、英語では音読、暗唱、語彙学習、添削指導に加え、ネイティブ教員との少人数会話などで四技能を伸ばした。数学では論理的思考を、理科では知識と実験・観察を結び付ける力を重視した。社会科では歴史や社会の仕組みを学び、現実の問題を考える力を育てた。芸術や技術・家庭でも、感性や生活に必要な実践力を養った。
8.個人研究と文章表現による学びの深化
2005年に始まった個人研究活動では、生徒が好きな分野を選び、計画、調査、制作、発表に取り組んだ。研究過程を記録し、文化祭などで成果を展示することで、探究を深めるとともに他者から刺激を受ける機会とした。こうした研究は進路選択や大学の推薦入試にもつながっている。また、行事で得た感動や考えを文章にする『須磨文庫』を2003年に創刊した。生徒の表現力を育てると同時に、その率直な声を学校側が受け止め、教育改善に生かす仕組みでもあった。
9.情報技術を適切に使う力の育成
情報教育では、パソコンや校内ネットワークを早くから整備し、文書作成、プレゼンテーション、プログラミング、パソコンの組み立てなどを通して、情報技術を理解し活用する力を育成した。学校指定の「制携帯」も導入し、安全な連絡手段として使うとともに、利用上のルールや情報モラルを学ぶ機会とした。機器を遠ざけるのではなく、適切に使う力を育てる方針は、その後のスマートフォンやパソコンを活用した学習、オンライン授業の基盤となった。
10.世界一周研修旅行で広げる国際的視野
国際理解教育の柱は、中学2年のアジア、中学3年のアメリカ、高校1年のヨーロッパを巡る世界一周研修旅行である。アジアでは日本と周辺諸国の関係を学び、アメリカでは政治、企業、科学技術、文化に触れ、ヨーロッパでは歴史や芸術、近代文明への理解を深めた。現地の学校との交流では、日本文化や学校生活を英語で紹介し、同世代の生徒と親交を結んだ。教室で学んだ知識を実際の場所で確かめ、異なる文化や価値観に触れる経験を通して、国際的な視野と学習意欲を育てた。
11.短期留学と英語での交流・議論
海外短期留学も拡充し、ニュージーランド、アメリカ、イギリス、カナダなどで語学や異文化を学ぶ機会を設けた。大学の寮生活や学生との交流、英語による教科学習は、生徒に海外進学や将来の働き方を考えさせる契機となった。2014年からは、外国人大学生・大学院生らと英語で議論するエンパワーメントプログラムを開始した。身近な問題から世界的な課題まで取り上げ、自分の意見を述べ、他者の考えを聞くことで、語学力に加えて自信や主体性を育てた。
12.平和・歴史・自然・芸術を体感する校外学習
国内の校外学習でも、現地で体験することを重視した。長崎や広島の平和学習では被爆の実相に触れ、海外研修でもベトナム戦争の跡地、グラウンド・ゼロ、強制収容所などを訪ね、命と平和の尊さを考えた。奈良・京都の古都研修や東京の首都探訪では、日本の歴史と現在、将来を学んだ。夏の自然体験や冬のスキー研修では、仲間との協力や学年を越えた交流を深めた。美術館訪問や毎年のオーケストラ鑑賞など、本物の芸術に触れる教育も継続した。
13.自主活動と部活動で育む主体性と協働する力
学校行事の企画・運営を生徒自身が担うLCT教育では、リーダーシップと協働する力を育てた。文化祭、体育祭、研修旅行の交流会などで役割を分担し、一つの目標に向かう経験を積ませた。地域の祭りや清掃、募金活動にも参加し、社会とのつながりを広げた。部活動でも成果を上げ、水泳部からは2000年のシドニーオリンピックに2名が出場して入賞した。弓道部は全国大会で優勝し、女子駅伝は2003年と2006年に全国制覇を達成した。文化部も制作や発表、学校行事への参加を通じて活動を充実させた。
14.学校運営の改善と環境・防災への取り組み
学校運営では、教育の質と社会的責任を明確にするため、2001年に環境分野のISO 14001、2004年に品質分野のISO 9001、2009年に情報セキュリティ分野のISO 27001の認証を取得した。省資源・省エネルギー、学習指導の点検と改善、情報資産の管理を組織的に進めた。環境教育はSDGsへの取り組みや、国連世界食糧計画の学校給食支援にも広がった。震災の教訓を生かした備蓄や防災教育も重視し、2014年には交通機関の停止を想定して集団で帰宅方面へ歩く「3.11防災Walk」を始めた。
15.夙川校の新出発とコロナ禍での教育継続
