nishi.org 業績まとめ

業績

提供されたPDF資料から読み取れる西和彦の業績は、IT・コンピュータ分野にとどまらず、教育、出版・メディア、映画・音楽製作、さらには建築やオーディオ機器の開発に至るまで、極めて多岐にわたります。

資料に基づき、主要な業績をいくつかの分野に分類して分析・要約します。

1. IT・コンピュータビジネスとハードウェア・ソフトウェア開発

  • 株式会社アスキーの創業と経営: 1977年に創業メンバーとして株式会社アスキーを立ち上げ、出版事業とソフトウェア事業を拡大させて1989年に株式店頭公開を実現しました。また、ベンチャーキャピタリストの先駆けとして米国の多数のテクノロジー企業(InformixやMacromediaなど)に投資し、IPOやM&Aを成功に導きました。
  • マイクロソフトとの協業: マイクロソフトBASICの拡張と日本での販売をはじめ、MS-DOSやGW-BASICの開発、Windows 1.0/2.0の企画開発、初代Microsoft Mouseの開発と商用化など、同社の初期の重要な事業に深く関与しました。
  • ハードウェアと次世代システムの開発: NEC PC-8000/6000シリーズの開発参画や、8ビットパソコンの共通規格「MSX」を開発し国内外のメーカーへライセンスしました。その後も、世界初のIBM互換ラップトップPC「Z-180」の開発、オリジナル互換CPU(R800、VM8600)の開発、日本最高速のパソコンクラスター「SUPERNOVA」の開発など、常に最先端のハードウェア設計を主導しました。
  • ネットワーク技術の普及推進: 1980年代前半より、Ethernetの標準化やTCP/IPプロトコルの採用を提唱・牽引し、通信衛星を利用したVSATシステムの開発なども行いました。

2. 教育分野への貢献とリーダーシップ

  • 須磨学園における学校改革: 2001年に須磨学園高等学校の校長(後に学園長)に着任し、女子校から男女共学の進学校への大規模な移行を主導しました。中学校の開設による中高一貫教育の開始、TM/PM教育の導入、1人1台のノートパソコンや「制携帯」によるICT教育、そして世界一周研修旅行など、独自の教育プログラムを構築しました。
  • 高等教育・研究機関での活動: 尚美学園大学や東京大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボなどで教授やディレクターを歴任し、メディアシステム工学やベンチャー経営学を指導しています。また、「日本先端工科大学(仮称)」の設立準備にも取り組んでいます。

3. 出版・メディア・コンテンツ制作

  • IT関連出版事業: 1978年に日本初のパソコン向け月刊誌「月刊アスキー」を創刊し、「週刊アスキー」も立ち上げました。プログラム集や技術マニュアルの出版を確立し、後年には電子出版会社「アカシックライブラリー」を設立しました。
  • 映画製作・配給: ハリウッド映画『フライド・グリーン・トマト』のエグゼクティブプロデューサーを務め、アカデミー賞候補となる成功を収めました。他にも複数の映画への出資や配給ビジネスを展開しました。
  • 音楽出版とプロデュース: ウィーン・フィルの名録音CD全集の出版や、ザルツブルグ音楽祭と共同での作品制作など、クラシック音楽分野でも活動を行いました。

4. 建築・オーディオ・その他の専門的活動

  • ハイエンドオーディオ機器の開発: 2005年に「デジタルドメイン」社を設立し、SITを用いたパワーアンプやマルチビットDAコンバーターなどを開発し、グッドデザイン賞を受賞しました。
  • 建築都市計画・デザイン: オフィスやマンションのインテリアデザイン、須磨学園のキャンパス改修、大規模都市開発のプロデュースなど、空間設計分野でも実績を残しました。
  • 機械翻訳プラットフォームの構築: 国際連合大学高等研究所において、共通言語仕様(UNLシステム)を提唱し、多言語間翻訳の基礎研究を行いました。

西和彦の業績は、単一分野にとどまらず、「最先端技術の社会実装」「教育による人材育成」「文化・芸術の創出」という複数の軸で展開されており、世界規模でのイノベーションを実現してきた点に最大の特徴があります。

アスキー

  • 株式会社アスキーの創業
  • アスキーの事業多角化
  • アスキーの株式公開
  • ベンチャーキャピタル
  • アスキーのリストラ

マイクロソフト

  • マイクロソフトBASICの拡張と日本への販売
  • MS-DOSの開発
  • GW-BASICの開発
  • 16ビットIBMパソコンキーボードのレイアウト
  • 8ビットMSXパソコン規格の開発
  • マイクロソフトWindows1.0/2.0の企画開発
  • マイクロソフトMouseの開発
  • CD-ROMをWindowsのメディアに採用
  • マイクロソフトプレスを始める
  • サブロジックフライトシュミレーターをマイクロソフトにリクルート

須磨学園

  • 高等学校の進学校化
  • 中学校の設置と6年一貫教育の実施
  • 夙川中学校高等学校の設置と6年一貫教育の実施

大学関係

  • 国際大学グローコムを改組しインターネット社会学研究に特化し産学協同プログラム展開
  • 国際連合大学高等研究所で国際関係の研究と機械語翻訳
  • マサチューセッツ工科大学メディアラボでユニバーサルノレッジ計画を推進
  • 尚美学園大学設置委員、尚美学園大学大学院設置委員、尚美学園大学新学科設置委員
  • 東京大学大学院工学系研究科でIoTメディアラボラトリーディレクター
  • NPO法人 IoTメディアラボラトリー理事長

建築都市計画研究

  • オフィス
  • レジデンス
  • ホテル
  • 中学高校大学キャンパスマスタープラン
  • 工業団地・物流団地・データセンター企画設計
  • 大規模開発計画・都市計画

 

ベンチャービジネス経営
Venture business administration

アスキーの創業

西和彦のアスキーにおける業績は、日本におけるパソコン産業の黎明期を支えた「出版事業の確立」と、グローバルな視点での「技術標準化と多角化経営」の2軸に集約されます。

主要な業績を以下のカテゴリに分けてまとめます。

1. 出版事業:コンピュータ文化の普及

  • アスキー出版の創設: 1977年、大学在学中に郡司明郎、塚本慶一郎の両氏と共に創業しました。
  • 専門誌の創刊: 日本初のパソコン専門誌『月刊アスキー』を立ち上げ、米国のコンピュータ関連出版物の翻訳出版も数多く手がけることで、海外の最新技術を国内に紹介しました。
  • 週刊アスキーの創刊: 1997年の創業20周年記念事業として、日本初の週間パソコン情報誌『週刊アスキー』を創設し、発行部数30万部の人気誌へと成長させました。

2. 技術標準化とグローバル展開

  • マイクロソフトとの提携: マイクロソフトのビル・ゲイツ氏と直接交渉し、1978年にBASICの極東代理店契約を締結。アスキーを、芽生え始めたばかりの日本パソコン産業の「顔」へと押し上げました。
  • MSX規格の提唱と開発: 1983年、メーカーごとに乱立していたパソコン仕様の統一を目指し、共通規格「MSX」を開発・発表しました。これはマイクロソフトとアスキーが共同開発したもので、日本国内外で普及しました。

3. 多角化経営とベンチャー投資

  • 上場と規模拡大: 1989年に株式会社アスキーを店頭公開し、当時最年少の社長として年商300億円を達成しました。
  • 事業の多角化: マイクロソフトとの提携解消後(1986年〜)、独自路線を強め、半導体、通信、ビジネスソフト、マルチメディア、映画配給などへ事業を広げました。
  • 米国スタートアップへの投資: 西氏の主導により、米国のエレクトロニクス産業のスタートアップへ積極的に投資を行いました。

4. 教育・研究事業への注力

  • 教育事業の立ち上げ: アスキーの経営再建期(1990年代後半)、教育事業部門を自ら立ち上げ、売り上げ50億円・黒字化を達成して同社での復権を果たしました。
  • 自動翻訳の研究: 国際連合大学高等研究所と協力し、多言語間の瞬時翻訳を可能にする中間言語(UNLシステム)の基礎・応用研究を開始しました。

西氏のアスキー時代は、その独創的なアイデアと行動力によって、単なる出版社を「総合的なマルチメディア企業」へと変貌させ、日本のIT社会の基盤を築いた時代と言えます。

1977 - 株式会社アスキーの創業
店頭公開時の創業メンバー。
左から郡司明郎、塚本慶一郎、西和彦。
アスキーのロゴ
   
1983
1984
1985
1986- アスキー社長に就任
・42億円の第3者割当増資を実行
・マイクロソフト関連事業を失ったアスキーの事業の再編
・株式の公開準備
などを行った。
1986
1987-  
ASCII CORPORATE PROFILE 1987
ASCII CORPORATE PROFILE 1988

1978年(昭和53年)アスキー出版を創業し、月刊アスキー、週刊アスキーを立ち上げた。

1978 - パソコン月刊誌
「月刊アスキー」創刊-

日本初のパーソナルコンピュータに的を絞った出版事業を展開.
月刊ASCII創刊号

-

パソコン週刊誌
「週刊アスキー」創刊-

創業20周年記念事業として日本初の週間パソコン情報誌を発行部数30万部に.
週刊ASCII創刊号
週刊アスキー最終号
1979 - Basic Computer Games 日本語版
米コンピューター雑誌Creative Conputerの出版したBASIC ゲーム集のソースリストを出版した。日本で最初のパソコン向けプログラム集。
Basic Computer Games 日本語版
   
PC8001 ゲーム集+TAPE
1985 - テクニカルライティング出版の確立
ソフトウェアの説明書を翻訳、オリジナルで出版するなど、技術マニュアルの出版事業を手がてた。
MS-DOS3.1ハンドブック
1985 -  
MS−DOSプログラマーズハンドブック
1985 -  
MS-DOSプログラミングテクニック

グラフィックス・写真・デザイン制作

- 中学時代より写真の現像・引き延ばしの技法を習得し、写真作品を製作している。 高校時代よりシルクスクリーン印刷による版画の技法を習得し、シルクスクリーン作品を製作した。 この経験はプリント基板の制作や半導体のエッチングに対する感覚として、受け継がれている。
 
- マルク・シャガールのリトグラフ作品を1000点以上収集した。このコレクションは高知県立美術館に収納されている。  
- 米国メトロポリタン美術館の客員委員に選ばれ、主に21世紀の現代美術とインターーネットと美術館運営についての提案をルアーズ館長、ホーキンズ副館長に続けた。これによってメトは早くから世界で一番進んだWEBサイトを運営してきた。  
- デザイナー田中一光とコラボレーションし、ポスターをプロデュースした。

一つはアスキー再生のシンボルポスター。
二つ目は、日本機械学会100周年記念のシンポジウムポスター。
三つ目は、国際連合大学高等研究所主催のシンポジウムのポスター。
 
- ミニマリズムを掲げてオーディオ機器のデザインを行った。GKデザイン研究所と共同で製作しグッドデザイン賞受賞した。  

パソコン アプリケーションソフトの開発

- JG 日本で最初のDTP型ワープロを共同開発。
- Wings Informix社の表計算ソフトを日本語化。
- CARD オリジナルのパーソナルデータベースソフト
- Informix Informix社に投資、株式公開。のちに事業部門を売却、株式売却。

音楽出版

2000 - ウィーン・フィルの名録音の3レーベル DECCA, ドイツ・グラモフォン, Philips と提携し、CD全集全40巻を創刊。
ウィーン・フィル世界の名曲
CDパッケージ

音楽作曲委嘱・コンサート企画、録音、CD出版

2006 - ACT4 ジョセフィーヌの音楽 製作
ナポレオンの居城であったマルメゾンのサロンで、ジョセフィーヌが好んで演奏させていたと思われる音楽のコレクション。ナポレオン・ディナーで演奏されたものを、スタジオで再録音した。デンマーク製の最高級マイクで収録。一曲目はエコーなどの処理をしないピユア録音版。
ジョセフィーヌのサロンのCDパッケージ
1999 - ザルツブルグ音楽祭の後援で21世紀のための合唱付き交響曲「平和のシンフォニー」を制作した。シンフォニーの作曲はフリップ・グラスに委嘱し、ザルツブルグ音楽祭で世界初演された。
ピースシンフォニーCD
  コンサートの企画を20回以上行ってきた。
また、コンサートを録音して、CDを出版した。
プロデュースしたコンサートのリハーサルにて

コマーシャル制作

1985 -

MSX 100万台キャンペーンのための特別番組に放送されたMSXと株式会社アスキーのイメージコマーシャル

映画共同制作、単独制作・外国映画配給

- ベム・ベンダースの「夢の果てまで」  
1989 - ヘンリー5世
ケネス・ブラナーが監督した英国映画に出資した。また、日本で配給の企画を行った。
ヘンリー5世
1990 - プレスマンフィルム
- エドワード・プレスマン「ホミサイド」制作 日本で配給
1990 -

ジョン・アブネット監督「フライド・グリーン・トマト」をエクゼクティブプロデューサーとして製作

映像編集中
-

カンヌ映画祭ににおいて、フランス「ル・モンド」紙の主催する「映画の未来」でプレゼンテーションした。

 
- アスキー映画 500本の配給をビデオ、DVDにした。  
- 試写室を作った  

映画日本配給・ハリウッドで映画制作

1990 - アメリカベストロン社の映画200本を日本に配給  
1991- ハリウッドに映画制作会社 Electronic Shadow Productions を設立し、映画「フライド・グリーン・トマト」をエクゼクティブプロディユーサーとして原作選定、脚本、キャスティング、編集、音楽を指揮した。アカデミー賞の候補になり、1年間のロングランを記録した。
エレクトリックシャドープロダクションのチーム 「フライド・グリーン・トマト」を製作
アカデミー賞受賞の女優2人を起用。
キャッシー・ベイツとジェシカ・タンディー
フライド・グリーン・トマト
DVDパッケージ

電子出版プラットフォームの構築

2010 - 電子出版のためのインフラ構築を行った。端末に依存しないウェブブラウザベースの電子出版プラットフォームを構築している。
アカシックライブラリのロゴ

グループウェアプラットフォームの構築

1993 -

グループウェアとしてFirstClassの開発協力
国際大学GLOCOMにて大学研究所のようなアカデミックで多数の研究者が協力しながら仕事を進めていく環境のためにグループウェアが必要であるということを認識し、カナダ製グループウェア開発会社に資金援助と西が必要と考えるリモートデスクトップ機能を設計し、開発を依頼した。アスキーがファンドに売却されたあと、グループウェア事業は独立した。

FirstClassサーバ パッケージ

機械翻訳プラットフォームの構築

2001 - 自動翻訳のための共通言語仕様を提唱
国際連合大学高等研究所にて国連公用語間の文書の翻訳が瞬時に可能なように、機械翻訳のための基礎、応用研究を開始した。国連公用語である英語をベースにした中間言語を詳しく定義することにより、ネットワークベースのシステムは完成している。
UNLシステムのロゴ

アスキーの株式公開

1989 - 株式会社アスキーの株式店頭公開
出版事業とソフト事業で年商300億円を達成した最年少(当時)の社長.
日本証券業協会より株式店頭登録をいただく。
アスキー株式店頭公開公告のトゥームストーン
1989 - 株式会社アスキーの株式店頭公開
出版事業とソフト事業で年商300億円を達成した最年少(当時)の社長.
ASCII CORPORATE PROFILE 1989
ASCII CORPORATE PROFILE 1989(英語版)
ASCII CORPORATE PROFILE 1990

ベンチャーキャピタル
Venture startup investments

1985 - 2000

ベンチャー投資
ベンチャーキャピタリストの先駆として、米州の16社に投資し株式上場・会社売却をおこなった.

1985 - 2000

投資してIPOした会社
・CHIPS and Technologies(NASDAQ)
・Integrated Silicon Devices(NASDAQ)
・Integrated Information Technologies(NASDAQ)
・Nexgen Microsystems(NASDAQ)
・PictureTel(NASDAQ)
・International Datacasting(Montreal)
・Macromedia(NASDAQ)

・Informix(NASDAQ)

投資してM&Aされた会社
・Digital Research(Novelに)
・Power Computing(Appleに)
・Soft Arc(OpenTextに)

アスキーのリストラ

1990 - 銀行16行による協調融資組成とリストラ-
バブル破裂に先立ち、アスキーのリストラに着手し 事業部制を導入し、先を見た経営に本格的に取り組む.
アスキー役員と共に日本興業銀行の木下茂樹氏(3番目)と。アスキーのリストラに親身になってご指導頂いた。いわばアスキーの半沢直樹である。
CORPORATE PROFILE 1991
CORPORATE PROFILE 1993
CORPORATE PROFILE 1997

CSKグループ入り

2000 - CSKグループ入り
第三者割り当て増資によりCSKから100億円の出資を仰ぐ 金融資本に加えて、産業資本による企業体質強化
CSK創業者 大川功氏と
2000 - アスキーから退き、出版事業から撤退した。  
2010 - 10年ぶりに出版事業にふたたび参入して、「アゴラブックス:現アカシックライブラリー」を池田信夫と共に設立。  
2011 - 電子出版開発会社「アカシックライブラリー」特別顧問。
電子出版会社のアカシックライブラリーでは、電子出版のシステムを出版社や個人に提供し、また、古今の名著を再版する活動を行っている。
 
2014 - アスペクト出版局の出版電子化受注  

メディアシステムの構築
Media system engineering

1978 - 1985 マイクロソフトにてパソコンの企画・設計を担当する。
マイクロソフト社にて、ビルゲイツ社長と。

西がマイクロソフトに在籍していたころのロゴ

西和彦が1978年から1986年にかけてマイクロソフトで果たした役割は、単なる代理店主にとどまらず、「実質的な副社長」として同社の世界的成長と日本のパソコン産業の基盤形成を主導したものでした。

ビル・ゲイツと共に独創的・革新的なアイデアを次々と提案し、マイクロソフト初期の躍進を支えた主な業績は以下の通りです。

1. グローバル経営と日本市場の開拓

  • 初代極東担当副社長: 1979年から1986年までマイクロソフトの極東担当副社長を務め、米本社のボードメンバー(取締役)にも名を連ねました。
  • 日本におけるBASICブームの創出: 1978年にマイクロソフトBASICの極東代理店契約を締結。NEC(PC-8001等)をはじめとする国内主要メーカーへBASICを供給し、日本におけるパソコン普及の決定的な役割を果たしました。
  • 莫大な売上への貢献: 1980年時点でマイクロソフト全体の売上の大部分を日本市場で稼ぎ出し、黎明期の同社の財務基盤を支えました。

2. OS・ソフトウェア開発の主導

  • MS-DOSの開発参画: 16ビット時代の標準OSとなったMS-DOSの開発に深く関与しました。
  • Windows 1.0の企画: 初代Windows(Version 1.0)の企画・開発に携わり、GUI時代の幕開けを先導しました。
  • 各種言語の拡張: GW-BASICのほか、GMLやMMLといったプログラミング・音楽関連言語の拡張を推進しました。

3. ハードウェア規格と周辺機器の革新

  • MSX規格の提唱: マイクロソフトとアスキーの共同開発として、世界初のホームコンピュータ共通規格「MSX」を企画・設計しました。
  • 世界初のラップトップPCの設計: 京セラが製造し、後に「Tandy Model 100」や「NEC PC-8201」として世界的にヒットしたハンドヘルドコンピュータの基本コンセプトをビル・ゲイツらと設計しました。
  • マイクロソフト・マウスの誕生: Windowsの普及を見据え、安価な入力デバイスとして「マイクロソフト・マウス」のデザインと商品化を主導しました。
  • IBM PCへの影響: 初代IBM PCのキーボード・レイアウトのデザインにも関与しました。

4. 新領域・コンテンツの企画

  • CD-ROMの提唱: CD-ROMをコンピュータの記録メディアとして活用するアイデアを出し、初期のCD-ROMカンファレンスなどを企画しました。
  • マイクロソフト・プレスの創設: 出版を通じた技術普及を目指し、出版部門である「マイクロソフト・プレス」を提案・企画しました。
  • フライトシミュレーターの導入: subLOGIC社のソフトをスカウトし、後に世界的な定番となる「マイクロソフト フライトシミュレーター」としての製品化を企画しました。

西和彦の独創的なビジョンとビル・ゲイツの実行力が組み合わさったこの時期は、マイクロソフトが世界企業へと成長する最も重要なターニングポイントであったと評価されています。

パソコンソフトの開発

- MS-DOS  
- DR-DOS  
- MS-Windows 1.0, 2.0  
  MSX-DOS  

パーソナルコンピュータの開発
キャラクター ユーザ インターフェース システム

8ビットパーソナルシステム

1978 - NEC PCの開発に参画
NEC PC 8001, N-BASICを核とするNEC PC 8000シリーズの企画・開発を行った。日本のパソコンの歴史の原点。
NEC PC 8000シリーズ
1980 - NEC PC6000の開発に参画
ROMカートリッジをIOにも使う考え方を初めて導入した。
NEC PC 6000シリーズ
1981 -

スペクトラビデオ SVI- 318の開発に参画
世界向けのROMカートリッジマシン。これが原型となってMSXのプラグアンドプレイカートリッジが生まれた。

SVI-318
  SVI-328
SVI-328

ホームコンピュータの開発

1982 - MSX PCを開発
松下電器,ソニー,フィリップス,
他約16社へライセンス.
MSXロゴ
1982 - MSX PCを開発
松下電器,ソニー,フィリップス,
他約16社へライセンス.
松下のMSX
ソニーのMSX
Philips(オランダ)のMSX

CPU(8/16/32/64ビット)の開発

1989 - R800 互換CPUの開発
ZILOG社 CPU Z80完全互換の高速版CPUを開発した。互換性とライセンスの正当性を保証するために、R800はZILOG社にライセンスされた。ZILOG社からは、Z80のライセンスを取得した。
RISC型 CPU R800

グラフィックプロセッサーの開発

   
ヤマハ社長 石村 和清 氏と
1985 - ビデオスプライトプロセッサー開発
MSX2に使用するためにスプライトとグラフィックスが表示可能なプロセッサーをYAMAHAと共同で開発した。このLSI V9938は、500万本以上生産され米AT&T社情報端末にも採用された。
V9938
ビデオディスプレイコントローラ
V9958
ビデオディスプレイコントローラ
1986 -  
V9990
ビデオセットトップボックス
パチンコシステム向け
コントローラ
1987 - IBM PC互換液晶ディスプレイコントローラー開発
ノートPCに使用するためのIBM PC互換チップを設計した。マウスインターフェースのWindowsの完成を予想して搭載した。最初のユーザーはゼニス・マイクロシステム、独立系パソコンメーカーの工人舎のポータブルコンピュータに採用された。

LCDC V6355
LCDディスプレイコントローラー

2000 -

100ドルパソコンの開発
開発途上国の子供たちのための、廉価なパソコンを開発。
8ビット Z80互換のFPGA CPUの開発を行った。
75kのロジックセルにMSX1を実装した。

2022 -

100ドルパソコンの開発
このシステムは2022年にアップデートされ、MSX2+を実装し、MSX++と命名された。

2022 - IoT向けシステムの開発
IoTセンサーを繋ぐポケットコンピューターを企画し、クラウドと結合して実用的なIoTシステム MSX 0を構築した。

ポータブルコンピュータの開発

1979 - CANON X-07R ハンドヘルドコンピュータ開発
CANON X-07R
1980 - EPSON HC-20 ハンドヘルドコンピュータ
EPSON HC-20
1981 - EPSON HC-40 ハンドヘルドコンピュータ
EPSON HC-40
1982 - ハンドヘルドPCを開発-
Tandy M100, NEC PC8201,Olivetti M10へOEM納入
NEC PC8201
Olivetti M10
Tandy TRS-80 model M100
1984 - ハンドヘルドパソコンの拡張
大ヒットしたTANDY M100のディスプレイを拡大し、新型モデルを企画した。
TANDY M200
1995 - ポケットチャレンジ
携帯学習機 を企画・開発した。ベネッセコーポレーションにOEM供給した。単語カードを置き換えようとした。教材はROMカートリッジになっていた。
ポケットチャレンジ本体

16ビットラップトップPCの開発

1985 -

ラップトップPCを開発
640x400フルサイズの液晶とCGA互換のコントローラーのLSIを設計し、世界初のIBM互換ラップトップパソコンZ-180を開発
鳥取三洋電機が米国のZenith Data System社にOEMで納入

このパソコンによってデスクトップIBM PCがラップトップになり、互換ラップトップブームの第一号となった。CGA完全互換の液晶コンピューターはこれが初めて。 

 

ビジネスパーソナルコンピュータの開発

8ビットビジネスシステム

1980 - 日立製作所BASIC マスターLEVEL3パソコンの開発に参画
IOのプラグインカードにROMでドライバーソフトウェアを搭載したプラグアンドプレイの原点となるような機種。
HITACHI BASIC MASTER LEVEL 3
1980 -

沖電気工業ビジネスパソコン if800を企画開発
OKITACに代表されるビジネスコンピューターで名を馳せた沖電気の依頼によりNECと差別化したパソコンを企画した。ディスプレイ、プリンター、フロッピー、モデムを内蔵したシステムを構築した。このコンピューターがIBMパソコンのモデルとなった。

OKI if800 MODEL20

16ビットシステム

1981 - 三菱電機 MULTI16 パーソナルコンピューターの開発に参画

MITSUBISHI MULTI16
1982- HITACHI MB-16000 パーソナルコンピューターの開発に参画

HITACHI MB-16000
1981 - IBM PCの開発に参画
MS-DOSの開発
IBM PC
  MS-DOSの開発  
  キーボードのレイアウト
IBM 5150キーボード
  GW BASICの拡張  
  ローカルネットワークの開発  
1981 - Ethernetの標準化とXerox、DEC、Intel、(マイクロソフト)
西和彦とBlair Newman(元SUMMA Corporation(ハワードヒューズの持ち株会社))は、Ethernetの発明者であるRobert M. Metcalfeに対して、「Xerox社は、Ethernetのパテントを解放し、MACアドレス発行事業に参入するべきだ」と提言した。同時にサーバのパートナーとしてミニコンのDEC、半導体のパートナーとしてIntel、ネットワークプリンタのパートナーとして、Xeroxの3社でEthernetの普及させようとする構想を立案した。当初、マイクロソフトもMS/DOSをEthernetにつなぐということで参加する予定であったが、見送られた。その後Metcalfは、3COMを設立した。
 
1982 - 日本最初のEthernet I/0ボードを輸入
3COM社最初の商品である、DEC社のPDP11用Ethernetボードを輸入し、NTT横須賀電気通信研究所および東京大学大型計算センターに納入。ハードウェアは存在したが、ソフトウェアが存在せず、NTT横須賀電気通信研究所と東京大学大型計算センターからソフトウェアの調達を要請される。
 
1983 - TCP/IPをEthernet上のプロトコルとして採用を決断
3COMのMetcalfeと共同して当時インターネットのノード間の伝送プロトコルであったTCP/IPをEthernetの標準プロトコルとして使用することをDARPA(国防高等研究開発機構)に要請し許可され、3COMとアスキーはその販売を開始した。
 
1984 - PCNFSの開発
Ethernet上でファイルを共有するためのソフトPCNFSを導入し、日本語化し提供をはじめた。
 
1984 -

CHIPS and Technologies社のIBM PC/AT 互換チップを使ったマザーボード。

インテルの286 CPU以外は全部CHIPS社のASICで互換機を作ることがはじめて可能になった。

CHIPS and Technologies 286 マザーボード
1986 - 同社の386 互換機のためのASIC群を搭載したマザーボード。286に比べて約2倍のパフォーマンスをあげることができた。
CHIPS and Technologies 386 マザーボード
1990 -  
マイクロコンピュータの誕生「わが青春の4004」出版記念会
1991 - オリジナル互換CPU開発
オリジナルな16ビットCPUをマイクロコンピューター発明者 嶋正利 と共に開発。
VM860
1992 - オリジナル互換CPU開発
オリジナルな32ビットCPUをマイクロコンピューター発明者 嶋正利 と共に開発。
VM8600

32ビットシステムの開発

1983 - NEC PC100の開発に参画
MS-DOS 3.0, MS-Windows 1.0/2.0の企画・開発.
Windowsを搭載することを前提とした世界最初のパソコン。
NEC社内の政治闘争で敗れ生産は中止された。
ハードウェアの設計は松本吉彦(東京工業大学教授)。
NEC PC100
1982 - 初代Microsoft MOUSEの開発商用化
Microsoft Windows 1.0、2.0の開発にともないポインティングデバイスとしてマウスが注目されていたが、高価であったため、安価なマウスを作ることになり、アルプス電気のトラックボールをベースにパソコン用のマウスを初めて開発した。西の手のなかにすっぽり収まる形にした。
初代Microsoft MOUSE
1985 - FM-TOWNSにCD-ROMドライブ標準搭載を進言
Fujitsuがパソコンを開発するにあたり、WindowsとCD-ROMを組み合わせた電子出版プラットフォームとしてのパソコンを提案した。ソフトがないときは最も値段の高いCDオーディオプレーヤーと揶揄されたが、その後ほとんどのパソコンにCD-ROMドライブが搭載されるきっかけとなった。
Fujitsu FM-TOWNS
Windowsのソフトが入ったCD-ROM
このCD-ROMソフトはWindowsの動く全てのパソコンで実行が可能となり、ソフトウェアの独立性がはじめて多機種間、異なるディスプレイ間で確保された。

デジタル圧縮のアルゴリズムの研究

1990 - MPEGオーディオの開発標準化に参画
現在ではMP3としてデジタルオーディオの標準となった.
Digital Audio Digital Video圧縮の標準化会合を提唱
DAVIC協議会で決定された画像圧縮仕様
MPEGのたたき台となった。
1990 - MPEGビデオの開発と標準化に参画
パソコンで最も広く使われているデジタルビデオ圧縮方式の標準化活動を推進.
日刊工業新聞社よりMPEGエンコーダの開発で新製品賞を受賞。

コンピュータ向け半導体の開発

1985 - グラフィックプロセッサー, オリジナルコンパチCPUの開発
最初に設計したLSIのマスクプリントの前で
最初に開発した半導体のYAMAHA設計チームと
西和彦とビル・ゲイツ
アスキーの半導体設計チーム
SILICON SOFTWARE のカタログ

64ビットシステム
マルチCPUのコンピューターシステムの構築

2000 - ハイエンドパソコン・パソコンクラスタによるスーパーコンピュータの設計
Visual Technology 川股社長と
Visual Technology ロゴ
1993 - NexGen 586マイクロプロセッサの開発に参画
インテル互換マイクロプロセッサの開発に成功した唯一の会社、ネクスジェンマイクロシステムに投資・参画した。株式公開。
NexGen586マイクロプロセッサ
1993 - NexGen 586 CPUを使ったPCIマザーボードを開発。インテルよりも早いスピード、AMD 586よりも小さなチップサイズの当時としては最速のパソコンマザーボードを実現。
1996 - AMD K6(NexGen 686)マイクロプロセッサの開発に参画
インテルよりも高速な互換マイクロプロセッサの開発に成功した唯一の会社、ネクスジェンマイクロシステムはAMDと合併し、AMDの次世代マイクロプロセッサATHRON等を開発。
NexGen686マイクロプロセッサ
NexGen686マイクロプロセッサ

64ビット ワークステーション

2002 -

日本初の64ビットPCの商品化
AMD64ビットCPU Opteronを使用した第1号機タワーパソコンVT64を開発。

 

VT64

64ビット メディアプレーヤーPC

2001 -

メディアセンターPCの商品化
ハイエンドオーディオトランスポートとしてWindows/メディアセンターPCを搭載したパソコンを企画、開発した。音質を重視し、マザーボード、グラフィックボード、シリアルインターフェース、アナログ電源等を選びインテグレーションした。

ビジュアルテクノロジー「VT-100」
2002 -

先に開発したメディアセンターPCの廉価版モデル。

ビジュアルテクノロジー「VT-50」

ハイエンドオーディオシステムの開発

2005 -

長年続けてきたオーディオ研究をさらに発展させて事業化することを決心した。まず、静電誘導トランジスタ(SIT)を使ったアンプ、マルチビットDACを使ったDAコンバーターを開発した。スピーカーやアナログプレイヤーなど、ハイエンドオーディオ全般に取り組んでいる。

持田康典氏と
デジタル ドメイン ロゴ
DAコンバータD1と
メインアンプB1と
15インチ同軸スピーカー LC-1N、
15インチサブウーハー LC-1W
2005 - ハイエンドオーディオ開発会社「デジタルドメイン」を設立し、社長に就任。現任。
持田康典氏と
2007 - 静電誘導トランジスターアンプの開発
東北大学名誉教授の西沢潤一博士が発明された静電誘導トランジスターの特許を譲り受け、オリジナルの第2世代SITを製造し、アンプB-1aとしてまとめ上げている。静電誘導トランジスタは、ゲルマニウム、バイポーラー、電界効果トランジスタに続く究極のトランジスタと言われている。出力段のインピーダンスが極端に低く、アンプに好ましい性質を持っている。
 
マルチビットDACの開発
また、英国dcs社のDACをしのぐ最高級のDACと言われている、米国MSBテクノロジー社のマルチビットDAコンバーターモジュールを内蔵したDACを開発し、D1a、D1bとしてまとめあげた。スーパーオーディオCDのデーターをDSPで計算し、PCM信号に変換してアナログ化するシステムを構築した。
 
同軸スピーカーの開発
1945年に米国RCA研究所でオルソン博士が開発した放送局向けスピーカーLC1Aの改良を行っている。
 
アナログ録音・再生システムの開発
独国ノイマン社のレコードのカッティング装置、米ウエスタンエレクトリック社の再生装置の歴史的解析、改良研究に取り組んでいる。
 
4K、6K、8K テレビシステムの研究
一貫した開発テーマはコンピュータと共存する次世代オーディオ・ビデオシステムの開発である。
 
2008 - マルチビット DA コンバーター
世界最高級といわれるDAコンバータモジュール設計者 MSBテクノロジー社長 ガルマン氏と
D-1a
マルチビットDAコンバータ
ルビジウムクロック付
2012 - GPSカウンター付 ルビジウムクロック
G-3Rb
2014 - 静電誘導トランジスタ プリアンプ
C-2d
2007 - 静電誘導トランジスタ パワーアンプ
B-1a
SITメインアンプ
2008年度 グッドデザイン・中小企業庁長官賞 表彰状
2008年度 グッドデザイン・中小企業庁長官賞 トロフィー
2008年度グッドデザイン賞 表彰状

オーディオ向け静電誘導トランジスタの開発

2007 - 静電誘導トランジスタ パワーアンプ
静電誘導トランジスタ発明者の西澤潤一博士と
2000 - 2SK77B
第3世代の静電誘導トランジスタを東北大学の半導体研究所で産学協同プログラムに参加して開発製造した。このトランジスタはデジタルドメイン社のパワーアンプに使用された。

第1世代のSITはYAMAHAが開発した。第2世代のSITは東北金属が開発した。第3世代のSITは、最初SRCが開発し、その成果を受け継ぎデジタルドメインが完成させた。
2SK77Bのウエハー
2SK77B 2SK77B
2007 - 2SK78Bと2SJ78Bと2SK278B
デジタルドメイン社のパワーアンプの信号増幅用にNチャンネル静電誘導トランジスタとTチャンネル静電誘導トランジスタを開発製造した。またカレントミラー回路に対応するため、トランジスタツインを同一パッケージに封入した静電誘導トランジスタも開発製造した。
2SK78Bと2SJ78Bと2SK278B 2SK278Bと2SJ78Bと2SK78B
2005 - 同軸スピーカーとサブウーファー
LC-1N, LC-1W
同軸スピーカー サブウーハー

64ビット スーパーコンピュータ システム

2003- 日本最高速のパソコンクラスターを開発
AMD64ビットCPUを512基使用して、2003年日本最高速(TOP500で世界93位)のパソコンクラスターを開発

衛星放送・衛星通信 システムの開発

1988 - 衛星放送、衛星通信開発会社の経営
IDCシステムに使用したJCSAT1号機の模型
IDC(International Datacasting Corporation)のロゴ
1985 - データ放送システムの開発と実証実験
ケーブルテレビを利用したデータ放送システムを開発した。長野県のレークシティケーブルテレビジョンと共同で、実証実験を行った。高速のQPSKモデムを使ってハードディスクの内容を放送し、受信機にはMSXパーソナルコンピューターを接続した。
1988 - 通信衛星を利用したVSATシステムの開発
128kのISDNをサポートするVSATシステムをNTTの注文を受け開発
VSAT用 パラボラアンテナ
VSAT用 加入ターミナル(DSU)
1988 -

ISDN VSATシステムのHUB局の開発
VSATシステムを統括するHUB局のシステムを開発した。離島および移動体向けISDNサービスを実現させた。

IDC(International Datacasting Corporation)とは、アスキーが出資したカナダの衛星通信会社。西和彦はCEOとしてこのシステムをNTTからTRAC IIIで受注。IDC社はのちにモントリオール株式取引所に上場した。

同様のシステムは、南米コロンビアで50以上の地震計のデータ収集ネットワークとして採用された。

HUB局パラボラアンテナ
センター装置

インターネットカメラ ビジネスモデルの構築

1996 - PLANETARY DIALOGU
ユネスコ世界遺産のサイトにインターネットカメラを設置する発願した。独立して事業が展開できるようなビジネスモデルを設計しビジネスプランにまとめあげた。最初のスポンサーにアスキーが名乗りを上げたが、時期尚早で中止になった。
PLANETARY DIALOGUES

中等教育

2001 - 須磨学園高等学校 校長。 理事長 西泰子が打ち出した職業女子校から進学男女共学校に転換する方針の下、須磨学園高等学校の運営に参画し,西泰子と共に大幅な改革を行った。
創立90周年記念誌より
須磨学園 高等学校 中学校 須磨学園 高等学校 中学校

西和彦の須磨学園における業績

西和彦が須磨学園において成し遂げた業績は、単なる学校経営の枠を超え、 ビジネス界のマネジメント手法を教育現場へ完全に移植し、21世紀型の「自立型人間」を育成するシステムを構築したこと に集約されます。

提供された資料に基づき、西和彦の具体的な業績を「教育システムの構築」「ICT・情報の革新」「国際化の推進」「学校経営の改革」の4つの観点から詳述します。

1. 独自教育システムの構築:PM・TM教育と「なりたい自分」の創造

西和彦の最大の業績の一つは、ビジネスの世界で培ったマネジメント術を中高生向けにアレンジして導入したことです。

  • PM(プロジェクトマネジメント)・TM(タイムマネジメント)教育
    大きな夢を「小さな行動の固まり」に分解するPMノートと、1週間単位で1時間刻みのスケジュールを管理するTMノートを導入しました。 毎週金曜日の1時間目をこの「タイムマネジメントの時間」に充て、生徒が自ら計画・実行・分析する習慣を定着させました。
  • TBM(To Be Myself)教育
    「なりたい自分になる。そして…」というスローガンを掲げ、将来の夢を具体化するTBMシートや、心の座標軸を考えるxyzTシートを開発しました。
  • 「9時まで自学」と個別指導の徹底
    希望者が21時まで学校で自習できる環境を整え、教員が随時質問に対応する「塾・予備校いらず」の学習体制を確立しました。

2. ICT・情報の革新:先駆的なデジタル教育の実装

マイクロソフト副社長やアスキー社長を歴任した西和彦の知見が、最も直接的に反映された分野です。

  • 制パソコンと制携帯の導入
    2004年の中学校開校時から生徒に1人1台のノートパソコンを所持させ、情報の授業だけでなく全教科での活用を推進しました。 また、「制携帯」を導入し、禁止するのではなく、学校管理のサーバーを通した安全な環境で情報リテラシーやモラルを学ぶ「教材」として活用しました。
  • オンライン授業配信システムの早期確立
    コロナ禍において、「学校は学びを止めない」という方針のもと、2020年4月の時点でZoom、Teams、YouTube等を駆使した 「インターネット授業配信1.0」を立ち上げ、双方向のライブ授業を実現しました。

3. 国際化の推進:地球儀を俯瞰する研修プログラム

「日本人よりも地球人、国籍は日本」という国際人としてのマインドを育むための体験型プログラムを構築しました。

  • 世界一周研修旅行の構想と実施
    中学2年でアジア、中学3年でアメリカ、高校1年でヨーロッパを巡る3段階の研修旅行を提案・実施しました。 NASA(ケネディ宇宙センター)訪問や大英博物館での本物鑑賞など、単なる観光ではなく「知恵」としての知識を習得する場としました。
  • 海外短期留学と学校交流の開拓
    オックスフォードやケンブリッジといった世界トップレベルの大学に滞在し、現地の大学生と交流しながら学ぶプログラムを拡充しました。

4. 学校経営の改革と「須磨学園ブランド」の確立

理事長(実妹・西泰子氏)との強力なコラボレーションにより、教育内容の質を客観的に担保する体制を築きました。

  • ISOトリプル認証の取得
    学校教育の質を継続的に改善するため、ISO 14001(環境)、ISO 9001(品質)、ISO 27001(情報セキュリティ)の認証を、 学校法人として全国に先駆けて取得しました。
  • 学力の飛躍的向上と進学校化
    毎回の授業での「確認テスト」や、成績優秀者に贈られる「鉄人バッジ」制度などを導入し、 東京大学・京都大学をはじめとする難関大学への合格実績を大幅に伸ばしました。
  • 夙川学院の経営支援と再生
    2018年に学校法人夙川学院から設置者変更を行い、須磨学園夙川中学校・高等学校として再スタートさせ、 伝統ある校名を残しつつ少人数制の進学校へと再生させました。

中等総合教育
Teaching self management

Leadership リーダーシップ教育
須磨学園高等学校の生徒会役員と教員推薦者を対象にリーダーとしての心得を講義。2011年から。
リーダーシップ講義

中等教養教育
Teaching liberal arts

Liberal Arts

高校での教養教育
受験教育で敬遠されがちな音楽、美術、技術、家庭、体育、保健などの教養科目のカリキュラムを再検討し、学習指導要領の範囲内で楽しい参加型授業を実現した。

 