2017年には夙川学院と業務提携し、その後の設置者変更を経て、2019年に須磨学園夙川中学校・高等学校が新たに出発した。校舎を移転・改修し、少人数教育と英語・理数系科目の充実によって大学進学を支える方針を打ち出した。一方、2020年からの新型コロナウイルス感染拡大に対しては、「学びを止めない」「学校を止めない」を掲げた。授業配信を整備し、双方向授業、オンライン自習室、個人面談、部活動へと展開した。登校再開後も対面とオンラインを組み合わせ、健康管理や心のケアに配慮しながら教育を継続した。
16.多様な進路の実現と創立100周年からの歩み
コロナ禍では学校行事も方法や行き先を工夫し、海外校との交流はオンラインや動画で続けた。2020年には生徒記者と教職員が参加する学校新聞『夕刊 須磨須磨』を創刊し、交流と表現の機会を広げた。進学面では確認テスト、無料の特別講座、個別指導、成績分析などを重ね、難関大学や医学部への合格実績を伸ばすとともに、海外大学、芸術、スポーツ分野へ進路を多様化させた。卒業生による講演や2021年のTBMフォーラムでは、在校生が将来を考える機会を設けた。創立100周年を迎えた2022年、須磨学園は一人ひとりの可能性を引き出し、「なりたい自分」の実現を支える教育をさらに発展させようとしていた。
高等教育
| 1998 - | 尚美学園短期大学 教授 | |
| 2000 - | 尚美学園大学大学院 教授 尚美学園短期大学が4年制の尚美学園大学への改組にあたり、準備委員を務めた。4年制になった尚美学園で、
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| 2009 - | 尚美学園大学大学院 芸術情報専攻 教授 情報分野に加えてアート・マネジメント分野の講義も担当するようになった。 |
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| 2014 - | 尚美学園大学芸術情報学部 音楽応用学科 開設準備委員を務めている。芸術情報学部内でコースの再編を行い、音楽メディアコースと音楽ビジネスコースをして音楽応用学科に編成した。 | |
| 2015 - | 尚美学園大学芸術情報学部 音楽応用学科 学科長に就任 |
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| 2016 - | 尚美学園大学 名誉教授に就任 |
高等ベンチャービジネス教育
Teaching venture startup bussiness management
| Management | ベンチャー経営学 / プロジェクトマネジメント 埼玉大学・大学院 尚美学園大学・大学院 東京大学 工学部 ベンチャービジネスに必要な意志決定手法やリーダーシップ理論を学部、大学院修士課程、博士課程で講義。ビジネスの成功と失敗の本質を体系化. |
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機械翻訳プラットフォームの構築
| 2001 - | 自動翻訳のための共通言語仕様を提唱 国際連合大学高等研究所にて国連公用語間の文書の翻訳が瞬時に可能なように、機械翻訳のための基礎、応用研究を開始した。国連公用語である英語をベースにした中間言語を詳しく定義することにより、ネットワークベースのシステムは完成している。 |
UNLシステムのロゴ
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| Technology | メディアシステム工学 |
マサチューセッツ工科大学メディアラボで開催されたシンポジウムでポスター発表。 |
西ライブラリー
| 1978 - | アスキー出版を創業し、月刊アスキー、週刊アスキーを立ち上げた。 | |
| 1995 - | 蔵書が5万冊を超えたので、個人ライブラリーを開設。 |
図書館に来訪された林望氏と(ITの未来を読む365冊+α) |
| 2000 - | アスキーから退き、出版事業から撤退したが、再開の努力は続けている。 | |
| 2010 - | 10年ぶりに出版事業にふたたび参入して、「アゴラブックス:現アカシックライブラリー」を池田信夫と共に設立。 | |