1998 ─ 2022
[平成10 年 ─ 令和4 年]
革新に挑む
共学化への移行、中高一貫教育体制の確立

第5 代理事長
西 泰子
西 邦大、都夫妻の長女として神戸市に生まれる。1992(平成4)年、本学園の事務局長に就任。阪神・淡路大震災を機に、女子校から男女共学化を実現する。1998年から現職。ISOの導入や、環境教育、英語教育などに力を入れる。2004年に中学校を開校。以来、同校長も務める。生徒募集に関しては、現在も先頭に立ち説明会などで自ら説明にあたるなど第一線に立つ。

初代学園長
西 和彦
西 邦大、都夫妻の長男として神戸市に生まれる。現・理事長は、実妹。米国マサチューセッツ工科大学メディアラボ客員教授、東京大学大学院工学系研究科IoTメディアラボディレクターなどを歴任。2001(平成13)年3月に本学園・高等学校校長として着任。翌年から現職。TBM(To Be Myself)教育、世界一周海外研修旅行などの構想を提案。

新世紀への飛躍
共学化、中高一貫体制へ
最新の設備を導入し、高度な教育環境を確立

竣工から35年後の1995(平成7)年に起きた阪神・淡路大震災を機に、その後全面改修される。竣工当時はグレーだった校舎の外壁を、「シンプルモダン」な構造に合わせた白を基調に統一を図った。2001年に武道館( 西邦大記念体育館)を新築。2022(令和4)年現在、普通教室全室にスクリーンとプロジェクターが配備されている。校舎のトイレは全て全自動が完備された。竣工から60年以上経った現在も堅牢な校舎を維持している。

男女共学の須磨学園高等学校がスタート
1998(平成10)年 - 2003(平成15)年
バブル経済崩壊後の不況は改善されないまま21 世紀を迎えたが、2002(平成14)年以降、新興国の経済成長を追い風に景気回復局面に転じ、社会的には情報化・デジタル化に拍車がかかるようになった。本学園では長年の懸案であった総合学園構想が結実し始め、1999 年に男女共学校へ移行。新しい設備の導入や教育環境の整備により、難関大学への進学実績を高めることに成功した。一方、部活動が一段と活発化し、オリンピック選手を送り出すなどの成果を上げるようになった。2001 年には環境マネジメントシステムISO 14001 の認証を取得、教育と社会的責任の両面からの取り組みを開始した。

男女共学校へ移行し
須磨学園高等学校と改称
1997(平成9)年、男女共学化に向けた本格的な取り組みを開始した。その際に重要課題となったのが、女子校であった本学園にどれほどの男子生徒が志願してくれるか、募集する男子生徒のレベルをどのあたりに設定するか、といった生徒募集問題である。

そこで中学校の先生方に、本学園が共学化することについて意見を聞くことから活動を始めた。共学化に否定的な意見が多数を占め、男子生徒のレベルについてもまちまちで、なかなか方向性が定まらないなか、ある中学校の校長先生と教頭先生の言葉が募集担当者の胸を打った。

「共学化に賛成する。やるからにはできるだけ優秀な生徒を集め、立派な進学校を目指すべきだ。そのためには生徒の数にこだわらず、優秀な生徒が集まるようになるまで、歯を食いしばって頑張ってほしい」。この言葉は、先行きに不安を感じていた募集担当者たちを大いに励まし、須磨学園の明るい未来を感じさせてくれるものであった。

全く実績がないなかでの募集活動であり、直接中学生の心に響く広報活動が必要であるとの観点から、募集対象となる中学校の3 年生全員に3 回にわたってパンフレットを配布した。多額の募集費用や奨学金を用意し、充実した内容と洗練されたデザインのパンフレットをはじめ、さまざまな広報ツールを制作。また、豊富な進学指導実績を持つ教員の努力もあって、初年度から予想以上の成果を得ることができた。

1999 年2 月、共学校となった須磨学園高等学校初の志願者数は、前後期合わせて2,118名(男子424名・女子1,694 名)と、本学園始まって以来最多を記録した。4 月には508 名(うち男子生徒99 名) の共学1期生が大きな期待を受けて本学園の門をくぐった。翌2000 年の前期志願者数は2,638 名に増加。校内だけでの入試は不可能となり、ポートアイランドのワールド記念ホールと神戸国際展示場で実施した。さらに2002 年の全志願者数は3,435 名に拡大。この人数は県下私立高校52 校中2 番目であった。この時点で全校生徒は約1,350 名、そのうち男子生徒は400 名を超えるまでに増えている。その背景には、男女共学化に向けた全校挙げての周到な準備があった。

●新校名・新校歌・シンボルマークの制定
共学化にともなう新校名を制定するにあたっては、本学園創設以来、校名に冠してきた「須磨」の表記が焦点になった。この語には、さまざまな変遷の中で積み重ねられてきた思いがあり、愛着がある。この語を取り去ることは歴史が否定されるように感じられ、容認できないということから「須磨学園高等学校」と決定した。

また、本学園の理念や目標、行動指針を象徴するシンボルマークについては、「SUMA GAKUEN」の頭文字S とG をダイナミックにシンボライズした、「SG マーク」とすることに決定した。歓喜する人、成長し続ける樹、そして、そのシルエットは本学園に関わる人々や豊かな自然を表したものである。これにより本学園は「常に新鮮で独創的な歩みをつづける須磨学園」を鮮明に表現した。

スクールマインドについては次のように決定した。
建学の精神:清く、正しく、たくましく。
教育理念:心に力を。
教育目標:「自立する力」「向上する心」を育む。
教育方針:「個」の尊重。「個」の育成。
教育環境:明るく、もっと明るく。
校訓:学ぶよろこび。考える力。思いやる心。実行する勇気。
行動指針:世界を見つめ、夢を語ろう。「生き方」を大切にしよう。考えて行動しよう。相手の立場に立とう。力強く前進しよう。そして、いつもスマートに。
ステートメント:to be myself,... なりたい自分になる。そして…
ショルダーフレーズ:いきいきと、せかいへ。

校歌については、すでに1940(昭和15)年に第2 代理事長・校長の西田正が作詞し、当時の音楽講師・徳増春三が作曲したものがあった。しかし、新学園の発足にともなって心機一転、校舎がある丘から虹のかかる空へ、大きくはばたく生徒たちをイメージした、須磨学園高等学校にふさわしい斬新な校歌に変更することにした。

そこで作詞を西和彦学園長の知人で淡路島出身である阿久悠氏に依頼したところ、阿久氏は作曲を都倉俊一氏に依頼された。須磨の海に架かる明石海峡大橋を背景に、須磨学園に学ぶ青春の夢を力強く歌い上げた新校歌を制定した。

●生徒たちの個性を生かし育む新制服の制定
新しい制服を作るにあたっては、制服検討委員会を組織して多くの学校を調査するとともに、制服メーカーの展示会やショールームを見学したが、満足のゆく制服に出合うことができなかった。

そこで本学園の教育方針である『「個」の尊重、「個」の育成』を基本に独自の制服を作るため、制服メーカー4 社にプレゼンテーションを依頼。冬服・夏服セットで各社から何組か提案してもらい、「学校のコンセプトをデザインに生かす」「冬夏・男女のトータルなコーディネート」「ベーシックでありながら、時代の流れに逆行しないもの」などを選定のポイントとした。

制服検討委員会では全教職員の意見を聞き、生徒の声をアンケートや投票で集約し、専門のアドバイザーの意見も聴取した。これらの総合的観点から基本デザインを決定し、さらに1 年以上かけて細部にわたる検討を繰り返した。中でもチェック柄についてはCG 画像で確かめ、実際の生地を取り寄せて確認するなど、常にこだわりをもって選定に取り組んだ。

この結果、ベーシックでありながら高級感があり、自由な組み合わせで生徒の個性を十分に生かすことができる、誰もが満足し得る制服が完成した。

●広報活動で清新な須磨学園のイメージを発信
新校名・新校歌・シンボルマークなどが決まった1997(平成9)年秋、外部に向けた広報活動を開始した。活動を展開する上で最大の課題となったのが、女子校から共学校へ大きく変革する本学園の理念や方針を、どのようなイメージで地域社会に発信していくかということであった。

まず、中学校など関係各方面に告知パンフレットを配布し、共学化を1 年後に控えた1998 年4 月8 日には、神戸新聞に1 ページ全面広告を掲載。4 月下旬には、中学校約250 校の3 年生全員にリーフレットを配布して、共学校となることを周知徹底した。その一方で、地域の方々にも多数ご参加いただき、各界の著名人による「校名変更記念講演会」を5 回にわたって実施し、新生須磨学園のイメージを幅広くアピールした。

中でも重視したのが、学校案内パンフレットとビデオ制作であった。受験生へのアンケート結果によれば、志望動機のトップに挙げられたのが学校案内パンフレットであったことから、教職員・生徒の全面的な協力を得て、本学園にふさわしい共感性の高いものを制作した。他の広報ツールについても、シンボルマークを中心にデザインを統一。教職員バッジや名刺からクリアファイル、封筒用箋に至るまで「SG マーク」を前面に押し出し、徹底して須磨学園のイメージ定着に努めた。

この他、神戸市営地下鉄西神中央駅と阪急神戸三宮駅(2 カ所)、JR 明石駅に電飾広告を掲出。神戸市営地下鉄全駅と山陽電鉄の主要駅に学校見学会の案内ポスターを、板宿駅周辺には電柱広告を掲示するなど、公共の場での認知度アップに注力した。さらに、外部団体主催の進学相談会へ積極的に参加、各新聞社の連合広告やタウン誌上での告知、受験雑誌への広告掲載など、予算が許す限りの広報活動を展開した。

その結果、年を追うごとに本学園への関心が高まり、公立高校の上位校との併願を考える受験生が多くなり、志願者数を大幅に伸ばすという成果を得たのである。

COLUMN
SMASH プロジェクトが全ての出発点でした。
株式会社ハル代表取締役
本学園評議員
越智 賢三
私どもハル(インターフェース)グループは、学園が創立70周年を迎えた頃に西泰子理事長のご依頼で、微力ながら株式会社電通と、学園改革のお手伝いをさせていただいています。そのスタートの折に、3 カ年計画(向こう10 年の方向性)も発表されましたが今、手元の資料を読み直しても、計画通り着実にいろいろなことが前向きに実現しています。学園の皆さまの一致協力で、努力された賜物です。20 数年前に改革プロジェクト「SMASH」がスタートした折に、私が理解している達成目標(コンセプト)は、3 つありました。

1.「 社会貢献(地域・暮らし)」をさらに進めて「国際貢献(自立、多様性、高度な教育)」も視野に入れられたこと。
2. 学園は個々の生徒の成長が全てであり「学園独自の新い確かなサービス業」を目指すこと。
3. 須磨学園のブランドを日本はもちろん国際的に通用するように育てること。

この全てが、理事長をはじめとした皆さまの確かな目標管理経営の下で、一丸となり着実に実現されています。教育業界でも新しい事例として大変評価されています。

これからの10 年、100 年は「文武両道の次代の進学校」「通信制など新しい教育改革」「国際活動を視野に入れた高度な教育システムのチャレンジ」を実現されることだと推察しております。須磨学園グループを支えられている次世代の皆さまと共に、益々ご発展されることを信じ、心から祈っております。

100 周年、本当におめでとうございます。
「100 年ブランドー須磨学園グループ」に乾杯!次へ。

男女共学の
「特進コース」がスタート
女子校としては最後の年となった1998(平成10)年、初めて特進コース単独の募集を実施した。例年よりも募集活動を強化し、認知度が低かった特進コースの浸透を図った結果、213 名の志願者を集めて一定の成果を収めることに成功、翌年からの男女共学化に向けて確かな手応えを感じることができた。

共学後初の特進コースはⅠ類を難関私立大学コース、Ⅱ類を国公立大学コースとし、2 年次からそれぞれを理系と文系に分ける類型別編成を行うこととした。全国的に先行している進学校を徹底研究し、システムの核として他の私立高校に先駆けてシラバス(学習計画表)を作成した。また、システム開発とは別に進学のターゲット校を、地元兵庫県の国立大学と私立大学のトップ校である神戸大学と関西学院大学に設定し、センター試験と共に入試問題の徹底分析を実施した。

本学園の伝統である面倒見の良い指導とこれらシステムへの期待の高まり、それに意欲的な募集活動とが相まって、初年度である1999 年の特進コース受験者は、当初の予想を上回る1,041 名を数え、うち146名を1 期生として迎えることができた。翌2000 年は、初年度には様子見をしていた男子受験生の伸びが際立ち、特進コース受験者数が1,489 名と受験生全体の過半数を占めるまでになった。こうした実績をさらに高めるため、外部の講師を招いて7・8 時間目の授業を特別講座に変更。また、初めてマイカルボーレ三田で進学合宿を実施した。

2001 年には特進コースの入学生が、入学者全体の過半数に達する250 名となった。中でも国公立大志望のⅡ類が入学時から2 クラスとなり、成績上位者の公立高校との併願校としての地位を不動のものとした。また、人数が多くなった進学合宿は、1 年生はマイカルボーレ三田を利用してⅠ類は2 泊、Ⅱ類は3 泊とし、2 年生はグリーンピア三木(現・ネスタリゾート神戸)を利用して3 泊で実施した。

このように特進コースの充実は著しいものがあり、外部からの期待も急速に高まっていった。その期待に応えるためにも、競合する他校より優位に立つためにも、さらなるシステム革新を進めていくこととした。その一環として2003 年には、国公立大学医歯薬理系を目指す特進Ⅲ類を新設した。

男女共学校としての
学校運営を推進
男女共学校になれば、学校運営のあらゆる面で改革が必要となる。本学園では共学化の準備を始めた1997(平成9)年以降、須磨学園高等学校の開校に向けて、それぞれの分野で男子生徒の受け入れ体制を整えてきた。

●男子生徒を迎え学園全体が活性化――共学スタート
1999(平成11)年4 月、西泰子理事長以下全教職員が出迎えるなか、真新しい制服に身を包んだ新入生が入学式に臨んだ。従来、1 年生は本館の教室を使用してきたが、男子トイレなど施設面の関係で新館の教室を使用することとし、共学の特進クラスは5階に配した。

入学オリエンテーションの総括として、1 泊2 日の宿泊研修を国立淡路青年の家で実施した。初めての試みであったため、事前に他校の資料・体験談などを参考に立案。男女合わせての宿泊であるため、部屋割りや消灯後の見回りなど、本学園独自の配慮や指導体制も加味して実施した。

男子生徒の指導経験がない教職員が多いなか、学校運営のさまざまな面で未体験の課題に直面したが、中でも特進コースの学力をいかに向上させるかが大きな課題となった。生徒たちの希望と実力のギャップに悩まされながらも、生徒指導については生徒指導部と絶えず協議し、進学については進路指導部の方針に基づいて男子生徒への対応を進めていった。

その結果、1 期生は国公立大学に16 名、関関同立に55 名、産近甲龍に177 名が合格した。なお、2002 年4 月から総合コースを進学コースに改編し、特進コースに続いて共学化した。

●新しい校風・伝統の創造――生徒指導
男女共学校へ移行するにあたって、生徒指導部は「明るく、生き生きとした生活ができる環境のなかで、厳しさを求める」というテーマを念頭に、まず校則の変更に着手。他校の情報を収集して参考にしながら、本学園独自のルールづくりに取り組んだ。中でも男女交際の在り方と問題行動に対する指導については、十分な時間をかけて議論した。また、男子生徒の指導や接し方についても、例えば名前を「君」付けで呼ぶか「さん」付けで呼ぶかといったことまで熱心に議論し、一つひとつ着実に新ルールを決めていった。

しかし、長らく女子校の伝統の中で指導してきたため、共学化にともなってどのように校風が変わっていくのか、予測はできても確信がもてる結論は出なかった。そこで1 期生を迎えるにあたり、指導をどうするかというよりも、新入生の動向を見て柔軟に対応していこうという方向で見守っていくことにした。

こうして1999(平成11)年4 月、須磨学園高等学校の新しい校風・伝統づくりが始まった。当初は全てが順調とは言えなかったが、日々前向きな努力を重ね、柔軟に対応したことで次第に土台が固まっていった。それ以後も、さまざまな少年非行が問題となる現代社会にあって、「明るく、生き生きとした生活ができる環境」づくりに努め、理想とする学園に近づくための惜しまぬ努力を続けた。

●生徒の「自立する力」を育成――自主活動の推進
共学化に向けて新たに制定した教育目標に、「自立する力」を育むことのほか、「実行する勇気」「考えて行動しよう」という校訓や行動指針がある。女子校時代にも生徒会活動やボランティア活動、募金活動などを行っていたが、共学校になったことでそれらの活動をさらに活発化させることが必須となった。そこで生徒指導部では、生徒自らが考え、組織し、行動し、全校レベルで運営する生徒会に変えていく方向で指導することにした。

まず、共学初年度は基礎固めの年とし、2 年目の2000(平成12)年から生徒たちと積極的な実践活動を開始した。最初に着手したのは生徒会規約の見直しで、従来の規約を尊重しながらも、共学校にふさわしいものへと変えることを検討。生徒たちの積極性を引き出せるよう、学級委員の呼称、その選出方法、任務の内容などを整理し、生徒会選挙規定も改訂した。

これと並行して、神戸市内の高校との生徒会交流に生徒会会長と副会長が参加し、他校の活動状況を本学園生徒会活動の参考にした。また、生徒の自主性を生かし、その主体性を十分に尊重することを、教職員と生徒の共通認識とすることを確認した。

1999 年4 月23 日、共学となって最初の生徒会役員選挙が行われた。選挙管理委員会を中心に、公示・立会演説会・投票・開票と滞りなく進行。とりわけ立会演説会は男子生徒の参加で活性化し、それまでにない盛り上がりを見せた。

6 月開催の学園祭は、生徒会が中心となって立案・実行したが、ここでも男子生徒が積極性を発揮し、女子生徒も負けずにクラス別の催し物などで活躍した。この成功で生徒たちは自信をもち、生徒集会や壮行会では司会・進行を担当。9 月の体育大会では、企画・立案から運営まで全てを生徒会が行った。また、3 学期の3 年生を送る会は名称をフェアウェルパーティーと改め、全校生徒から出演者を募集してオーディションで決めるという斬新な方法を採り入れた。

このように自立した活動が展開できるようになるまでには、教職員と生徒や生徒会役員間の意見の食い違いなど、さまざまな障壁を乗り越えなければならなかった。共学化を機に、生徒たちは生徒会、ホームルーム、部活動といったそれぞれの場で自立し、実行する勇気に目覚め、積極的に行動し始めたのである。

●男女が共に活躍できる部活動へ
男子生徒が部活動に参加する上で問題となったのが、サッカーや硬式野球、バスケットボールなど、女子と共同で練習ができない施設の新増設や、それにともなって必要となる多額の費用の調達であった。練習場所の確保や校外練習場への輸送手段、激しい運動によって生じる故障や怪我に対する配慮、専門的な指導者の確保など、さまざまな課題を抱えた状況で、男子の運動部は共学化初年度の1999(平成11)年にスタートした。

まず、小グラウンドをリニューアルし、バスケットボールコート2 面と共用でバッティングゲージを設置。練習場を確保できたことで、硬式野球同好会と男子バスケットボール同好会が発足した。

初年度の特進コースは、放課後に特別講座を開講したため、男子の部活動はできない状態にあった。しかし、生徒の強い要望により硬式野球、バスケットボールに加えて水泳、サッカーの同好会が発足。練習開始が特別講座終了後で、日が短くなるとほとんど練習できない状態だったため、2001 年9 月にナイター設備を設けて夜間の練習を可能にした。

2000 年には空手道同好会が発足し、硬式野球同好会が部に昇格、陸上競技部にも男子が加わった。2001 年には、硬式野球部が全国高校野球兵庫大会に初出場し、理事長をはじめ多くの教職員・生徒が応援に駆け付けた。残念ながら7 回コールドで初戦敗退したが、共学校になった実感を味わう1 日となった。

教育環境のさらなる整備を継続
2001(平成13)年の入試受験者に、志望動機を問うアンケートを実施した。その結果、3,134 名の回答者中2,991 名(複数回答)が「環境・施設・設備が整っている」を選び、第1 位となった。10 万9,590㎡の広大な敷地、神戸の街や海を見渡す緑豊かなロケーション、生徒たちが生き生きと学べる施設・設備が整った須磨学園が、学びの場として高く評価されたのである。

共学校となった後も、毎年のように施設・設備の整備を進めていった。2001 年には剣道部・空手道部の活動の場となる武道場、および講演会・各種催し物会場として利用できる多目的ホールを備えた武道館が竣工。体育館の大幅改修、球技グラウンドの夜間照明設置、アーチェリーレンジ改装も実施した。

2002 年、授業の質向上・効率化を図るため、全教室で湾曲型黒板やスライド型黒板への入れ替えを行った。また、本館・新館の全面外壁塗装工事などの校舎改修も実施した。さらに2003 年には、中学校開校に向けてグラウンドの確保が急務となり、須磨区白川にある野球とサッカー専用のグラウンドを購入・改修した。

第9 代校長に
渡邉邦男が就任
男女共学校として新たなスタートを切った1999(平成11)年4 月、第9 代校長として渡邉邦男が就任した。同月8 日、1 期生508 名を迎えた入学式で、渡邉校長は新入生に対して次のような励ましの言葉を贈った。

「高校では一人ひとりの強い意志と自覚、さらに勇気と将来を見据えた意欲ある粘り強い努力が求められる。将来の夢を実現させるため、常に世界に目を向け、自分をよく見つめて頑張ってほしい。スタートにあたり、①積極的な学習態度 ②規律の厳守 ③目標の明確化 ④国際理解 ⑤真の友情づくり、の五つを希望する」。

翌年2 月、共学校として初めて迎えた卒業式では、巣立っていく生徒たちに対し、「常に健康であることが前提」とした上で、次のようなはなむけの言葉を贈った。

1. 夢 を抱こう
人間の生きる力は夢にある。大きめの夢を抱き、その夢を少し遠い将来に据えて一歩ずつ確実に歩んでいってほしい。
2. 温 かい心を持とう
21 世紀は高齢化社会、福祉社会の時代だと言われ、お互いに助け合うボランティア精神が強く求められる。口先だけでなく、行動で示せる本当の温かさを心の奥底に秘めてほしい。
3. 情報の選別能力を高めよう
今日の社会は情報が溢れ、中にはまがい物、偽物、有害な物なども数多く含まれている。何が適切で、自分に必要かを選別できるようにしておいてほしい。
4. 社会的マナーを身に付けよう
社会に出ると人間関係を円滑にし、自己のやるべきことを完遂するために社会的マナーを守る必要がある。
5. 柔軟な頭脳を鍛えよう
情報選別を行う上で基礎になるのが考えて行動すること。従来のものの見方、考え方を再度見直してみることが必要だ。

渡邉校長はまた、21 世紀への課題と展望を次のように語っている。
「戦後の日本は、豊かに快適にと駆け足で急ぐあまり環境汚染、資源枯渇、遺伝子組み換え、高齢化など多くの課題を積み残してきた。21 世紀はこのように問題を解決していくために、知恵を出し合う『知識時代』と呼ばれ、知識生産の速度が非常に速くなる。常に時代の変化についていく努力を続け、新しい知識と技術の習得に前向きに取り組むことが必要だ。私たちは、外なる自然と内なる自然(文化)の快い響き合いの中に、人間らしい喜びを創造しなければならない。また、人にはそれぞれの生き方がある。おおらかにその違いを認め、健康で明るく、助け合いと微笑みを忘れずに21 世紀を生きていってほしい」。

真の国際人育成を目指した
国際教育プログラムを推進
1990(平成2)年にスタートした海外短期留学は、毎年10 名余りの参加者で推移してきた。しかし21 世紀に入ると、国際化の進展もあって生徒の海外への関心が高まり、2001 年には42 名に増加した。2002 年になると、2 年生の段階から進学体制に入りたいとの方針により、1 年生を対象に実施することとし、さらに実効を上げるため留学期間も1 カ月間に延長した。これにより2002 年の参加者は、2 年生46 名に1 年生57 名が加わって計103 名と大幅に増加した。

一方、2000 年には海外(ニュージーランド)からの留学生受け入れを開始した。海外留学生を迎えるのは初の体験であったが、従来とは逆の立場での国際交流が実現。生徒も教職員も前向きに日本文化を紹介しようと意欲的に取り組み、日本に居ながらにして中身の濃い異文化体験ができるようになった。

国際化がますます進展するなかで、未来を担う生徒たちが体験を通じて豊かな国際感覚を身に付け、真の国際人に育つ体制を確立する必要性が高まった。そこで海外研修および海外からの留学生受け入れを活発化し、さらに国際交流を充実していく方針を打ち出した。

その対策の1 つとして「情報国際クラス」を設置。また、英語研修や体験学習を中心とする海外研修を通じて目に見える教育効果を上げるため、2 カ月・3カ月・1 年といった、留学プログラムの長期化を図る検討を開始した。さらに短期留学生に対しては、資格認定をした上で奨学金を支給する方向で検討するなど、国際教育プログラムのさらなる充実化を図ることにした。

PROFILE
第9 代校長
渡邉 邦男
1965(昭和40)年4 月、理科教員として本学園に着任。学級担任のかたわら、長年にわたって就職指導部長や生徒募集係を務める。1997(平成9)年4 月教頭、1999 年4 月校長に就任し学園の運営にあたる。2001 年3 月退任、退任後は2021(令和3)年3 月まで学園監事を務める。

COLUMN
シドニーオリンピックの思い出
元・水泳部顧問
菊山 慎一
2000(平成12)年4 月、東京辰巳国際水泳場で行われた日本選手権オリンピック選考会で本学園生徒の山田沙知子(当時3年)が400 m・800 m自由形で、三田真希(当時2年)が100 m・200 mバタフライで日本代表に選出されました。1 大会に2名ものオリンピック選手が生まれたとき、夢にも見なかった現実に、今でもその時の感動が思い出されます。

9 月16 日~ 23 日、シドニー国際水泳センターで開催されたオリンピックで山田選手が、800 m自由形の決勝レースで(8 分37 秒39)8 位入賞、また三田選手は200 mバタフライ(2 分10 秒72)で同じく8 位入賞の成績で共にファイナリストになりました。両名共に健闘しましたが、世界のレベルの高さに改めて感心させられました。またこの高いレベルの中で決勝レースを泳いだ2人に心から敬意を送りたいと思いました。2 人にとって、生涯忘れることのないレースになったでしょう。オリンピックを観戦させていただいた両選手、および西泰子理事長はじめ、学園関係者の皆さんに心から感謝いたします。

部活動で次々と全国制覇を達成
オリンピックにも出場
グラウンドやプールなどスポーツ施設が充実するにともなって、各部の選手は目覚ましい成績を上げるようになった。1999(平成11)年の県高校総体では、水泳部が各競泳種目において個人優勝11 名、準優勝5 名、リレー優勝3 チームという圧倒的な成績を収め、9 年連続総合優勝の快挙を達成した。

同じく水泳部から、2000 年9 月に開催されたシドニーオリンピックに、100m・200m のバタフライに三田真希(高2)と400m・800m の自由形に山田沙知子(高3)の2 名が出場し、200m と800m の決勝で両名共8 位入賞を果たした。この快挙を後世に伝えるため、翌2001 年にオリンピック出場記念モニュメントを建立した。また、三田は2001 年7 月の世界水泳選手権では800m フリーリレーで銅メダルを獲得した。

弓道部は、1999 年の県高校総体で女子団体優勝。2001 年3 月には福岡県で行われた全国高校選抜大会で女子団体優勝を成し遂げた。また、2002 年の県高校総体でも女子個人で優勝を果たした。

COLUMN
元・陸上競技部顧問
長谷川 重夫
須磨学園創立100 周年、心よりお慶び申し上げます。私が須磨学園に赴任し、初めて挑んだ1987(昭和62)年の神戸地区高校駅伝、他のチームと競り合うこともなく最下位となり、今までレースで負けても悔し涙を流すことのなかった生徒たち全員が目を真っ赤にして、アンカーの選手を出迎えました。そのゴールが陸上競技部日本一に向けた第一歩です。

1989(平成元)年県大会初出場、1992 年県大会初優勝、その後は全国大会の常連校となり、頂点まであと1 秒の差で敗れるという悔し涙も経験しました。そして2003 年に悲願の全国制覇を成し遂げることができ、2006 年には2 度目の優勝へとつなぐことができました。この成果は生徒たちの日々の努力、保護者の方々や陸上競技部OG の応援はもとより、学園の多大なるサポートがあったからこその結果と感謝しております。創立100 周年の節目の力を借り、是非3 度目の優勝をし、点から線を形にして、益々の活躍を応援しています。

剣道部は1999 年の県高校総体で個人優勝し、2002 年県高校総体でも女子団体・個人でそれぞれ優勝を飾った。

陸上競技部は、1999 年の県高校総体女子3000m で優勝。2003 年6 月の近畿高校対抗陸上女子1500m で、同年10 月には静岡県で開催された国体女子5000m 競歩で優勝した。同じく11 月の高校駅伝県大会では、2 位以下を大きく引き離して大会10 連覇を達成した。その勢いのまま、翌12 月の全国高等学校女子駅伝競走大会に出場し、それまで常に上位入賞し優勝候補と目されてきた期待に応え、ついに念願の初優勝を果たした。

社会人となった卒業生も活躍している。2002 年6 月の水泳日本選手権において、山田選手が女子800m 自由形を日本新記録で制して5 連覇を達成、続くパンパシフィック選手権でも同種目で日本新を記録して2 位に入った。また、同年8 月の北海道マラソンでは、堀江知佳選手が大会最高を記録して優勝した。

スポーツ以外の分野でも成果を上げた。1999 年4月に発足したコンピュータ部は、マルチメディア教室を利用してパソコンの組み立てに挑戦。各自が自作のパソコンを使ってプログラム言語によるゲームを作成し、画像・映像やデジタル音楽を取り込んだホームページを作成するなど、確実に技術を向上させた。吹奏楽部は、1999 年7 月の県吹奏楽コンクール神戸地区大会において銀賞を受賞。学園祭や体育祭など学校行事の盛り上げにも一役買った。

2002 年11 月、中国広東省で発生したSARS(重症急性呼吸器症候群)が、全世界に拡大したのを身近に感じた生徒会が、予防のため本学園の2 年生に感染したと想定。保健所で取材するなど情報を集め、シミュレーションした結果をビデオ撮影し、2003 年6月の文化祭で生徒や保護者に発表した。その模様が全国紙にこぞって取り上げられるなど大きな反響を呼んだ。

ISO 14001 環境マネジメント
システム認証を取得
本学園の環境問題への取り組みは、1997(平成9)年の中期経営計画に盛り込んだ、資源節減に関するマニュアル化の試みに始まる。以後、エネルギーや資源消費の抑制、環境問題に関する意識の高揚、環境保全の実践など、さまざまな場面で環境教育に取り組んできた。しかし、本学園の教育方針の1 つである環境教育をさらに深めていくためには、教育システムづくりが重要かつ緊急の課題となった。

これを実現するため、理事長は2000 年8 月、環境マネジメントシステムの国際規格である「ISO 14001」の認証取得構想と決意を表明。ISO チームを発足させて12 月に内部監査員の養成、翌年1 月からは環境側面の抽出と環境影響評価、「環境マニュアル」をはじめとする環境管理文書の作成など、取得に向けた活動を本格化していった。

2001 年4 月1 日、理事長が制定した須磨学園の「環境方針」に基づき、生徒ともどもその実践への取り組みを始めた。6 月15 日に「環境マニュアル」(第1版)を制定し、環境マネジメントシステムの運用を開始。その翌月には内部監査員と理事長によるマネジメントレビューを行った。8 月1 日、2 日に第1 段階登録審査を受け、指摘事項の是正に取り組みながら環境管理計画の実践を本格化。9 月には再びマネジメントレビューを実施し、10 月3 日の第2 段階登録審査に臨んだ。

全校生徒と教職員が一体となった省エネルギー・省資源への取り組み、教科や生徒会活動・ホームルーム・学校行事などにおける環境教育が評価され、取り組み開始から1 年2 カ月後の10 月26 日、高等学校単独の学校法人としては初めて「ISO 14001」の認証取得が承認された。この認証取得は、本学園の環境教育と環境問題への取り組みの新たな出発点であり、これを機に以後の継続的な活動と発展的な維持管理が問われることとなった。

21 世紀を迎え情報化・
デジタル化が一段と進展
1999(平成11)年になると、携帯電話が広く普及するようになり、パソコンを持つ世帯も増え始めて、インターネット人口が20%を超えるようになった。2000 年代に入るとデジタル分野が多様化するとともに、爆発的な成長発展を遂げるようになる。

2001 年にはインターネット人口が4,000 万人を突破。数年後にはブログやフェイスブック、ツイッターなどが急速に普及し始め、デジタル化は広く社会全体に浸透・普及していった。

一方、日本経済はバブル崩壊後長らく停滞していたが、1999 年になると海外における半導体需要が増大するなど、いわゆるIT ブームにより一時的・限定的ではあったが景気は持ち直した。この景気回復期における鉱工業生産指数の業種別の最低値と最高値を比較すると、鉱工業全体が9.3%上昇であったのに対し、携帯電話を含む情報通信機械が約24%、半導体など電子部品・デバイスが約48%上昇した。

その後再び景気は低迷したが、2001 年に中国がWTO(世界貿易機関)に加入するなど、それまで共産圏にとどまっていた需要が市場経済に組み込まれるようになり、新興国の台頭とも相まって世界貿易が活発化。そうしたグローバル化の進展が追い風となって、我が国経済も2004 年頃から上昇傾向となった。

第10 代校長に
西和彦が着任
2001(平成13)年3 月21 日、第9 代校長渡邉邦男の退任を受けて、第10 代校長に西和彦が着任し、翌年4 月1 日には学園長に就任した。学園創立80周年を迎えた2002 年4 月6 日、高等学校入学式で学園長は新入生に対して次のように語りかけた。

「皆さんはどんな自分になりたいかを考えたことはありますか?なりたい自分を思い描くことはとても大切なこと。『心に思い描けることは必ず実現する』とは、多くの偉大な先人たちの言葉です。『なりたい自分の姿』になるまでは、多くの試練や困難を経験するかもしれません。すばらしい絵が完成するまでには、実に多くの失敗や困難を乗り越える必要があります。そして、それを乗り越えた人だけが、すばらしい絵を完成させることができるのです。

学園長である私が『どういう自分』になりたいかを申し上げます。皆さんはやがて社会へと巣立っていきます。その卒業生の一人ひとりが心に描いた『なりたい自分』としての姿で人生を送り、社会でも大いに輝き、生き生きとした幸せな生き方をしているあなた方を、一人でも多く拝見させていただく。そして私自身、喜びをかみしめ、楽しそうな学園長と人に言われる、そんな自分になりたいと思っています。

皆さんの中には家庭を持つ人も多くいることでしょう。皆さんの子どもさんが高校へ進学する時、ぜひ本校へ入学させたいと思われるような学校にすること。そして、いつか子どもさんがこのように入学式に来られ、そこで今日と同じようなことを私がこの場所で語ることができる、そんな自分の姿を描いています」。

また、同年9 月に発行した『創立80 周年記念誌』の巻頭あいさつで、学園長は将来に向けて進むべき方向性として3 つの目標を提示した。

●短期目標
神戸における一流の大学進学男女共学高校として必要とされるもの全てを追求してゆくことはもちろんのこと、スポーツ活動や文化活動も大切にして、社会に認められる結果を出していく。
●中期目標
創立90 周年に向けたこれからの5 年間に、情報教育・国際教育・リーダーシップ教育など、時代を先取りした新しい教育を通して、就職後や大学卒業後のために一人ひとり異なった専門性を発見していく教育と、偏りのない豊かな人間性を育む教育をさらに進めていく。
●長期目標
世界の動きを見つめて、学園自身が学び、自らを教育し、新しい学園に生まれ変わっていくことができるかどうかが、我々に求められている一番大きな課題であり、教職員一同気持ちを新たにして取り組んでいく。

こうした目標に基づき、学園長は経営者として、教育者としての豊富な経験を生かし、中高一貫教育の開始、進学校への体制強化、情報教育・国際教育の充実化など、矢継ぎ早に新たな教育システムの導入を進めていった。

進学をサポートする
コース編成の拡充
特進コースを設け、進学のための学習環境を整えた効果は1 期生から表れた。2002(平成14)年春卒業の共学1 期生の合格実績は、大阪大学・岡山大学医学部をはじめとする国公立大学16 名のほか、私立大学385 名、短期大学74 名、専門学校64 名という成果を得た。2 期生はさらに実績を高め、国公立大学26 名、私立大学423 名、短期大学94 名、専門学校87 名という成果を上げている。

こうした成果をさらに高めていくため2002 年4 月、従来の総合コース(女子)を進学コース(男女)へと改編し、情報・国際コースと一般進学コースを設置。情報・国際コースは情報系と国際系とに分類し、それぞれ大学・短大・専門学校を目指すコースとした。また、一般進学コースは2 年次から理系と文系に分類し、それぞれ大学・短大・看護学校への進学を目指すコースとした。

2003 年4 月には、従来の特進コース(男女)Ⅱ類・Ⅰ類を、特進コースⅢ類・Ⅱ類・Ⅰ類の3 つに分類した。Ⅲ類は国公立大学医歯薬理系、Ⅱ類は国公立大学、Ⅰ類は難関私立大学への進学を目指す生徒向けとし、Ⅱ類とⅠ類はそれぞれ2 年次から理系と文系に分類した。

共学化以降、特進コースの充実ぶりは目覚ましく、外部からの期待も急速に高まっていたが、同時に他の進学校との競合も一段と厳しくなってきた。これに対応するため、さらなるシステムの革新を進めていく方針を明確に打ち出した。

PROFILE
学園長
第10 代校長
西和彦
米国マイクロソフト社極東担当副社長、株式会社アスキー代表取締役社長などを歴任したのち、2001(平成13)年3 月21 日、第9 代校長渡邉邦男の退任を受け、須磨学園高等学校第10 代校長に着任。2002 年4 月1 日、須磨学園学園長に就任し学園の運営にあたる。以後、社会や教育界での豊富な経験を生かし、PM・TM 教育の導入、ICT 教育の推進、制携帯の導入、国際教育の充実、自学・自習のサポート強化など、次々と新たな教育システムを実践。

「9時まで自学」を開始
2003(平成15)年4 月、「9 時まで自学」を開始した。これは「自宅学習では効率が上がらない」「図書室の資料などを利用して勉強したい」「志望校合格を目指し集中して勉強したい」といった熱心な生徒を対象に、学校の教室を夜9 時まで開放するというものである。安全面を考慮して、帰宅時には監督の教員が引率して集団下校することにした。

静まり返った教室での勉強は集中力が高まり、時間を忘れて勉学に励む生徒の姿が見られるようになった。また、弱点強化や受験対策などのために教員が自主講座を実施するケースも現れ、遅くまで自主的に学ぶ生徒たちの面上には、「志望校に絶対合格してみせる」という強い意志が感じられた。

須磨学園
創立80 周年記念式典を開催
2002(平成14)年9 月28 日、神戸文化ホールにおいて、現旧教職員・在校生をはじめ卒業生有志・保護者・来賓など約2,000 名が参加して、学園創立80 周年記念式典を開催した。開式に先立って、創立時からの校舎・施設の変遷、共学に至るまでのプロセスとその後の状況など、80 年の歴史をスライドで振り返った。

10 時30 分、ポール・デュカス作曲の『ラ・ぺリ』のファンファーレが、80 年の歴史を象徴するように長く会場内に響き渡り、小野正人副校長の開式の辞で記念式典が始まった。国歌演奏に続き、80 年間に亡くなった学園関係者を偲んで黙とう。卒業生80 名が『須磨女子高等学校校歌』を斉唱した後に理事長が、ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』前奏曲の後には学園長が、主催者を代表してそれぞれあいさつに立った。

次いで『越天楽』が演奏された後、来賓を代表して県知事と私学連合会会長から祝辞をいただき、モーツァルトが17 歳の時に作曲した『交響曲第15 番』が流れるなか、祝電・祝辞を披露。最後に男女在校生80 名がステージに上がり、全校生徒・全教職員と共に、新しく制定した『須磨学園高等学校校歌』を声高らかに斉唱した。閉式の辞が述べられると、来賓と教職員退場の曲として『故郷』が流れ、音楽に満ち溢れた80 周年記念式典の全てのプログラムを終了した。

表現力・文章力を培う
『須磨文庫』を発刊
2003(平成15)年6 月、①生徒に本学園での体験を文章にまとめさせ生徒の感性を磨く、②本学園教育に対する生徒の反応を知り向上につなげる、③本学園での教育の実践結果を広く知らせる、という3 つの目的のもと『須磨文庫』を創刊した。

生徒たちが本学園の教育で得た感動を、フレッシュな感覚ですぐに文章にする訓練を繰り返して表現力・文章力を養ったり、自分の感動を人に伝えて共感する喜びを感じたりすることは、学校におけるどの教科学習にも生かせる大切な経験である。そこで行事のたびに感想を書く習慣を身に付けさせ、自分の考えを人に伝える力を養うことにしたものである。自分の経験を客観的に評価することは、自分を高めるための大切な能力であり、将来、論文を書いたり研究発表をしたりする上で必ず役立つという思惑もあった。

その一方で、生徒の反応や感性を知ることは教員の大切な務めである。どれだけ良い教育をしているつもりでも、生徒に理解されず、受け入れられなければ期待した効果は得られない。生徒たちの素直な感想を真摯に受け止め、絶えず教育の成果を検証しながらさらなる向上を図り、次のステップを考える必要がある。そうした思いから、素直で感性の鋭い生徒の「生の声」を知ることができるツールとして、『須磨文庫』を生かすことにした。

また、生徒の生の声を本学園教育の実践結果として公表するには勇気がいるが、あえて『須磨文庫』を通じて公表することにした。それが最も説得力があると確信したからである。従来は学校案内に本学園が目指す方針や教育システムを詳しく記載し、説明会で本学園の熱い思いを語ってきた。しかし、「教育の受け手である生徒」がそれをどのように感じているかは、学校案内や説明会では伝えることができない。「生徒が本学園で何を学び、何を感じているか」を、明快に発信するためにも、『須磨文庫』を活用することにしたのである。

男子生徒の募集活動
志願者数の増加、高まる偏差値
本学園は男女共学化当初から、合格者に対して入学前の前納金の徴収は行ってこなかった。当時県下の私立高校では大半の学校(特に男子校)が、公立高校の合格発表前に入学金を納める前納金制度があった。理事長はこの制度に疑問を抱き、本学園は徴収しない方針を打ち出した。当時としては画期的だったこの取り組みに共感した保護者にとっては、受験先を考える上で、大きな要因になったと思われる。

2,118 名であった1 期生の志願者数から翌年は2,644 名となり、約500 名の増加となった。さらに次の年は3,000 名を超え、ピーク時の2003 年には3,500 名近い志願者となった。志願者の増加にともない、校内だけでは収容しきれなくなり、入試会場が本学園以外に必要となった。結果、ワールド記念ホール、西神オリエンタルホテル、学園都市、流通科学大学などさまざまな施設を借り、第2 会場として実施した。本学園の教職員だけでは足りず、外部スタッフの調達も必要となるほどであった。

年を追うごとに志願してくる生徒の学力も上がり、各地域の公立トップ校と本学園を併願する生徒が増加していき、共学化当初はわずか数% だった公立トップ校との併願率が、約10 年後には90% にまで上昇した。その後も併願率は高い水準で推移し、現在も地域によって80~90%の併願率を維持している。

一方、偏差値も年々上がり続けている。偏差値が上がるにつれて、入学後のクラス編成にも変更が生じた。Ⅰ類・Ⅱ類のクラス編成でスタートしたが、学力上位層の入学生が増え、より上位の大学を志望する生徒が増えてきた。それに対応するため、2003 年4 月から新たに国公立大学医歯薬理系を目指すⅢ類を新設。それにともなってより多くの意欲ある生徒たちが本学園にチャレンジするようになった。さらに教員も模擬授業や公開授業を積極的に実施するなどして、授業内容の改善を図り、授業の質も向上した。教員と生徒が一体となった結果が近年の大学受験合格実績への礎を形成していった。

【第9 章】
男女共学の中高一貫教育へ
〈2004(平成16)年 - 2012(平成24)年〉
新興国の成長を軸に比較的堅調に推移してきた世界経済は、2008(平成20)年のリーマン・ショックで国際的な金融危機に直面。さらに東北から関東にかけて記録的な被害をもたらした2011 年3 月の東日本大震災により、我が国の経済は深刻な状況に立ち至った。そうしたなかで本学園は2004 年4 月、中高一貫教育を開始し、教育体制も新たにその1 期生を迎え入れた。以後、東大・京大をはじめとする難関大学へ数多くの卒業生を送り出す一方、教育の質や情報面で国際基準の管理体制を構築、部活動や人間形成の面でも目覚ましい成果を上げ、兵庫県を代表する私立学校の1 つとして大躍進を遂げた。

須磨学園中学校開校、
中高一貫教育を開始
2001(平成13)年5 月、中学校開校を目的とした、準備会議「SMASH21」を開き、2004 年4 月、中学校開校にこぎつける。中学募集の先頭に立ってきた西泰子理事長は、校内、校外で行われる学校説明会で自ら説明に立ち、受験生や保護者に直接説明する機会を今現在も欠かさない。2004 年1 月の中学入試以来、中学入試当日に理事長は校門で受験生や保護者を出迎えている。また受験生が試験を受けている間には、保護者が待機する控室を回って受験の状況説明をするなど、保護者や受験生と直接対話することを心がけてきた。

2004 年4 月1 日、須磨学園中学校がスタートした。前年10 月23 日号『週刊朝日』の企画広告で、西和彦学園長は中高一貫教育を始めるにあたって次のようなメッセージを寄せている。

「6 年一貫の最重点課題は、もちろん徹底的な大学受験準備教育にあります。しかし、ただそれだけでなく、中学1 年生からのネイティブスピーカーによる英会話、1 人に1 台のパソコンを使ったIT 教育など、知識を学ぶということだけでなく知識を使う体験、演習を通してより知恵としての知識感覚を身に付けて、高度な実学を完成していく6 年間であってほしいと願っています。

同時に、生徒会活動を中心としたリーダーシップ・チームワーク教育、好きを伸ばす部活動、豊かな感性を身に付けるための美術鑑賞、音楽鑑賞は一人ひとりの個性を伸ばし、中学校の東洋旅行と、高校の欧州米州旅行による世界一周の研修旅行は英語を話すだけではない国際理解の完成を目指します。本学園の多様な教育課程を通して、一人ひとりの持つ潜在的な可能性に目覚めて、21 世紀の日本を背負う人材に育っていただきたいと願っております」。

4 月3 日、午前中に挙行した高校の入学式に続き、午後2 時から須磨学園中学校の第1 回入学式を挙行した。中高一貫1 期生148 名は、高校生から胸にコサージュを付けてもらって体育館に入場、須磨学園での第一歩を踏み出した。式辞に立った理事長は、次のような厳しくも温かい言葉で新1 年生を出迎えた。

「皆さんが選んだこの須磨学園中学校は、皆さんを優しく育みながら教えるだけでなく、厳しく鍛えることを考えています。なぜなら、私たち須磨学園が目指すことは、皆さんの持てる力を最大限に伸ばし、次の段階の教育を受けるにふさわしい、気力と体力の基礎をつくることだからです。

須磨学園でのこれからの6 年間は、皆さんが大学に進み、学ぶための準備の期間です。そして、それは同時に大人になって社会でよりよく生きていくために必要な力を蓄える期間です。皆さんが『なりたい自分になるために』、つまり自分の夢や目標に近づくためには、苦しいことも、つらいことも、嫌だと思わない。それを乗り越えていこう、挑戦しようという精神の持ち主の集まりだと見ています。

ですから私たちの仕事は、皆さんを叱咤激励しながら皆さんが進む道を指し示し、環境を整え、困難も喜びも共有しながら共に成長していくことです。一番大切だと考えていることは、ひたむきに努力を積み重ねてきた人にもたらされる、深い満足と喜びを皆さんに経験していただくことです。

学校や塾で見たことがない初めての問題を目にした時、『教えてもらっていないからこの問題は解けない』という発想になっていませんか。自分の頭で考えてみること、自分自身でやってみること。この2 つのことにこれからチャレンジしていきましょう。

皆さんの前に広がる世界は広く、皆さんが登る山は高く、頂上に続く道は険しいかもしれません。その山道を皆で登っていきましょう。より高く登れば、より広い世界が見えてきます。そして、より遠くまで景色が見えます。6 年後の皆さんには、どういう景色が見えているか、私たちは楽しみにしています」。

4 月17 日には中学校開校記念植樹を行った。板宿八幡神社による神事の後、まず理事長が植樹。次いで校祖・西田のぶの胸像の周りに30 本の八重桜を植樹した。5 月11、12 日には中学校1 期生による記念植樹を行った。148 名の新中学生が各自1 本ずつ「ハナミズキ」を植樹。以後の6 年間、生徒たちは自分の木が成長するのを見つめながら、須磨学園という土壌で共に豊かに育っていくことになる。

●中高一貫生の制服を制定
中高一貫教育を始めるにあたって、高校生とは異なる中学生用の制服を作成することになり、2001(平成13)年から具体的な検討を開始した。コンセプトは「知的で上品で高級感のある制服」である。さらなる成長を目指す進学校として開校する、中高一貫校にふさわしい制服を企画した。

高校を男女共学に移行したときは、それまでとは全く異なるデザインの制服に一新した。しかし今回は、一つの学校として高校の制服と共通するイメージをもたせるため、高校の制服を担当している被服メーカーに、ジャケットとズボン、スカートを依頼した。ただし一任するのではなく、前回アドバイスしてもらったデザイナーにも参加してもらい、制服検討委員会を中心に生地選びやデザインなどの検討を行った。

まず、上下同じ生地にすることを決め、制服検討委員会でアイデアを出し合った上でデザイナーに制作を依頼。ジャケットについてはボタンの数・襟の開き具合・ポケットの形など、また、スカートとズボンについてはスカートの襞数・ズボンのダーツ数など詳細な打ち合わせを行った。その間、生地見本や試作品を何度も取り寄せ検討を重ねた。

また、スカートとズボンをオプションに加えたり、シンボルマークの色を学年別に変えたりするなど、数々のアイデアが生まれた。鞄も、体の小さな中学生の負担を軽くするよう工夫するなど熟慮を重ね、新しく誕生する須磨学園中学校にふさわしい制服が2003 年春にようやく完成した。

その後、中高一貫1 期生が高校生になる2007 年、高校からの入学生が着用している制服を着たい、という生徒からの要望に応え、オプションで購入してもよいという方針を決定、多彩な着こなしが生まれることになった。

中学校開校から5 年を経た2009 年、制服の現状について生徒と保護者にアンケートを実施した。制服の満足度や改善点を調査した結果、「現在の制服で満足」という意見が多数を占めたため、いくつかの改善点を除いて基本的に現行の制服を踏襲することにした。

こうして数度にわたる見直しを行ってきたが、中高一貫生と高校入学生の制服には微妙な違いがあり、オプションも多く複雑でもあった。そこで1 つの学校としての統一感を持たせる上で、ジャケットのデザインや素材を統一することでコストを削減。2011 年から、中高一貫生も高校入学生も同じジャケットを着用するようになった。

中高一貫教育にふさわしい
教育環境を整備
2004(平成16)年、中高一貫教育を始めるのに合わせて、施設・設備の大規模な改修・拡充を進めていった。最新の映像・音響機器などを完備したマルチメディア室および情報室、ドラフトチャンバーをはじめとする充実した機器を備えた生物・化学実験室のほか、総合実習室、調理室、被服室、技術室、音楽室、美術室、図書室など、ほぼ全ての施設・設備を一新した。

日本トップクラスの選手を輩出してきた体育施設には夜間照明を完備。本学園―板宿駅間のスクールバス、須磨総合グラウンドへの送迎バスも配備した。また、安心・安全な教育環境づくりのため、2004 年から2010 年にかけて校舎内計38 カ所に鉄骨ブレースを設置し、本館・新館の窓をスチールサッシからアルミサッシに改修するなど、耐震補強工事を行った。

この他、通学路外階段の改修、本館・新館屋上の防水工事および空調設備の全面入れ替え工事、それにバラ園の造園など、県を代表する進学校にふさわしい施設・設備を整えた。

ISO 9001 品質マネジメント
システム認証を取得
先に取得した環境マネジメントシステムを構築する過程で、構想していたのが品質マネジメントシステムの導入であった。時代・社会の要請や、生徒・保護者の期待にどう応えていくか、指導の結果にどのように責任をもつか、といった課題に対処するために必要だと考えたからである。

折しも2004(平成16)年、文部科学省は「高等学校設置基準」を改正し、各学校に自己点検・評価などの、いわゆる学校評価を努力義務とした。学校評価の目的は、生徒や保護者、地域社会の期待に応えることにある。各学校が取り組んでいる教育活動を自己点検・自己評価し、その結果を積極的に公表・説明して理解と協力を得る。すなわち、学校は自らの取り組みの結果に責任をもつこと(Accountability)が求められるようになった。

これに先駆けて、本学園は2003 年から学校評価の実施に踏み切った。これを実行するためには、学習指導(本学園における全ての活動と指導)のプロセスや成果を厳しく確認し、指導の質的な充実と継続的な改善、結果に責任をもつシステムを構築する必要がある。

こうした条件を満たすため、さまざまな取り組みについて目標・計画を立て(Plan)、実践し(Do)、自己評価を行い(Check)、次の段階へ反映する(Action)という、学校の教育活動を適切に評価する学校評価システムの構築を目指すことにした。この考え方は、まさにISO の規格が求めるPDCA サイクルによる継続的改善に合致するものであった。

そこで本学園では、学校教育の根幹である学習指導の質の継続的な改善と結果責任を自らに課す、グローバルスタンダードのISO 9001(品質マネジメントシステム(Quality Management Systems)) の認証取得を目指し、2003 年8 月、環境マネジメントシステム認証取得時のノウハウを生かしながら取り組みを開始した。

2004 年7 月、理事長が制定した学習指導の質方針と、JIS Q 9001 品質マネジメントシステムの要求事項に基づいて、「学習指導の質(品質)マニュアル」をはじめとする管理文書を作成。8 月に予備審査、11 月に登録審査を受け、12 月24 日にISO 9001 の 認証を取得した。

本学園は、規格にいう品質を「学習指導の質」、顧客を「生徒・保護者、時代・社会」と定義。学年部・教科部・機能部を中心に「業務・活動・指導目標や指導計画を立案し(P)、学習指導を実践し(D)、保護者や生徒への教育アンケートおよび本学園独自の自己点検・評価を定期的に行い(C)、見直し(A)」て、継続的な改善システムとして機能させている。

生徒自らも「プロジェクトマネジメントノート」で自己目標(P)を明確にし、「タイムマネジメントノート」で計画(P)・実践(D)・点検(C)を行い、見直し(A)て、自己改善と自己実現を目指すなど、全校を挙げてISO に則った取り組みを開始した。

創造性を磨く
PM・TM 教育を推進
2004( 平成16) 年、本学園はPM(Project Management)教育とTM(Time Management)教育を導入した。これらは学園長がビジネス界で活躍していたときに発案し、企業の経営管理職に指導していたタイムマネジメントの手法を、中学・高校生向けにアレンジしたものである。

生徒たちが主体的に、計画的に行動することでプランを無駄なく遂行し、「なりたい自分になる」ための実行力を身に付ける手段として導入したのがPM・TM教育であった。

PM・TM の実行には2 冊のノートを使う。夢の実現のために「何をするか」を書くPM ノートと、それを「いつやるのか」を書くTM ノートである。

● PM ノート
テーマ(目標)を設定し、それを細かくブレークダウンした計画帳のこと。大きなプロジェクト(夢)は達成が難しく、諦めがちであるが、細かく砕いていくと「小さな行動の固まり」になる。そこでPM ノートには、目標達成(夢の実現)のために学校生活や家庭生活でやろうと思っていること、やらなければならないことを項目ごとにどんどん書き込んでいく。
● TM ノート
1 年を52 週とし、1 週間単位で毎日1 時間刻みのスケジュールを書き込む行動計画帳のこと。生徒はPM ノートに書き出したアクションを、全て1 週間のタイムテーブルに当てはめていく。これによって自分が毎日何をするかのスケジュールを決め、その実行結果、特に学習時間と睡眠時間を日々正確に記入していく。1 週間の活動を振り返り、総学習時間・平均学習時間と睡眠時間を算出して分析するのである。

これを繰り返していくと、有効に使えた時間と無駄に過ごした時間が見えてくるようになり、次週の計画時には無駄にしていた時間を自主的に有効活用するようになる。こうして進捗状況を確認し、分析する習慣を身に付けることで、徐々にノートの有効性や必要性を実感できるようになっていく。

その習慣付けをサポートするため、全校一斉に毎週金曜日の1 時間目を「タイムマネジメントの時間」とし、翌週の計画を作成することにした。学級担任が行動設定のための指導や学校行事などを提示し、計画が立てやすいようにアドバイスするとともに、各自の計画をチェックしてより良いプランとなるよう助言を行った。

また、年初にはその年の「なりたい自分になる」ための目標を書く、「TBM 書き初め」を実施。全ての作品を教室に掲示する一方、優秀な作品は表彰した上で一定期間展示した。同時に教員もそれぞれの目標を書き初めして職員室に掲示するなど、PM・TMが定着するようバックアップした。

PM・TM 教育が目指す本当の意義は、効率良く自分を管理することだけが目的ではなく、「創造性を磨く」ところにある。時間や行動の効率化によって自分が前に進んでいることを実感すると、ストレスから解放され、より創造的に時間を使うことができるようになる。タイムマネジメントをうまく生活に生かし、「生きた時間」を使ってさまざまなことにチャレンジし、アクティブに「足し算の人生」を送ってもらうこと、それこそがPM・TM 教育の真のねらいである。

教科別に独自性のある
学習プログラムを展開
本学園では学力の効果的な伸長をより一層図るため、楽しく学べる工夫も取り入れながら、中学生の段階から独自性のある学習プログラムを展開している。

●百人一首の暗唱【中学国語】
百人一首のような名歌を暗唱・暗記することは、リズムとして古典を理解する上で重要である。また、古典というと難解で面倒な文法を覚える印象が強いが、本来は「美しい日本語である」ことを知ってもらうためにも暗唱は最適である。特に記憶力が旺盛な中学生の時期に百人一首を暗唱させることは、高校から始まる本格的な古典学習の基礎固めとなる。加えて、何よりも古典に親しむことで言語感覚を豊かにし、昔から変わらない日本人の心を理解することに期待した。

2004(平成16)年にスタートして以降、1 年目は連休や長期休業時に宿題として暗記してくるよう指導し、2 年目は3 名1 組のチームを組んでかるた大会を開催。3 年目には、国語の授業の終わりの5 ~ 10分をかるた大会に充てたり、百人一首を20 枚ずつ5セットに分けて暗記しやすいようにしたりするなど、生徒の学習意欲を高めるようにした。伝統的な娯楽を授業に組み入れることで、古典に親しみ楽しく学ぶという成果を得た。

●『天声人語』の筆写【中学国語】
いつからか有識者の多くが、若い世代の「書く」「読む」力の低下を指摘するようになった。例えば長文が読み切れない。主語と述語、修飾語と被修飾語の関係が理解できない。大学生になっても中学生レベルの漢字が書けない。ことわざや慣用句を知らない社会人が増えているという指摘である。

本学園でも、生徒の国語力の低下に危機感をもつようになった。そこで取り入れたのが、簡潔にして要を得たエッセーと定評のある朝日新聞のコラム『天声人語』の筆写である。『天声人語』は800 字弱という短い文章であるが、句読点の付け方や助詞の使い方、修飾語と被修飾語の関係、適切な用語の選定、文章構成の仕方、起承転結、レトリックなど多くの要素が詰まっている。また、新しい言葉や文字と出合ったり、時事問題に触れることで社会に対する視野を広げたりすることもできる。

そこで、毎日『天声人語』を読みながら筆写することで「読む」「書く」習慣を身に付けさせるとともに、要約文や感想文を書かせることにより、読解力を高め、豊かな日本語の表現能力を養ってきた。

●英語教科書の暗唱【中学英語】
中学校の英語教科書には、基本となる文法事項がほとんど網羅されており、かつ内容のある文章が記載されている。そこで本学園では、英語教科書『NEW CROWN ENGLISH SERIES』の本文を生徒たちに暗唱・暗記させることにした。

暗唱するためには本文の内容を覚えるだけでなく、習った文法を使い、CD で聴いた発音やリズムを体得する必要がある。正しい音を聴き、リズムを身に付け、例文として覚えていくと、英語を使う機会があったとき、覚えた単語を入れ替えることで話せるようになる。さらに高校入試や大学入試の際にも、ケアレスミスの少ない答案が書けるようになる。

暗唱は、①本文を聴く、②本文内容を把握・確認する、③本文を意味のかたまりごとに区切って覚える、④リズムと意味をつかつかみ、段落ごとに区切って音読・暗唱する、⑤余裕のある生徒は発音しながら紙に書く、という順序で実施。1 年生は12 月に暗唱大会を行い、2 年生はサマーキャンプの課題にするなど、生徒全員が「本文を暗唱する」という同じ目標に向かって取り組んだ。

● 2 桁の九九の暗算【中学数学】
2 桁同士の掛け算を暗算でできないか、という学園長のアイデアが発端となって、その実現にチャレンジすることになった。まず、そろばん教室に問い合わせてみると、2 桁同士の掛け算の暗算ができるようになるには、専門の先生に週4 回1 時間ずつ習って半年はかかるという回答を得た。本学園でそれだけの時間をかけるわけにはいかないため、もっと短時間で手軽にできる方法を考え出すことにした。

試行錯誤の末に導き出したのが、①左項「10 の位」×右項「1 の位」、②右項「10 の位」×左項「1の位」、③「10 の位」同士の積× 100、④「1 の位」同士の積、⑤①~④の合計という計算方法である。この計算方法を毎日約30 分間試してみると、1 週間もしないうちにかなり速く暗算できるようになることが判明した。

そこで生徒たちに、まず1 ~ 5 だけの数字でできている2 桁同士の掛け算の暗算手法を教え、実際にやらせてみた。すると、早い段階から5 ~ 10 秒で答えられる生徒がいる反面、30 秒以上かかる生徒もいて、スピードにばらつきがあった。練習を続けさせることによって、次第にスピードアップを図っていった。

● IT 教育の推進【中学・高校情報】
本学園におけるIT 教育の取り組みは古く、1985(昭和60)年には早くもカリキュラムに「情報」を配している。本格化したのは1995(平成7)年で、阪神・淡路大震災での経験から、パソコン通信の重要性が注目されたことが契機となった。本学園では、大学でさえインターネットの常時接続がままならなかった1997 年に独自のドメインを取得。5 台のサーバーとクライアント約120 台をインターネットに専用線接続し、キャンパスネットワークを整備して、ホームページの開設と学籍・教務システムを導入した。

翌年3 月には文部省( 現・文部科学省)の補助を受け、3 つ目の情報教室であるマルチメディア教室を新設して、コンピュータ音楽が可能なMIDIのキーボードや音源を整備した。さらに2003 年度から始まった新教科「情報」の先駆けとして、パソコンのデジタルコンテンツを積極的に利用した。これらの学内サーバー環境のLAN の付設はもちろん、実習室のデザインや環境設定、学園ホームページの更新に至るまで、全てを外部に頼らず情報科の教員が行った。

中学校における情報教育
中学校では生徒全員に1 人1 台のパソコン「制パソコン」を所有させることにより、各自で使いやすいようにカスタマイズでき、ソフトも自由に導入できるようにした。また、OS のアップデートやアンチウイルスソフトの更新などの管理も、スキルを習得させるための手段の1 つとして生徒自身の手に委ねることにした。

生徒には学内で運用するグループウェアのアカウントを発行し、学園内外からインターネットを経由してシステムにログインできるようにした。会議室のメッセージやチャット、電子メールによる外部とのやりとりは制限し、生徒・保護者・教職員間のメッセージ交換のみを可能にした。また、生徒のパソコンはキーボードの文字の印刷を消去し、タッチタイピングをマスターしないと使いこなせない特別仕様とし、この面でも早期のスキルアップを促進することにした。

パソコンやアプリケーションソフトの操作は、主に1年生の技術家庭と総合の授業で扱った。研修旅行や合宿などの行事があるごとに、事前学習や事後レポート作成、プレゼンテーションソフトによる発表やWebページ製作にともなう情報発信にパソコンを活用。調査・体験・文章化・発表というサイクルを経験させることで、スキルを高め自己表現力を養うようにした。この他、英語の学習で教科書に沿ったリスニングと発音の教材を活用したり、他の教科でもパソコンで調べて学習に利用したりした。また、中学校の全教室に無線LAN 環境を構築し、教室で気軽にインターネットに接続できる環境を整えた。

●著作権フェアへの参加【中学情報】
2004(平成16)年3 月、兵庫県教育委員会が中心となって、教育関係機関やIT 関連企業などが連携、協力し合い、教育の情報化を推進することを目的として「ひょうごe- スクールコンソーシアム」を設立。本学園の学園長が副会長に就任した。その下部組織である「IT コンテンツ利用部会」は、子どもたちと保護者・教師・一般市民に向けて、著作権制度への理解と関心を促すため、2005 年に著作権イベントを企画した。

全国初の著作権に関する体験型学習のイベントで、①映像作品の制作を通して著作権を学ぶ「著作権ワークショップ」、②①で完成した作品を審査・販売する「実践! 著作権フェア」の2ステップとし、実際に小作品を制作して有償で販売した。

本学園中学校の総合学習でも、Web を作成して学外へ情報発信したり、プレゼンテーションソフトを用いて文化祭などで研究発表したりする場合、必ずと言っていいほど「著作権」が問題になる。権利処理や許諾手続き、経済的負担などへの対処が不透明なままでは、情報技術の恩恵を十分に生かすことができない。

そこで前述のイベントに2 年生4 名が参加し、その成果をもとに夏に実施したサマーキャンプの様子をDVD 作品として完成。以後イベントでの貴重な体験を、本学園の著作権学習に生かしていくことにした。

高等学校における情報教育
2003(平成15)年、文部科学省は「情報」を高校普通科の必修科目に指定。IT 機器の実習を主体とする「情報A」、コンピュータの仕組みやコンピュータサイエンス主体の「情報B」、情報の表現方法やネットワークコミュニケーション主体の「情報C」のうち、どれか1 科目を履修させるよう通達した。また、普通教科「情報」の学習目標を、「情報活用の実践力」「情報の科学的な理解」「情報社会に参画する態度」とし、バランス良く知識・技能を習得させることとした。これを踏まえて本学園では、次の各項目をポイントとするオリジナルのカリキュラムを立案した。

① 大学入学後や社会人になった際に役立つ技術と知識の習得
② 日常生活においてコンピュータやインターネットを利用する上で必要な知識と技術の習得
③ コンピュータの動作に関するハードウェアとソフトウェアの基礎的知識の習得
④ コンピュータ業界の職業観を養うことを目的としたコンピュータサイエンスに関する基礎的知識の習得

また、本学園の「情報」の学習目標は、「情報を適切に収集・処理・活用するための技能を養い、情報社会に参加するにふさわしい態度と自己防衛する能力を身に付ける。さらに、コンピュータにおける情報の表現や処理方法、コンピュータネットワークにおける伝送の仕組みについて理解を深めるとともに、コンピュータを活用するための科学的な考え方を習得する」という、前述の「情報A・B・C」を横断的に網羅する内容とした。

授業は、理論・知識を身に付ける座学と、IT 機器・アプリケーションソフトの操作技能を習得する実習とで構成。特に実習については「須磨学園スタンダード」を設定し、タッチタイピングや表計算ソフト、インターネット検索について、一定のスキルを身に付けるまで徹底指導を行うことにした。正規授業以外にも、IT についてさらに理解を深めたい生徒向けに特別講座を開講。特にネットワーク技術者育成のための講座は、米国Cisco Systems 社と提携し、2002 年よりカリキュラムの提供を受けることにした。

この講座は本来、大学・高等専門学校向けのカリキュラムで、当時の高等学校普通科進学校で導入している例は他になかった。この他、希望者に対してはプログラミングやシステム管理などのゼミを実施し、知識・教養を深めるとともに、大学進学時のAO入試に役立てることも可能にした。

●卒業論文の作成【高校】
スポーツコースと進学コースの4 期生は、特進コースと異なる特色ある活動を行った。特に3 年生の「総合的な学習の時間」の中では、レクリエーションなどの体育活動、ボランティアなどの文化活動のほか、現在の自分を見つめ「なりたい自分」探しの時間をつくった。

その集大成として、進路が確定した生徒を対象に2 学期末より卒業論文作成に取り組ませた。その目的は、①進路に対する意識付け、②文章表現の涵養、③情報収集能力の育成、の3 つに集約される。卒業論文は、自分の進学・就職先に関連する内容をテーマとし、インターネットや書籍などで調べて8,000 字にまとめるというもの。

文章構成は、①テーマを選んだ理由(進学・就職先への志望理由も含む)、②調べたことをまとめる、③自分の考えを述べる、として、書き上げた論文は各自がパソコンで入力した。この結果、約100 名の生徒による400 ページの卒業論文集が完成した。

COLUMN
本学園初の東京大学現役合格を実現
男女共学校に移行して以降、本学園の進学先は年々レベルアップしてきたが、2005(平成17)年春、共学4 期生が早くも東京大学への現役合格を実現した。この年の進学者数は、神戸大学・筑波大学をはじめとする医・歯・薬学系大学が29 名、東京大学・横浜国立大学をはじめとする国公立大学が70 名、早稲田大学・慶應義塾大学をはじめとする私立大学が723 名となった。

その後も手厚い教育体制と行き届いた進学指導により、着実に進学実績を高めてきた。2012 年春の進学実績は、医・歯・薬・獣医学系大学80 名、旧帝大58 名を含む国公立大学179 名(大学校を含む)、早慶など関東主要私立大学54 名・関関同立355名を含む私立大学807 名と飛躍的に実績を伸ばしている。

最新のICT 教育を推進
高度情報社会を迎え、本学園では早くからICT(Information & Communication Technology)教育を取り入れ、その環境整備に努めてきた。2003(平成15)年に高校1 年生から「情報B」を履修させ、2004 年には中学校で1 人1 台のノートパソコン「制パソコン」を使用した情報教育を開始した。

普通教室には充電可能な専用ロッカーと無線LAN のアクセスポイントを設置し、インターネットにアクセスできる環境を整備。また、教職員が活用していたグループウェア「First Class」を中高一貫の生徒や保護者にも導入し、「ネット保護者会」の運用を開始した。また、中学1 年生の技術家庭科「情報とコンピュータ」でリテラシー教育とモラル教育を、高校1 年生の「情報B」では情報科学を習得する授業を実施した。

2010 年には中学1・2 年生で、情報科と他教科のコラボレーション学習「ICT」を開始。さらにコンピュータとネットワークを使い、「作る」ことができる知識と技術の習得を目的とした、新しいICT 教育のカリキュラムを開始した。

こうした教育をバックアップするため、2007 年に第1 情報室にネットブート型シンクライアントシステム「Ardence」を、2010 年にはマルチメディア室にパソコン運用支援パッケージ「瞬快」を採用するとともに、授業でも活用する「制携帯」を導入した。校外プロジェクトにも積極的に参加してきた。2005年に「地上デジタルテレビ放送の教育活用促進事業」の研究実践協力校として、地デジ対応42 型テレビ2 台を導入。2007 年にはOSP(Open School Platform)プロジェクトに参加し、「情報B」の授業でオープンソース・ソフトウェアの使用を開始した。また、2010 年に設立された「デジタル教科書教材協議会」にも協力している。

今後ますます進化する情報技術に対応して、先端情報教育を実践することにより、多くの生徒が未来のICT エンジニアを志すことを期待している。

新しいコミュニケーションツール
「制携帯」の導入
2008(平成20)年、生徒が安心して使用できる携帯メールの仕組みを発案した。全てのメールが、本学園が管理する「First Class」サーバーを経由し、保管される「制携帯」開発の取り組みを開始。2010 年には、学校が指定・管理する「制携帯」を中学と高校の新入生を対象に導入した。

携帯電話は未成年者のトラブルが多いことなどから、文部科学省は2009 年当時、中学校内への持ち込みを原則禁止していたため、使用を禁止する学校が主流を占めていた。しかし、本学園では危険性や利点を理解させた上で、中学生は正しく使うことを、高校生は使いこなすことを目的として導入することを決定した。情報科の授業で携帯電話の仕組みやモラルを教え、授業以外でもルールを守って活用できるようにした。

端末は学校に必ず持参する教材扱いとし、維持費は定額制にして保護者が負担。生徒や教職員間の通話は無料にし、生徒は教員にメールや電話で質問・相談ができるようにした。また、有害・有料サイトへの接続禁止、夜10 時以降はWeb サイトへの接続禁止、掲示板やブログの開設・書き込み禁止、授業中は電源を切るなど、Web サイトの利用時間や閲覧には厳しい規制を設けた。

こうした「制携帯」の導入に対し、当時の中学1 年生の71%、高校1 年生の62%、保護者の90%が賛同した。2010 年4 月に中学・高校の新入生と教職員全員、それに在校生の希望者約400 名の所有でスタートし、同年末には530 名に増加。その後も所有者は増え続け、2 年後の2012 年には約1,200 名が使用するようになった。

ISO 27001 情報セキュリティ
マネジメントシステム認証を取得
2004(平成16)年に制定した「個人情報保護方針」に基づいて、本学園では個人情報マネジメントシステムの確立を目指してきた。2009 年には、情報セキュリティマネジメントシステムの継続的な改善を図るため、個人情報など重要な情報資産の管理と保護を目的に、ISO 27001(情報セキュリティマネジメントシステム)の認証を取得した。

認証取得後は、個人情報だけでなく本学園が保有する全ての重要な情報資産の管理・保護を目的として運用している。各部署で扱う重要な情報(書類・データ)を全て把握し、リスク分析によって流出の危険性がどこにあるかを明確にし、日常業務においても情報管理に関する教育を徹底。また、情報の取得・利用・保管・廃棄のサイクルにおける運用ルールを明確に制定した上で、データを専用USBキーによって暗号化するなど、最新のIT 技術でシステムを構築した。

ISO 14001 に始まりISO 9001、ISO 27001 に至る3 つのグローバルスタンダードの認証取得は、学校法人としては全国に先駆けて達成したものである。これは社会に対し法人としての責務を明らかにしたばかりでなく、学校改革および改善に継続的に取り組んでいく宣言でもあった。

世界的視野を身に付ける
国際教育の充実化
国際理解教育の一環として、本学園では海外短期留学に加え、世界一周研修旅行の実施に踏み切った。実際に世界各国を訪れることで、現地でしか体験できない多くの発見があることから、生徒の成長を促すだけでなく、将来的には国際的な視野を開くことが期待できるプログラムを組んでいる。

● 世界の歴史・文化・産業・芸術を学ぶ
世界一周研修旅行
まず2005(平成17)年、中学2 年生を対象に8日間のアジア研修旅行をスタートした。アジア諸国の歴史や文化、日本とのつながりを学び、「日本はアジアの一員である」との理解を深めることが主目的である。初年度は台北(台湾)、香港(中国)、ホーチミン(ベトナム)、バンコク(タイ)、シンガポール、クアラルンプール(マレーシア)を歴訪。現地中学校との交流や博物館などの見学を通じて、各国・地域に対するイメージを一新するとともに、アジアの中の日本の存在や立ち位置を再認識させることにした。

2007 年度には、中高一貫の高校1 年生を対象に11 月にヨーロッパ研修旅行、翌年3 月にアメリカ研修旅行を実施した。ヨーロッパ研修旅行の目的は、本物に触れて各国の歴史や文化・芸術を学び、EU の政治・経済体制を知ることなどである。ルーヴル美術館やオルセー美術館、さらには大英博物館で本物の展示物に出合い、ぺルガモン博物館では古代遺跡に触れ、ウィーンとベルリンではクラシック音楽を鑑賞、さらにフランスのモンテベロ高校やイギリスのビーバーウッドスクールで学校交流会を開くなど、年によってプログラムに若干の変更はあるが実り多い10 日間を過ごした。

アメリカ研修旅行の目的は、世界の中心的存在である大国アメリカを実際に見聞し、政治・産業・文化などを肌で感じ取ることにある。ボーイング社やマイクロソフト社・インテル社などの巨大企業、名門カリフォルニア大学バークレー校やスタンフォード大学、政治の中枢であるホワイトハウスや議会議事堂、さらにスミソニアン博物館やメトロポリタン美術館などを見学し、最後にブロードウェイでミュージカルを鑑賞するといった日程であった。

なお、2 年目からはアメリカ研修旅行の対象を中学3 年生、ヨーロッパ研修旅行の対象を中高一貫の高校1 年生に変更している。中学2 年生から高校1 年生まで3 年間にわたって実施する、アジア・アメリカ・ヨーロッパ世界一周研修旅行は、生徒たちにとっては大きな財産として将来に役立つ貴重な体験となっている。

●ホームステイで研究と観光を体験する海外短期留学
1997(平成9)年以降、ニュージーランドで実施してきた夏の海外短期留学は、ホームステイをしながら北島のオークランドやファンガレイ、パエロア、タラデール、南島のクライストチャーチとティマルを歴訪した。セカンドファミリーが得られる上、英語環境の中で語学や現地の文化を直接体験できることから、毎年多くの生徒が参加してきた。

2009 年、ホームステイ先を北半球の夏季休業に合わせ、アメリカのシアトルに変更した。7・8 月に実施するシアトルでのプログラムでは、各家庭で2 週間にわたって生活することにより、英語と異文化を肌で学ぶことができるようになった。また、カナダへの1 泊2 日旅行で、島国の日本ではなじみのない陸路での国境越えを体験することができた。

2011 年3 月には、新しくイギリスのオックスフォードでの春プログラムを追加した。ホームステイではなく、オックスフォード大学の寮で生活。『ハリー・ポッター』のいくつかのシーンが撮影された大学の別館は、異次元空間に迷い込んだような独特の雰囲気があった。ここではオックスフォード大学の学生にグループリーダーとなってもらい、午後の授業後にクリケットや演劇、ボートこぎなどさまざまな活動を行った。また、ロンドン市内を巡る観光ツアーも体験した。

これら研究と観光を兼ねた海外短期留学は、夏・春双方のプログラムを「Overseas Experience(海外経験)」と呼んでおり、その経験が学問的にも、個人的にも生徒たちの自信を高めることにつながっている。本学園の海外研修旅行では、訪問先で学校交流会を行い、生徒たちは同世代の生徒と自国の文化や学校紹介などを行っている。蘭雅國民中學校(台湾)、グエン・ザ・ティオ中学校(ベトナム)などの学校は来日し、本学園を訪れ相互交流を図っている。

多岐にわたる校外研修の展開
本学園が、中学・高校を通じて重視している学習の1 つに研修旅行があり、旅行ごとに明確なテーマを設定して訪問先を選択している。例えば歴史を学ぶ場合、授業や本で学習するだけでは史実を知ることはできない。現地を訪れて遺跡や遺物に触れ、その時代に思いを巡らせることで、初めて興味をもって史実を理解することができる。研修旅行の大きな目標は「体感」にある。各地の人や文化、地域特性に触れ、実際に体験してそのすばらしさや面白さを感じることによって、自分自身を見つめ直し、今後なすべき目標を発見することである。

●現地を訪れ体験を通じて学ぶ【平和学習】
世界で唯一、原子爆弾投下で被爆した広島と長崎は平和学習の原点である。本学園では平和学習として中学1 年生で長崎、学園生活の締めくくりとなる高校3 年生で広島を訪問。被爆者の話を直接聴き、原爆や戦争に関する史跡を巡り、戦争の悲惨さや命の尊さを肌で感じる研修を実施してきた。

また、ユネスコ憲章では、「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」とあり、世界の人々の相互理解の大切さを訴えている。そこで世界一周研修旅行のプログラムにも平和学習を組み込むことにした。

アジア研修では、戦争の傷痕や戦いの遺産が数多く残っているベトナムを訪問。ジャングルの中にある防空壕のクチトンネルや、ベトナム戦争で実際に使われた武器・銃器などが展示された戦争証跡博物館などを訪れ、戦争の非人間性や残虐さを体感する。

アメリカ研修では、同時多発テロの現場であるグラウンド・ゼロを訪れ、黙とうを捧げる。ここで得た印象と広島・長崎での体験を重ね合わせつつ、世界で起きているテロや紛争を見つめ、平和についてより現実的に考える。

ヨーロッパ研修では、ドイツのザクセンハウゼン強制収容所とポツダムを訪問。ザクセンハウゼン強制収容所には、ナチス・ドイツによる残虐行為を物語る遺物の数々が遺されており、戦争の残酷さ・悲惨さを今に伝えている。ポツダムは、米英ソ3 カ国の首脳が日本の終戦について話し合い、ポツダム宣言を発した場である。これらの見学を通して、生徒たちはより深く平和について考えるようになる。

●今昔の都を訪ねる【首都探訪】
2001(平成13)年、高校1 年生を対象に、「古き都を訪ねる」というテーマで、奈良と京都を中心に古都の史跡を訪問する1 泊2 日の研修旅行を開始した。これは、高校2 年時に実施する修学旅行のテーマ「現在の都・首都東京を肌で感じる」と、時間の縦軸でつながった研修プランである。

古都研修にあたっては、日本史で学習した古代と中世の歴史をもとに、その場所が国政の中心に選ばれた理由、都が築かれた周辺の地形、宮廷を構成した人々、なぜその都が栄えたのか、遷都を繰り返したのはなぜかなどの要因を提示。遷都の背景や日本古来の文化、訪れる史跡などについて生徒が自ら研究し、調査する。

1 日目の奈良では、日本最古の本格的な寺院として知られる飛鳥寺や平城宮跡などを訪問。京都では平安神宮の時代祭をメインにしているため、2 日目は必ず祭り当日の10 月22 日となるようスケジュールを組んでいる。

首都研修では、多彩な情報を世界へ発信し、未来に向かって発展し続ける東京を、政治・学問・文化・産業の4 つの観点から探訪。自分自身の将来を見据えつつ、首都を体感して数多くのことを学ぶ。

初日には、江戸・東京400 年の歴史と文化を展示する江戸東京博物館を訪問、歴史に触れて江戸開府から現在までどのように発展してきたかを学ぶ。2 日目からは班ごとに大学や企業、博物館などを見学し、東京の現在の姿を体感する。最後に最先端の科学技術と暮らしの関わりが理解できる日本科学未来館を見学。地球環境・生命科学・技術革新・情報科学の各分野に触れて未来への視野を大きく広げ、各自がどんな未来をつくり上げていくかを考える貴重な機会としている。

●スキーを通じて学ぶ【ウィンターキャンプ】
中学生を対象に、2004(平成16)年度から実施しているスキーがメインの研修プログラム。当初は1年生を対象にスタートし、2006 年度から2 年間は全学年対象、2008 年度から5 年間は1・2 年生対象といった経緯を経て、2013 年度からは再び全学年を対象に実施している。

このキャンプの特徴は、本学園の宿泊行事の中で唯一学年合同で行うことにある。単にスキーの技術を習得するだけでなく、2・3 年生は上級生としての自覚をもって行動し、下級生は上級生から多くのことを学んでお互いが成長するという、学年を越えて大切なものが得られる行事になった。

初めの2 日間は、プロのインストラクターからみっちりとレッスンを受け、山頂でスキーを楽しめるまでの上達を目指す。3 日目の午前中は、2 年生はスノーシューズを履いてトレッキングを行い、1 年生は本格的なクロスカントリーに挑戦して、雪山の自然を体感する。夕食後はスキーの技術的な講習や雪山の自然について幅広く学習した後、学年を越えた交流会で楽しいひとときを過ごす。最終日には、SAJ(全日本スキー連盟)公認のバッジテストを受け、各級の合格に向けて挑戦するという充実した5 日間を過ごす。