| 2011 - | 電子出版開発会社「アカシックライブラリー」社長 電子出版会社のアカシックライブラリーでは、電子出版のシステムを出版社や個人に提供し、また、古今の名著を再版する活動を行っている。 |
アートコレクション
| - |
大徳寺 立花大亀和尚の「明日来」とともに
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| - | 企業人の大茶人、益田孝、松永安左エ門、松下幸之助にあこがれ、茶道裏千家に入門した。同時に茶道具の収集を行ったが、アスキーの経営危機に際して売却した。一部はCSKによってクリスティーズでオークションされた。 価値のある美術品を売却した後に残った美術参考資料を中心に研究に方向性を変更し、続いている。 | 『淡交 [別冊] 愛蔵版 3月号』淡交社、1991年茶道をはじめた動機とその背景をインタビューされ答えた。美術品収集と茶道に関する考えを述べた。 |
ミュージック
| 1993 - | ||
| 1999 - | ザルツブルグ音楽祭と共同して21世紀のための合唱付き交響曲「平和のシンフォニー」を製作した。 |
CD
裏表紙
交響曲第5番第1楽章から第12楽章の解説
プロデュースしたコンサートのリハーサルにて
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映画
| 1989 - | ベム・ベンダースの「夢の果てまで」、エド・ブラナー「ヘンリー5世」、エドワード・プレスマン「ホミサイド」に製作出資した。 | |
| 1990 - | ジョン・アブネット監督「フライド・グリーン・トマト」をエクゼクティブプロデューサーとして製作した。 カンヌ映画祭ににおいて、フランス「ル・モンド」紙の主催する「映画の未来」でプレゼンテーションした。 |
映像編集中
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エンスー・メカニックとしての移動体開発
- 自動車関連
LANCIA THEMA 832のフェラーリエンジン WEBメディア対談:
対談:西和彦×田中栄(前編)――「だから日本車は買わない」
対談:西和彦×田中栄(後編)――「クルマはサービス業になる」
日経BPのシンポジウム:
基調セッション「『セクシー』で『クレイジー』なクルマとは」
において、西自らの自動車観を語っている。
日経BPのクライアントのために「電気自動車への移行の近未来」というコンサルティングを行った。
- 船舶関連
はまゆう
ヘリコプターと同じようにGPS、魚群探知機、自動操縦、近海用安全装置、燃料タンク増漕、エンジンチューンアップなど、その船体には大きめの航法システムを搭載したクルーザーを設計。この船舶は後に安全性が評価され事業用に売却された。
雨の中で試運転中
- 航空機関連
1989年(平成1年)長年の夢であったヘリコプター(350B2)を購入(JA6066)し、GPS表示機、自動操縦、水上着水フロート、燃料タンク増漕など、その機体には大きめの航法システムと安全装置を企画設計し、フランスのエアロスパシアル社で立ち会い実装した。ヘリコプターは後にオーストラリアに売却した。
350B2 拡張仕様を装備した自家用ヘリコプター(浦安のハンガー)
2010年(平成22年)マイクロソフト時代の同僚であったバーン・レイバーンが創立したEclipse Aviationの超小型プライベートジェットの販売を日本代理店として企画、CA13の対空証明に向けて書類を作成した。その後、Eclipseのオーナーが代わり、日本への輸入はなくなり西は航空機輸入事業から撤退した。
eclipse 500の離陸前の写真。後ろの商用機と比べるとその小ささが判る。
2008年(平成21年)米国のAIR FORCE ONE、NEACAPなどの調査研究を行い、「政府専用機のあるべき姿」についての提案をまとめ、航空自衛隊に提案、 政府専用機 747の改修時に提案は一部採用された。
2019年3月まで運用していたB747-400型の政府専用機
建築・都市開発企画研究
| オフィス・オフィスビルディング | 代々木オフィスレイアウト デザイン | |
| 代々木プライベートライブラリー デザイン | ||
| 神戸ミュージアムタワーアパート デザイン | ||