●自然から学ぶ【サマーキャンプ】
中学生全員を対象に、2005(平成17)年から学年ごとにテーマを決め、4 泊5 日の日程でサマーキャンプを実施してきた。1 年生は「山」をテーマとし、六甲山をはじめ兵庫県各地の自然の家や野外活動センターで行ってきた。まず1 日のプログラムの流れを学んだ後、ハイキング、星空観察、フィールドアスレチック、キャンプファイアなどで自然を存分に体験。1 年生は入学後4 カ月と日が浅いため、キャンプを通じて生徒同士や教員との信頼関係を深めることも目的としている。

「海」をテーマとする2 年生は、岡山県笠岡市の瀬戸内海に浮かぶ北木島で実施。廃校を借り受け、地元の人たちの協力を得てキャンプをつくり上げるのがポイントである。底引き網漁やシーカヤック、地場産業である石材加工などを体験。水揚げされた魚でバーベキューを行って食の大切さを学び、さまざまな体験を通じて地元の人たちとの交流を深めている。

3 年生は「深い山」をテーマに、空海上人ゆかりの高野山で実施する。奥の院散策やムササビ観察、星空観察などを通じて「深い山」を体感。数名のグループで実際にスギの木を伐採する林業体験では、植林の必要性や森林の大切さなど環境問題について学ぶ。また、世界遺産の熊野古道を全員で歩き、日本古来の伝統を実感してキャンプの締めくくりとしている。

●国内外で本物と出合う【芸術鑑賞】
文化遺産や美術作品を鑑賞して感動を得るとともに、表現者のすばらしさに触れ、知的充足感を体感することを目的としている。国内では東京・京都・奈良・福岡・徳島の博物館や美術館を訪れて、多くの作品を鑑賞する。特に徳島県の大塚国際美術館では、陶板による世界の名画をオリジナルの原寸大で鑑賞するという、教科書では味わうことのできない体験をする。

海外では、アジア研修旅行で台湾の故宮博物院、アメリカ研修旅行でメトロポリタン美術館、ニューヨーク近代美術館、グッゲンハイム美術館、ワシントン・ナショナル・ギャラリー、スミソニアン博物館、ヨーロッパ研修旅行ではルーヴル美術館、オルセー美術館、大英博物館、ペルガモン博物館を訪問。本物を見ることでしか味わえない感動に浸る体験をしている。

社会性を培うLCT 教育
本学園では学習や進路指導だけでなく、社会で人と関わり、自己実現を達成するために必要な能力の育成にも積極的に取り組んでいる。その1 つがLCT(Leadership and Collaborative Teamwork)教育。学校行事や日々の学校生活の中で生徒自らがリーダーシップを発揮し、協力し合い、1 つのものをつくり上げていくことで、社会生活に欠かせないコミュニケーション能力を育成することを目標としている。

2004(平成16)年、4 月に中学生を迎え入れるにあたり、多感なこの時期に幅広い経験ができるよう、数多くの学校行事や課外活動を設定した。これらの企画・運営を、生徒自身のリーダーシップとチームワークで成し遂げられるよう、力を注いできたのがLCT 教育である。

その結果、文化祭や体育祭、高校3 年生を送るフェアウェルパーティー、新入生を迎える対面式は、全体構成や進行の全てを生徒会が実施するようになった。長崎平和学習や古都・首都研修時には、事前に生徒数名のリーダーと教員が下見を行い、班別行動の計画も生徒たちが自ら立案して実施。海外研修での交流会も生徒たちが企画し、準備し、練習を重ねてやり遂げた。また、2010 年に「制携帯」を導入した際には、生徒たちの意識調査を行って文化祭で発表し、マスメディアの注目を集めた。

活動は校外にも広がりを見せている。留学生を交えたシンポジウムを開催して国際交流を深め、裁判員制度や中学生のブログといった時事問題を取り上げた企画を実施。さらに社会活動にも力を入れ、清掃活動などの地域交流のほか、募金活動や環境活動などへの参加を呼びかけるなど、LCT 教育はさまざまな面で成果を上げている。

自ら考え、探究する
個人研究活動を推奨
2005(平成17)年、「好きなことをとことん追究する」という考えのもと、中学2 年生と高校1 年生を対象に個人研究活動を開始した。生徒の探究心を尊重し、「好きなこと」に納得のいくまで向き合うために設けた時間である。興味のある分野も、結論に至るまでの過程も一人ひとり異なるため、対象とする生徒に自ら1 年間を有効に活用できるよう計画し、実行することを課した。

当初は各学年に1 名の担当教員を置いていたが、2011 年からは全教員が指導にあたり、サポート体制を充実させた。個人研究活動では各自1 冊の制作日誌を作成し、その日に調べたものや研究成果を絵や写真を使って詳細に記録する。また、共同研究する生徒たちは数名のグループを組み、お互いに協力し合って大きな作品の制作や研究に取り組むことも可能にした。

研究の集大成である作品は、2006 年6 月の文化祭の「研究展示」として初年度は教室で展示し、翌年は武道館4 階に場所を移して展示した。作品には自由に手を触れ、細部までじっくりと鑑賞できるようにした。こうすることで、誰もが他の多くの生徒たちの作品を見ることができ、お互いの良い刺激となって研究成果の質は年々向上していった。

興味のあることを追究し、「楽しい」「もっとやりたい」という、学問に対する興味を喚起させる役割も担う個人研究活動は、高校生が文系・理系の選択をする際の一助ともなってきた。将来さまざまな分野での活躍が期待される生徒たちの無限の可能性を引き出すため、さらにサポート体制を強めている。

須磨学園
創立90 周年記念式典を開催
2012(平成24)年11 月7 日、神戸国際会館・こくさいホールにおいて、全校生徒と全教職員・保護者・来賓など約2,000 名が参加して、学園創立90 周年記念式典を開催した。式典はポール・デュカス作曲の『ラ・ペリ』のファンファーレで幕を開け、フルオーケストラによるモーツァルト作曲の『交響曲第15 番』、シューベルト作曲の『交響曲第7 番 未完成』などの演奏と、理事長、学園長による主催者代表あいさつを織り交ぜる形式で行われた。

創立90 周年記念式典 理事長式辞
須磨学園の歴史は、校祖・西田のぶが1922 年に神戸市須磨区大手子守前に「女性も手に職を」と須磨裁縫女学校を創立したことに始まります。当時、4人の子どもを抱えて未亡人となった校祖は、身をもって女性の社会的・経済的自立の必要性を強く認識し、「清く、正しく、たくましく」という建学の精神を掲げ、「時代を生き抜く自立した女性の育成」を志しました。建学の精神は途切れることなく受け継がれ、学園は今年2012 年に、創立90 周年を迎えます。第1 回卒業生が3 人という出発から、現在に至るまで2 万6,494名の卒業生を輩出してまいりました。

この90 年間の歩みは、先人のご努力の積み重ねの上にあります。これまで学園の生徒たちに愛情を注ぎ、学園を支え、学園の発展にご尽力をくださった先輩方に敬意を表するとともに深く感謝を申し上げます。また、学園に関わってこられた数多くの方々の有形無形のご支援に厚く御礼を申し上げます。

須磨学園のこの80 周年から90 周年までの10 年間は、それまでの10 年間と比べてさらに大きな変貌をとげた期間でした。阪神・淡路大震災をきっかけとした1999 年の共学化に続き、2004 年に須磨学園は中学校を開設しました。共学化以降、「既存の枠組みにとらわれない実践的な取り組みをする」という方針のもと、前例のない取り組みにも力を注いできましたが、この10 年はそれがさらに加速したという感があります。学園に関わるそれぞれにとって厳しく困難の多い10 年でした。しかしまた、確実な手応えがあった10 年でありました。生徒たちは知識の習得だけでなく、「経験を通して学ぶ」という幅広い主体的な「学び」を生き生きと実践しています。

社会の中で自己実現を目指す生徒たちに、須磨学園は学校として何ができるのかを改めて考えなければなりません。須磨学園が果たすべき役割を問い直し、これからの10 年もよりよい教育を実践する学校を目指して、継続的に改善を続けていく所存であります。時代が求める教育を実践する学校であること。社会に必要とされる人を育てる学校であること。これらが須磨学園の自己実現であると考えます。学校もまた時代の流れとともに変貌する社会の中の存在であることを改めて認識し、歩みを止めることなくさらなる取り組みを重ねていく決意でおります。

COLUMN
強いリーダーシップの
コラボレーション
元・事務局長
松原 栄寿
私が須磨学園にお世話になったのは2001(平成13)年8 月からです。当時は男女共学化後3 年目でベテランの女性教員が多く、まだ女子高の雰囲気が色濃く残っていました。すでに学校改革プロジェクトは「明るく楽しい進学校」を目指して始動していましたが、経営面、教学面共にさまざまな問題があり、理事長、学園長とも大変苦労されていました。

学校改革が大きく前進したのは中学校開設時からだと思います。多くの難しい問題がありましたが、理事長、学園長のもと全教職員が一丸となって解決し、なんとか2004 年に開設できたのは須磨学園全教職員にとって大きな自信になったと思います。その後、山あり谷ありの道のりでしたが、その間切れ目のない経営面、教学面の改革を成し遂げて前進できましたのは、何といっても理事長、学園長の強力なリーダーシップがあってこそで、またその時々の全教職員がそれぞれの教育現場で「卒業生が誇れる学校にしよう」と一生懸命に頑張ってきたからだと思っています。

理事長には、誰よりも深く生徒を愛し、誰よりも須磨学園を「入学したい学校No.1 にする」という強い意志と熱意があり、それがメンタル面のタフさと何事にも全力で取り組む実行力につなげていると思います。学園長には、常にグローバルな視点から教育を考え、10 年以上先を見据え判断し強力に実行していく大きな力を感じます。一言でいえば天才であり、今まで出会ったことのない人物です。この2 人の強烈なコラボレーションこそが須磨学園発展の大きな推進力であると思っています。

2 人と共に歩んできた道は決して平坦ではありませんでしたが、理事・事務局長として須磨学園の学校改革に少しでも関われたことは、私にとって大きな財産であり誇りでもあります。2 人には心より感謝しています。学校改革に終わりはありません。2 人には、健康に留意され、さらなる高みを目指していただきたいと願っています。

COLUMN
教育への溢れる情熱と
強いリーダーシップ
元・高校教頭
竹内 敏彦
「人は非常時にとる言動でその人の真価が分かる」。第5 代西泰子理事長はまさにこの言葉通りの人です。1995(平成7)年に起こった阪神・淡路大震災や、2019(令和元)年末に発生した新型コロナウイルス感染症への対応などにその一端がうかがえます。

阪神・淡路大震災後の混乱の中で、西泰子・現理事長は将来を見据えて、ずば抜けた洞察力と行動力を発揮され、いち早く中長期の復興計画を立てられました。補助金の確保や校舎の補修、代替バスの手配など矢継ぎ早に指示を出され、早期の授業再開を実現しました。この時ほど理事長を頼もしく思ったことはありません。復興計画の1 つが男女共学化でした。校舎の補修工事の際、ひそかに男子トイレの配管工事をされたことは有名な話です。また、生徒から「母校を誇れる学校にしてください」と言われ、進学指導をしっかりできる学校にしていくことを決断されました。「男女共学の進学校」が合言葉となり、授業内容の充実や生徒募集の活性化などにつながりました。

そして、2001 年3 月に西和彦校長(現・学園長)が着任され、教育内容はさらに充実しました。学園長は単なる進学校を目指すのではなく、教科指導を縦軸に人間性の育成を横軸に、全人教育の充実に努められました。個人の目標を明確化するPM・TM教育、1 人1 台のパソコンと携帯電話を使ったICT 教育、体験を通して学ぶ国内・海外の研修旅行など、例を挙げるときりがありせん。午後の活動を充実させるため「昼寝タイム」を実施したこともありました。「生徒たちのために良いと思ったことはまずやってみる。ダメだったら見直して改善すれば良い」とよく言われていました。次々に発せられる新しいアイデアに戸惑うこともありましたが、結果的に生徒たちを大きく成長させています。

ここ10 年で西日本の高校の中で伸びた学校のトップに位置付けられるまでになったのも、2 人の並々ならぬ教育への熱意と強いリーダーシップの賜物です。創立100 周年を迎えた今も改革への歩みを止めることなく、さらなる高みを目指し邁進されている姿は誠に頼もしい限りです。

少人数制教育で
学力の向上に取り組む
須磨学園夙川中学校・高等学校の発足
敷地面積9,521.30㎡(約2,880坪)。校舎は4棟に分かれる。旧・神戸学院大学附属高等学校として使われていた校舎を購入し、2019(平成31)年4月から使用。御影公会堂などを設計した建築家の清水栄二氏の設計により、1号棟は1936(昭和11)年に建造。円筒形の窓を取り付けたり、曲面を取り入れたりした構造が見られる。須磨・板宿校舎よりも小さいが、その分生徒と教職員の距離も近く、少人数指導に適した環境である。

【第1 0 章】
さらなる高みを目指して
新たなる挑戦
〈2013(平成25)年 - 2022(令和4)年〉
低迷していた日本経済は、2012(平成24)年12 月に景気拡大局面に入ったが、2018 年10 月には再び景気は後退。それに追い打ちをかけたのが、2019(令和元年)年12 月に発症が確認された新型コロナウイルス感染症のまん延で、国内外共に経済も社会も混沌とした状況に陥った。そうした緊急事態に対処しつつ、本学園は学校法人夙川学院から設置者変更し、須磨学園夙川中学校・高等学校を開校、コロナ対策としてインターネット授業配信システムを確立するなど、着々と組織・教育体制の拡充を図ってきた。2022 年11 月、創立100 周年を迎えた本学園はさらなる発展を目指し、希望に満ちた新たな100 年への第一歩を踏み出した。

鉄人バッジ
西学園長の発案で、2013(平成25)年から定期考査や学期ごとにその成績優秀者に鉄人バッジの授与が始まった。中学では、定期考査ごとに国語、数学、英語、理科、社会の5 種類が各学年上位9 名に贈られる。高校では、英語、リスニング、数学、国語、物理、化学、生物、日本史、世界史、地理、公民、体育の12 種類と、中学よりも科目で細分化している。バッジの裏にはシリアルナンバーが刻まれ、生徒の手に渡るのは正真正銘の世界で唯一のバッジである。中学、高校の卒業式では、受賞者たちが各々制服の胸にバッジを付け、式に参加している。

防災意識を高める
「3.11 防災 Walk」を開始
阪神・淡路大震災を経験した本学園では、かねてより武道館に全校生徒と全教職員の3 日分の水や食料、寝具を備蓄するなど防災に力を入れてきた。さらに防災意識を高めるため、2014(平成26)年に中学・高校合同で「3.11 防災Walk」を実施した。これは、南海トラフ巨大地震などで公共交通機関が止まる事態を想定。同じ地区に住む生徒が集団で自宅方面へ向かって歩くというもの。平時に訓練しておくことで、災害時に戸惑わないようにとの配慮から毎年実施することにした。

なお、2017 年度は「3.11防災訓練」と名称変更し、内容をさらに充実させて学内での防災訓練と学外での防災Walk を実施している。発案者は西理事長で、「いつもおびえている必要はないが、地震が来ないと思い込んでいてはいけない。一度訓練をやれば、実際に災害が起きたときの動きが違う」との思いから実行したものである。

実力を高める
エンパワーメントプログラム
国際理解教育の一環として高校1 年生の希望者を対象に、ホームステイで受け入れているさまざまな国・地域の留学生や、日本に居住している留学生と5 日間、本学園で生活を共にするプログラムを2014(平成26)年から開始した。言語を英語だけに限定し、ディスカッションを中心にさまざまなカリキュラムを実施。各自が英語で意見交換するほか、プレゼンテーションできる能力を養ったり、ホストファミリーとなって留学生を受け入れたりするプログラムも用意しており、家族ぐるみで国際交流が体験できると好評を博している。

当初は夏期のみに実施していたが、希望者が多いことから2018 年度以降は夏期と春期の年2 回行うことにした。この年度の参加者は合計で143 名を数え、学生会館3 階と中講義室の2 会場に分かれての開催となった。2019 年度には夏期を1 部(通常版)と2部(発展版)に分けて実施し、それぞれ72 名と61名が参加。2020 年度は新型コロナの影響で夏期に実施できなかったため、冬期(12 月)と春期(2021年3 月)に分け、それぞれ92 名と71 名が参加した。

夙川学院中・高の設置者変更
須磨学園夙川中学校・
高等学校が新たに出発
2017(平成29)年10 月、かねてより経営再建を進めていた夙川学院から依頼を受け、本学園は当学院と業務提携することで合意。人事交流を進めて双方の教育や運営の質を高め、お互いの個性や特徴を生かしながら、教育の幅と裾野を広げていくことを確認した。本学園中学校の荻野太が夙川学院中学校・高等学校の校長に着任、生徒募集業務で実績のある本学園の教員2 名も夙川学院に出向した。

その後、夙川学院は「大学進学を前提とした教育を確実に行っていくためには、業務提携では不十分である」と結論付け、本学園が夙川学院中学校・高等学校を設置者変更することで合意した。2018 年7 月、兵庫県私立学校審議会に学校設置者の変更を申請し、11 月には兵庫県知事より認可された。校名を学校法人須磨学園夙川中学校・高等学校と変更し、所在地もポートアイランドから、神戸市兵庫区の旧・神戸学院大学附属高等学校へと移転。同校の旧校舎を全面改修し、2019 年4 月に新たなスタートを切った。

「夙川高校を塾・予備校要らずで難関大学に進学できる学校に変えていく」との考えにより、英語や理数系科目の授業を増やして少人数教育を展開し、学力の伸長に注力する方針で臨むことにした。従来の中学40名・高校200 名の募集定員は維持し、授業料を下げることを決定。また、柔道部などの部活動は、元の通り存続させることも決定した。

PROFILE
夙川学院中学校・高等学校校長
荻野 太
1984(昭和59)年 4 月、保健体育科教員として須磨学園に着任。学級担任を経て、生徒指導部長、学年部長、中学教頭を務める。2017(平成29)年11 月に夙川学院中学校・高等学校の最後の校長として着任。夙川学院の設置者変更に尽力する。

PROFILE
須磨学園夙川高等学校 初代校長
淺尾 浩史
2002(平成14)年4 月、数学科教員として須磨学園に着任。学級担任を経て、学年部長を務める。2018 年に須磨学園の中高一貫の教頭に就任。2019 年4 月に須磨学園夙川中学校・高等学校の校長に着任。

2020年、トイレ改修
創立100 周年記念事業の一環として、2020(令和2)年8 月3 日~ 2021 年3 月30 日まで本館・新館のトイレの改修工事が行われた。トイレの入り口は自動ドアになり、自動水栓・洗浄、個室は全て洋式の温水洗浄便座に変更された。

SDGs の取り組み・
WFP への協力
理事長は、SDGs(持続可能な開発目標)など環境教育にも早くから着目してきた。本学園ではSDGsの目標のうち、2. 飢餓をゼロに、3. すべての人に健康と福祉を、4. 質の高い教育をみんなに、5. ジェンダー平等を実現しよう、10. 人や国の不平等をなくそう、16. 平和と公正をすべての人に、17. パートナーシップで目標を達成しようの7つの目標達成に向け取り組んでいる。

近年では、作文を送ることで、世界の貧困国の学校給食費に充てられる国連世界食糧計画(WFP)のプロジェクトに、本学園からも毎年応募し協力している。2019(令和元)年、WFP 主催のチャリティーエッセイコンテストで作文の応募数上位の学校に贈られる「WFP 学校給食賞」を受賞し、2022年までに4 年連続受賞している。また校内の食堂には、生徒会が考えたWFP 学校給食プログラムへの募金メニュー(かつ丼、冷やしメロンパン、プリン)があり、売り上げの一部を寄付している。これらのメニューは生徒たちからも好評を得ている。

食堂メニューの充実
これまで食堂の運営は外部に委託してきたが、2019(令和元)年から食堂のスタッフを本学園の職員に変更した。調理を行う職員は、ホテルをはじめとする勤務経験が豊富で、趣向を凝らしたメニューを提供している。日替わりで、肉や魚をメインとした定食(500 円)が食べられる。

食堂メニューは定番の麺類、どんぶりなどがあり、中でもとり丼は、人気メニューで生徒から支持を得ている。プリン、パンナコッタなどのデザート(100 ~ 150 円)、テイクアウトの軽食なども拡充された。昼食だけでなく、部活動後の生徒や夜9 時まで自学に参加する生徒など放課後も食堂はにぎわっている。

コロナ禍を機に
新たな学校運営を模索
2019(令和元)年12 月、中国・武漢で最初に確認された新型コロナウイルス感染症は、年明けから急速に全世界へと広がっていった。これに対処するため2020 年1 月30 日、我が国は総理大臣を本部長とする「新型コロナウイルス感染症対策本部」を設置。2 月13 日に①帰国者等への支援、②国内感染対策の強化、③水際対策の強化、④影響を受ける産業等の緊急対応、⑤国際連携の強化などを柱とする緊急対応策を策定した。

2 月16 日、政府は専門家会議を開いて国内の現状を検討した結果、「今後の患者増加の局面を想定した対策を今から取っておくことが必要」との見解を発表。各都道府県に設置された相談センターへ相談する際の症状、新型コロナウイルス感染症の受診・相談の考え方、新型コロナウイルスの特徴、正しい手洗いや咳エチケットなどの目安を公開した。さらに2 月25 日には、爆発的なまん延を防ぐため「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」を発表した。

しかし、大都市部を中心に感染者数が増大したため、4 月7 日には東京・大阪をはじめとする7 都府県に対して「緊急事態宣言」を発令、4 月16 日には13 都道府県を「特定警戒都道府県」に指定するとともに、緊急事態宣言の範囲を全国に拡大した。これにより5 月半ばに一旦は収束に向かったが、8 月に至って第2 波が、冬になると第3 波が襲来し、その感染規模は次第に大きくなっていった。

こうした感染状況に対応し、本学園は兵庫県教育委員会の通達に準じて、基本的に県立高校と歩調を合わせるかたちで臨時休校や活動自粛を実施することにした。まず2 月25 日、密状態を避けるため時差通学を決めるとともに、健康観察の実施や新型コロナウイルス感染による出席停止の目安を提示した。3 月3 日から同月23 日まで臨時休校を実施し、春季休業中も活動を自粛。4 月7 日の緊急事態宣言を受けて、結果的に5 月下旬までオンライン授業を続けることになった。

●本学園保健部の新型コロナウイルス感染症対策
2020(令和2)年2 月16 日に政府が開いた感染症対策専門家会議の見解を受けて、本学園保健部は翌17 日、教職員に対して今後の感染拡大を想定して感染予防に努めるとともに、生徒への指導を徹底するよう呼びかけた。3 月9 日には手指の消毒、教室の換気・消毒・加湿、マスクの着用など、より細やかな感染症対策を通達した。

その後も、「学校における新型コロナウイルス感染症に関する衛生管理マニュアル」を踏まえて、飛沫感染や接触感染の予防、健康観察の実施、3 密(密閉・密集・密接)の回避、そして長期休業の過ごし方や学校の休校・再開にともなう注意事項を通達するなど、保健部では教職員や生徒、さらには保護者に対しても頻繁に注意を呼びかけ、万全の感染防止対策に努めている。育友会からアルコール消毒液が寄贈されるなど、保護者の協力も得ている。

●緊急事態宣言下での授業対応
対面授業ができない不測の事態に対し、本学園は「学校は歩みを止めてはならない」という方針のもと、校内に「インターネット放送局」を立ち上げて授業配信することを決定。2020(令和2)年4 月6 日、「インターネット授業配信1.0」を開始した。

【インターネット授業配信1.0】
① 授業配信ツールとして、主にYouTube、Stream(Office365)、Zoom、Teams、Forms(Office365)に校内グループウェアであるFC(First Class)を加えた6 ツールを使用。学年の状況に応じて柔軟に使用ツールを組み合わせることにより、最適な配信と指導の精度を確保する。
② 中学3 学年、中高一貫の高校3 学年、高校入学3 学年の9 学年を各放送局とし、それぞれの授業配信についての方針をもとに、学年の状況に応じて最適な時程・分量・内容の配信を行う。
③ インターネット授業における生徒とのやりとりや独自の取り組みなど、配信の詳細については、各学年放送局が柔軟に設定・対応するものとする。各学年間および教員間で配信状況を共有して情報交換を積極的に行い、それぞれの配信精度の向上につなげるよう促す。

●双方向の授業配信を実現
その後、長期的視野で分析・検討を重ねた結果、従来のインターネット授業配信の改訂版として、2020(令和2)年4 月30 日から「インターネット授業配信1.1」を開始した。

【インターネット授業配信1.1】
① 前述の6 ツールを使用しながらも、授業の配信には主にZoom を使用し、生徒との双方向のやりとりを重視。学年の状況や使用場面に応じて、柔軟にその他のツールと組み合わせることにより、最適な配信と指導の精度を確保する。
②③についてはインターネット授業配信1.0 と同じ。
④ インターネット授業配信は暦通りに展開するものとし、日曜日には配信を実施しない。
⑤ 日曜日以外の休日には「オンライン自習室」をオープン。希望者を対象にZoom などを用いて教員と直結し、規則的に自習時間を設定するなど、緊張感をもって自習に取り組むことができる環境を整備する。質問には担当教員が対応し、さらに希望者には朝夕の運動の機会を提供する。
⑥ 学年ごとの状況・必要性に応じて「オンライン特別講座」を開講し、生徒個々のさまざまなニーズに対応する体制を整える。
⑦ 「オンライン個人面談」を充実させ、オンライン上でも積極的なコミュニケーションをとることにより、生徒一人ひとりの思い・習慣・インターネット授業接続状況などを確認し、次の助言につなげる。また、「生徒相談ダイヤル」を設けて生徒の心の問題の緩和に努める。
⑧ 接続トラブルについては、学年教員間および本学園マルチメディア部との連携により、可能な限り早期対応を目指す。
⑨休日も検温など生徒の体調確認を徹底する。

●ハイブリッド型の授業配信を実施
2020(令和2)年5 月中旬に新型コロナウイルス感染症が収束に向かい、緊急事態宣言が解除されるにともなって、感染症への万全の対策を維持しながら諸活動を再開することになった。そこで本学園では、インターネット授業配信1.1 に、一部登校によるface to face での諸活動を組み合わせた、「ハイブリッド型」の「インターネット授業配信2.0」を策定した。

【インターネット授業配信2.0】
① インターネット授業と実登校それぞれの有益性を生かす形を追求し、感染症予防と学校活動を高い次元で両立させる。
② 教員が在宅であってもインターネット授業を配信できる環境を整え、情勢に応じて学校放送局または各教員自宅からの授業配信に切り替えるなど、たとえ学校閉鎖になっても全てのインターネット授業ができる体制を確立する。
③ インターネット授業と実登校の割合は、実登校20%・40%(週1 回・週2 回)と50%(クラスを2 分割して登校)の2 段階を想定し、時期に応じて調整する。
④ 実登校についてはLHR(ロングホームルーム)、運動、実技など、学校設備を用いる必要性のある活動を中心とする。ただし、高校3 年生については大学入試対策の取り組みを最優先とする。
⑤ 体調管理を徹底するため、実登校に際しては従来から生徒・教職員に行っている検温に加え、血圧・脈拍・血中酸素などについてもいつでも測定できる器材を配備し、保健部が管理して学校への報告を徹底する。

●登校率80%への対応
企業や店舗、教育機関などが広く再開されるようになったのにともなって、本学園でも登校率80%に対応した「強化ハイブリッド型」の新方針を打ち出し、6月22 日に「インターネット授業配信3.0」を開始した。

【インターネット授業配信3.0】
① 週の登校とインターネット授業の比率を8:2 とし、それぞれの有益性を追求して感染症予防と学校活動を高い次元で両立させる。
② ◆学年各放送局へのタブレット端末の追加配備、◆ 高性能マイク、スピーカー、Web カメラなど、各授業担当者への必要備品の追加配備、◆要望のあった家庭を対象に、HDMI ケーブル手配によるテレビ画面を通じたインターネット授業視聴の実現、を実行する。
③ 「電子教科書」を導入し、生徒が制スマホや制パソコンを通して、場所や時間を問わずインターネット上で利用できる体制を構築する。このシステムにより、生徒は教科書を持ち運ぶことなく授業に臨めるようにするなど、教材利用においてもハイブリッド化を実現して使用効率を飛躍的に向上させる。

● 2021 年、2 年目に突入したコロナ禍
高度なインターネット授業配信の実現により、コロナ禍による授業阻害を最小限に抑制することで、2020(令和2)年度も例年と変わりない授業成果を上げることができた。2020 年の年末には収まったかに見えた新型コロナウイルス感染者は、2021 年が明けると再び急上昇し始め、1 月13 日には兵庫県・大阪府・京都府などに緊急事態宣言が発出された。兵庫県教育委員会は県立学校に対して、①教育活動、②部活動、③心のケアの3 点から感染防止対策の徹底を通達した。

緊急事態宣言の効果で感染者数は減少し、兵庫県は2 月28 日に対象地域から除外された。しかし、1カ月後の3 月下旬になると増加に転じ、4 月5 日にまん延防止等重点措置が適用されたが、それでも収まらず4 月23 日には再び緊急事態宣言が発出された。

こうして感染者数が一進一退するなか、本学園では「学校は歩みを止めてはならない」という基本方針のもと、前年より構築してきた不測の事態下での新型コロナウイルス感染防止対策および教育システムの活用で、従前と変わりない高い質の教育を提供し続けている。

●インターネット授業配信の1 日の流れ
本学園では、生徒が登校できない不測の状況下においても、インターネット放送局を通じて通常のカリキュラムに沿った授業を配信し、自宅に居ながら登校時と変わらない日々を過ごせるよう配慮した。インターネット授業の1 日は、8 時30 分のSHR(ショートホームルーム)で始まる。出席・点呼、検温報告、課題の提出を終えた後、9 時から16 時まではカリキュラムに基づくインターネット授業を行った。

【Web によるライブ授業】
時間割に沿って各教科の授業をリアルタイムに配信。教員と生徒がコミュニケーションをとりながら、通常と変わりない授業を実施した。
【実技系の科目】
技術家庭科や芸術などの実技系科目、理科の実験などは、教員が実演する動画を配信。創作ダンスをはじめとする体育も行った。
【休憩時間】
机に向かったままにならないよう、体育とは別に体操など体を動かす時間を毎日配信した。
【コミュニケーション】
LHR(ロングホームルーム)の時間などを使って、教員と生徒や生徒同士のコミュニケーションの時間を設けたほか、個人面談も実施した。

これらの授業を終了した16 時以降も、通常時と同様の放課後を過ごせるよう配慮した。

【部活動】
運動部は筋トレや体幹トレーニング、文化部はレッスンやアドバイスをインターネットで配信し、部員同士もお互いに励まし合って活動を続けた。
【特別講座・自習室】
放課後もインターネットを通して特別講座やオンライン自習室での9 時まで自学(9 時学)を行い、密度の高い学習環境を持続した。

「学びを止めない」ために、
常に熟慮を重ねる
コロナ禍にあって、理事長が打ち出した本学園のスローガンは「学びを止めない」「学校を止めない」であった。通常の授業や部活動だけでなく、学校行事に関しても当てはまり、中止ではなく、延期や何らかのかたちで例年行ってきたことを実施してきた。

例えば、2020(令和2)年の体育祭は午前・午後で学年を分けて実施した。高校2 年生の東京研修旅行では、ハイヤーを100 台近く貸し切り、班別行動を実現した。その他、研修旅行も行き先を例年と変更して行うなど、実施しないのではなく、代替案を常に考えコロナ禍によって、生徒たちの貴重な経験の機会が失われることのないように努めてきた。

学校新聞『夕刊 須磨須磨』を
創刊
2020(令和2)年5 月7日、本学園は学校新聞『夕刊 須磨須磨』を創刊した。発行は月曜から金曜のうち時々日刊とし、校内ネットワークであるグループウェアFC(First Class)に掲載することにした。

記事は各学年・各クラスから選出された生徒記者や教職員が作成し、広報部が編集して紙面を構成するという、全校挙げての一大プロジェクトとなった。なお、生徒記者は主としてクラスや学年などの話題を担当し、学校行事や学校全体の様子などの記事は広報部が主体となって作成することとした。

創刊号のインタビューで、発行人の理事長は『夕刊 須磨須磨』への期待を次のように語った。
「本学園の教育は、生徒によい、教育的によいと思うことだけをやることで、『夕刊 須磨須磨』の発行も生徒たちによいと思ってのことです。自分の意見を文章にするには、何度も書かないと身に付きませんから、記者となってたくさん書くのはいい機会だと思います。

学園長は高校時代、友達と季刊誌『ひょうたん文庫』を作っていましたが、その記事の中に授業で話す先生のこぼれ話がありました。生徒はみんな、先生の授業の余談が好きなんです。『夕刊 須磨須磨』でもそんな記事が読みたいですね。生徒たちが“ 今日はどんな記事が載っているかな”と、楽しみに待ってくれる新聞を作ってくれることを期待しています」。

『夕刊 須磨須磨』の発行を発案した学園長は、第2号で発行の動機を次のように語っている。
「ホームページに本学園のさまざまな出来事を掲載しています。特に今年は、コロナ休校に伴うインターネット配信に合わせて、1 日10 本書くことにしたら、それが結構たくさん溜まってきました。それを見ているうちに、これをまとめて新聞にしたらいいんじゃないか、と思いつきました。

自分でキーボードを叩いて発信するのは、相当なエネルギーが必要です。そうではなくて、取材に来てくれた記者に対して話をするということなら、多くの人が話をしてくれると思います。理事長や私、校長や教頭、学年部長や部活動のメンバーなど、須磨学園の全ての人が登場する日刊メディアになることを期待しています。紙名については、まず思いついたのが『夕刊 須磨』ですが、夙川中学・高校もあるので『夕刊 須磨須磨』と決めました。

生徒記者の募集については、自分から立候補してもいいし、推薦してもらってもいいですが、文章を書くのが好きであることが大切です。3年間、あるいは6年間にわたって記者を体験するのは、文章を書くいいトレーニングになると思います。日刊新聞の発行に立ち会うのは、人生の中で非常に大きな経験になると思いますね」。

目標大学への現役合格を
目指して徹底指導
本学園では生徒各自が目標とする大学への現役合格を目指し、高校から入学する生徒には、国公立・難関私立大学を目指すⅠ類、難関国公立大学を目指すⅡ類、最難関国公立大学文・理系を目指すⅢ類(英数)、最難関国公立大学医・歯・薬・理系を目指すⅢ類(理数)を設置(2007 年4 月より理数・英数を分類)。中高一貫生は、A コースとB コースに分けて徹底した進学指導を行っている。その成果は目に見えて現れ、年を追うごとに実績を伸ばしてきている。

2023(令和5)年春の進学実績は、旧帝大をはじめ難関10 大学104 名を含む国公立大学308 名(大学校を含む)、医・歯・薬学系大学149 名、早慶など関東主要私立大学89 名、関関同立698 名を含む私立大学1,416 名となっている。

現在、主に次のような進路指導を実施している。
・授業+確認テストで完全理解
授業と確認テストを1 コマで行い、その日のうちに完全理解することを目標としている。放課後には再テストや個別指導も行っている。
・全員参加の特別授業を実施
各学期末や長期休業期間を利用した特別授業を実施。学年の実情に応じた特別プログラムにより、演習と確認を通して既習内容の確実な定着を目指している。
・自ら選べる特別講座
中学から高校まで、放課後や長期休業期間を利用して英・数・国を中心に、基礎・標準・発展まで3段階で特別講座を用意している。高校3 年生には大学受験に向けた、より実践的な講座を開講している。いずれの学年も受講料は不要で、生徒は自身の状況に応じて自由に講座を選ぶことができる。
・徹底した個別指導と少人数指導
本学園の最大の特徴は手厚い個別指導にある。各自の課題を1 対1 で解決し、生徒のやる気を引き出す個別指導で、生徒一人ひとりの真の成長につなげている。また、同様の疑問をもつ生徒がいる際などには、状況に応じた少人数指導も行い、質問に対して丁寧に解説している。
・個別ファイルで生徒の学力を分析
全生徒のファイルを作成し、6(3) 年間を通して定期考査や模試結果などの成績を管理・分析している。その数値に基づき、学級担任・教科担当・進路指導部が一体となって、具体的な指導を行っている。
・豊富なデータをタイムリーに提供
進路相談室では、全国の大学情報や過去の入試問題、卒業生の入試レポートなど豊富な資料を収集し、生徒や保護者の求めに応じてタイムリーに提供している。

元日に集まる生徒たち
高校3 年生の大学受験追い込み時期である1 月。1 日から須磨学園には生徒が集まってくる。初日の出を教室から皆で見て、自習や講座に励むのである。本学園の隣にある板宿八幡神社に初詣に行く生徒たちもいる。理事長や学年教員たちは餅やみかんなどを生徒にふるまい、受験前の生徒たちをねぎらう。

躍進を続ける大学合格実績
2020(令和2)年春、東京大学合格者が6 名、京都大学26 名をはじめとする難関10 大学での合格者が、131 名となるなど躍進的な結果となった。東京大学合格者のうち1 名は、本学園初めてとなる理科三類の推薦合格者で、2021 年春も東京大学・京都大学共に推薦合格者を出している。大阪大学に関しては、本学園の推薦合格者数が3 年連続全国1 位になった。推薦入試で合格した生徒たちは、本学園で行っている個人研究活動(現・傑作展)で論文を仕上げることが合格につながったという。2022 年春には、国公立大医学部医学科の合格者が30 名になるなど着実に合格実績を上げている。

PROFILE
第12 代高校校長
土屋 博文
2002(平成14)年4月、須磨学園高等学校に数学科教員として着任。2002年度~2008年度は高校入学生の学年を担当。2009年度~2011年度は中高一貫3期生の高校学年を担当した。2012年度は高校教頭補佐、2013年度~2017年度は高校教頭を歴任。2012年度~2018年度は広報部長も兼務した。2018年度~2019年度は高校校長。2020(令和2)年の1月からは新型コロナウイルス感染症の対応に追われた。

PROFILE
第13 代高校校長
堀井 雅幸
2004(平成16)年4 月、英語科教員として須磨学園に着任。以降、担任、学年部長として、大学受験合格をけん引してきた。教頭を経て、2020(令和2)年4 月、共学化以降最年少で高等学校校長に就任。就任当時から、新型コロナウイルス感染症拡大にともなうオンライン授業の開始・展開などに尽力する。

PROFILE
夙川高等学校 第2 代高校校長
下地 英樹
2005(平成17)年4 月、須磨学園中学校に社会科教員として着任。中高一貫3、6、9 期の学年部長を経て、2012 年中学教頭補佐、2014 年高校教頭補佐、2018 年に中学教頭に就任。2020(令和2)年より、夙川高等学校校長。コロナ禍における対応、夙川中学校・高等学校の生徒募集などに取り組む。

海外の大学、芸術系大学など
多様な進学先
海外研修旅行や、エンパワーメントプログラムなどをはじめとする英語教育や、本学園の卒業生を招いて行う進路講演会など、キャリア形成につながる多様な教育が、生徒たちの進学先にも影響を与えている。近年、国内大学だけではなく、Imperial College London、 University College London、Northwestern University など海外のトップ大学への合格、進学も特徴の1 つである。また、芸術やスポーツの分野でも、難関大学への進学実績を上げており、幅広い分野で一人ひとりのto be myself,... を実現している。

卒業生による在校生への
キャリア教育
卒業生と本学園のつながりは、卒業してからも切れることはない。本学園では、卒業生たちが本学園で後輩たちに大学合格体験談を語る機会を設けてきた。在校生たちも、先輩の話に耳を傾け、自分の将来を考えるきっかけにつなげている。

2021(令和3)年12 月11 日、TBM フォーラム「なりたい自分になりました!」が実施された。これまでの卒業生講演会は、主に大学生となった卒業生が在校生に語る場であったが、この会では大学生だけでなく、社会人になった卒業生が大半を占め、37 名の卒業生が一堂に会した。卒業生は、在校生に中高時代の話や「なりたい自分」に向けての「いま」などを語った。1 日7 時間、在校生たちは自分の興味をもったジャンルで活躍する卒業生のいる各教室に足を運び、話を聞いた。

旅立ちと新たな迎え入れ
歩みを止めない須磨学園
本学園では中学、高校共に卒業証書に学園長の直筆署名が入る。学園長は一枚一枚丁寧に、名前を記入していく。この卒業証書は、須磨学園オリジナルのロゴマークが入った手すきの和紙で、特注品である。春、中高一貫生は6 年間、高校入学生は3 年間の学校生活を終え、自分の決めた道に巣立っていく。

4 月、学校にとっての新年が始まる。期待を胸に入学してくる生徒が新たに本学園の門をくぐる。生徒たちが思い思いの「なりたい自分」になれるよう、須磨学園は生徒のサポートをいとわず、これからも歩みを止めない。

須磨学園高等学校・中学校
6 年間の歩みとこれから
ー 中高一貫完成記念講演会 ー
ー 中高一貫完成記念座談会 ー

学園長 西 和彦
昨日の夕方の6 時から原稿を書きはじめて、夜中の12 時に書き終わりまして、6 時間かかりました。全部、一から書きました。そして理事長に送ったら「自分の自慢するのはやめとき」と言われました。理事長の目から見たらですね、何か、学校のことよりも私がいかに豊かな少年時代を送ったかという自慢になっているということで、あらかじめですね、それはお断りしておきます(場内、笑い)。

私の生い立ちと学園の原点
私は別にね、自分の少年時代がいかに豊かだったかということを自慢する必要なんか、何もないんです。ところがですね、あの、とっぴに見える須磨学園の中にですね、込められている原点は何だったのかと言うと、それは、私が少年時代に受けた教育の体験が、かなりあるということに、今度はじめて気がついたわけなんです。

自分が何も考えずに「世界一周に行くんだ」と言っていたということも、実はそういうところに原点があったのだということがあって、ここに来ていただいている皆様は、この須磨学園に何年もお付き合いいただいている皆様ですので、「なんだそうだったのか」という、「あれは、ああいったところからスタートしたのか」というところを聴いていただこうと思いました。

6 年、変えないでやってきましてですね、まずいところはただちに改めておりますけれども、大きな改造というのは7 年目に向かってやっているわけです。本当に、この、まだ終わってませんけれど、ずっとお付き合いいただいて、お子様を任せていただいて、本当にありがたく思っております。また、私どもの教育に対する共感とご理解と、育友会がこういう形でセミナーというか講演会を主催していただけるようなご協力とか、いろいろな活動にご参加していただくことを、ありがたいと、いつも思っております。

連休が終わって4 日は、あの、創立記念の音楽会でございまして、すごく申し込みの方が多くて、何か、来れない方もいらっしゃるというのがありましたけれども、今日来ていただいた皆さんは、今日の資料を提示していただいたら、あの、先着順で入れるように、私、体を張って手配致します(場内、笑い)。「遅れて来た人はもうダメ」という感じにして、今日の私のレジュメを見せていただいたら入れるということにしておきます。

それであの、まあ、理事長がえらい怒ってましたけど、「ここまでプライバシーをオープンにしていいのか」と言って…。この学校の門の右側にある建物が、われわれの生家でございます。もう、今は空き家になっていて、倉庫になっていてですね、誰もおりませんけれども、そこで6 人家族だったんですね。

じいさんとばあさんと、おやじとおふくろと… 「おかん」て書きましたけど…、私と理事長とがおりました。じいさんは、これはあの、京都大学の法学部、帝国大学の法学部を出た、もうカチカチのね、なんかカチカチのおっさんですよね。で、ばあさんは門戸厄神でなくて…門戸厄神というのはね、あの、最近の女学院なんですよ。ほんとの女学院は神戸の山本通りです。て言うと年がわかると言われるんですけど、神戸が一番ハイカラであったときの神戸女学院の卒業生だったんですね。

それで、おやじは特攻隊の生き残りで、あと1 週間ぐらい終戦が遅れていたら、私は生まれていなかったという。須磨学園もなかった。そういうことで、元銀行員ですけど、当時は神戸銀行といいました。今、三井住友銀行ですね。

おふくろは奈良女子高等師範という、教員になる学校なんですけど、ここで私は、あの、母が亡くなる2 ~ 3 年前でしたけれど、聞いたんです、「自分は反戦学生だった」と。何をやったかというと、ちょうど師範学校にいるときにですね、「日本は戦争に負ける」と言ったんですね。戦争中だったのに。そのときに校長はなんと言ったかといったら、「そんな話をしたら北海道に送るぞ」と言われてですね、母は「望むところです」と言って、北海道の江差の江差高等女学校というところに赴任を致しました。母は「言ったことには責任持たなくちゃね」とかって言ってましたけど、戦争の末期に大学で「戦争に負ける」ということを公言するというのは、大変勇気のいることだったと思うんですけども、ま、そんなことをやった人でした。私は、平和ということに対する意識はこの父と母から学んだんですね。

私は、理科系というか、図工・技術少年だったし、妹は…理事長は、結構元気な…わんぱくだったんですね。あの、わんぱくだったけども、本人の名誉のために言いますけども、小学校のときも中学のときもオール5 だったんですよ。いつも勉強ばかりできてね、母が言うんですよ「何でお兄ちゃん、勉強できないのかね」と。非常に悔しかった覚えがあります。

あとまあ、犬と鶏と鳥と鯉がいる。鶏は何かというと、鶏は食べるものではなくて、卵を産むものででした。卵を私は取りに行く役目でね。鶏の糞かなんかがあるところで卵を取るのが臭くて嫌いだったんですけど、卵を産まなくなったら、ある日、鶏が消えてる。で、僕に鶏をつぶさせなかったというのは、親のせめてもの子供に対する思いやりなんでしょうか。

両親は、必ず家に帰ってきてご飯を食べてました。それで、ご飯を食べながら、学校であったことをいろいろ話をするんです。それを、われわれは聞いてる。だから、物心ついた幼稚園とか、そういうときから、ずっと毎日、何を聞きながら育ったかというと、学校のトラブルを聞いて育った。生徒がこんなことをした、先生がこんなことをした、兵庫県がこんなことをしていじめに来た、税務署が来たとかですね、おまわりさんが来たとかですね、本当にありとあらゆるトラブルが話し合われるんですね。それに対してね、4 人とも、大人4 人の発言が全部違うんです。

じいさんは「学校としてのあるべき論」。おやじは、もう、なんか、「ビジネスだから」って。それでまあ、ばあさんは、何をしても「許してあげたらいいじゃないの」。で、母親はいつも、あるべき論を言ってました。「教育者としてのあるべき論」。その4 つの矛盾した発言をどう一致させていくかということを聞きながら、われわれは育ったわけです。でまあ、子供ながらに「それはこうだ」とか思っても、発言は許されなかったんです。言うと怒られたんです。「子供のくせに何てこと言うの」「百年早い」、そんな感じで。でも、そのとき思ったことをずっと覚えててね、それがわれわれの代になったときに、須磨学園を変えようという、非常に大きなエネルギーになったのではないかという感じがするんです。学校を経営してきた中の実態の矛盾、で、矛盾を認めながらも、どうしていかなければいけないかみたいなことをずっと考えさせられてきました。

でまあ、「私の最初の22 年間」ということで、ちょっと見にくいかもしれませんけど…。何でここに22 年間て書いたかというと、実はこの、先ほど村山先生が子供のときの夢ということをいろいろお話になられましたけども、実は私も子供のころのいろいろやったことというのが、そのあとになって自分が仕事するようになってからも、実は大きな影響を持つようになっているということなんですね。

私は、公立の中学校に行きまして、高校は甲陽学院に受験で行きまして、あと、大学は早稲田に行きました。甲陽から早稲田というのは、ビリの10 人ぐらいしか行きませんので…どういうことかというと、東大にすべって早稲田に行ったということですね。中学校、高校、大学と、勉強だけでなくいろんなことを致しました。いろんなことをしたというのが、皆、今の人生に役に立っているということを、本当に私は、自信をもって申し上げることができます。

振り返ってみますと、11 歳から22 歳の時期というのが、すごく大切ではなかったかと思っています。これは、どんな人にとってもですね、この年齢というのは、非常に重要な年齢ではないかと思うわけです。

で、そのとき一番大きかったことは、好きなことをするという、自分のしたいことをするという価値観と、もう1 つは、好きなことはいろいろさせてはもらったけれども、今になって考えてみると、それが親の教育だったのかもしれないという… 「なぜ好きだ」というのを説明しなければいけないんです。「お金ちょうだい」と言って、「千円ちょうだい」と言っても、千円くれないわけです。なぜ千円なのか、千円で何をするのか、延々と説明させられるんです。そこの、説明するときにね、あの、親をどう納得させられるかということばかり考えていたんです。

僕は冷蔵庫を10 台ぐらい買ったことになっているんです。大学に入って…冷蔵庫は当時、3 万円ぐらいしましたから、何かまとまったお金で説明できないときは「冷蔵庫が壊れた」とか。冷蔵庫が10 台壊れて、洗濯機も10 台ぐらい、確か壊れたような記憶がある。それで、どういう感じだったかというと、一生懸命するということと、いろいろやってみるということと、いろんなところに行くということと、いろんな人と会うということと、いろんな本を読むという、そういうことを子供のときにしてたわけです。

学園の存在意義とは
須磨女子高等学校については、われわれの前身であるわけで、前身であると同時に、まあその、カルチャーのバックボーンというか、そういう感じなんですけれども、母がいつも私に、公立に行けなかった子供たちの受け皿という価値観が絶対に必要だと言っていました。そういう学校はこの周りでもたくさんある、その中で、一番まじめな、一番タフな学校であるんだ。勉強ができない子供がくるという、そういう価値観ではない、違う価値観が必要だ、と言っていました。

で、父はこういうふうに言ってたんです。「ここを変えたい」「あそこを変えたい」、いろいろ言ってたんですけども、いろいろな理由でできなかったんじゃないかと思いますけれども。足腰が弱ってきたので、あそこの下の道から学校の前までエスカレーターを付けたいと(場内、笑い)。「やめて」っていうように言ったように思いますけども。やりたくてできなかったことはたくさん。あの、一番上のグラウンドにね、滑走路を作りたいと言ったんですよ(場内、笑い)。あの、あそこのグラウンドの隅のところの、ビニールのあれは、格納庫だったんです。僕も地震のときなんかに、ヘリコプターで、ここに帰って来たりしたときに、父にすごく怒られましたよ。「何でそんなことすんの、不謹慎な」とか。さすがに「グライダー持ってるくせに何言うの?」とかっていうのは、言わなかったですけど。

そういう中で、男女共学という、これが1 つの大きなテーマだったんですけども、これが須磨学園高校になるときに実現しまして、あと、中高一貫。これは、甲陽学院に行ったときに、私は220 人中40 人ぐらいの外進生の中にまぎれて行ったときに、やっぱり6年教育、下から上がってきた友達が「すごく中学校楽しかった」、これは皆が言うんですね。高校に来た人たちが、「中学校楽しかった」と、皆が言う。「もっと早く甲陽に行きたかった」というふうに思ったことを覚えてるんです。それで須磨学園高等学校中学校ができたというか、まあ、そういう形の中高一貫教育をやろうということを、理事長が考えて。私が考えたんじゃないんです。理事長の発案。それで「兄貴、手伝いに帰ってきてよ」という、そういう感じでした。

で、一番最初に考えたことは、中高一貫の意義は何かということなんですね。私は、私立に行きましたけれど、理事長は公立の高校に。私立中学から私立高校へという4 つ目のパターンをどういうふうにするのか、それを考えたんです。 

で、利点というか、メリットは、こういうところではないかと思うんです。1 つは高校入試がないという、これが大きなメリット。皆さんは高校入試がないと思っておられるでしょ?違うんですよ。高校入試は毎日なんです。中学校の毎日が、高校入試なんです。表向きは言っていません。そんなことが広まっちゃったら、皆来なくなります。「一貫教育いいですよ」って言いながら「中学校は毎日が高校入試ですから…お気を付け下さい」とかって。「あの学校行くの、やめよう」…と。

毎日確認テストがあります。確認テストは、できなければ居残っていただくわけですけれども、コツコツ、そのときそのときに、勉強することを決めていくということはすごく大切だと思っております。毎日が入試、高校入試であるというのは、今はじめて発言するんですけども、まあ、これを6 年間やって、私はそれでよかったと思ってるんですね。

で、あと中学高校課程を4 年半で終了してですね。…だいたい浪人を2 回やったら、医学部の超難関は別にしてですね、希望のところに行くわけですね。2 年間やったら。だから、受験対策を2 年できますから、ワンランク上のところが狙えるという、そういうメリットが私はあると思います。

もう1 つは、1 年ではできない、多年度の大プログラムが可能だということです。3 ヶ月学校を休みにして旅行に出かけるということはできなくはないんですけど、どうしてそれをしないか、皆さんお気付きだと思いますけど、1 ヶ月お子様を連れ出すことをなぜしないのか。やっぱり家庭と子供が切れない関係であるということが大切です。保護者が不安というのは…家にいない時間が増えれば増えるほど、ものすごく不安になられるということですね。長い旅をしないで、1 週間行ったら戻ってくる、また1 週間行ったら戻ってくる、また1 週間行ったら戻ってくるということが大切です。

実は私は、ヨーロッパからアメリカに渡ることを皆にさせたかった。それから、それは、イングランド人がアメリカ大陸に渡って、ボストンに着いてですね、それでアメリカをつくっていくわけなんですけど、その、大西洋を渡るということはなかなかいいことで、これを船でですね、やってもらえたらうれしいなと思っているんですけども、それは負担が大きすぎる。時間的な負担が大きすぎますので。で、実際、高校の校長をやってみましてですね、これはちょっとやっぱり無理かなあと。この3 年間に海外に…今も高校の3 年間は、海外にはほとんど行っていないんですね。それは、行くだけの時間がないということなんです。受験をしなくてもいいというのであったらできるとしても、大変かなあと。

根源的な4 つの疑問
われわれが実は避けて通っているというか、文部科学省が定める高校の教育課程の中にないけれど、これは必ずいるんじゃないかなというか、皆に答えてあげなきゃいけない問題の一番ベーシックな部分のものはこの4 つじゃないのかなと思うんです。

自分は誰なのか。
自分はどこから来たのか。
自分の生きる目的とは何か。
自分の未来はどうなるのか。

私はこういう質問を学生から受けて、答えられなかったことがありました。学校でよく、いじめで自殺するとかですね、そういうことがありますけども、こういう部分をしっかり教えることができれば、より悩み多い時代、悩み多い年齢を元気づけることがある程度できるのではないかと思うのですけど。じゃ、これをどういうふうに教えたらいいのか。キリスト教の学校でもありませんし、仏教の学校でもありませんし、学校の敷地の中に神社はありますけれど、神道の学校でもないわけです。

それで考えたことは、自己実現ということを、まず大きなテーマにして、自分の夢を実現していく、それが自分の生きる目的は何なのか。3 番と4 番ですね、これを考えることが"to be myself,... " の原点であると考える、と。それから"to be myself, and..."とありますけれど、これは、自己実現をされた自分と社会の関係づけを考える必要があるということです。なりたい自分になったけど、社会に関係のない自分であっては残念だということですね。

そういうことで考えながら、実は、教育の目的というところは、理事長と私では意見が違います。ですから、この真・善・美というのは、あくまでも私の考え方であると思っていただいていいと思います。教育学の専門家によると、真と善と美の教育というのは、ペスタロッチという教育者の、昔の教育の価値観だそうですが、これをですね、やっぱりベースに考えていきたいと思います。

もう1 つは、教育とは何かという、非常に根源的なことは、私は、educate するということ、education というのが英語でありますけれども、それと「教育」とは違うと思うんです。日本語の教育というのは、「教える」というのと、「育む」ということ、つまり、教員の側の問題と、生徒の側の問題、教えられたものを受けとめて、それを育てて伸ばすという、この両方が教育じゃないかと思ってるんです。だから、やらなきゃいけないことは2 つあって、1 つは、教える内容の保証、ちゃんと教えることができるかどうか、ということなんですね。これを教えるんだ、と。

で、日本の中学・高校としてははじめて、ISOという品質規格の認証を取ることなどもやってまいりましたけれども、その、育むということで、どうしたら自分で学んだことを伸ばしていけるのかということ、これは、非常に自信をもっています。楽しく学ぶということがキーワードです。昔、村山先生と私とで、あの、小学校で九九をゲーム機で教えるという実験をしたことがありました。そうすると、とんでもない結果になりました。ゲーム機で九九をやるんですね。子供たちには九九の勉強とは言ってないんです。子供たちは、九九のゲームって言ってるんです。そうすると授業が終わってですね、学校が終わる前に、先生のところに子供が行って何と言うか。「先生、お願いやから、九九の勉強していい? お願いやからさせて」言うんですよ。

ほっといたら、1 時間も2 時間もゲーム機で九九やってる。だから先生はどう言うか「今日は九九の勉強は30 分だけやぞ」。私はそれを聞いて、本当にびっくりした。「お願いやから勉強させて、先生」と言うて、先生が「30 分だけにしとき」。そういう状況がわれわれの目の前で起こったわけですね。ふつうならば九九のできない子が2 割ぐらい必ずいる。ふつうの公立の小学校だったら。なのに、九九のできない子はゼロです。全員が九九を、一発でマスターして、次にどうしよかと言うてたときにですね、ああ次は、2 桁の九九でしょう、99×99 までゲーム機でやらせよう、と言ってたときに、校長先生が転任されて、次に来られた校長先生がゲーム機はダメって言われて、何も聞かずにダメって言われて、それで、われわれは泣く泣くですね、撤退をしたというようなことがありました。

須磨学園の授業の特色
そんなことで、勉強に関して、どういう感じでいこうかということを考えて、予習をしっかりしてもらって、授業は仕上げる時間という感じとか、好きな科目をさらにやるとか、クラブ活動とか、休みの使い方とか、そういうことを考えながら、われわれは60 分授業にしたんです。で、60 分授業にすると10 分の休みが入るので、時間がずれていくんですね。毎時0 分からスタートというのができなくなるんですけども、単位というものが50 分授業で書いてあるものですから、全部換算しなければならなくなるんですけど、10 分間の確認テストをするという、これを致しております。

あと、タイムマネジメントとプロジェクトマネジメントということで、何をするのかということを、週1 回金曜日、金曜日の1 コマ目ですけれど、前の週に何をやったかというのと、次の週に何をやるのかということをしっかり考えています。

あと、年始の書き初め大会。私どもの書き初め大会、ものすごくユニークなんですよ。もう皆さん、ご存知だと思うんですけど、書き初めのお手本がないんですよ。自分自身が自分のテーマを書く。須磨学園の書き初めは、字をきれいに書くのが書き初めではなくて、書き初めというのは「年のはじめに自分のテーマを決めて、それを皆に宣言する」という書き初め大会になっています。

あと、「読み書き算盤」ということばがあるじゃないですか。インターネットで引きますとね、読み書き算盤だけではないんですよ。読み書き算盤の本当の正式な形は「読み書き算盤・外遊び」というんですって。現代風にそれをアレンジしまして、「読書」と、「天声人語」と、「パソコン」と「研修旅行」。そういう感じでやろうということになりました。

これは、私のことで恐縮なんですけど、あの、知りた話したいという欲望ということですが、私はエレクトロニクスが専門で、つまり、通信とコンピュータが専門なんですけど、それの原点は何かと言ったら、自分の部屋から夜、友達の家に電話をしたかったことなんです。だから家の電話機を、ちょっと工作をしまして、電話を切り替えることができるようにするという仕組みと、あと、アマチュア無線で地球の裏側と話がしたかった、とかですね、あと、ラジオの番組を聞きたいんですけど、夜は寝なさいとかいってラジオを聞かせてもらえなかったので、自分で聞けるようなラジオを作りたいという。これがキッカケで、自分はエレクトロニクスの世界に入っていくことになったんです。コミュニケーションというか、その、人の基本的な気持ちでこれを否定していいか。

私はことごとく親に否定されたんです。電話で話をしていたらプチッ。ふつうね、ふつう男の子から電話がかかってきたら、ブチッと切るのが、相手の女の子の家のおやじじゃないですか。「もしもし」とか言うと、「誰だこれは、ガチャン」と、ね。うちの場合はね、違うんですよ。私がかけている電話を親がガチャンと、こう切る。長電話ダメっていう感じで。こういうあたりがですね、実は、制パソコンと制携帯につながっているわけです。道具を使ってなんぼという感じじゃないかと私は思うんですけど。

次の大きなテーマは携帯なんです。携帯を導入するときに、まだあまり言っておりませんけども、携帯のメールがパソコンで見られる、パソコンのメールが携帯で見れるという、メールが一本化するという、そういう感じにできればしたいなと考えています。

教室外の授業も充実を
あと、野外活動も、ボーイスカウトに入っていて、私は、いろんなところに行きました。須磨学園の野外活動で、臨海学校と林間学校。今はそれが、だんだんなくなりつつあるわけですね。皆都会っ子になってる。自分のふるさとといえるような山と海がある。で、私はいろんなところに行きましたけども、何が楽しかったか。島に行ったときが楽しかった。島に行くときにね、言われましたよ。「お前たち逃げて帰れないよ。逃げて帰るんだったら、泳いでお帰り」とかって、言われて…。

高野山の林間学校、夏のキャンプなんか行きましたけども、今の子供たちは全然知らないんですね、知らなくて…一番僕が覚えてるのは「肝試し」なんですね。肝試しなんて誰も一言も言わない、ムササビ観察とか言って。ムササビ観察にお墓に行くんですよ。2 時間ぐらい連れまわすんです。それで、気がついたらお墓なんか怖くないって子供になっている。

あと、スキーキャンプですけども、子供のときからね、ずっとスキーに行ってて…スキーキャンプってね、バッジ持ってる奴がいばってるんです。僕らは、あまりスキーがうまくなかったから、バッジを持ってる奴がいばってる横で、コソコソ滑ってたんですね。だから、スキーキャンプに行ってですね、あの、スキーのバッジを取ってもらって、ちゃんとスキーを滑れるようになってもらって。ゲレンデのスキーよりも、クロスカントリーのスキーという、すごい体力を消耗するんですけれど、このあたりをずっと続けていきたいなあと思っています。

あと、イベントプロジェクトということでは体育祭。体育祭、本当はね、体育祭の救護所の隣に救急車を待機させておこうと。騎馬戦で何をやってもよろしいと言っています。と、騎馬戦に出場する教員あるでしょ、あれって投票で選ぶんです。どういうわけか、いつも私が一番で、皆で寄ってたかって学園長をせめて、普段のストレスをそこで解消していただくということです。最近、こんな話がありました。どうして女子は騎馬戦に出場できないんですかとかって…。戦う体育祭ね、危なくないことばかりやっているよりも、そういうのがあってもいいのではないかと思っています。

また文化祭については、イベントを子供たちは自分でやってる気持ちになってます。バックで教員がそれをサポートしている。今度の創立記念音楽会とか、そういうこともやっています。本物志向です。

海外を知ることの大切さ
あと、研修についてどう考えたかと言いますと、私が来る前の高校の卒業旅行って、北海道だったんですよ。北海道に観光旅行。終わりに札幌ラーメンを食べて終わり。それが高校の修学旅行って、おかしいん違うのとか言って変えました。理事長が発案したことなんですけど、競争入札。癒着を切る。それと、教員がJTBとかそういうところに何か頼むのはダメということにしています。だいたいね、頼むでしょう。「先生、安いキップ、見つかりました」とか言って、「アメリカ往復、10 万円」とか言って。そういう商品があったとして、HISの安い商品を買ったとしても、やっぱり世話になっているという気持ちになるじゃないですか。競争入札にしてるんですよ。

「ひどい、ひどすぎる」旅行代理店は言っています、「あんなひどい学校はない」(場内、笑い)。容赦なく変えるんですよ。あの、10 万円ぐらい安いところに容赦なく変える。支店長が飛ばされたことも2 回ぐらいあります。それでも、結局子供たちがよければそれでいい。あと、分割払い。お金持ちの方はね、「分割払いは嫌です。どうせ金利を取ってるんやろ。一括払いで安くしてくれ」という方もいらっしゃいますけどね。「いやー、お金あるなあ」と思いましたけど、やっぱりその、全員が分割で払うということによって、あまり負担を感じないでいい。負担なんですけどね、実は。

海外は世界一周をやると。で、実は世界一周というのは、西洋と東洋という、そういうイメージで発想がはじまったんですね。あと日本は、日本のテーマは修学旅行で北海道という発想ではなくて、奈良、京都、東京という、まあ、ありきたりなことですけれども、首都を巡るという感じにしたんです。はっきりここで出てきた形はですね、日本が成立した1300 年間を追体験する、国をどういうふうに意識をするかという、そういう統一したテーマで国内の研修を行っています。

あと海外研修については、海外研修をやる一番大きな理由は、21 世紀の日本は国際化から逃げることはできません。今から日本が鎖国することは絶対にありません。もっともっと日本は国際化される。その国際化に対応できるような子供たちになってほしいと思ったわけです。なぜ、アジア、ヨーロッパ、アメリカかということなんですけど、これは、私が最初にアジアに行ったんです。中学校3 年のときに。それで、その次、ハワイに行ったんです、先に。その次、アメリカに行って、その次にヨーロッパに行ったんです。全部行った経験として、どこか1 つだけを見てそれを外国と思うのはもったいない、と。やっぱり全部違う全部を見て、それで考えてみたらいいんじゃないかという感じです。

あと、東南アジアでベトナムという国については、私は特に思いがありまして。ベトナムは、世界で唯一、アメリカと戦争をして勝った国なんですね。日本のように負けた国ではない。日本がお手本にしなければならない国だと私は思っているんです。別に私は鳩山総理みたいにアメリカと喧嘩するつもりはないんです。アメリカと仲良くやっていくというのは日本に必要だとは思うんですけど…。

海外留学については、私は高校のときに留学したんです。短期留学というか、1 ヶ月ね、で、英語のクラスで2 日に1 回飛び級したんですよ。4 段階あって、一番できないクラスに入れられて、2 日ごとにクラスを替わっていったんです。次の週の中間にクラスを追い出される理由がすごい。「君がいると他の人に迷惑だ」と言うんです。「は?」って言ったら、1 人だけちゃんと話せる子がいて、そいつがどんどん答えを言っていくと、皆困るわけです。

僕がすごくうれしかったのが、一番できるクラスにいても「君はここにいる必要がないから、他のところに行きなさい」と言われたので、「先生、クラスないよ」って言ったら「向こう側に大学があるから大学に行って、大学のサマースクールに入れてもらいなさい」とかって言って、コンピュータのクラスに入れてもらったんですね。そのときにね、アメリカというのはすごいと思いました。一時的なことかもしれないけれども、どんどんどんどん先に進んでいくことができる。

あと、さよならパーティーの企画をさせられたんです。私そのときにね、さよならパーティーで、ふつう、書いて貼ってるじゃないですか、(レジュメを指して)こんなふうに1…なに、2…なに、3…なにって、…その紙を買いに行こうとしたら、言われたんですよ。「パーティーに何をするかなんて書く必要がないのであって、そういうスタイルはアメリカにはありません」と。なるほどなあと思ったんです。

そういうことでですね、長期の留学というのは難しいけれど、短期であれば、なるべく長く、1ヶ月は行ってほしいということで、ニュージーランドにずっと行かせておりました。今年はちょっとインフルエンザのことがあって、シアトルに変えました。シアトルに変えながらですね、今話をしているのは、アメリカもいいし、ヨーロッパもいいんじゃないかと。イギリスのオックスフォードやケンブリッジの大学の寮に寄宿しながら、語学学校みたいなところに行くのもいいんじゃないかと思っております。英語の教員にニュージーランドの出身者がおりまして、地理もよくわかっているからというのではじめたんですけど、アメリカとイギリスの選択制にしようかなというふうに考えております。

次は平和教育ですけれども、こんなに平和のことをやっている学校は、あまりありません。日本は、ほとんどが広島に行って終わりです。長崎と広島って、2つで1 1 つだと思うんです。最初に長崎に行ってもらう。長崎の原爆記念館に中学校1 年生を連れて行くのはあまりにね、原爆記念館だけに連れて行くのはあまりだから、ハウステンボスに行くという。ハウステンボスというのは、実はオランダのミニチュア版で、あの、世界旅行の伏線ということもあるんですけども、その長崎と、あと世界旅行のときにベトナムの博物館とホロコーストの収容所とニューヨークのグラウンド・ゼロと、20 世紀21 世紀の人類の間違い、その、これをやっぱりしっかり…あの、いくらね、歴史の教科書で100 回言ってもダメです。その場所に行ってもらって、自分で知識を経験してもらって、体験してもらって、それをやってもらいたいなあ…と思って。これはずっと続けていきたいなと思っております。

芸術と文章表現も大切
あと、芸術に親しむということで、あの、大塚国際美術館などに行ってるんですね。あの、それぞれ1 週間ずつかかるようなすごい美術館ばっかりなんですけども、私が子供たちにしたいことは、子供のときに行ったことがあるという記憶があれば、大きくなってから、そういうところにもう一度行きたい、1 週間行きたい、そういう気持ちを必ず甦らせるような気がするんですね。だから、ニューヨークでね、メトロポリタン美術館だけで十分だっていうふうに言われてますけども、MoMAに絶対連れていってくれと。こういう注文をする学校はないってJTBが言ってました。30 分でいいからMoMAに連れて行ってくれと言ったらね、「そんなもん、いませんよ」なんて言って。

芸術に親しむことの課題として体育祭の応援看板を描いたり、ポスターのコンテストをやったりすると、反応がよくって、皆応募してくれる。あとそれから、やりたいなと思っているのは、カラオケ大会。音楽の教員にね、音楽のテストは、カラオケで点が出るのがあるじゃないですか、80 点とか90 点とか、「あれで点つけてみたら」と、私は言ったことがあって。「カラオケの機械を買ってくれ」と言ったら、「それはやめとき」とかいう話になってます。でも、これはやっぱり、皆さんのご同意も得て、育友会のスポーツ文化ファンドからお金を…(場内、笑い)。それであの、「須磨学園は音楽の点はカラオケの点で決まるらしい」とか言って。私はあの、大学でオーディオアンプの研究とかしますもんですから、そういうものも使ってもらったらいいかなと思ったりしてるんですね。

あの、学校の印刷物って捨てるじゃないですか。僕、学校の文集とか、読んだこといっぺんもありませよ。須磨学園の、昔の、なんか「校長先生できました」とか言って、届けにきてくれた文集があったけど、「おっ、ありがとう」とかいって、いっぺんも読んだことがなかった。そのうち赤茶けて、「こっそり捨てといてな」とか言うんですね。あれ悲しかったですね。資料もただたまるばっかりで。だから皆が読みたいと思ってくれる印刷物を作る。それで須磨文庫というのを作りまして、まあ、これ、結構、評判がよくって、皆読んでくれてるみたいで、「お前読んでるやろな」て言ったら、「作文書くときのネタさがしに読むんや」と言ってる子もいましたけど、だけど、読んでくれてるには違いない。うれしいんですね。内容がだんだん、よくなってきましたですね。外の方も欲しいと言ってこられる方もいる。

あと、須磨教育という雑誌。2 回目の原稿は全部できて、近く出そうと思っています。3 回目のネタを考えてたら、「今日の講演会なんか、ええんとちゃう?」言うて、3 回目まで内容はだいたい決まりましたけど、あとは卒業アルバムとか卒業論文集。一生、自分の記憶として取っておきたいようなものを、学校が一生懸命作るべきではないかということで、それを作っている教員が非常にがんばって作ってくれて、よかったなあ、と思うんです。

これから何が大切か
まあ、そういう学校に6 年間してきたわけなんですけど、私、学校を出てからどんなことをしてきたかというと、実はですね、今回、いろいろ振り返ってみて、はじめて、自分の人生にはサイクルがあるということに気が付いたんです。皆さん方もサイクルをお持ちだと思うんですけど、サイクルは人によって違うと思います。私の場合は11 年なんですね。私の人生で大きな出来事は11 年ごとに起こっている。

だから11 歳のときに勉強するような子供になりました。それまではわんぱくだった。22 歳のときに仕事をはじめて、エンジニアをやっていたんですけど、33のときに私は経営者に鞍替えをしまして、44 のときに学校の教員になったわけですね。次、55 から転職することになってて、あと2 年ぐらいで、ハイ、皆さんさようなら。今のところ、そういうつもりはないんです。でもまあ、55 から自分が何をするのかというものを、自分で考えることができる。

転職ってすごい怖かったです。社長になるときね、本当に自分でできるんだろうか、大学教員になるときに、本当に自分が教員になれるんだろうかと思ったけども、最近はなんか、11 年ごとに変化がやってきて、新しい自分の仕事は前より10 倍ぐらい間違いなく面白いというのがわかっているから、55 歳が楽しみワクワク、66 歳が楽しみワクワクなんですね。だって、絶対66 にまた転職するから。77 歳が楽しみワクワクかといったら、77 で死ぬんじゃないかなと思うんですね。いや、ちょっと困ったな。長生きする方法はないかなと。そういうことを考えられるようになったということなんですね。

大学を出てから、この30 年ぐらいいろいろ仕事をしてきて、世の中を見てきてですね、須磨学園の教育に、これからどういうふうにそれを、6 年の結果を踏まえながら入れていこうかという、この4 枚(注・レジュメのことです)が一番重要なところなんです。一番大切なことは、文章を書く力ではないかと思っています。それも、日本語という文章、英語という文章、数語というのは計算ですね、数字の文章、あと機械語、これはコンピュータのプログラミングのことです。英語は会話と言われますけれども、私は、英語の会話よりも大切なことは速読力だと思います。インターネットで山ほど出てくる英語のホームページを早く読むことができる。これは非常に重要なことではないかなと思います。練習すれば、どんどんどんどんいくわけです。

日本語は作文が大切。天声人語を何年かずっと書いてもらって、私は何がしてほしかったかと言ったら、天声人語の文章というのは、日本語の文章としては、超一級の文章なわけです。超一級の文章だけれども全然難しい文章ではない。あの平易さでも、難しい内容は表現できるし、それでいいのだという、それが子供たちに与える自信って大きいと思うんです。

実は甲陽学院で私はそれをさせられました。今、甲陽学院でそういうふうにしているかどうかはわからないんですけど。私は天声人語を書き写すことをしながら、何を学んだかというと、国語の授業の難解な文章よりも、こういうわかりやすい文章でいいんだと思って、んです。それで、あと、表計算のテンプレートということで、表計算プログラムをするということ、これはとても重要です。あと機械語については、Web 構築のいわゆるCGIとかJavaとか、そういうプログラムの言葉があるんですけど、それをやっぱり、全員が覚えるような形にしていけば、就職のときにすごく有利なんですね。

リーダーシップとチームワークをLT 23 ‐24 教育ということで教えてますけど、これをですね、やっぱり、授業で1 週間に1 コマぐらい、リーダーシップとチームワークという、教える授業をやりたいなと思っています。

あと、政治学・社会学の教育。政治学とか社会学というのは大学のテーマではあるんですけども、これをなんとか高校から教えたいと思っています。高校は政治のシステムしか教えないですね。あとその、インターンシップの前段階としての社会見学。裁判所に行ったりしますけれども、そういうことをたくさん行かせたいなと思っています。高校生にとってのインターンシップとは何かといったら、やっぱり大学の研究室に行ってみるということだと思うんです。高校2 年生、3 年生のときに大学に行って、研究室の、たとえコピー取りでもいいから、たとえ掃除係でもいいから、やらせてもらったときに、ああ、この大学のこの研究室に行きたいと思う気持ちが強くなるわけです。そういう感じの、高校生が大学に行ってインターンシップをするという、そういうことも実現したいなあと思っております。

カリキュラムに関して、今の高校教育のカリキュラムに足りない部分みたいなことを思うんですけど、自分の仕事とどう取り組むかという…だから、お医者さんになりたい人については、医学を高校から教えていいと思うんです。飛行機のエンジニアになりたい人には、飛行機のことを高校から教えていいと思っているんですね。完全な選択科目にして。自分の健康に対する考え方、医学。これは、あの、私どもの須磨学園はけっこう、ちゃんとやっているつもりでいるんです。感染症に対してとかですね、あと、インフルエンザをどうするとか、肥満に対してどう取り組むとか、育友会の会長の金山さんのご主人がお医者様だったものですから、一番最初、金山先生から子供たちに医学の話をしていただきました。今は保健所の先生に来ていただいて、ご協力いただいているみたいです。

哲学というのをやりたい。哲学というのはなんか、難しいと思いませんか?でも、私はアメリカの大学で哲学の話をしていたときに、アメリカの英語で書かれた哲学の本をたくさん読んだんです。ものすごくわかりやすい。で、どう思ったかというと、哲学嫌いを増やしているのは岩波文庫が悪い。あの難しい翻訳、絶対わからないような翻訳。哲学は楽しいのにね、本が出たらいいのにと思うんですけど。一番最初の、4 つの質問の1 番目と2 番目に対する答えとかですね、そういうところとか、あと、道徳とか良心の教育。これは今の高校にないですね。これをしっかりやった方がいいんじゃないかと思います。あと、自分の子供をどう教育するのかということをいっぺん考えてみた方がいいのではないか。そういうことを、子供が考える。そうするとどうなるかというと、親の気持ちがわかるという感じになると思います。

21 世紀はどんな世紀かと、新聞を読んだら書いてありますけれど、いろいろと思うわけです。これに対応するようなことがしたい。新聞読んでて、「怖い」と書いてあっても、「未来は怖くない。オレはオレの人生を、しっかりこんな感じでやっていったらいいと思うで、お母ちゃん」って、言ってくれる子供。「パパ大丈夫」って、言ってくれる子供。私は結局「専門性」と「人間性」と「国際性」、この3 つに行き着くと思います。われわれはまだ専門ではないから。高校は。やっぱりね、男性よりも女性よりも、人は個性だと思うんです。そういう時代になってくる。

それで、専門を通じて社会に貢献するということを一番重要なことと考えてもらいたいと思います。子育てもそうだと思います。現状否定のオタク人生もいいですけど、現状肯定しながら修正するというスタンスも必要です。家庭での対話。私どもの中高の食堂、夕食を出さないんですね。夕食を出すか出さないかについて、ものすごく議論をしました。われわれの結論は、夕食は学校では出さない。出すことによって、家庭の夕食での対話を奪うことになってしまうからです。だから小腹に耐えるようなものは出しても、夕食は絶対出さないでおこうと。9 時まで子供たちを学校に留め置いても、夕食は食べないで家に帰す。そういうことによって、お家に帰ったときに、夕食を食べながら「今日は居残りさせられてんで」という話ができると思います。そういう家庭の対話ということが、やっぱり最高の教育だと思うんです。われわれの教育よりも強い教育は家庭の対話だと思うんです。

あと、国際性については「日本人よりも地球人だ、私は地球人です、国籍は日本です」という、そういうマインドを持ってほしい、ということと、あと「日本人よりも、関西人でしょう。堂々と関西弁を使いましょう」と。そういう、グローバルということと、ローカルということの2 つのことを併せ持つことができるような人になってくれたらいいなと思っています。

ということで、今回、こういう機会がなかったら、私はこんなことを考えないでいたと思うんですね。ちょっと時間も長引きましたが、聞いていただいてありがとうございました。1 期生の皆さんは、あと5ヶ月、本当に秒読みになって来ましたが、2 期生、3 期生、4 期生と、ずっと続いていくプロセスで、須磨学園をいい学校にし続けなければいけないという使命を感じて、取り組んでまいりたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

中高一貫完成記念座談会
出席者
西 泰子 理事長
西 和彦 学園長
村山 恭平 氏( 尚美学園大学准教授)
宮浦 修造( V2学年担任)
山本 恵美子( V1学年学年副部長)
金山 七穂美 氏( 育友会初代会長)
実施日 2009(平成21)年10月31日
※肩書きは当時のもの

中高一貫は震災が生んだ?
理事長●どうもこんにちは。打ち合わせなしなんです。理由は、打ち合わせをしてもきっとメチャクチャになるからです(場内、笑い)。誰だとは言いませんが。では山下会長の方からご質問がありました、なぜ中高一貫校を設立したのか、その直接のきっかけについてお話をさせていただきたいと思います。

これは、まず私から申し上げたいと思います。強いて言えばきっかけは地震です。地震で、校舎の大半を、補修しなければいけなくなった、「やるなら今だ」ということで、勝手にコンセンサスを取らないで男子トイレを作ってしまったのが、まずスタートです。

その前振りとして、地震が起こったときに…たとえば、ここにいる山本恵美子先生、新神戸から走ってらっしゃいました。学校に着いたのが午後3 時。そのとき、センター試験の出願があったんです。私、すごく感動しました。こちらの宮浦先生、細かったんです、まだ。自転車をこいで来ました。西神ニュータウンに住んでて、3 ヶ月ぐらい、自転車こいで通って来ました。まだ髪の毛、ここらへんにあったんです。私はなくなっていくプロセスを、この14 年間、つぶさに見守っております。最後のかたまりがなくなるときまで。

学園長●そんなこと全然、もう、いいって。

理事長●そういう地震がきっかけです。この先生方となら何でもできると確信したんです。ちょっと聞いてみましょう、どうでしょう、恵美子先生。

山本●地震のときは、学校は無事だったんですけれども、窓ガラスが全部割れてしまって…。その掃除からスタートしました。

理事長●ガラス代が3,000 万円。すみません、お金の話で。

山本●そこからスタートでしたね。

理事長●先生は走って来たんです。マラソンも出たことがあります。

山本●あのときはもう、車が走れなかったんです。こうなったら、行けるところはとりあえず電車で行って、そこから走るしかないということで、朝から体操服に着替えて登校したのを覚えています。

理事長●宮浦先生はどうでしたか?