| 神田TSビル リノベーション | ||
| 上野中央ビル リノベーション | ||
| 大宮テレビタワー プロジェクト | ||
| 六甲アイランドタワー プロジェクト |
| 住宅・集合住宅 | 旧吉田五十八邸 レストア |
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| NYトランプパーク インテリアデザイン | ||
| パリ Apartment インテリアデザイン | ||
| 白金アパート レストアー | ||
| 須磨マンション リノベーション | ||
| 八ヶ岳ログハウス プロジェクト | ||
| 原宿集合住宅ビラデステ プロジェクト |
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| 葉山アパートプロジェクト |
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| 神戸北野レジデンス 開発プロデュース |
| リゾート開発・ホテルデザイン | アマンタミ 基本計画 | |
| アマンニワ(アマン京都) 基本計画 | ||
| アマンウミ 基本計画 | ||
| アマンサマーパレス(アマン北京) 電気、情報系設計 | ||
| サーフサイドビレッジ三崎 プロジェクト | ||
| 高島白浜リゾート プロジェクト | ||
| 西表島ビーチリゾート プロジェクト | ||
| 古今青柳鳴門 レストラン プロデュース | ||
| 京都龍安寺 龍仁堂ホテル プロデュース | ||
| 旧軽井沢ホテル アンド レジデンス プロデュース |
| キャンパス開発 | 須磨学園板宿キャンパス 改修マスタープラン | |
| 須磨学園会下山キャンパス 改修マスタープラン | ||
| 日本先端工科大学(仮称)小田原キャンパス 改修マスタープラン |
| 大規模都市開発 | つきだてエアーソフトキャンパス プロジェクト | |
| 津市工業団地開発企画プロジェクト | ||
| 神戸箕谷物流センター 開発プロデュース | ||
| 伊賀市夢ポリス工業団地 開発プロデュース |
高等メディアシステム教育
Teaching media system
| Technology | パソコン、インターネット、コンテンツを電話、テレビ、郵便、出版、新聞等の従来からのメディアと関係付けを行い体系化。 |
東京大学工学部『産業総論』1993年5月19日 東京大学工学部『産業総論』1996年5月15日 |
産学協同プログラム
| 2019 - | 東京大学大学院機械工学専攻にてIoTメディアラボラトリー ディレクター就任 還暦の60歳にあたり、これまでの活動をウェブサイト(nishi.org)と本にまとめた。 個人の経歴を自分なりに分析してわかったことは、15年周期で活動が変化していること。30歳までの技術者、45歳までの経営者、60歳までの教育者の3つの時代である。この先の時代は60から75歳までの15年間である。 |
2019年3月 IoTメディアラボ 年次報告会にて |
| 2019 - |
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| 2000 - | 100ドルパソコンの開発 |
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| 2022 - | 100ドルパソコンの開発 |
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| 2022 - | IoT向けシステムの開発 IoTセンサーを繋ぐポケットコンピューターを企画し、クラウドと結合して実用的なIoTシステム MSX 0を構築した。 |
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日本先端工科大学(仮称)は、設立準備に取り組み中です。まだ、西和彦の業績として確定しておりません。しかし、実現するべく全力をあげて取り組んでおります。
小田原市荻窪の日本先端工科大学(仮称)のキャンパス予定地
業績まとめ



























