宮浦●とりあえず生徒の消息を調べなければいかんわけです。誰がどこにおるかもわからないし、来られない先生も多かったですから。住所録とかもわからないということで、神戸市内のあたり一帯と、避難所という避難所にビラを印刷して貼って、「須磨学園の生徒がいたら連絡をください」ということでずっと一日中走り回って…。暗くなったら帰れないですから、それまで走り回っていました。

理事長●そうですね。そのときに学園長はですね、「泰子ちゃん、ヘリコプターを3 台押さえている、今から行くから」「来んといてくれるかな」「じゃあ、泰子ちゃん」…泰子って私の名前です… 「泰子ちゃん、何が欲しい?」「とりあえず、アンネナプキン」と言ったらね、段ボール箱3 つ送ってきたんです。「お兄ちゃん、使い切れません」。私はその日から、アンネナプキンをリュックに入れて避難所を回りました。「須磨学園ですが、アンネナプキン持って来ました」すごく恥ずかしかったですけれども。どうですか、地震のときの教育。学校について。

学園長●えっと、正確にはヘリコプター3 台じゃなくって1 台で、八尾空港にまず持ってきて、停めていたんです。何かあったらすぐ出れるようにして、一週間停めてて、で、何もなくて「来ないでくれ」「ヘリコプターに乗ってきたら、皆でボコボコにするから」と言われて、僕はもう行かなくていいかなと。「その代わり、食べ物たくさん買ってきてちょうだい」と言われて、今だから言いますけど、私は生まれてはじめてローソンに行って「すみません、お店のものを全部ください」と言って、お店のものを全部買うと800 万円ぐらいするんですけど、ローソンのお店のものを全部買って…アンネナプキンだけじゃないよ…それでトラックに積んで、ここに来ました。

理事長●コンビーフもありました。

学園長●次にね、電話がかかってきて言われたことは「おかずが欲しい」。最初は「おにぎりが欲しい」だったので、ちょっと回復したなと。3 回目に電話がかかってきたときに何を言われたかというと、「もっとおいしいものがいい」(場内、笑い)。ただ、「おにぎりがいい」、「おかずが欲しい」、「もっとおいしいものない」…だんだん回復しているなと。僕は東京で仕事をしてまして、来ようとしたんですけども「来ないで」と言われたりして、調達係をしていたんですね。

理事長●ちなみに、そのときにですね、先ほどの学園長の話の中で、先代の理事長が山の下から校門までエスカレーターを作るという話がありましたが、ちょうど確認申請が下りて、着工の3 ヶ月ぐらい前だったんです。さすがに、その、地震でできない。で、中止になった。「やめてくれ」といって中止になったのではなくて、先代の理事長は確認申請を取っていたんです。やる気でした。

混乱の中を駆け抜けた体制づくり
理事長●でも、地震を乗り越えて、男子トイレを作って共学にして、「3 年間では足りない、もっともっと時間が欲しい」ということで、共学校にした時点で、次は中高一貫校というのを考えていましたので作りましたけれども、そのときの苦労話…そうですね、恵美子先生いかがですか? 突然、一から英語を教えてくれという。

山本●ちょうど、高校3 年生を教えた後、すぐに中学1 年生ということでしたので、本当に何から教えていいかわからないというような状況でした。子供たちも、どこから知っているのかなということで、とりあえず教科書の暗唱からはじまったんですね。明けても暮れても、生徒と一緒に、「ハロー・マイケル!」とか、そんなのばかりやってまして、最終的には挨拶もすべて英語でやりましょうということで、ずっと続けてきました。今、高校2 年生なんですけど、いまだに授業の最初は「ハロー恵美子先生!」からスタートしています。全員で一緒に英語を発音しようというところからスタートしましたが、今から思ったら、あれもやっておけばよかった、これもやっておけばよかったばかりで、最初は本当に大変だったのを覚えています。

理事長●恵美子先生、中高一貫の担当になって5年目なんですけど、当時の写真と今と変わらないんです。私は体が1.5 倍ぐらいになりました。かないませんわ。さっき聞いたら、びっくりしました。恵美子先生は、私の半分です。続いて宮浦先生、どうですか? 学園長から、「1 人1 台のノートパソコン、中学1年に教えろ」、「ファーストクラスを導入しろ」と。ご苦労されたと思います。

宮浦●実はですね、1 期生は2 クラスの予定やったんですが4 クラスになっちゃいまして、準備も何もできていない。2 クラスやったら、私はいなかったのかなと思うんですが…。ちょうど入学式の2 日前に、職員室の移動がありまして、全職員が移動して、「中学校担当は新しい職員室」ということで、中学校は一番端の部屋だというので行ったんですね。まだその部屋が、完成間近で、入学式の2 日前に、机も椅子も何もないという状況がありまして、本当に不安やったことを覚えています。で、前日に机や椅子が入って、そのときに学園長が、学園長室の「この机を持って行け」ということで、でっかい円卓を学園長室からいただき、会議用のテーブルになりました。

本当に今思うと、1 期生を担任して、入学式がはじまって、6 月、7 月、8 月、長崎があって、文化祭が終わって、サマーキャンプとかがあってですね、最初2 クラスの予定で予約とかもしていましたので、全部、計画の見直しみたいなことです。ですから本当に、最初の4ヶ月、5ヶ月ぐらいは、何も覚えていないんですよ。必死にやったんですよ。それで、FCとかがはじまったということで、先生が毎日円卓で顔を合わせて、明日どうしようかとか、ああしよう、こうしようと、話し合って苦労していたのではないかなと思います。

理事長●ファーストクラス、当初、すごかったですよね、アクセス数等が。ほとんど皆が見ていたというような状態だったんです。意見もものすごく出ていたんですけれど。

宮浦●旅行に行ったときの反応がすごくて、向こうでアップすると、すごいアクセス数で、ドドドドッと来まして、ああ、やっぱりこういうニーズがあるんだなと思いました。

理事長●よく質問があるんですけども、どうして、1人1 台のノートPCとファーストクラスを導入されたんですか?

学園長●ファーストクラスってグループウエアっていうんです。「グループウエアが絶対に要る」という思いがどういうところからスタートしたかというと、電子メールで…たとえば、私が理事長にメールを送ったりするでしょ、個人的にはふつうに話をしますけど、仕事の場合ですね、CCというものを使うんですね。「写しは、この人にも、この人にも、この人にも送りましたよ」って。そのCCの使い方を見ていると、仲間外れにされていることがある。「私にも送ってくれたらいいのに」。それからブランクCCというものがあって…BCCっていうんですけど、これは「コピーを送っている」というのを言わないで送るというものです。「あなただけよ」というメールがあるんですね。ところがね、使っているとどうなるかと言ったら、1 人の人に送っているはずなのに、ブランクコピーが10 人に送られていたりするんですよ、会社って。それって、ひどくありません? 一対一で話しているつもりなのに、周りの人は全部知っていたりする。だから、「あなただけに送る」「あなたには送らない」、そういう状況よりも、オープンにできるものはオープンにして、皆で共有をする。何かを決めるときにも、いろんな人がいろんな発言ができる。すべての人が発言してもいいという状況をつくりたかった。それが、学校という活動に一番合っているのではないかと思ったんです。

理事長●そのファーストクラスというグループウエアを導入して、育友会の部屋なるものもできるんですね。育友会の初代会長の金山さん、皆の錯綜する意見をまとめてらっしゃるのに、かなりご苦労されたと思うんですけど、いかがでしたでしょうか。

金山●ファーストクラスというのは…私はパソコンをさわったことがなくって、まったく触れたことがなかったんですね。息子の部屋に1 台はじめてパソコンが導入されて、自分も欲しいと思って買ったんですけども。いろんな意見があるわけですね1 期生って。ああして欲しい、こうして欲しいと。1 年目というのは、すごく、先生方も大変でしたし、当初80 人入学の予定だったのが、148 人が入学式に来たんですよ。私たちも148 人も来るとは思っていなかったのでびっくりして…いろんな理想を須磨学園に持っていただいて、いろんな意見を遠慮なくパソコン上で交換しているので、それをどこで止めようかというので…感触として、ここらへんで止めない学校もがんばっているんだと、親御さんに知らせてあげないと、と。148 人分の意見を一気にまとめるということは大変でした。

理事長●ありがとうございました。当時は本当にお世話になりました。学園長は時々激してね、すごいことを書くんですよ。覚えてますか?

学園長●何書いた? どんなこと書いた?

理事長● 「それは失礼だろう!」とか、「僕は抗議する!」とかなんか書いていましたね。

学園長●いや、それは2ちゃんねるの話でしょ?(場内、笑い)

コンピュータと携帯電話を
どう教育に活用するか?
理事長●村山先生は、本校の理事であるとともに、コンピュータ部の指導者をしてくださっているんですけれども、そのコンピュータの使い方について、中学1 年生からどういう使い方をさせるべきなのかというお考えをお持ちだと思うんですけど、いかがでしょう、われわれの生徒たちはちゃんと使っているんでしょうか?

村山●本当に、コンピュータって新しいものですから、たとえば今はもう秋ですが、今来年のカリキュラムを組んだとして、新入生が来たときには、コンピュータの文化自体が変わっている可能性さえあるんです。もちろん、大きくは変わりませんけど。われわれよくやるんですけど、怠慢な教員が「今年よかったから来年もいいだろう」と、あってはいけないことなんですけど、これはまだいいんですね。でも、10 年も前の発想でやると、子供たちに置いていかれる。はるかに便利なものとか、全然違う発想のものができていますから。でも、だからといって最新のものをチャラチャラ運用していくと、何をやってるのかわからなくなるというのがあるんですね。そこのバランスが難しいんですね。ご期待に沿えず申し訳ないんですけど、どっちかというと、学校というところは保守的なところなので、こういうものに関しては、あえて子供たちの半歩後を歩くような感じの方がいいのかなというふうに考えています。

理事長●そのことについてなんですけれど、学校現場ではですね、アップルコンピュータが多いんですよね。マックが多い。私はマックユーザーですから、何度か学園長にマックにしてくれ、マックを入れてくれという話をしたんですけど、つどつど却下。どうしてですか?

学園長●アップルのシェアは10%なんですね。世の中の9 割はウィンドウズです。もし、マックに慣れてしまったら、あの、一番最初に使用したパソコンの癖を誰もが引きずるわけなので、美術系とか音楽系は全部マックなんですけど、最初にウィンドウズを使ってて、後でマックに行くという方が、社会に出てからスムーズにいくと思うんですね。社会に出て、マックしか使えませんと言ったら、まず面接で落ちます。ヘンな人というか…アート系でオタク、ちょっとヘン、コンピュータの思想的にラジカル。そういうふうにスタンプを押されて、まあ、昨今では、就職の面接では落とすという、そういうふうになるでしょうね。

理事長●マックを使っていたのは、ただ単に反発心からだったかもしれませんけれども…。今、村山先生がおっしゃる、コンピュータが年々変わっていくということについてですが、須磨学園のコンピュータ教育は、来年度から制携帯を導入するということも踏まえてどのような方向性で考えておられますか? 携帯の方から聞かせてください。

村山● 1 つ考えているのはやっぱり、携帯に関してはわからないんですね、はっきり言って、何が出てくるのか。まず、本質的に携帯の危険というのは、未知の危険だと思うんです。今後どんなサービスが出てくるかわからないから、どんな危険があるかわからないし、逆に言えば、どんな面白い使い方ができるのかわからない。だから、基本的に、常に状況を把握しながら、試行錯誤でやっていく。それも、怖い怖いというぐらいなら使わないでいいわけですが、基本的に怖がらず、どんどんいろんなことをやってみよう。

もっと攻めの姿勢でやるならば、私が考えているのは、教材の中のいくつかの部分(コンピュータ化はもうされているんですけど)、携帯で見られるようにしたい。たとえば、1 つの授業のキモの部分。中学の数学でいえば、三平方の定理の証明とか、英語でいえばそのときのテキストのメインの暗唱文、古典でいえば古典の訳文ですね、一番、その授業のキモになっている部分、5 分とか10 分の単位にして、それを携帯に自由にダウンロードして見る。

ゆくゆくはこれ、うちの子供たちだけでなく、あらゆる世界中で、誰でもネット環境にいる人、携帯を使える人なら、誰でもそれを見られるようにする。そうなってくると、「なんやこの授業、オレの方がうまいことできる」という人が出てくる。だったらアップしてくださいよと。教員OB、塾の先生、あるいは現役の高校生、中学生でもいいと思うんですけども、自分の方がうまく授業できると思ったらそれをアップしてもらう。何年かすると、YouTubeみたいに、授業のコンテンツがたまってきますよね。同じ三平方の定理の証明でも、図の使い方から、しゃべり方から、いろいろあるわけですよ。生徒のほうでは自分に一番合うと思うようなものをダウンロードできるようになると、ずいぶん学習環境がよくなると思うんです。うちの学校だけでなく、日本中の子供たちが。

理事長●今、村山先生のおっしゃる、携帯の方向性というのは、かなり、今使っているPCとリンクしていませんか? そうすると、2 つもいらないんじゃないのと思うのですが。

村山●今の子供たちはPCを触っている時間の、10 倍ぐらい携帯を触っています。PCというのは、まだまだ機動性に欠けるところがありまして、原則として机の前に座らなければいけません。ですから、うちの子なんか、風呂の中では携帯を使っているんですよ。教育上は悪いことかもしれないんですけど、やめさせるよりは、それで勉強でもさせた方が面白いのではないかと思うんです。

理事長●学園長はどう考えておられるのですか? なぜ、1 人1 台のPCだったのですか? この先、どうするつもりですか?

学園長●あの、携帯とパソコンがひっくり返るときはいつかといったら、携帯のディスプレーが大きくなってパソコンのディスプレーになったときに、どちらかが消えると思う。おそらくパソコンが消えると思うんですね。それまでは2 つ共存するという形になるのではないかと思います。あと、1 人1 台というのは、どうして1 人1 台なんだろうか。ワープロをするためにとか、パワーポイントを作るためにとか、表計算をするために、インターネットのブラウジングをするためでは、1 人1 台は必要ない。

1 人1 台必要なのは、電子メールの送り受けをするからです。パソコンに、今、3 人とか4 人とか登録できるようになっているんですけど、あの機能を使えば、3 人で家にあるパソコンを共有することができるかもしれないけれど、持ち歩きをはじめた瞬間に、持ち歩くということが前提でメールを送ったり受けたりするということなら、1 人1 台、必要があると思います。

理事長●そういうコンセプトというか、考えのもとに、現場の指導者は大変な思いをしているわけですが、宮浦先生、PC、情報を生徒たちに教えてきて、これはすごいなと思われたことはありますか?

宮浦●ちょっと話題から離れますが、昔は正直言いましてFCで悩んだころもありましたが、今は便利にさせてもらっています。というのは今、公募推薦制の生徒たちの志望理由書を書かなければいけないんですね。今までは生徒が持ってくるのですが、今はクラスの子達には、「できたらFCで送っときな」と、その一言でFCで送ってきています。その晩に見て、次の日には話ができますから、そういう意味で、今FCがあって、楽をさせてもらえているのかなと思います。

それから、1 人1 台持っているからこそ、もう何気なしに「FCで送っときな」で済むんですよね。もう、何も考えずに。それも一言でいけます。「私、経営学部に行きたいねん」とか、3 年になって進路について話していますが、経営学部に行きたい1 人の生徒に「何で経営学部に行きたいの」と突き詰めて話を聞いてみたら、Web で会社を作りたいとか言い出すんですよ。だから経営学部に行きたい。いつからそういうことを思うようになったのか聞いてみたら、先生が理科のレポートをWeb で作らせて、それをFCで集めたときにサーバーにポイと入れるのを見て、こんなに簡単にできるんだとわかったと興味を持ったようです。だからそういう意味で、生活の中にFCがあったからこそ、そういう体験が、その子もできたのではないかと思います。

村山●今回、「6 年間一貫校化は震災がきっかけになった」という話がありましたけども、FCとか、あるいは制携帯というのはどういうきっかけで普及するかというと、もしかしたらインフルエンザではないかと思うんです。仮にインフルエンザが蔓延したら…。実は注目しているニュースがあるのですが、宮内庁のお狩場といって、一番管理されている、渡り鳥が来るところで、すでにもう鳥インフルエンザが出ているそうです。豚と鳥が来ているのなら、次につくねと魚も来るんではないかと思っているんですけども(場内、笑い)、いずれ、何かの拍子で強毒化したらもう、長期間、生徒は学校に出てこられないですね。そうなったときでも、FCや携帯で最小限の学校の機能が残せると思うんです。

よその学校を危険だと言うのも何ですが、ある学校では、ホームページがまだ十分機能していないので、インフル蔓延している最中に、「プリントを取りに来い」というのがあるんです。だから、こういうところもやっぱり、いざとなったときには学校の機能自体をバックアップする、そういうシステムがあっていいのではないかというふうに思います。

理事長●今ホームページ、Web のことが出ましたけれども、実は、ちゃんと組織ができているわけではないんです。広報担当者、今、カメラを持っている緒方、彼女が1 人でホームページのアップをしたり、記事を書いたりしているんですけど。

世界旅行、事はじめ
理事長●最初からうまくいくことを意図してやってきたわけではなかったのですが、やってみるとよかったということがたくさんありました。先ほどの世界一周や、1人1 台のPCとか、携帯電話とか、ありますけども、先生方、金山さんや、学園長、村山先生、保護者の皆さんもそうですけど、この6 年間、今までやってきた中で、想定外のことってありましたか? ちゃんとうまく言えないんですけども、たとえばですね、世界一周に行くということ、一番最初に話が出たときに、皆が大反対したんですね。ダメ、絶対ダメって。でも、想定外に、行ってみてよかった。ベトナムに連れて行くということを言ったときに、健康、無事に帰って来れるのか、水を飲んだら危険じゃないか、生野菜を食べたら、もうとんでもないことになるんじゃないかとか、心配があったんですけども、うれしい想定外はいくつかあったのではないかと思うんですけど、どうですか。

金山●私は実は5 人子供がいまして、上4 人が全部進学校なんですね。5 人目ぐらいは自由なカジュアルな、新しい学校に行かせたいということで選択させていただいたんですけども、本当に説明会どおりの学生生活だったと思うんです。あんなに旅行に行ったら、勉強のほうが少し遅れて来るのではないかとご心配なされていると思うんですけど、それはまったくないです。今日も実は、うちの息子は大学入試がありまして、その最中に私がしゃべっているんですけれども、予定通り進路を進んでおりますので、どうぞご安心ください。

理事長●それにともなって、いろいろと苦労があったと思うんですけど、その苦労話を恵美子先生。

山本●宮浦先生と私は、研修旅行、つまりすべての宿泊をともなう旅行はコンプリート致しました。世界一周旅行ということで、海外旅行が大好きな私は、「すごい!」という気持ちが強かったんですけれども、「まさかそれは無理やろ」というふうに思っていたんですがすごいですね、やってのけましたね。一番印象に残っているのは、最初のアジア旅行。これは本当にきついものでした。もちろん、そのいきさつの中には、うれしかった苦労話と、ものすごくつらかった苦労話があるんですよね。

うれしかったのは、学校交流。1 期生、2 期生と、中高一貫生しかも中学生がはじめて海外に行くということで、かつて私たちが洋行するという、そんな勢いで、大丈夫かなという不安な思いでスタートし、1 期生が最初にベトナムの学校を開拓してくれました。1 期生が行きましたら、ものすごい、国賓を迎えるような歓迎があったんです。そこでベトナムの生徒の演技にものすごく圧倒され、また、学園長が、いきなり現地で「一対一の会話を今からやりたまえ」と言われ、1 時間ぐらい英語でフリートーキングをしました。そのときに、1 人の男の子が8 人の女の子に囲まれまして、たじたじになり、「これはもっと英語しないと」という強い気持ちをもって帰って来たというのを聞きました。そういったことを教えられて、この2 期生、リベンジしなければと、直前まで、明けても暮れても…真っ暗になっても校舎の下のほうの隅っこで、ソーラン、ソーランとか、英語のスピーチの練習とかをやっていました。最初から特訓、特訓、練習、練習でへろへろになって行ったのを覚えています。

最初は、皆、カチカチになっていたんですけれども、本番に強い2 期生ということで、本番はけっこう盛り上がり、大興奮の中、ベトナムの方が圧倒されるくらいの演技ができ、興奮して寝られなかったようです。

つらかったのは、体調不良者が出たことです。それまではわが学年、生魚を食べても元気という感じだったんですが、2 カ国目の香港ぐらいから、「先生、ちょっとお腹が」と言いはじめ、下痢嘔吐発熱の生徒がぽつぽつ出はじめました。熱が出たらまずは理事長に海外の病院に連れて行ってもらう。で、病院に連れて行ってもらって、薬を処方してもらって元気になったと思ったら、朝方、養護教員が「先生、また1 人熱が」。そしてまた理事長に病院に連れて行ってもらって「元気になってよかったね」って言ったら、また翌日、朝になったら「先生、また熱が」…。この繰り返しだったんです。

旅行成功の秘訣はガツンと怒ること?
理事長●ベトナムの夜、悪いことした子がいたんですよ。担任が学園長に「学園長、怒ってやってください」…。(と、山本の方を見る)

山本●(困って)続きを言うんですか…?

理事長●学園長が怒ったんです。学園長、怒っていたら、途中で止まらなくなったんです。その子たち、反省していたんですけど…あの、覚えてますか?

学園長●覚えてる。

理事長●じゃあ、それを…。

学園長●いやいや、僕の口からは言えん(場内、笑い)。

理事長●ああ、そうですね。すごく怒ってて、怒ってて…。いっぺん締めておかないと、子供たちがゆるみますのでね、ギュッと締めるために、海外に出たら2 日目か3 日目で、ゆるんできたなと思ったときに、ガツン! と怒るんですね。1 期生のときは、私がタイで怒りました。タイでね、もう爆発的に怒って、タイの夜の9時、バンコク、夜9 時の暗い道、148 人が1 列に並んで歩いたんですよ、15 分も。1 列に並んで歩いて、ペチャクチャしゃべって、前と15 メートルぐらい差があいた子がいたんですよ。ごっつい怒ったんです「あんた何してんの?」。そしたら「へへ…」とか言うので、カーッと怒って「あかんでしょ?」と言ったら、「へへへ…」とか言うから、ウワーッと怒って、「帰れ! ここで、こんなに危険なのがわからへんのか!」…ガーッと怒ったら、皆ビシッとしまって、それからササササッと歩くようになったんです。あ、これはいいなと。

2 期生のときです。学園長がガツン!と怒って、怒ったまま…日本に帰っちゃったんです。翌日ね、ベトナムの学校でスピーチ。「私もよく知らないけど、そんなバカなことして、ちゃんと反省せえへんのもまずいんちゃうん?私は知らないよ」という感じになってしまいまして、で、スピーチ誰がするの?腹が立っているので、担任に「あなたがすれば?」と言って寝たんです。恵美子先生が徹夜で書いてはったんです、原稿。(山本に)大変でしたよね、でも、スピーチはちゃんとしました。ちなみに緒方先生(?)は徹夜で、ファーストクラスの写真をアップしていまして、最後はシンガポールの炎天下、灼熱の太陽の下、完徹のまま笑いながら3時間…この人大丈夫かなと思ったんですけど、笑っていました。帰って調子が悪くなったそうです。そんなことがありました。

中高生にも効果大きい、
経営管理の手法
理事長●その他のいろいろなプログラムで、TMとPM。TMとPMはどういう目的で導入したんですかという質問があります。学園長、どうですか?

学園長●えっと、タイムマネジメント、プロジェクトマネジメントって、企業で仕事の効率化とか、大きなプロジェクトをやるときに、プロジェクトに関係する人の意識合わせとか、そういう、仕事で使う手法なんですね。私はずっとそれを研究していて、大企業の幹部セミナーというのを東京でやっていてですね、何をするのかといったら、企業の部長職の人を集めて、1 回50人とか教えてですね、表向きは幹部教育ということなんですけど、本当はね、この中から事業部長になれそうな人の候補をリストアップしてほしいという依頼があるんですよ。

あの、企業の名前を言うといけないからC社としておきます。C社の部長の人に教えられたわけですね。50 人の中から私が15 人ぐらいを選ぶわけです。5年ぐらいやりましたから。そしたら、あるときね、そのテストというか、マークシートあるでしょ? 越ファイルで持ってるやつ。あれを余分にもらえないかという話があったんですよ。

「はあ、どうしてですか」と言ったら、「うちの子供が勉強しないからやらせてみようかと思うんです」とか言うんです。「お父さん、そんなん無理ですよ、こんな難しいことダメですよ」と言ったら、「いや、本当に勉強しなくて困っているからさせてみます。結果ご報告しますので」。で、学校に言って10 冊ぐらい、プロジェクトマネジメントとペアで取り寄せて、差し上げたんです。そしたら3 ヶ月経って、すごい顔して来られて、「どうしましょう。テストが20 点上がりました」とかって言うんですよ。

結局、勉強の仕方を知らなかったというか、時間管理と、自分がやらなければいけないことの管理をしていなかったということなんですね。20 点上がって、ものすごく喜ばれて、そうすると、その横に座っていた部長クラスの人が、私に3 冊、私に5 冊とか言って、2 回目は須磨学園から100 冊ぐらい、ノートを送ったんですね。そのときに、最初に使ったノートというのは、今のノートよりもうちょっと複雑なノートだったんですけども、それをちょっと算数とか国語とか入れてやってみようと。中学1 年生にもできるはずだと…できないと、私はあきらめていたんですね。ところがやってみた受講生の人が、子供にも使える、使ってもらってうまくいったと、それがきっかけで、タイムマネジメントというか…表向きにはタイムマネジメントと言っているんですけど、実は、タイムマネジメントとプロジェクトマネジメントはペアですね。

よその学校がタイムマネジメントをやってもダメなんです。タイムマネジメントをコピーしてやっている学校もありますよ。近くの学校。C校ということにしておきますけど。でも、コピーできないんです。あれは。どういうふうにやるのかということを、教員が、ファーストクラスの上でタイムマネジメントのノウハウみたいなものを、会議室で共有しているんですけど、それを聞かないとですね、タイムマネジメントの指導はできないことになっています。あとですね、プロジェクトマネジメントを見ていると、子供たちが何を考えて、どういうところに行き詰まって、どういうことを必要としているかがわかるようになっています。ですから、大学に行っても、社会人になっても、タイムマネジメントというものは継続して使っていただけるようなことになるんじゃないかなと思います。

理事長●タイムマネジメント、プロジェクトマネジメントの話を保護者の皆さんに聞いていただいて、感じられたかもしれませんけども、須磨学園自身、須磨学園の学校を語るにおいてですね、非常に具体的なプロジェクトというか、システムについて語らせていただいておりますけども、教育を語るということは、非常に抽象的なことであり、教育というのは、どこかの方向に向いてどこかに行くことではないかなというイメージを持っているんですけども、それを語るというのは非常に難しいことです。うちの学校、須磨学園がしてきたことについて、具体的に1 つずつのプログラムなり、システムなりを1つずつ語ってきましたが、その具体性が、具体的な何かの集まりが、今までの6 年間の積み重ねになっていっているのかなと思います。

6 年間で印象深い思い出
司 会● 1 人ずつ、具体的な、この6 年間の、一番思い出深いことを聞かせていただいていいですか?

宮浦●最初は、すべて想定できないというか、想定外という感じだったんですけども、本当にいろいろありましたし、気がついたら今になっていたというのが正直な話で…。

理事長●いや、一番思い出深いことは? まだ振り返っていないってことですか?

宮浦●しんどいこともありましたけども、私はわりと過去のことは考えないんで…。今、志望理由書という話をしましたが、たとえば、生徒たちが何学部に行くとか、何をやりたいとか、将来について話していますが、ある子が国際経済をやりたいと言い出したんですね。「何でなん?」と言ったら、「アジアに行ったら両替が大変やったけども、ヨーロッパに行ったらユーロで楽やったから」とか、そういうのがキッカケになって国際経済をやりたいなとか、1人は「アジアで自由に水が飲めなくて、ペットボトルの水ばかり配布されて苦労したから、私は水環境について工学部で勉強したい」とかね、なんと言うんですかね…苦労したことって、こんなに短時間で語れないんですけど、生徒たちが自分の人生を考えていく時期に一緒に生活できたということ、6 年間一緒にいられたことは感謝しています。最後の詰めが大変ですけども、まあ、一番の思い出…終わってから総括したいですね。

理事長●学園長が、うちの書き初めについて話しましたが、私、あの、今年は「桜咲く」と書きました。無言のプレッシャーです。山本恵美子先生、どうですか?

山本●やっぱりアジア旅行ですね。

理事長●アジア旅行で学園長が帰ったことですか?(会場、笑い)パスポート失くしたこと?

山本●中身の濃い、世界一周旅行のスタートが、一番思い出深いですね。

理事長●本当にすばらしいプレゼンテーションを見せてくれました。本当に感動致しました。金山さん、いかがですか?

金山●世界を回らせていただいてですね、子供がテレビを見たり新聞を読んだりするときに、必ず、そのことについて、自分が行ったときの体験をしゃべるんです、だから、やっぱり、知っているというのは違うんだなと思いました。

理事長●学園長、この先、もう1 回また知恵を出してもらわなければならないんですけど、考えてください、学校はどういう方向に行くんですか?

学園長●あの、学校がどういう方向に行くかというよりも、この5 年間で何が一番記憶に残っているかと言ったら、何人もの教員をやめさせたことです。だいたいね、トラブルが起こって、やめてもらうというのは1 日で決まるんですね。1 日で決めて、やめてもらったら、その日のうちに退去してもらって。やめてくれって言った瞬間に、アカウントを止めているんです。いろいろご批判とかいただいて来たんですけど、私はそれでよかったと思っています。そうしなければならない事情があったという。それがなぜかというと、間違ったら一瞬のうちに改めるという、妥協しないで、一瞬のうちに間違いを改めるということをずっとやってきたという気がしていて、それは続けなければいけないなと思っていて、でも、それをやると、やめてもらった日に、私は必ず落ち込んで、2 日ぐらいめげるんですね。あのときにもう1 回妥協して、「ごめん、ごめん」と言っておけばよかったと思うんだけども、それでも、残った教員、残ったわれわれは、止まらずに進んできたという…それはどうしてかと言ったら、そうあるべきだというよりも、共通の目標を、われわれが共有できているからじゃないかという気がするんですね。

これから須磨学園が
取り組むべきテーマは
学園長●これからの大きなテーマは何かといったら、私は、男子と女子の比率がいくらなのかということじゃないかと思うんです。9 割男子、1 割女子の学校にしていいのか、男子校みたいに。また、9 割女子、1 割男子の学校にしてもいいのかといったら、その両極端もダメだと思うんですね。あの、何かこう、男子と女子がいい割合で存在するということが1 つの学校の、学年の活性化みたいなものに関係しているのではないかなと、そこのところを研究しております。

理事長●男女関係なく、学力で線を引いているっていうのが現状です。

学園長●いやいや、現状はそうなんだけど。これから、未来に向かって…。

理事長●今はちょうど、一対一でいい感じなんです。

学園長●僕はそれがずっと続くという感じではないんじゃないかと思うわけ…(場内、笑い)。男の子がちょっと多い目でね。男の子6 割ぐらいにして、女の子4 割にしたら、女子は皆モテるわけです。かわいそうな男が2 割ぐらい出て、ちょうど社会と似てると思いません? 須磨学園卒業の女子は、「私は学校のときにモテたのよ」とか言って一生ハッピーという。どうでしょうか、そこらへんは。反対にふったりして、質問を。

理事長●今後の須磨学園の方向性と言って、男女比が出てくるとは思わなかった。えっとですね、イメージでしか語れないんですけど。具体的なことというのは、言いはじめると難しいんですけど、もっと自由度を上げたい。そういう方向に進めればいいなというふうに思っています。

学園長●制服なしにしようと?

理事長●そのうち。ブレザーだけとか。紺のブレザーだけお約束で、あとは自由になる日が来ればいいと。でも、ご存知のように…。

学園長●門戸厄神も…。

理事長●いや、違うんです。門戸厄神とか、その、住吉川とか…(場内、笑い)。自由度を上げるということを実現するのか、もっと、最後まで理想の教育と学校を求めていくか。それだと思います。

学園長●もう1 つ、今思ったんですけどね、ファーストクラスのアカウントね、卒業のときにどうするかということですけど、ファーストクラスのアカウントをずっと生かしておきたいなと思うんですね、ご父兄のも(場内、拍手)。それでね、卒業しても、大学にいるときとか就職してからとか、あまり同級生と話をしないんだけど、僕も最近、甲陽の同級生と仲がいいんですね。全員とは仲良くないんだけど(場内、笑い)、この前、文藝春秋にね、同級生交歓というところに、ものすごく仲がよかった7 人組で出たんですけどね。

僕の今日のプレゼンテーションにもね、書きたかったけれども、ちょっと恥ずかしくて書けなかった部分がある。どう、同級生が友情を育んでくれるか、一生友達でいてくれるような環境作りのセットアップみたいなこともしたいなと。だから、同窓会もね、いろんな同窓会があっていいと思うんですよ。地域の同窓会とか。早稲田の稲門会とかは、アメリカ稲門会とかあるわけですよ。東京何とか会とかね、弁護士の人だけが集まった同窓会とか、お医者さんが集まった同窓会とか、職人系の同窓会とか。そういうあたりの企画をそろそろやらなければいけなくなるのかなあ、と。そうすると、毎年、須磨学園の卒業生が増えていくから、そういうネットワークがずっとあればですね、なかなかいい感じになるんじゃないかなということを…。

皆が便利。便利だけではないんだけど。私が見ていて、このネットワークはすごいなと思うのは2 つあって、1 つは慶應大学ですね。慶應大学の三田会というのはすごい。もう1 つ、こんなに同窓会がすごくて、こんな感じでやってるのかというのは開成高校ですね。同窓会が5 つあるんですね。年次同窓会と職域同窓会と地域同窓会と、あと2 つ。それ、聞いて驚いたんです。アクティブに皆活動していると言っていましたので、それなんか研究しながらやりたいなと思っています。それがFCでできるということです。

理事長●ちょっと些細な質問を1 つ2 つ。「須磨文庫、なぜ鳥獣戯画なんですか」というご質問があります。なぜですか?  

学園長●(資料の図版を指して)これ須磨文庫なんです。で、鳥獣戯画なんです。これ、鳥獣戯画の本を、うちの奥さんがくれたんですよ。あなた鳥獣戯画って好きでしょうとか言って。巻物になったものが発売になって、1 巻12 万円したんですけど、すごいうれしかった。それを見てて、すごく似ていると思ったのはね、この狐さんあるでしょ、これ理事長に似ていませんか? それでね、その左側にいるお猿さん、事務局長に似ている。この狐さんの右側にいるのが、事務局の山本さんにすごく似ている。ここでお経を見ているウサギさんと狐さんがね、村山先生と僕という話になっててですね、そうしたら、最後のページに描いてあるウサギとカエルと、えーと…これがやっぱり、須磨学園のお坊ちゃんとお嬢ちゃんということになって、これが須磨学園そのものではないかという。はじめて言うんですけど、人の名前は言わないでくれと言われていたけど、今日は大サービスで言っちゃいました。ちょっと、帰って見ていただけません?

理事長●昔は狐だったかもしれないですけど、今は豚です。

学園長●豚と狸が出てくる鳥獣戯画の丁巻ぐらい作るかな。

理事長●はい…だんだん収拾がつかなくなってきたんですけど、最後に、須磨学園ができてから、今まで理事として、内部の人として、また外部の人として伴走してくださいました村山先生から厳しいご指摘、問題提起、課題をいただきます。

村山●想定外の質問を振っていただき困っています。「思い出深かったことは何か」ということで、前の人まで回ってきたんで、そればっかり考えていて…。その話から問題提起に軌道修正しますが…。

やっぱり理事会が一番思い出深かったんです。かなり「根本的な」ひどいことを今まで言ってきたと思うんですね。1 つ一番覚えているのが、旅行に関して、海外旅行に行くという話が出たときに、無邪気に質問したんですよ、「海外旅行は結構お金がかかるようですけど、学園はぼったくってるんですか、ぼったくられてるんですか、どっちですか?」。困っておられましたね。

それから、これも海外旅行に関してなんですけど、旅行というのは学校から行っても、安全が確保されていると、その分効果が少ない。旅行で学べるものの量というものは、生きて帰って来れない確率に比例するんだというようなことになる。昔の人は本当に命がけで遣唐使で渡って勉強し、現在では、もしかしたら旅の経験を一番、人生に生かしたのは『千と千尋の神隠し』の千尋ではないでしょうか。人間というのは、苦労したらそれだけのことが返ってくるというだけの話かもしれないんですけど…。

こんな話ばかりしていたんですけど、普通でしたら、「もう理事、黙っててくれ」ということになりますよね、アホなことばかり言っていたら。でも、ありがたいと思うのは、アホな思いつきでも、その場でつぶすわけではなくて、だからといって、「お前、それ今すぐやってみろ」と言われるわけでもなく、アイデアとしてちゃんと育てていただけることです。アホなことをたくさん言っている中で、1 つだけ貢献できたかと思うのは、制携帯のことです。制携帯という言葉は、私がたぶん世界ではじめて口にした言葉だと思います。それまでは、そういう概念はなかったので。もう数年前ですけど。でも、発想した時点で、いきなりやってたら当時の携帯では何もできなかったんで、すぐに制携帯はつぶれていたと思います。それを今まで育てていただけたわけです。

それから、よく考えてみたら、さっきの旅行に関して、「学校ってぼったくってるのか、ぼったくられてるのか」という問題も、まじに議論すればけっこう深刻な問題だと思うんですよね。そういうことも考えていただいて、旅行業者の入札制につながるというような形で生かしていただける。理事で来ている私がヤンチャをやっても、それをきちんと受け止めてくれて、はね返すでもなし、押さえ付けるでもなし、管理するでもなしに、いいところを生かしていただけるという体質があるのは、本当にありがたいなと思いますし、もしもっと私が若かったら、もっと育ててもらえていたのではないかと考えています。

やっぱり、非常に個性的な学校ですよね、こちらは。ただ、1 つ問題があるとすると学校の環境が、ある意味でよすぎて、卒業した後戸惑う子が多いんですよ、見ていると。特に浪人の進学率だけがいまいちよくないんですよね。あらゆることを学校の中でやってもらっていることに慣れてしまい、外に出て世間の空気を吸ったら、途端に戸惑う子供が出てくるので、そこらへんが課題なんじゃないかという感じがします。

本日、これから自由にしていくんだと、門戸や住吉にならって制服を廃止しようかという話も出ましたが、うちに1 人門戸がおるんですけど、朝一番、何をつけていくかというと、須磨のネクタイです。お気に入りが。よく見ると、門戸厄神の連中、いろんな学校の制服を、どこから手に入れてくるのか知らないですけれど、アレンジして着ています。結局やっぱり学生服って、よくできてるんですよね。丈夫だし、汚れにくいし、あまりヘンに見られることもないし。

それから1 つ思うのは、女子のパンツルックを解禁にしたらいいなと思うんです。特にスポーツクラス。世界の小林さんなんか、圧倒的にジャージが一番似合っていてかっこいいんですね。本人が好きなら、西洋のアスリートみたいにスラックスを選んでもらってもいいのではないかと思います。陸上選手というのは脊椎動物としての理想的な足腰なんですから、変に恥ずかしがることの方がおかしいんじゃないでしょうか。もちろん、あくまで生徒個人の選択でですが。

最後に何かまとめの話をしないといけないようなので、今後の須磨学園の方向性について話します。これまで母性的な方向に働いてきた部分もあえて突き放して、「任せる、その代わり責任取れよ」とやるような考え方ですね。教育界だけでなく世界的な思想の流れだと思うのですが、そこの部分をどう取り入れていくのかというのが、今後の課題なのではないかと、横から拝見していて思いました。

理事長●ありがとうございます。本当にいろいろなことがあった5 年と8 ヶ月。もう6 年ですけども、これからまだまだ続いていくわけでして、私は、あの、申し上げたいのは、海のものとも山のものともわからない、何も結果も出ていない学校に子供さんを託してくださった保護者の皆さんの期待に応えるために、何でもやるしかないなと、とにかく毎年毎年、皆でそういう思いでやってまいりました。まあたぶん、この先も、毎年毎年、そういう感じでやっていくのかなという予感だけしております。全然まとまらない座談会ですけれども、これで終わらせていただきたいと思います。

須磨学園
最近10年の歩み
2012[平成2 4年] ─2022[令和24年]
未来社会を見据え、革新に挑む
「挑戦」と「創造」の軌跡
1 教育の独自性を求めて
須磨学園ならではの教育システムの確立
2 教科別学習指導の推進
学ぶ意欲を高める学習プログラムの構築
3 自らの経験を通して学ぶ
実際に触れて、感じて、発見する校外学習
4 心身の成長を目指す<運動部>
伝統を受け継ぎ、新たな飛躍へ挑戦
5 興味を深く探究する<文化部>
多彩な分野で数々の成果を達成

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須磨学園ならではの教育システムの確立
教育の独自性を求めて

タイムマネジメント教育の開始
学園長がビジネスの世界で培ってきたマネジメント術を、大手企業の研修会でレクチャーしたことがあった。その研修の受講者が自分の子どもにやらせてみたところ、「成績が非常に向上しました」との報告を受けた。それがきっかけで本学園の生徒の活動の中に取り入れられないかということで開発がスタートした。生徒指導・家庭科の教員が中心となって2冊のノートを完成させたのが現在のプロジェクトマネジメントノート(PMノート)とタイムマネジメントノート(TMノート)である。この2冊のノートを使った自己実現のサポートプログラムが中学校を開校した2004(平成16)年からスタートした。

毎週金曜日の1時間目に実施
タイムマネジメントの時間は、毎週金曜日の1時間目に実施されている。生徒たちが翌週1週間の予定を計画する時間である。PMノートを使用し、1週間の目標のもと、やりたいこと、やらなければならないことを考えて記入していく。これが決まると、いつやるのか、どのくらいかけてやるのかを考えて、TMノートに記入する。これを毎週繰り返していくことで、生徒たちの“計画”→“実行”という生活が習慣化していく。

また、教員のサポートも重要な要素となる。ノート記入の前には、担任が日々の学校生活の予定や学習面での心の持ち方などを連絡し、計画がスムーズに立てられるようにサポートする。記入した各ノートは、毎日担任に提出され、必要であれば助言も欠かさない。私たち教員にとっては、生徒たちのノートを確認することは今の本学園で担任をする上で欠かせないルーティンワークとなっており、生徒たちと適切に、かつ深くコミュニケーションがとれるものとなっている。

タイムマネジメントの時間は
なぜ金曜日にあるのか?
タイムマネジメントの時間に、土曜日から翌週の金曜日までの1週間の予定を立てるよう促している。このリズムはとてもすばらしいと感じている。月曜日から金曜日まで、立てた計画を実行しているわけだが、うまくいく週もあれば、そうでないことも多々ある。うまくいった場合には、週末は少しのんびりすることを勧めていた。一方で、急な予定が入ったり、学習面で達成度が悪かったり、体調面でのトラブルが起こることもあり得る。そういったとき、土曜日と日曜日にリカバリーや修正をかけることができる。そして、また、新たな1週間を迎える。このサイクルは、1週間分を、ある意味2度“計画”→“実行”でき、より深いものになっている。

やめられない、とまらない
「やめられない、とまらない」は、あるスナック菓子のキャッチコピーであり、現代においては慣用句としても用いられているそうだが、毎週PM・TMを続けていくと、まさしくそんな様相を呈してくる。

特に、PMシートは毎週の計画を立てるツールとして活用されているだけでなく、近年では事あるごとに登場しているグループPMの計画立案にも活用されていることなどは、その一例である。あるグループPMでは、同じ大学を目指している仲間が集い、合格に向けて必要なことは何かを出し合ってシートにまとめる。それをプレゼンテーションすることで意見交換を行って内容を深め、活用に持ち込む。こんな場面は、さまざまなクラス活動でも見受けられるようになった。

また、卒業生が本学園を訪れたとき、「PM・TMを私たちにもください」と言ってきた事例もある。彼らは、SEや医者、大学院生である。立派に社会で活躍している。世の中にはスケジュール帳などがごまんと発売されている。それでもPM・TMシートを活用したいというのには、中高時代に培った土台となるものがあるのであろう。

初めてのPM・TMは先輩から
中学生が入学して最初に記入するPM・TMノートは、ここ数年、先輩が指導をしてくれている。これは、私たち教員が書き方を説明すると、どうしても「やらされ」仕事になってしまうため、大変ありがたい。

PM・TMは、自ら考えて計画を立て、ワクワクしながら実行できることが大切である。中3生(または中2生)が、自らが記入した PMシートとTMシートを拡大コピーして黒板に掲示し、お薦めの書き方から苦労話、担任とのやりとりなど、エピソードを盛り込んで熱心に話をしてくれる。中1生は、真剣にメモをとりながら聞いている。最後には質疑応答も活発に行われる。たった1回だけ教えに来てくれただけで、PM・TMシートを書けるようになってしまうという、魔法の企画となっている。

なりたい自分を想像・
創造するシートが登場
PMシートを使うときは、一般的には、短い期間や小さな目標に対して思考していく場合が多い。TBMシートは、将来どんな自分になりたいのか、社会に出てどうありたいのかなど、「to be myself,...なりたい自分になる。そして…」における、「,...」(そして…)について、深く考えて記入することができるシートだ。約10年間のTBM教育の中で、タイムマネジメント教育の原点に戻ったシートである。

TBMシートは、左側には「なりたい自分」を想像して絵で表現をする。描き出すとなかなか楽しい。右側には、10項目を具体的に創造的に書き出していく。10項目考えることで、より深く具体化されていく。最初は難しいが、慣れてくるとその思考が楽しみやワクワク感へと変化していく。近年は、特に年始に書き初めとともに実施することで、1年間を想像する良い機会となっている。

「心」に触れることも大切!
なりたい自分を想像してTBMシートに記入し、PMシートで創造し、TMシートで実行していれば良いのかというと、そんなことはない。勉強だけできていれば良いわけではなく、成績が良ければ何をしても良いわけではない。

ここ10年で成長を遂げたと言ってもらえる須磨学園だからこそ、「心」の持ち方について考えることが重要である。TBM教育において、現在活用している各シートは以下である。

xyzTシートは、自分の内側にある「心」を、座標軸をイメージして、x「広く」、y「高く」、z「深く」、そして温度を含めてT「あたたかく」持つために、考えや行動について書き出すシートだ。世間では、いじめの問題、SNSの発言など、心に関する問題が多いなか、自らの持つ「心」としっかり向き合うことで、人を思いやる気持ちを養う。

PQRSシートは、自分の外側である他(周囲)との関係を考えて、Productivity(量)「何をどれくらい」、Quality(質)「どのように行うのか」、Relationship(関係 人間性)「どんな関係(存在)なのか」、Services(奉仕)「周囲のために自分は何ができるか」も考えて書き出すシートだ。それは「自分」「家族」「友人」「クラス」「クラブ・生徒会」「学校」「地域」「国」「世界」へと広がる。今では、なりたい自分を創造するために必要なツールとなっている。

新PMシートは、Project Mandala
PMシートは、144マスに順番に書き込んでいくシートである。新PMとして、2019(令和元)年から開発を始めたシートは、曼荼羅図の発想に基づいた9つのエリアと9つのマス目からなる。書くべきことはPMシートと変わりはないが、どこに書くのかを創造できる点においては一歩進んだプロジェクトになっている。2022年現在、従来のPMシートと新PMシートを併用している状態であるが、今後は新PMシートにも記入することで、さまざまな思考や工夫が構築されていくことだろう。2021年の年始には、新PMに即した7色の付せんを制作して、1年間を創造したPMシート作成を実施した。好評で、「つくり上げることが楽しかった」「見ているとワクワクする」など生徒たちは感想を述べていた。TBM教育も、本学園の発展の1つである。

2.総合科目としてのBNIT
情報リテラシーを育成するBNIT
現代社会は目まぐるしく情報化が進んでおり、膨大な情報が容易に得られる反面、必要な情報が何なのか見えにくくなっている。このような情報化社会を生きる力として、必要な情報を、①効率的に検索し、②情報の質を確かめ、そして③効果的に使いこなすことができる能力を身に付けることが求められる。本学園では、総合科目としてBNITという演習形式の授業を行っている。BNITとは、Books、Newspapers、Internet、Televisionの頭文字で、図書室にあるさまざまな情報検索用のツールを用いて、班ごとに課題を解決する授業である。

図書室がマルチメディアセンターに
BNITを推進するにあたり、本学園では図書室を複数種類の情報媒体を備えたマルチメディアセンターとして学習環境の整備を行ってきた。現在、図書室には約4万6,000冊の蔵書、全国紙と地方紙の過去3年間分保存、インターネット接続端末機を設置し、さらにTVとHDDレコーダーの導入を準備中である。生徒はこうした図書室の各メディアの特徴を理解し、効率的に情報を検索し、その質を確かめることによって情報リテラシーを向上させていく。実際のBNITの授業では、生徒はグループに分かれ分業によって与えられた課題の解決を進める。そして、集めた情報を集約・要約し、分かりやすいレポートを作成し、発表する。こうした過程を通じて、情報活用能力だけでなく、チームワークや表現力も身に付けていくことができる。

3. MCP教育
人間としての在り方、
生き方を探求するMCP教育
MCPとはMoral、Conscience、Peaceの頭文字をとったもので、道徳(人が決めたルール、規律の精神)、良心(自分が決めた個人のルール、自律)、平和(平和を希求する心)を表している。従来の道徳教育における価値観の押し付けは、複雑で多様化した現代社会には当てはまらないものもある。MCPでは、教材や体験を通して多様な価値観があることを学び、時には議論もし、各自が考えながら納得できる価値基準や知恵を身に付け、理性に裏打ちされたMoralやConscienceの確立を目指している。また、さまざまな学習や体験を通じて平和への意識を高めたり、ホームルームでのさまざまな活動を通し、自己理解を深め、個人および集団の一員として諸課題に積極的に取り組み、人間としての在り方・生き方について探求する姿勢を養ったりすることを目指している。

名言・名句から自己の在り方・
生き方を考える
過去の長い年月にわたって多くの人々に尊重され、愛好された古典の中には、思いやり、やさしさ、感動する心、悲しみや困難を乗り越える力など、人として大切なものを育む言葉が多く収められている。その古典を読むことによって自己を正しく知り、自己の在り方や生き方を考えることができる。

本学園では、こうした古典や名言集を活用したホームルーム活動を行っている。ホームルーム活動としては、生徒一人ひとりが好きな言葉、共感した言葉を選び、自分の体験を交えてスピーチを行ったり、名言・名句を使った教室の掲示物を作成したりするなどの活動を行っている。

なりたい自分になるための
「心」について考えるxyzTシート
xyzTとは、自分の心を4つの次元で考えてみる活動である。xは心を「広く」、yは心を「高く」、zは心を「深く」、Tは心を「あたたかく」を意味している。この活動ではxyzTシートを用いて、なりたい自分になるために、自分の心と向き合って、自分の思考を分析する。時には発展的な活動として、グループワークを取り入れ、互いの考えを発表し合ったり、意見交流をしたりするなどしている。

自分と周囲との関係を考えるPQRS
私たちは誰しもが家族、学校、地域、国、世界の一員である。自分を取り巻く社会は年齢とともに家族から世界へと広がっていき、「なりたい自分」にたどり着くまでには、さまざまな自分を取り巻く社会との関わりの中で生きていくことになる。そして、社会との関わりの中で自分を生かすことが、「なりたい自分」へ一歩近づく過程となる。その過程は同時に、自分自身だけでなく、周囲の人々とそこから広がる社会全体を望ましいものにすることになっている。つまり、社会貢献へとつながっている。

「なりたい自分」を考えるとき、そこには必ず自分以外の存在が関係している。PQRSとは、自分と周囲(自分以外の存在)との関わりを考える活動である。PQRSはProductivity(量)、 Quality(質)、Relationship(関係 人間性)、 Services(奉仕)を意味している。生徒は、自分に関係する周囲に対してP(何をどれくらいするのか)、Q(どのようにするのか)、R(自分にとってどんな存在なのか)、S(周囲のために何ができるか)をシートに書き出していくことで自分の考えていることを明確にしていくのである。

4.制携帯・制パソコン
制携帯を導入する目的
禁止するよりも、安全に守られた環境で、携帯電話の危険性、使用上のモラルやマナーを学び、正しく使えるようになるために導入しました。制携帯は制服と同じように、社会生活を学ぶ大切な教材です。

他の学校にはない本学園独自の取り組みの1つに、制携帯がある。制服・制かばんと同じように、生徒は皆同じ携帯を持っている。その運用についてまとめられた「制携帯ハンドブック」には、冒頭に導入の目的が大きく記載されている。

制携帯は、上記の目的のもと、全てのメールが本学園の管理する「First Class」サーバーを経由し、生徒が安心して利用できる環境が整えられた。2010(平成22)年から運用が開始され、利用開始時はフィーチャーフォンであったが、時代の変化に合わせて2016年からはスマートフォンへと移行した。

フィーチャーフォンでは電話とメールが主で、インターネットは限定的にしか利用できなかった。しかし、スマートフォンではその比重が逆転する。現代の中高生は、以前とは比べ物にならないほど簡単に、自由にインターネットへと接続できる。そこへさらにTwitter、Facebook、LINE、InstagramなどをはじめとするSNSが登場し、個人情報の漏えいやソーシャルハラスメントが社会問題となっている。制携帯導入の目的は、時代を追うごとにその重みを増しているように感じる。情報の授業などを通し、本学園において情報モラルを身に付けた卒業生が、モラルインフルエンサーとして活躍することを期待している。

パソコンによるオンライン授業
2004(平成16)年の中学校開校から、中学生は1人1台のノートパソコン(制パソコン)を所持し、学校生活で活用していた。2018年高校入学生から、大学入試に必要なポートフォリオ作成のため、高校生全員がノートパソコンを所持することになった。結局ポートフォリオの作成は必須でなくなったものの、これからの社会に向けてITリテラシーを磨くことは有用と判断され、現在では本学園の全ての生徒がノートパソコンを所持している。同時に、各教室に無線LAN環境が整備され、どの教室でもインターネットへ接続できるようになった。

そこへコロナが来た。2020(令和2)年度、生徒・教職員の全員にそれぞれ1台のパソコンがなければ、オンライン授業は行えなかった。現在では感染症対策だけでなく、警報発令時などにもオンライン授業は活用されている。さらに、2020年度夏以降も毎週1日のオンライン授業日を設け、生徒・教員がいつでもオンライン授業を展開できる体制を整えている。

5.教育環境の整備
恵まれた立地に充実した設備
本学園は神戸市須磨区板宿町の山手、木々の緑に囲まれ海を望む恵まれた環境に立地し、市内の高等学校では最大級の10万㎡を超える敷地を有し、のびのびと充実した時間を満喫できる自然環境に囲まれている。

1960(昭和35)年に現在の立地に校舎を新築移転してから、この恵まれた環境を生かすべく、教育施設の整備を進めている。本館(1960年築)・新館(1964年築)の2つの校舎で学び、バスケットボールコート2面分の球技グラウンド・全4面あるサンドグラステニスコート・全天候型トラックを有する総合グラウンド、50mの屋外プールといった屋外運動施設に加えて、体育館・武道館の屋内運動施設を有し、充実した運動施設で体を動かす。放課後の部活動では野球・サッカー専用の須磨総合グラウンドや、弓道場、アーチェリー場といった専用体育施設での部活動も盛んである。

このように教育施設の拡充を行ってきた本学園であるが、移転から60年以上が経過し、物理的に、機能的に老朽化する施設の維持管理や更新も重要となっている。

時代に合わせて進化する学習環境
2012(平成24)年度には中高共通で利用する図書室を全面リニューアルした。本棚の入れ替えや図書システムの導入により、4万6,000冊を超える蔵書の管理を効率的に行い、貸し出し・返却管理のほか、蔵書検索や予約などをパソコンでできるようにし、生徒が有効活用できる場を提供している。

また、理科実験の重要性に鑑み、2014年度には物理・地学実験室を、2018年度には生物・化学実験室の全面改修を行い、安全にかつ充実した実験授業を実施できるようにしている。2016年度には全教室への無線LAN環境の整備を行い、教室内での通信を可能にしてICT教育が充実した。

そして、2015年度から2016年度にかけては、竣工から既に50年以上経過した2つの校舎、本館と新館の大規模修繕工事を連続して行い、外壁補修・塗装のほか、窓サッシの入れ替えや内壁の塗装などにより、全面リニューアル。安全で明るく清潔な外観および内観となっている。2017年度以降は、武道館2階の照明や体育館の照明、須磨総合グラウンドの照明を順次LEDに切り替えて運動施設照明の更新を行っている。

2020(令和2)年度には長年の課題であった校舎内トイレの改修工事を行った。2つの校舎にある全てのトイレの近代化のほか、感染症対策もしっかりと強化している。具体的には和式便器を全て洋式便器に変更、タイル張りの湿式床を乾式床に変更、さらに、接触場所を減らすために出入口は自動ドアにし、便蓋の自動開閉、水洗・手洗いも自動水栓にした。また、2021年度・2022年度の2年間で全教室にプロジェクターを設置し、映像授業の展開のほか、教室に居ながら映像を通した海外学校交流の実施など、教育の可能性を広げた。本学園ではこれまでも、そしてこれからも、いつの時代でも変わらない安全・安心な環境を確保しつつ、時代に応じて変化する最適な学習環境を実現するため、教育施設の充実を追求し続ける。

6.制服の拡充・リニューアル
伝統と革新の須磨学園
本学園には、近年さまざまな変化があったが、変わらないものもある。男女共学化から続く紺ジャケットとグレーのスラックス、そして中学校開校時より続く紺の上下の正制服である。時代の変化に合わせて、近年では軽くて着心地の良い素材に変わっているが、伝統のカラーは変わらない。式典の際には、ジャケットを着用し、紺地にロゴの入ったネクタイとリボンを身に着け、フォーマルな場にふさわしい装いをする。

一方で、オプションのシャツの素材はこの10年で何度か変化した。2019(平成31)年より採用されたニットシャツは、アイロン不要で型崩れのしないものを使用している。機能性に加えて豊富なオプションアイテムをそろえることで、生徒一人ひとりの個性や学校生活にフィットした制服の選択が可能になっている。

ニット類のバリエーションの増加
この10年の本学園の制服の変化のうち、一番目を引くのが、オプションの水色のニットセーターとカーディガンの登場である。紺の上下の制服は、どうしても硬い印象になりがちだが、明るい色合いが選択肢に入るようになった。これまでの紺のセーターとカーディガンよりも薄手で、軽くて着心地が良いことから、男女問わず人気のアイテムである。

新しい色の登場により、現時点での本学園での制服のオプションとしてのニット類は、従来の紺のベスト(夏・冬)・セーター・カーディガン・パイロットセーター・白の夏用ベストと合わせて8種類になった。シャツの色(白・青)やネクタイの色(紺・青・赤・黄)との組み合わせで、自分なりの着こなしの幅が広がっている。

須磨学園オリジナルチェック柄が認定
以前より本学園の生徒だけでなく、近隣の中高生からも評判が高かった女子のオプションスカートのチェック柄が、本場イギリス・スコットランドのキンロックアンダーソン社に「須磨学園オリジナルチェック柄」として2017(平成29)年6月に認定された。

これを記念して、本学園ではさまざまな「須磨学園オリジナルチェック柄」を使用したアイテムを製作した。入学前の説明会でも、来場者にオリジナルチェック柄クリアファイルを土産品として贈呈することもあり、認知度も上がってきている。現在、購買部で誰でも購入できる。

保護者にも大人気!
学園関係者も購入・使用できるサブバッグ
2020(令和2)年度よりオプションアイテムとして、神戸のトラディショナルなアパレルメーカー familiarとコラボレートした、本学園オリジナルのサブバッグが登場した。昔から神戸を中心とした阪神地区の女子高校生に人気のバッグであるが、本学園の制服生地を実際に使用したオリジナルデザインがかわいらしいアイテムである。

軽くて丈夫な上、使い勝手が良く、女子を中心に多くの生徒が使用している。生徒だけでなく教職員や保護者などにも人気で、男子生徒の保護者が購入・使用している例もある。生徒も含めた、文字通り「須磨学園ファミリー」共有のアイテムとして愛されている。

これからの須磨学園の制服
これまでの本学園では、制服に新アイテムを追加したり、素材やデザインを変更する際は、教職員で構成する制服検討委員会がアンケートなどを参考にしながら決定を行っている。近年、生徒や保護者からの女子スラックスの導入要望を受け、検討の結果、2022年度途中から導入された。

7.学校内外に情報発信
広報物の発行、ホームページでの発信
広報部では年間を通じ、紙媒体を中心とした広報物の制作を行っている。対外的な広報ツールとして、学校案内パンフレット、『Suma Press(アニュアルスケジュール・合格おめでとう号など)』などを毎年継続して発行してきた。

まずパンフレットは、表紙だけでなく中面も毎年見直し、本学園の入学希望者に本学園をより分かってもらえるよう文面、写真などを更新している。本学園のパンフレットは、在校生をモデルに起用している点が特徴である。

『Suma Press』は2018(平成30)年にリニューアルされ、それまでのタブロイド判からA4判の冊子形式に変更された。全面カラー刷りになったことで見やすさは増し、生徒の体験文が掲載されることで、より学校内の様子が伝わるものになった。

学校情報を即時的に発信するには、ホームページが有効である。ホームページは2016年にリニューアルされた。トップページには「学園カレンダー」「学園ブログ」などを掲載している。「学園カレンダー」では、日々の学校の様子を広報部が校外に発信、「学園ブログ」は部活動の報告などを生徒や顧問が発信している。先述の広報物などの発行を含め、広報活動全般において、教職員や入試対策部などを中心とした他機能部との連携を図り、ニーズや時代に合った広報物の制作や、広報活動を行うという姿勢はこの10年間変わっていない。

主な発行物の一覧
● 中学校・高等学校学校案内(パンフレット)
● Suma Press
● インターネット授業配信リーフレット
● 夕刊須磨須磨

『VIマニュアル』の改訂(2021年)
広報物は視覚的に訴えるものが多い。視覚的なコミュニケーションにおいて、表記がバラバラであったり、形が不統一であったりすると、情報の受け手は学校に対しマイナスなイメージを持ちかねない。そのため、本学園のビジュアルイメージの統一を図っていく必要がある。

本学園は共学化の時からSI(School Identity)を表現する『VI(Visual Identity)マニュアル』を作成している。このマニュアルは、ロゴ、シンボルマーク、スクールカラーなどを定義し、それらの活用方法をまとめた説明書である。これに基づき、パンフレットをはじめとする各種広報物発行などの広報活動、備品などへの反映を行っている。

2019(平成31)年の須磨学園夙川中学校・高等学校の新たなスタートに併せて同校の『VIマニュアル』作成が始まり、2021(令和3)年、須磨・夙川共に『VIマニュアル』の最新版を発行した。

これまで『VIマニュアル(須磨版)』は1冊に情報を集約していたが、2021年の改訂でA・Bの分冊版となり、開校当時には存在しなかったロゴ入りノベルティーグッズなど最新のアプリケーションも紹介するなど、記録的要素も含んでいる。『VIマニュアル』はクリエーターの思考を制限するものでは決してない。このマニュアルを遵守しながら、今後も創造的で新しいアプリケーションが生まれることを期待したい。

『VIマニュアル』の構成要素
1.統一ロゴ
2.統一シンボルマーク
3.校章
4.スクールカラー
5.アプリケーション使用例

オリジナルノベルティーグッズ
学校説明会、入試説明会などの広報活動では、ノベルティーグッズの配布も行っている。ノベルティーグッズとは、先述の『VIマニュアル』をもとに、ロゴ、シンボルマークを入れたオリジナルグッズのことである。

マスコミの注目(取材対応)
広報活動の一環にマスコミの取材対応がある。本学園は新聞・テレビ・雑誌などのマスメディアからの取材依頼も多い。これまで同様、本学園の特色ある教育内容や部活動の報道は継続的に行われているが、近年では、新型コロナウイルス感染症によって、インターネットを介したオンライン授業実施など先駆的な取り組みをしたことで世間の注目を浴びている。

2020(令和2)年度の実績では、オンライン授業に関連したマスコミ掲載(放送)は9件であった。こうした背景もあり中学校、高等学校共に2021年度入学志願者数増加の一助となった。

『夕刊 須磨須磨』・『夕刊 須磨夙』
2020(令和2)年5月、新しい広報物が誕生した。『夕刊 須磨須磨』『夕刊 須磨夙』である。新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、オンライン授業となり、生徒が登校できない状況が発生した。

先駆的にオンライン授業を取り入れた本学園は、学びを止めることなく学校運営を継続できた。しかし、生徒たちの心がバラバラになり、学校への帰属意識が薄まるのではないかと、学園長は危惧した。

そこで学園長の「生徒たちの心をつなぎ留めたい」という思いのもと、学校内のコミュニケーションツールとして、校内新聞『夕刊 須磨須磨』『夕刊 須磨夙』の作成に至った。この新聞は、校外には配布しない学校内だけのクローズドな広報ツールである。あえて校外には出さないことで、特別感も演出している。

発行は、校内のグループウェアである「First Class」(FC)やMicrosoft社のTeamsで行われる。9時まで自学に参加した生徒には実際に印刷した紙面も配布した。“生徒記者”である新聞部の部員たちや広報部が、取材・原稿作成をしている。

この取り組みは、オンライン授業期間を終えても須磨・夙川共に継続されている。須磨では、創刊から1年で72号発行し、掲載生徒数は延べ700名に上った(2021年5月7日時点)。

8.リーダーシップ(LCT)教育
主体性を育むために
社会の中での人との関わり、自己実現を達成するために必要な力の育成に積極的に取り組んでいる。本学園ではLCT教育(LCT=Leadership and Collaborative Teamwork)を通じて自己実現を達成するための力を育んでいる。LCT教育の目標は学校行事や生活の中で生徒たち一人ひとりがリーダーシップを発揮し、協力し合い、1つのものをつくり上げていくことで、社会生活に欠かすことのできないコミュニケーション能力を育成していくことである。

この10年間で主体性を育てていくための取り組みが新たに開始され、その1つに「リーダーシップ講座」がある。リーダーを育てていくために学園長が自ら教壇に立ち、生徒たちにリーダーとは何かを教え伝えていく講座である。また、主体性を身に付けていくためのシステムがこの10年間でより良いものになっていった。その1つが中学の「ウィンターキャンプ」であり、特に主体性を育むためのシステムがより良いものになったと言える。ここでは「リーダーシップ講座」「ウィンターキャンプ」の2つの取り組みを取り上げて紹介する。

真のリーダーシップとは何かを学ぶ講座
本学園のリーダーシップ教育の特色として、「リーダーシップ講座」がある。「リーダーシップ講座」とは、学園長が自らリーダーとは何かを、参加する生徒に伝えていく講座である。土曜日の放課後に行われている講座で、高校生を対象に希望制としているが、毎年多くの受講者が受講している。初めに学ぶのは「リーダーシップの10のステップ」である。考えたことを実行に移すための10のステップを初回の講座で学ぶ。本学園では、文化祭・体育祭・研修旅行など行事がたくさんあり、その中で、計画を考え、そして実行していく経験を積んでいく。講座内で「リーダーシップの10のステップ」を身に付けることで学校生活はもちろんのこと、その後の生活においても十分に役立てることが可能になる。

また、講座内ではアイデアを生み出しまとめていくためにはどのような手段があるのかを具体的に経験して学ぶことができる。講座内での「グループPM作成」という取り組みにより生徒たちはアイデアをどのように生み出し、どのようにまとめていくかということを身に付けることができる。

行事を通してリーダーシップを
身に付ける
主体性を育むというが、自由に行わせれば身に付いていくのか?と言われると、決してそうではない。手本を見せたり、実際にやってみたり、褒める場面があったり、反省点を共有する会議を行ったりと多くのプロセスが存在する。

中高一貫の行事の1つにウィンターキャンプがある。同キャンプは中学1年から3年までの3学年が合同で参加するという点が他の研修やキャンプとは異なっている。この10年間で、ウィンターキャンプの中で主体性を身に付けるためのシステムがしっかり構築されたと感じている。3学年が合同で行う利点を生かし、それぞれの学年に目標を設定している。3年生は最上級生として後輩に見本を見せる場である。それに加え、2年生や1年生を育てていくことを目標としている。2年生については、できる限り自分たちで考えてやってみることを目標とし、1年生は見て学ぶことを目標としている。キャンプの夜には会議が開かれ、より良くしていくための議論が活発に交わされる。ああでもない、こうでもないと言いながらより良いものをつくっていこうとする姿が見られるようになった。

研修旅行やキャンプについて、自分たちが主体となってつくり上げていくことができた経験がとても印象に残っており楽しかったという声を卒業生からよく聞く。その楽しかった経験が社会の中で活躍していくための原動力になっているように感じている。現在行っている取り組みが完成とは思わない。社会で生きていくために必要な力を一人ひとりが確実に身に付けていけるさらなる取り組みを考え続けていきたいと思っている。

9.社会との連携
板宿祭り~板宿八幡神社春季例大祭~
本学園の正門の脇にある道を進んでいくと、板宿八幡神社がある。毎年正月には本学園の高校3年生が初詣や合格祈願に訪れる神社である。その板宿八幡神社では春季例大祭(通称板宿祭り)という大きな祭りが毎年5月3日に行われる。この板宿祭りでは大人神輿、中神輿、小神輿の3基の神輿を担いで、板宿の町内を練り歩く。本学園では15年以上前からこの祭りに参画、中学生を中心に毎年10~20名が参加している。2011(平成23)年までは中学の運動部が持ち回りで参加していたが、2012年からは中学の生徒会が中心となって参加している。

朝7時30分に神社の境内に集合し、神社から貸し出される法被を着て、本学園の鉢巻きを頭に巻くのが参加者のスタイルである。境内での儀式を終えると、小神輿を担いで、神社前の急な階段を下りていく。大きなかけ声を出しながら丸1日をかけて板宿の町中を練り歩く。神輿が家の前を通ると、多くの住民の方が顔を出し、ありがたそうに神輿を拝んでくれる。本学園の生徒は遠方から通う生徒も多いため、地元との交流は普段行えないが、この板宿祭りが貴重な交流の機会となっている。

2020(令和2)年と2021年は新型コロナウイルス感染症の影響で実施されなかった。過去には中学1年から高校3年まで皆勤で、大学生になっても参加した(結果7年連続)卒業生までいる。

ボランティア活動
本学園では、生徒会執行部の下部組織として社会奉仕推進委員会がある。各種の募金活動やボランティア活動の告知を行う委員会である。およそ月に1回の頻度で、さまざまな活動を告知しているが、この10年間で生徒の募金やボランティア活動に参加する規模が大きくなってきた。

毎年の募金活動では、赤十字募金と赤い羽根共同募金を社会奉仕推進委員が回収している。あくまで任意の活動であるが、クラスによっては委員の声かけに応じて1人1円でも良いから集めようと、40個近い募金袋を提出してくるクラスもある。

ボランティア活動に関しては、年によってさまざまだが、この10年間変わらず本学園が取り組んでいるものに、神戸市社会福祉協議会主催の福祉体験学習「ワークキャンプ」がある。学校で募集を行い、希望する生徒は神戸市内の社会福祉施設に割り振られ、夏季休業の3日間、自宅から各自で施設に通って終日のボランティア活動に参加するというもの。

毎年多くの生徒が参加を希望し、多いときは学校全体で80名以上が参加した年もあった。訪問先は、生徒が高齢者福祉施設・障がい者福祉施設・児童福祉施設・保育施設の中から施設種を選び、自宅近くの施設が割り当てられる。当然、同じ学校の生徒はおらず、初対面の人に囲まれながら、慣れない活動に最初は戸惑う生徒も少なくない。3日間の活動中に1回は学校から教員が見学に行くが、どの生徒も学校では見ることのできない新しい表情を見せてくれる。クラスではおとなしい生徒が高齢者にも聞き取りやすいよう一生懸命大きな声を出していたり、お調子者の生徒が小さい子どもたちにルールを守ることの大切さを丁寧に説明していたり、どの生徒も決まって「新しい自分」に出会って帰ってくる。

10.防災教育のスタート
3.11防災Walkの始まりまで
2013(平成25)年の秋、管理職、総務部、社会科教員、生徒指導部が集まりをもった。今後必ず発生すると言われている南海トラフ巨大地震への対応、東日本大震災の惨事を踏まえて、「学校が行うべき防災への取り組みは何か?」と、理事長が中心となり、防災教育や災害時の備蓄計画について協議した。その結果、今後の取り組みの1つとして、災害発生時を想定した「集団歩行下校訓練」を企画実施する運びとなった。

大災害が発生した場合、公共交通機関は遮断され、家族との連絡もすぐに取れない状況が想定される。生徒、教職員は学校でしばらくの間は待機することになるが、その後は家族の元に戻るため可能な生徒は学校から歩いて自宅や各居住地の避難所まで帰ることが考えられる。

そこで、東日本大震災の発生した3月11日を本学園の「防災の日」と定め、この日に集団での歩行下校の訓練を実施することになった。「3.11防災Walk」と名付け、そこから実施に向けた準備が始まった。

地区会の形成
本学園には、東は大阪府、西は赤穂市(岡山県近く)まで非常に広範囲から多くの生徒が通っている。そこで、全生徒を東西南北で複数のグループに分けて、居住地の出身小中学校ごとの25グループを作成した。さらに人数の多いグループは細分化して全体で42の居住地ごとのグループを形成した。学年クラスとは違う、生徒の居住地ごとの縦割りグループを「地区会」と名付け、教職員も居住地や出身地に合わせて担当者を配当した。防災Walk実施に向けて、また、災害時には情報を共有して下級生、上級生が協力して行動できる集団として、2014(平成26)年2月に初めての集まりをもった。所属生徒と担当者の顔合わせを行い、「地区会」の目的や意義を共有して、生徒のリーダー(地区長、副地区長)も決定した。自己紹介や地元の話で盛り上がる地区もあり、クラス以外にもう1つの集団に所属する帰属意識がもてる機会となった。以降、毎年この「地区会」を更新して現在に至る。

初めての3.11防災Walk
2014(平成26)年3月11日、第1回目の「3.11防災Walk」を実施した。企画段階で全員が歩くのか、どれくらいの距離が実施可能レベルであるのか、と議論したが、訓練として実施できる範囲、平日に大人数で行う行事として、各地区共に最長10㎞までのルートを設定する。当初の防災Walkは担当教員が生徒を引率して歩くのではなく、歩行ルートの各ポイントに教員を配置して、通過する各班をチェックして安全誘導するスタイルとなった。人数の多い地区は80名以上になり、防災Walk時は地区内でさらに班に分かれ、上級生が中心となり班員を引率して歩く方法で行った。

歩行時の解散場所は、東エリア:湊川神社前、西エリア:須磨浦公園駅、西神エリア:総合運動公園、北エリア:湊川公園を最長目的地として実施。当日は午後からの実施となったが、全部で123班を時間差で出発させることで混雑防止を図った。救急対応を考え、各ルートには車両班を設けて歩行ルートを巡回し、生徒の安全歩行を確認した。防災Walk実施にあたり、教員が着用する目立ちやすいオレンジのジャンパー、歩行生徒の先頭が持つSGマーク入りの旗、防災訓練実施中の襷が作成された。外部の方にも何をしているのかが分かり安全を含めて目立つための工夫である。

毎年、歩行下校のルートも見直した。東日本大震災と同じ海溝型の地震の場合、津波被害の恐れがある。海抜の低いエリアを避けた歩行ルートを選び、JR線よりも北側を通るルートに変更して歩行距離も延長した。

3.11防災訓練の実施
2018(平成30)年3月からはさらに発展進化させるため、「3.11防災Walk」から1日を通して行うプログラムとして、「3.11防災訓練」に変更した。初めて大地震発生を想定した避難訓練を実施。シェイクアウト訓練と同じく地震発生時にはヘルメットを被って机の下に避難するが、その後、校舎から離れて高台へ避難する訓練となった。

この年は全生徒が同じ訓練をするのではなく、2グループに分かれたプログラムで実施した。遠方で歩行下校が困難な地区のグループは学校で防災訓練の見学や講話を聴講するプログラムに参加し、歩いて帰ることができる地区のグループは防災Walkに参加した。特に学校での訓練については兵庫県警機動隊に救助活動を実演してもらい、ロープの使い方の講習、簡易担架での救助など実践的な学びが多くあった。

この日の防災訓練は「東日本大震災から7年の日」として取材を受け、翌日の新聞記事に掲載された。2020(令和2)年は新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言のため、この行事も延期せざるを得ない状況となった。しかし、2021、2022年は防災Walkを除いて、建物からの一時避難訓練、リモートでの防災講話聴講と地区会を実施した。コロナ禍で従来実施してきた学校行事も延期や中止を余儀なくされ、制限のあるなかで工夫を凝らして実施している状況である。しかしながら天災はいつ発生するか予測できない。今後も学校にとって本当に必要な防災教育、安全教育を模索して、生徒に有益で良き学びとなる場が提供できるよう防災行事に取り組んでいきたい。

11.夙川学院との業務提携から設置者変更
2人の想い
学校法人夙川学院から、2017(平成29)年7月に直接本学園の理事長へ、「支援をお願いしたい」と相談が持ちかけられた。理事長は、本学園と夙川学院の先代理事長同士で親交があったことや、兵庫県で私学がもし1校でも破綻したら受験熱は一気に冷め、皆公立を目指す流れにもなりかねないという危機感、さらに兵庫県私立中学校高等学校連合会の合言葉「兵庫私学は1校たりとも潰さない」も意識し、支援を求めてきているなら、自分たちはできる限りの手助けは惜しまない、という気概をもっていた。理事長の兄である学園長も気持ちは同じであった。これらの想いを胸に、2人してこの大変な状況に置かれている夙川学院を支援するという大きな決断をする。

「夙川」という校名が残ったのにはこんなエピソードがある。「『夙川』という校名は残さないといけない、創立140年の歴史があり、4万名の同窓生が存在する歴史ある学校、その卒業生のことを思うと、自分たちが育てられた学校名が世の中から消えるということがあってはいけない」との意向が表明されたのだ。2人の教育者としての一面がうかがえる。

業務提携へ
2017(平成29)年10月28日兵庫県私学会館において、学校法人夙川学院と本学園が、業務提携する旨のプレス発表を行い、世間を驚かせた。会見では、本学園の理事長と学園長が、夙川学院の副理事長に就任し、生徒募集の支援や学習カリキュラムの提案などを行うことを表明した。

神戸市兵庫区会下山へ移転
2018(平成30)年3月、夙川学院は、学校法人神戸学院に夙川学院神戸キャンパスを売却。それにともない、夙川学院中学校・高等学校は、神戸ポートアイランドキャンパスから全面撤退、他へ移転しなくてはならない状況に直面することになった。また、夙川学院側から本学園に対し、業務提携からさらに踏み込んで、設置者変更の手続きについて協議したいとの申し入れがなされた。2019年4月開校に向け、もう時間がなく、移転先の選択肢も限られたため、2018年4月には急きょ、夙川学院中学校・高等学校を兵庫区の旧・神戸学院大学附属高等学校の跡地へ移転する方針を決定する。

校舎大規模改修工事
2018(平成30)年4月に入ってすぐ、2年間使用していない旧・神戸学院大学附属高等学校の校舎施設設備の点検および大規模改修工事に向け現地調査が始まり、何をどこまで改修するべきなのかという仕様の検討、仕様決定後は施工業者の相見積もりを取り、その内容精査、予算との見積もり合わせ、業者選定作業などを急ピッチで進めることになった。同時に、近隣住民向け説明会の準備、その説明に際し自治会長との話し合い、近隣住民の要請を受け、工事車両の通行について神戸市公園局や西部建設事務所への交渉など関係各所への調整が必要になり時間に追われたが、8月中旬に何とか着工の目途を付けることができた。

竣工により引っ越し
工事については、校舎全面リニューアルとなった。外壁の色、内装仕様、校名サインなどの決定のために、理事長も会下山での工事定例会議には何度も出席した。最低限の改修工事にとどめ、当面使える施設・設備などは使いながら、問題があればその都度対応していくことで、何とか4月の始業式までに工事完了の目途が立った。

2019(平成31)年3月25日からは、ポートアイランドキャンパスから全面改修が完了した新しい会下山校舎への引っ越し大作業が始まり、学期末および新学期の準備業務も同時進行となった夙川学院の教職員にとっては超多忙な日々となった。教頭自ら陣頭指揮を執り、レンタルしたトラックでポートアイランドと会下山間をピストン輸送し、業者に交じり教職員および生徒も荷物の積み下ろしを繰り返した。引っ越し最終日は午後8時過ぎまで作業が続いたが、引っ越しは完了した。2019年4月、無事に新校舎で、学校法人須磨学園夙川中学校・高等学校のスタートを切ることができたのだった。

12.新型コロナウイルス感染症への対応
新型コロナウイルス感染症発生から
学校再開までの経緯
2019(令和元)年に発生した新型コロナウイルス感染症は瞬く間に世界中に広がり、2020年3月にはWHO(世界保健機関)がパンデミックの状態にあるとの認識を示した。日本国内でも感染が拡大し、2月27日全国一斉臨時休校が要請され、4月16日には全国に緊急事態宣言が発出された。5月21日に兵庫県の緊急事態宣言は解除され、5月25日より週1回登校から分散登校が開始された。

その時点ですでにオンライン授業を行っていた本学園は、生徒の安全を第一に考え、県内の周囲の学校よりゆっくりしたペースで分散登校を進めていった。身体的距離の保持のため体育館・武道館を教室とした分散登校が始まり、安全を確認しながら最終的には教室で授業を実施できるようになった。登校前の体調確認で体調不良がある場合は登校を避け、登校時には非接触体温計による検温や手指消毒、マスクの着用、教室の換気や消毒を徹底し、校内での感染拡大防止に努めた。6月末には全校生徒の登校が可能となり、オンライン授業も併用し、感染症をコントロールしながらの学校生活が本格的に再開された。

その後も幾度かの感染拡大の波があり、兵庫県や近隣地域は緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の対象地域に指定された。その都度、地域の感染状況を踏まえ、厚生労働省の「学校衛生管理マニュアル」に沿って感染リスクを避けながら学校活動を継続した。また、感染力がより強いとされる変異株ウイルスが出現するなどさまざまな対応を求められる状況の中、本学園は「学びを止めない」を目標に掲げ、感染症対策を取りながら、安全に学校生活や学校行事を行った。

健康観察・健康アンケート
オンライン授業中や、登校再開後も、全校生徒・教職員の健康状態は、Microsoft 365のFormsを用いて毎日報告を受け、保健部で早期に把握し、早期対応できるようにしている。また、登校再開時や長期の休業明けにはFormsで健康状態やメンタル面の状態を確認し、希望する生徒や気になる生徒は養護教諭による保健指導やスクールカウンセラーのカウンセリングにつなげている。

オンライン授業期間中の
電話カウンセリング
オンライン授業期間中は友人や教員に会うことができない孤独感や新型コロナウイルス感染症への不安が高まり、いつも以上に精神的なサポートを必要とする生徒が増えることが想定された。そのため、スクールカウンセラーに制携帯を持ってもらい週に2回のカウンセリングを継続した。また希望によりZoomによるカウンセリングも行った。

保健室運営・コロナ禍の健康診断
体調不良の生徒が休養する保健室では、飛沫を防ぐために1人席にパーティションを設置し、風邪症状がある生徒には早退を促し他生徒との接触がないように配慮している。一度に多くの生徒が受診することになる健康診断は、会場を武道館などの大きな施設に変更し、また回数を増やすことで「密」の状況の回避に努めた。手指消毒、会場換気、身体的距離の保持にも努めた。

今後につながる保健教育
新型コロナウイルス感染症のような新興感染症や再興感染症は、コロナウイルスに限らず、今後またいつ起こってもおかしくない。生徒には感染症を正しく理解し、正しく予防できるようになることで将来にわたる健康・生きる力を育んでもらいたいと考えている。今後同じような事態になったときに、本学園での学びが子どもたちの正しい行動につながることを目標に保健教育を進めている。また、生徒には指示のまま動くのではなく、主体的に感染予防行動をとれるように新型コロナウイルス感染症と予防策についての理解を促している。

本学園では新型コロナウイルス感染症が起こる前から保健委員会が中心となってインフルエンザなどの感染症対策を行ってきた。新型コロナウイルス感染症に対してもこれまで先輩が築いてきたものを発展させながら保健委員を中心に、各クラスや研修旅行などの学校行事で主体的に感染症予防を行っている。また、感染のリスクが高まるとされる昼食時には、放送部員が「マスクを外して会話をしない」「向かい合って食事をしない」などの注意点を放送で呼びかけることで感染防止の意識を高め、正しい行動につなげている。

保健委員会では、新型コロナウイルス感染症の知識やそのときの流行状況、校内で行う感染予防策についての説明があり、保健委員は各クラスで内容を伝達し、中心となって予防策を実施する。手指消毒、教室の換気・消毒、加湿器の管理をチェック表で毎日確認し、週末に保健室に提出する。

保健授業
新型コロナウイルス感染症、正しい感染予防、差別や偏見をなくすための正しい行動について、生徒たちに学んでほしい内容を保健授業に組み込み、授業やテストを行っている。また、今後も必ず遭遇するであろう新興・再興感染症についても取り上げ、これからの社会でどのように感染症と付き合っていくか考える機会を設けている。

研修旅行、体育祭などの学校行事、部活動
新型コロナウイルス感染症の影響で、周囲の学校がさまざまな学校行事を延期・中止するなか、本学園では子どもたちの学びの機会を奪わないよう、できる限りの感染症対策を行い、研修旅行や体育祭などの学校行事を実行している。

13.インターネット授業配信の実現と進展
コロナ禍における学校方針
「学びを止めない」
2020(令和2)年当初から猛威をふるった新型コロナウイルス感染症拡大による「緊急事態宣言」の発出を受けて、教育機関は2020年度の船出の時期に、長期にわたり休校せざるを得ない状況に追い込まれた。しかし本学園はこのような情勢下においても、理事長・学園長の大号令のもと、「学校は歩みを止めてはならない」という姿勢に基づき、さまざまなツールを活用して工夫を重ね、インターネットを介して生徒と教員の双方向のやりとりを基本とする学びの環境を体現・確立してきた。

2カ月にわたるオンライン授業期間を経て、登校再開となった後も、インターネットによる双方向授業の体制を維持し、実登校による対面授業とのハイブリッド体制を構築し、感染症の状況に合わせて週ごとに両者の比率を調整しながら柔軟に社会情勢に順応してきた。これからも生徒の安心・安全を前提に、さまざまな工夫を重ねながら、あるべき学びの形、そして未来の社会が求める学びを追求していく。

オンライン入学式・始業式の実現
2020(令和2)年度当初より、「緊急事態宣言」の発出により全国的に学校が休校を余儀なくされるなか、本学園はいち早くインターネットを介したオンライン授業体制の確立に着手した。4月当初の入学式についても、全国的に実施が危ぶまれるなかで、校内にインターネット放送局を立ち上げ、オンラインでの実施に成功した。本学園のインターネット放送局と、各家庭の制パソコンとをオンライン接続し、YouTubeを介してリアルタイムでの入学式配信を実現した。1学期の始業式についても先のオンライン入学式と同様に、YouTubeを通してリアルタイムでのオンライン実施を実現した。

インターネット授業配信方針
新型コロナウイルスによる感染症拡大に際し、自治体やメディアなどによって「休校」という言葉が多用され、この言葉のまん延による後押しもあり世間には「学校は休んでもよい・むしろ休むべきである」という認識・風潮が広まってしまったという側面は否定できない。しかし本学園は「学校は学びを止めない」という理事長・学園長の大方針に基づき、教職員が一丸となって生徒の学びを止めないためのありとあらゆる工夫と努力を重ねてきた。全国的に休校措置が取られるなか、本学園は各学年に配備したインターネット放送局を通して、日々オンライン授業の配信を続けた。
現在に至るまで、感染症の状況や気象警報の発令などに応じて、オンライン授業体制の有効活用を継続している。今後も社会情勢に応じていつでも実登校での対面授業とオンライン授業の比率を調整し、常に生徒にとって最適な授業を提供できる仕組みを構築・実現していく。

インターネット授業配信の進化
9つの学年部(中学3学年部―J1・J2・S1 / 中高一貫高校3学年部―S2・V1・V2 / 高校入学3学年部―K1・K2・K3)に配備したインターネット放送局を通して、それぞれ事前提出の授業配信方針をもとに、日々学年の状況に応じた最適な時程・分量・内容のインターネット授業配信を行った。授業配信においては、主にZoom、YouTube、Stream、Teams、Formsの5ツールを活用した。学年の状況によって、また使用場面に応じて、従来使用している校内グループウェアのFC(First Class)なども含めて、柔軟に使用ツールを組み合わせることによって、最適な配信と指導の精度を維持した。
また長期的な視野に立っての分析や生徒アンケートの結果に基づき、インターネット授業配信1.0、1.1、さらに実際の登校と組み合わせたハイブリッド型の2.0と、感染症の状況に応じて改良を重ね、柔軟に社会情勢に対応してきた。その後、登校率を大幅に引き上げた強化ハイブリッド型の新方針であるインターネット授業配信3.0を発動した。
インターネット授業における生徒とのやりとりや独自の取り組みなど、配信の詳細については各放送局(学年部)が柔軟に設定・対応を行うものとした。また各学年間および教職員間で配信の状況を共有し、情報交換を積極的に行うことを奨励し、それぞれの配信精度の向上に結び付けるよう促すなど、日々改良を重ねた。

教職員の柔軟な通勤・勤務形態の構築
新型コロナウイルス感染症が拡大の一途をたどるなか、県より感染防止対策の一環として、在宅勤務・分散勤務の奨励、および県下の事業所への休業要請が出された。これを受けて本学園は、教職員の通勤形態や勤務形態の見直しを行い、手洗い・消毒・マスク着用の徹底などの基本事項に加えて、以下のさらなる感染防止対策の強化を図った。
① 基本的に公共交通機関での通勤を控え、自家用車・単車・徒歩などによる通勤を行う。
② 部門ごとに部員の主な勤務場所を分ける分散勤務を行い、複数が一堂に会する状況を避ける。
③ 平素から極力至近距離での会話を控え、会議などにおいては基本的に大会議室などの広いスペースを利用し一定以上の間隔・距離の確保と換気を徹底する。
④ 校舎の出入口や下足ロッカー、校舎内移動の動線、および食堂やトイレの利用についても、部門や時間帯ごとに分散・分割に基づく利用を行う。
⑤ 使用教室の除菌・消毒をさらに徹底する。
⑥ 不要不急の外出を控える。

インターネット授業配信1.1
学校として、「生徒たちの学びを止めることなく、感染症の拡大防止に貢献することができる形を追求する」、この使命を全うすべく歩みを続けてきた。当時の社会情勢を鑑みると、インターネット授業配信の対応を今後も継続していく必要性を強く感じざるを得ない状況であった。
そこで本学園は、長期的な視野で分析・検討を重ね、従来のインターネット授業配信1.0の改訂版としてインターネット授業配信1.1を実現させることとした。放送局とも相通じる「止めるべきではない」という基本姿勢を基軸に、生徒にとってさらに有益な授業配信を実現するため、さまざまな部署の連携を背景に新たな境地を切り開く本学園の決意をここに表明した。以下にインターネット授業配信1.1のガイドラインを示す。
(1) 引き続き授業配信ツールとして、主にYouTube、Zoom、Stream、Teams、Formsの5ツールに、校内グループウェアであるFC(First Class)を含めたツールを効果的に組み合わせて使用することで、最適な授業配信と指導の精度を維持する。授業の配信には主にZoomを使用し、生徒との双方向のやりとりを重視する。
(2) 9つの各インターネット放送局より、それぞれの授業配信についての方針をもとに、学年の状況に応じて最適な時程・分量・内容の配信を行う。
(3) インターネット授業における生徒とのやりとりや独自の取り組みなど、配信の詳細については、各放送局(学年部)が柔軟に設定・対応を行うものとする。各学年間、また教員間で配信の状況を共有し、情報交換を積極的に行うことを奨励し、それぞれの配信精度の向上につなげるよう促す。
(4) インターネット授業配信については、暦通りに展開するものとし、日曜日については配信を実施しない。
(5) 日曜日以外の休日には、「オンライン自習室」をオープンする。希望者を対象に、Zoomなどを用いて教員とつながり、規則的に自習時間を設定するなど、緊張感をもって自習に取り組むことができる環境を整備する。質問がある場合は、事前に告知される予定表に基づき担当教員が対応する。さらに希望者には、朝夕の運動の機会を提供する。
(6) 学年ごとの状況・必要性に応じて「オンライン特別講座」を開講し、各生徒のさまざまなニーズに対応する体制を確立する。
(7) 「オンライン個人面談」を充実させ、オンライン上でも積極的なコミュニケーションをとることにより、生徒一人ひとりの思い・習慣・インターネット授業接続状況などを確認し、次なる助言につなげる。また「生徒相談室ダイヤル」を広く案内し、生徒の心の問題の緩和に努める。
(8) 接続トラブルに関しては、学年教員間ならびに本学園マルチメディア部との連携により、可能な限りの早期対応を目指す。
(9) 休日においても検温など生徒の体調確認を徹底する。

インターネット授業配信2.0
感染症への万全の対策を維持しながら諸活動の再開を探る方向へと舵が切られつつあった社会情勢を鑑み、これまでに確立したインターネット授業配信1.1に、実際の登校を前提とするface to faceでの諸活動を組み合わせたハイブリッド型の新方針である「インターネット授業配信2.0」を策定するに至った。社会の情勢に合わせて柔軟な姿勢を維持しながら、感染防止の努力と学校本来の活動機会の提供を高い次元で両立していくことが学校としての使命であると考えており、その意志を体現するための礎となるものがこの2.0方針であるとの確信に基づき実現できた。以下にインターネット授業配信2.0ガイドラインを記す。
(1) インターネット授業と実登校それぞれの有益性を生かす形を追求し、感染症予防と学校活動を高い次元で両立させる。
(2) インターネット授業について、教員が在宅であっても授業を配信できる環境を整え、情勢に応じて学校放送局からの授業配信、または各自宅からの授業配信に切り替えるなど、たとえ学校閉鎖になったとしても全てのインターネット授業を止めることなく展開できる体制を確立する。
(3) インターネット授業と実登校を前提とする活動の割合については、時期に応じて調整を行う。また、実登校については、①20%・40%(週1回・週2回登校)、②50%(クラスを2分割して週3回登校)、③80%(週5回時差登校+週1回オンライン授業)の三段階を想定するが、2.0方針では①、②までを前提とする(詳細については本学園教務部が保護者・生徒に向けて別途ガイドラインを示した)。
(4) 実登校を前提とする活動については、LHR(ロングホームルーム)、運動、実技など学校設備を用いる必要性のある活動を中心とする。高校3年生については大学入試対策の取り組みを最優先とする。
(5) 体調管理の徹底を図るため、実登校の場面に際し、生徒・教職員に従来行っている検温に加え、血圧・脈拍・血中酸素などについてもいつでも測定できる器材を配備し、本学園保健部がデータベースを管理し、都度学校への報告を徹底する。

インターネット授業配信3.0
2020(令和2)年5月当時、社会は緊急事態宣言の解除によって、企業・店舗の営業活動再開や教育機関の休校や分散登校の解除など、「再開」に向けた方向に大きく舵が切られようとしていた。一方で、第2波とも第3波とも呼ばれる新型コロナウイルスによる感染症の再拡大が報告されている地域が出ていたこともまぎれもない現実であった。
この状況を受けて本学園は、「インターネット授業配信2.0」の基盤から登校率を大幅に引き上げ、80%登校率を前提とする一方で、オンライン授業の形態を20%保持する強化ハイブリッド型の新方針である「インターネット授業配信3.0」の発動を決定した。
この方針を確立することにより、状況に応じていつでも2.0と3.0を切り替える仕組み、すなわち実登校とインターネット授業の比率を社会情勢に応じて柔軟に調節し、常に生徒にとって最適な授業提供の形態を選択することのできる仕組みを構築し、「再開」と「警戒」の高次元の両立を実現した。以下に「インターネット授業配信3.0」のガイドラインを記す。
(1) 週の登校とオンライン授業の比率を8:2とする。引き続きインターネット授業と登校それぞれの有益性を生かす形を追求し、感染症予防と学校活動を高い次元で両立させる(登校に関する詳細については、本学園教務部および各学年が別途発表した)。
(2) ① 各放送局(学年部)へのタブレット端末の追加配備、②必要に応じて各授業担当者への高性能マイク、スピーカー、Webカメラなど必要備品の追加配備、③要望のあった家庭へのHDMIケーブル手配によるテレビ画面を通してのインターネット授業視聴の実現、を実行する。
(3) 「電子教科書」を導入し、生徒が制スマホや制パソコンを通して、電子化された教科書をインターネット上で場所や時間を問わず利用することができる体制を構築する。このシステムを通して生徒は教科書そのものを持ち運ぶことなく授業に臨むことができるなど、教材利用においてもハイブリッド化を実現し、使用効率を飛躍的に向上させる(使用に関する詳細については、本学園マルチメディア部が別途発表した)。

2 教科別学習指導の推進
学ぶ意欲を高める学習プログラムの構築
社会で「なりたい自分」を実現するために

「清く、正しく、たくましく」という建学の精神に基づき、「個」の尊重・「個」の育成を教育方針とする人間教育に取り組んできた。これまでの幾多の試行錯誤と数々の挑戦の足跡をここに集大成として記し、次の100年に向けて、さらなる躍進を遂げるための貴重な糧としたい――。

社会環境の変化に対応できる教育プログラム
情報通信技術やグローバリズムの急速な進展、地球環境保全への対応、世界的格差・貧困問題、少子高齢化問題、新型ウイルス感染症への対策…。近年、私たちを取り巻く社会環境は、著しく変容を遂げてきた。
これにともなって教育の在り方についても、大いなる変革が求められることとなった。
須磨学園では、“to be myself,…”というスローガンのもと、学びの目的を生徒一人ひとりの「自己実現」として生徒一人ひとりが「なりたい自分」について真摯に追求する空間を創出し、生徒たちが主体的にかつ実践的に学ぶことのできる環境づくりに取り組んできた。そして、なりたい自分になるだけではなく、生徒たちがなりたい自分となって、さまざまな問題に向き合う強さをまとい、将来の社会で、そして世界で活躍することを思い描き、そのための礎となる専門性・人間性・国際性を育むためのさまざまな教育プログラムを展開してきた。

「なりたい自分」を追求し続ける「個」を育成
「なりたい自分」は、一人ひとり異なる…。生徒一人ひとりが自らの目標を主体的に求め、見つけ、向き合い、努力し、達成する。学校はそのための器であり、枠組みでなければならない。須磨学園は生徒たちにとって深くて大きく温かな器でありたい、やわらかくしなる柔軟な枠組みでありたい、と考えて歩みを進めてきた。そして、なりたい自分になって、「将来社会と、そして世界と、どのように関わっていくのか」を考える意識を涵養するため、常に、社会や世界の中での自分という「未来」を強く意識するよう生徒たちを支援して導くことを使命としてきた。
これからの100年も、さらに多様化・複雑化の一途をたどり、ますます変動していくであろう国際社会の中で、力強く活躍するために求められる知識と知恵と技術を習得し、専門性・人間性・国際性を磨き、清く、正しく、たくましく「なりたい自分」を妥協なく追求し続けることができる「個」の育成を目指して力強く歩みを続けていくことをここに誓う――。

概説
学力養成の裏付けとなる確認テスト
須磨学園高等学校がスタートしてから、毎回の授業の中で確認テストが実施されている。確認テストは授業で扱った内容を中心に出題されるため、そのテストを受験し合格すれば授業を理解できていたことが一目瞭然である。確認テストに合格できない場合は再テストを受ける必要があり、昼休みや放課後に再テストが実施される様子も本学園名物となっている。

豊富なラインナップの放課後講座
この10年間で進学実績も良くなり、東京大学や京都大学を目指す生徒たちも増えてきた。それに合わせて、各学年で主催する放課後の講座についても種類が豊富となった。また、ゴールを見据えて、目標の大学に進学させるためには何が必要かということが蓄積され、各学年で付けるべき学力も明確になり、講座の内容も充実したものになった。

9時まで自学
19時30分から21時までの間、希望さえすれば、学校に残って自習することができる。年々、意欲のある生徒が多く入学するようになり、試験前には800名を超える人数、平常時であっても400名程度が自学に参加するようになった。冒頭にも書いた通り、21時まで自学の参加は希望制であるので、生徒たちの意欲がいかに高いかがうかがえる。放課後講座の時間帯は部活動で講座に参加できない生徒もいるため、この自学の時間に講座を実施したり、質問に答えたりする情熱溢れる教員が増えた。

徹底した個別指導
各フロアの廊下には机と椅子が置かれ、生徒がいつでも自習することができる。職員室があるフロアでも同様で、数多くの机と椅子が並んでいる。この10年間で職員室前にはホワイトボードが設置され、教員は生徒の質問にホワイトボードを使って説明できるようになった。分からない問題があれば、いつでも質問できるような個別指導の体制が整えられた。

60分授業から50分授業へ
学習指導要領が改訂され、物理基礎、化学基礎、生物基礎、地学基礎の4科目から3科目が必修になった。必修科目数が増えたことで従来の60分授業では授業時間数が不足し、必修科目を高校2年次に履修しないといけない状況になった。これに対応すべく、50分授業にしたことで、週あたりの授業時間数が33単位から39単位に増えた。授業の中でも工夫を凝らすことができ、中学では英会話の授業やCLIL、高校では専門性の高い授業を行えるようになった。

国語科
ねらい
本学園の国語科は、理事長と学園長の考えのもと、生徒たちに国語を学ぶ「楽しさ」を実感させることをねらいとして、「百人一首の暗唱」や「天声人語の筆写」に象徴されるように、「教員から教えられることを聞く」よりも「自分でやってみる」を、また「教員の説明を聞いて、おとなしく板書を写す」よりも「五感を使って表現する」ことを重視する。

特徴
国語科の諸活動は、下記の「研究」「教育」「授業」の3要素を軸に構成され、教員が面白いと思い、かつ生徒にとって楽しく教育的な授業実践が行われている。
研究:自分の教育。人にやれと言う前に、自分自身の真・善・美を育てる。
教育:大人の教育。教員自身も学ぶ者である謙虚さを忘れず、チームで成長する。
授業:子どもの教育。全ては生徒のために。活動中心の、楽しくて、ためになる授業。

中学入試・高校入試
国語入試問題は、社会に対する本学園の教育的なメッセージを示すものであり、出題方針では、理事長の考えが反映されるよう、理事長と国語科教員の間で、幾度となくコミュニケーションが重ねられている。作問では、入試問題とは国語科の研究力・教育力の結晶であるという認識のもと、毎年新たなチームを組織し、その年にふさわしいベストな入試問題となるよう、担当教員の間で技量を高め合っている。
例えば、コロナ禍に見舞われた2020(令和2)年度入試では、困難な状況下でも希望をもち、前に進もうとする人間の精神的強さというテーマのもと、中学入試では、感染拡大に立ち向かう医師の姿が描かれた文章や、予想の難しい未来で自分がどうあるべきかを問いかける阪神・淡路大震災当時の文章を採用した。また高校入試でも、チェルノブイリ原発事故という人類史上まれな災難とその中で生きる人間の姿を描いたルポルタージュを採用した。

映像授業
新型コロナウイルス感染症によるオンライン授業期間には、Zoom、Microsoft Stream、YouTubeを活用した動画配信に加え、Microsoft Teamsによる添削指導、Microsoft Formsによる確認テストが行われた。
読解指導では、画面に文章を表示して、そこに線を引いたり、PowerPointでアニメーションを作成したりと、視覚的な工夫が凝らされた。
添削指導では、文面でのやりとりに加え、Teamsのビデオ通話を活用し、生徒の反応を確認しながら指導が行われた。
確認テストでは、授業内容の定着度を堅持するため、対面授業以上に、教員の声の大きさや伝わりやすさについて繰り返し改善がなされた。

読書百冊
文系・理系を越えた、世界の面白い本との出合いを通して、生徒の知的関心を刺激することを目的として、本学園オリジナルの推薦図書リストを作成。
中高一貫生は、発達段階を考慮して、初級(中1・中2)50冊、中級(中3・高1)30冊、上級(高2・高3)20冊の計100冊。高校入学生は、大学での学びを視野に入れた100冊を選定。毎月読書感想文に取り組ませる学年もある。
推薦図書リストは、各学年で配付するシラバスに収載。また、図書部と連携し、図書室には「読書百冊」のコーナーが設けられている。

論理国語
大学でのレポート、エッセー、ディスカッションといった活動に円滑に移行できるよう、高校在学中に基礎的な作法を身に付けることを目的とした授業を、理事長の発案のもと、2019(平成31)年より、高校1年の特別授業期間に実施。
生徒たちは、『課題研究メソッド』(啓林館)をテキストに、高校2年次の個人研究活動も視野に入れ、テーマの見つけ方や参考文献の引用方法について理解を深め、教育ディベートやエッセー・ライティングを、経験を通して学んでいる。



新入試制度勉強会
 高大接続改革にともなう推薦入試・特色入試に対する理解を深めるため、2017(平成29)年より国語科教員を中心に、他教科の教員とも連携し、定期的な教員の勉強会を実施している。事前資料として、教員の手で解答例が作成され、勉強会では入試問題に関して、積極的な意見交換がなされた。新しい入試のねらいだけでなく、今後の教科横断的な指導について考えていくきっかけとなった。会議の議事録は、本学園のグループウェアのFirst Class にアップされ、本学園の関係者全員が閲覧できる。

「言の葉大賞」への取り組み
 生徒の文章力向上のため、2018(平成30)年から取り組んでいる。高校1 年生と2 年生に向けて、第2 回定期考査後の特別授業期間中に案内および作文指導を行い、夏季休業期間に作品完成。2 学期開始時に提出、という計画で進めている。多くの本学園生徒の作品がこれまで入賞しており、神戸新聞の記事にも取り上げられた。本学園としては、第8 回、第11 回の2 度、「学校賞」を受賞した。

英 語 科
英語力強化へ向けてのブレない指導
 2022(令和4)年度から「英語コミュニケーション」を軸とする新課程が始まった。「コミュニケーション英語」が中心の現行課程よりも、さらに「4 技能」を強調したカリキュラムである。そこでは、種々のアクティビティーが授業の中に盛り込まれ、生徒はアウトプットの機会を増やすように仕組まれている。ここには、「グローバル化」した社会において「主体的」に働く人材を育成したいという文部科学省の意図が、非常に見えやすい形で表れているといえよう。こうした動きに対して本学園英語科は、既に2013(平成25)年に現行課程が始まった時点から、一貫して柔軟な対応を取りつつ、あくまで生徒の多くが志望する難関大学の入試に対応できる英語力を付けることを主眼に、指導を進めてきた。多くの難関大学が求める英語力とは、例えば1,000 語近くの長文を読んで内容の真偽判定や説明をしたり、複雑な構造の文を日本語に訳したり、さらには特定のテーマに対して自らの考えを、条件を踏まえて英文でまとめたりする力である。このように英文を読み解いたり構成したりする力は、その土台にしっかりとした語彙力および文法・構文の力が不可欠である。そして、このような土台を作り、多くの英文に触れて練習を積み重ね、慣れを作っていくには多くの時間がかかる。本学園では、こうした入試の現実を踏まえ、新課程においても、生徒に安直なアウトプットや「主体性」を経験させることに不用意に時間を割くのではなく、むしろ「十分なインプットなしに有意なアウトプットなし」を信条として、粛々と日々の指導を進めていきたいと考えている。おそらく、その過程で培われた堅固な英語力の土台の上に、それぞれの生徒が経験を積んでいくことによって、将来、真の意味で「グローバル人材」として世界に羽ばたく者が登場するであろう。

音読とディクテーションでリスニング力強化
 中学段階からリーディング教材を中心に、「話す・聞く・読む・書く」の4 つの技能トレーニングを徹底的に行っている。授業で精読した教材を、コーラスリーディングをした上で、それぞれの教員の工夫によりディクテーションテストをする。例えば、ナチュラルスピードで音声を流し、生徒には予め告げずに文の途中で切り、直前の単語や句を書かせる、といった試みもある。また、家での復習においてシャドーイングを強く勧めている。

英文解釈・英作文の添削指導
 ある学年では、廊下にセットされたかごの中の英文解釈の問題用紙を、生徒が登校時に取り出して隙間時間に取り組む。難関大学の下線部訳だ。その日のうちに担当教員に提出すると、翌日真っ赤に添削された用紙が返却される。高3 になると、4 月から10 月まで計100 回行われている。同様の仕方で、英作文にも取り組ませている。「国公立の個別試験には、絶好の対策になります」という生徒の声も多い。

語彙力強化のためのさまざまな取り組み
 語彙力の強化は全学年が熱心に取り組む最重要課題である。読解教材に出てくる単語を内容と関連させて暗記するのが基本的な指導だが、単語集も活用している。毎朝1、2 ページ分の単語を暗記して小テストに臨む。合格点を取れなければその日のうちに「再テスト」を受ける。そして定期考査でまとめて定着度を測る。さらに夏季休業・冬季休業明けに、それまでの全範囲で「英単語コンテスト」を行い、点数を競い合う。このように同じ単語に最低3 度触れることによって知識を確実なものにできるよう指導している。

英語力を磨くPhonetics・Phonics
 大学入試制度改革の1つとして、「話す」を中心とした英語4技能(話す・聞く・読む・書く)の重要性が叫ばれている。しかし以前から、本学園では、「音から始める英語学習」をモットーに、実践的な英語学習を提唱してきた。その1つが、発音体系を身に付ける「Phonetics」である。英語が自然に口から出るようにするにはまず、発音記号の理解が必要となる。正しい発音の仕方(舌の位置・動かし方、口の動きなど)を習得するための練習を繰り返し行う。英単語のつづりと音の関係性を学ぶのが、「Phonics」である。アルファベットの正しい発音の仕方から学び始めることで、音を聞き、知らない英単語でもつづりを連想できるようになる。発音の向上だけでなく、単語を覚えることにもつながっている。

少人数制の英会話(Active Speaking Assessment)
 中学生の探究授業の一環で、NTE(Native Teacher of English)による実践的な英会話のトレーニングを少人数で実施している。NTE と1 対1 で話す場面もあり、海外研修旅行などで行う学校交流会で現地の生徒と英語で臆することなく話せるよう、簡単な日常会話から状況に応じた会話まで行っている。また英語学習アプリを利用し、発音の矯正、スピーキング演習なども行っている。

CLIL
 CLIL(Content and Language Integrated Learning)とは、他教科・科目(化学・物理・歴史・数学など)と英語の学習を統合したアプローチのことである。英語以外の教科内容を題材に英語での発言、表現を目指している。授業のカリキュラムは、NTE によって作成されている。

レシテーションコンテスト
 中学3学年、高校1年生全員が参加対象で、1 年に1 度開催される校内の英語暗唱コンテストである。クラスごとに予選が行われ、本選出場者は、理事長、校長、英語科のNTE などの審査員の前でパフォーマンスを行う。課題文は有名人のスピーチから、映画のワンシーン、洋楽の歌詞などさまざまである。暗唱の正確さだけではなく発音や抑揚、表情、ジェスチャーなどが総合的に審査される。レシテーションコンテストで優勝した生徒の中には、チャーチル杯争奪全日本高等学校生英語弁論大会など校外のスピーチコンテストでも、優秀な成績を収めている生徒もいる。

English Camp
 アクティビティーを通じ、NTE と英語でやりとりをする体験型の英語教育である。スピーキングの強化を重視し、買い物、空港でのやりとりなどシチュエーション形式のプログラムで構成されている。2020(令和2)年度までは、大阪府吹田市にあった体験型英語教育施設Osaka English Village で実施していた。施設閉鎖後も、ホテルで会場を貸し切ったり、本学園の教室を使ったり、年度によって実施場所は異なるが、プログラムの質自体は変わらず、海外研修旅行などにも役立つ実用的な英語学習を継続している。

数 学 科
須磨学園の入り口
 中学入試の算数は10 年前に比べれば今の方が難しいが、ここ5 年ほどの難易度は落ち着いている。また直近の算数入試は本学園過去問に寄せた内容になっており、対策がしやすくなっている。とはいうものの、あの大量の難しい問題を時間内にこなす受験生には毎年脱帽する。高校の数学入試は10 年前より今の方が易しい。これは5 年ほど前から公立高校入試に準ずる難易度に調整したことで、以前見られた難問が出題されなくなったからである。難易度は毎年同じで、平均点もほぼ変わらない。また大学入試制度改革にともなって大学入試問題の文章量が増えることを受け、本学園の数学入試では毎年第5 問を文章題にしている。中学入試にせよ、高校入試にせよ、本学園合格のためには6 ~ 7 割程度得点することが求められる。

須磨学園の中身
 中高一貫生は、まず「体系数学1・2」を中心に各教員が補充プリントを作るなどして2 年間で中学内容を終える。中学1・2 年を対象とする探究数学では、楽しみながら数学的思考力を養うことを目的としている。予想できない数字を論理的思考で概算するフェルミ推定やグループで各人が持つカードの数字を当てるゲームなど、知的好奇心を刺激する内容で構成されている。中学3 年では「数学Ⅰ・A」を、高校1 年では「数学Ⅱ・B」を学習する。高校2 年では文理に分かれ、理系は「数学Ⅲ」を学び、文系は演習を行う。問題集・参考書は、学年担当教員の好みによって啓林館のマスグレード・Focus Gold・練磨などを使う学年と、数研出版のサクシード・チャート式・重要問題集などを使う学年に分かれる。なお現在は数研出版の書籍を採用する学年の方が多い。高校入学生は、1 年の2 学期頃までに「数学Ⅰ・A」を学び、3 学期から先取りで「数学Ⅱ・B」に入る。2 年の2 学期頃までにそれを終え、理系はそこから「数学Ⅲ」へ、文系は演習に移る。教科書・問題集・参考書は10 年以上前からずっと数研出版のサクシード・チャート式・重要問題集・スタンダードなどを用いている。教科書は、大学入試制度改革にともなって章末・巻末に「探究」が付記されているものが多くなった。2022(令和4)年度高校入学生からはカリキュラムが大きく変わり、現在「数学B」の中で扱われている「ベクトル」が新設の「数学C」に移る。過去、文系生徒は「数学C」を履修しなかったが、大学入試においては「ベクトル」が現在と同様に文系でも出題される見込みのため、次年度以降の入学生は文系でも「数学C」を履修する予定である。毎授業実施される「確認テスト」によって理解を深め、定期考査や模擬試験などへの対策を機会に学力の定着を図る。普段の授業や放課後の特別講座、課題などによる演習、個別指導、何より生徒との信頼関係が、今の本学園数学を形作っている。

須磨学園の出口
 ほとんどの生徒が大学へ進学する。少子化が進み大学全入時代を迎えるといっても、難関大学入試に求められる数学のレベルは相変わらず高い。しかし10 年前の問題に比べれば最近はだいぶ難易度が落ち着いてきたように感じる。まずは基礎力をしっかりと身に付け、それを土台にして学力を積み重ねれば、チャンスは必ずある。生徒が本学園での学びを通して得た数学力を大学入試でしっかりと発揮し、また数学の本質である論理的推論力を大学での学びや実社会での問題解決に活用できてこそ、本学園の数学教育の役割は達成される。

理 科
目の前の現象を正しく捉え、考える力を養う
 理科は自然の事物や現象を考えていく学問である。現象を考えていくために実験が必要となるが、実験だけでは現象を正しく考えていくことにはならない。正しく考えていくためには、やはり知識の習得が必要であると考える。授業では基礎知識の習得のため問題演習を多く行っている。基礎的な知識を得ることにより目の前の現象を正しく捉えることができる。知識を十分に身に付けた上で実験や観察を行うことで、初めて本質の理解につながると考えている。本質を理解することにより、本当の意味での楽しさを感じることができ、もっと知りたいという好奇心や探究心をより強くしていくことにつながっていくと考えている。

「探究理科」 ~自らが経験して学ぶ+本質の理解~
 中学1 年と中学2 年では土曜日の午後に理科の実験や観察を実施している。決まったテーマがあり、それぞれのテーマに対して時間をかけて探究活動を行っている。中学1 年では「ちりめんモンスター」「熱気球」の2 つのテーマを、中学2 年では「エッグドロップ」「魚やカエルの解剖」を実施している。単に実験を実施して終わりではなく、しっかり考えさせる時間をとっている。初めに「なぜだろう?」「どうすれば?」をグループで考え、その上で、「導入」➡「実験」➡「考察」という手順で研究を行い、それぞれのテーマに対しての理解を深めている。内容の理解も深めることができているが、主体的に学んでいく姿勢を育むことも目的としている。「探究理科」では最後にPowerPoint による研究報告をグループで作成し、プレゼンテーション形式で発表を行っている。さらに2018 年頃から高校1年を対象に「飛び立て!未来のScientists !講座」を開講している。この講座では実験をもとに、データ・情報の読み取り、仮説を立てる・検証・考察する力の向上を目指す。

実験を通じ技術・技能の向上を目指す
 10 年前と今とで大きく異なっているのは実験室である。実験室の改築工事を実施し、現在2 つの実験室を使用できるようになった。本学園では多くの実験を実施しており、実験・観察の技術習得を目指している。実験の技術習得に限らず、授業で扱った内容について、実験を行うことにより学んだ知識と自然現象を結び付けることができ、より深い学びを実践している。

オンラインでの学習スタイル
 新型コロナウイルス感染症拡大のため、本学園ではオンライン授業を実施する時期があった。学校での対面授業とできる限り同じような授業を展開するように心がけた。遠隔ではどうしても実験を行うことができなかったが、せめて実験している動画を見て学びを得てほしいという教員の気持ちもあり、多くの実験動画を作成し、オンライン授業で配信することができた。オンライン授業を実施することで、口頭では説明することが難しい内容を視覚的に画面で共有でき、よりイメージしやすくなった。このようなオンラインならではの良いところを対面でも取り入れて授業を展開している。

社 会 科
我々はどこから来てどこへ向かうのか
 21 世紀に入った今日、「グローバル」という言葉はすっかり当たり前のものとなった。アフリカで誕生し世界中に散り散りになった人類が、再会し交わり合うこの世界で、生活の仕方や考え方の異なってしまった人々がどのように互いを理解し、新しい世界を築いていくのか。本学園を卒業する生徒たちにはその真ん中で活躍してもらいたい。解決しなくてはならない地球的な課題も溢れている。その手始めは、現状への認識を深めること、そして大切なのは、問題の背景を探ることである。歴史科目では「過去」から現在の社会の成立までの過程を、公民科目では「現在」の社会の仕組みと社会と「自分(私)」との関わりを、地理では「現在」の社会の成り立ちを自然環境に注目して学ぶ。

「つなぐ力」と「くらべる力」
 教育制度改革により、「知識」「思考・判断」「表現」が打ち出される前から、本学園では知識を「活用する力」の涵かん養ようを重視してきた。諸事象が「なぜそうなるか」を常に考え、なぜそう考えたかを「説明できる」ようにすることを目標に学習指導が展開される。
 単に物識りなだけでは通用させない、「詰め込み式」からの脱却を目指す姿勢が新入試制度においてはっきりと示されたが、その一方で「知識」を忽ゆるがせにはできない、という危機意識が我々にはある。インターネットで簡単に「知識」を取り出せることに慣れた現代っ子たちは、実際のところ「知識」の取り出しは下手なようにも見える。物事を「思考」するにはもとになる「知識」が当然必要となるが、自分のアタマの中にある知識を取り出して思考した経験の乏しい者には、インターネットの海の中から知識を拾い出して「つなぐ」ことも難しいのではないか。詰め込み式知識の偏重にも知識軽視にも陥ってはならない、難しいバランス感覚がいま我々に求められている。

リモート授業をいかに生かすか
 資料集の何ページを開いて何番の図を見てと、いちいち言わなくても、見せたい画像を直接提示できる映像授業は魅力的である。しかし、ナマの授業に代えがたいものというのが一方にはあり、そのことを忘れずに便利な道具を取り入れていきたい。

最高の実物教材、研修旅行
 長崎・広島平和学習、古都・東京研修、中高一貫生の世界一周研修旅行は言わずと知れた本学園の最大の強みである。いずれの学年も、社会科教員が中心となり詳細な事前と事後の学習を行う。予備知識のあるなしで実物に相対したときの感動の大きさも変わろうというもの。多くの実物に触れ、「再びここを訪れたい」と思ってもらえるよう、教員も「事前学習」に心を砕く。

「社会」にも強い須磨学園に
 難関大学に卒業生を多く進学させるようになった本学園。一方で、社会科の受験科目における地位は高くはない。我々は泣く泣く言う、「社会が得意ならば英数をみっちりやって、難関大を目指せ」と。
 イギリス短期留学で世界的名門大学の学生と話す機会があるが、そこで痛感させられるのは、一流の人間たるもの教養と社会の諸問題への見識・意見はもっておかねばならぬということ。
 難関大進学のさらにその先を見据えて、「社会」に強い人に育つ後押しを、心して行い続けたい。
オンライン授業
情 報 科
情報化社会に対応できる知識と技能の習得
 高校の教科「情報」では、情報および情報技術を活用するための知識と技能を習得させ、情報に関する科学的な見方や考え方を養うとともに、社会の中で情報および情報技術が果たしている役割や影響を理解させ、社会の情報化の進展に主体的に対応できる能力と態度を育てることを目標としている。
 2003(平成15)年度より本学園では「情報B」を、2013年度からは「情報の科学」を履修している。近隣の学校でもなかなか珍しい選択である。理系に進む生徒が多いことも考え、情報と情報技術を問題の発見と解決に効果的に活用するための科学的な考え方を習得させ、情報社会の発展に主体的に寄与する能力と態度を育てる。
 授業では、基礎的なコンピュータリテラシーを習得するだけではなく、パソコンの組み立て実習において仕組みを理解する。また、プログラミングの授業を通して、問題解決の基本的な考え方、問題の解決と処理手順の自動化などを習得する。そして、忘れてはいけないことが情報モラルである。情報社会における人間の役割について、生徒が主体的に考えることができるようにする。
 コンピュータを使った実習を中心に授業を進めるので、与えられた時間内に集中して、課題を完成させるよう心がけ、技術的な仕組みについても理解を促す。

1年後にはタイピング力がアップ
 毎時間、最初の5分をタイピング練習に充てている。タブレットの時代になってもキーを速く正確に打つということは大切である。1年後にはタッチタイピングができるようになり、達成感を味わうことができる。また、Word、Excelといったツールも使えるように練習をしている。

プレゼンで表現力を養い、情報発信
 PowerPointを使用し、自分の好きなものについてスライドを作成する。スライド作成の技術だけではなく、表現力を学びプレゼンテーションを行う。1人で前に立ってスピーチをするのは緊張するが、終わった後はとても達成感がある。
パソコンの組み立てで
内部の構造を知る
 パソコンを使いこなす力を養うだけではなく、内部の仕組みを知り、情報が処理される仕組みや表現される方法を理解する。組み立て授業では、普段見ることができない内部の様子を観察でき有意義な実習時間となっている。

テキストコーディングでプログラミング
 HSP(Hot Soup Processor)という言語を用い、プログラミングの授業を展開している。簡単なプログラムから始まり、徐々に難しくなっていく課題をこなした後は、習ったことを生かしオリジナルのゲームなどを制作する。短時間でも楽しいゲームに仕上がっている。

保健体育科
なりたい自分になるための
独自の取り組み
 保健体育(教養総合科目)は、生活の質(QOL)の向上のため、大切な役割を担っていると考えている。生活への満足感や幸福感を感じることができるように、そして生涯の知恵となり自分で意思決定・行動選択ができるようにアプローチしている。
 さらに、大学でより専門的に学ぶ、スペシャリストへの道に進む生徒たちを輩出していけたらとも考えている。「to be myself,… なりたい自分になる。そして…」というスローガンに生徒一人ひとりが近づくために、保健体育科は本学園にしかない独自の取り組みをこれからも実践していきたい。

“CURE” と“CARE” の両面から対応
 生徒一人ひとりが安心して生活できる環境のもと、自分の健康に関心をもち、保持増進するための実践力を身に付けてほしいと願っている。そのために、“CURE” と“CARE” の両面から支援している。
 AED(自動体外式除細動器)を校内に5台設置。また全教職員が心肺蘇生法、けがの手当ての講習を受講し緊急事態に備えている。健康管理と予防教育に力も入れており、生徒を対象に性教育講演会(高校2 年・中学1年)・性感染症講演会(高校1年・中学2 年)などを実施している。

コロナ禍での取り組み
 2020(令和2)年、新型コロナウイルスによる世界的な感染症拡大の影響で、これまで誰もが経験したこともないような学校生活を送ることになった。
 本学園の「学びを止めない」の方針のもと、コロナ禍においてもオンライン授業を通して自宅でもできる体操など体育の授業を行った。さらには制限されたなかでも、密を避け、中高一貫生・高校入学生分散型・無観客による体育祭を実現した。
 大変な情勢が続き、学校生活においてもさまざまな制約が生じるなかだったが、強い意志をもち、しなやかにこの難局を切り抜けた。

心肺蘇生実習
 スポーツには怪我がつきものだ。しかし危険を回避する能力や知識、そして命をつなぐ技術を伝えることで、身体を守ることができる。そこで心肺蘇生実習や熱中症予防対策などを取り入れた、幅広い授業内容を行っている。
 本学園の体育教員は救急インストラクターの資格を取得しているため、民間救急講習団体(FAST)に認定されている。そのことにより、全生徒に対して体育教員が市民救命士(普通救命コース)の資格を発行することが可能になった。さらに救命バッジを独自に作り、資格取得者に付けてもらっている。バッジを付けている本学園の生徒は、困っている人がいれば真っ先に駆け付けてくれる。

マラソン大会の実施
 高校2 年の冬にマラソン大会を開催している。マラソン大会を通して、体力や忍耐力をより一層向上させ、健康や安全に対する関心を高めることを目的としている。しかしそれだけではない。走り終わった後、「新しい自分」に出会うことになる。
 練習の成果が出せ、納得いく走りができた自分。達成感に満ち溢れた自分。もっとできるはずと後悔する自分。しんどさに負けてしまった自分。準備不足を痛感する自分。それぞれ感じることは違うと思うが、運動も学習も準備が全てであることを、受験を1 年後に控えた高校2 年生に、ぜひ感じてほしいと思っている。受験で、「準備をし尽くし当日力を出し切った、後悔はない」と感じるために、保健体育の分野からアプローチしている。

芸術科(音楽)
生涯楽しめる音楽の基礎を身に付ける
そしてカラオケへ

 創立100 周年を迎え、近年の音楽科について振り返ると大きく2 つの事柄があった。
 1 つ目は、教務運営委員会を通して「本学園の音楽科のテーマ」が定まったこと、2 つ目はコロナ禍におけるオンライン授業である。
 88 周年~ 89 周年(2010 年度~ 2011 年度)にかけて、教養教科の教務運営委員会を設置し、理事長・学園長のアドバイスのもと、授業内容の大幅な見直しが図られた。音楽科では「生涯音楽を楽しむための基礎を身に付ける」というテーマを設定し、生徒たちが高校卒業後も音楽を楽しめるように、その土台となる力を養うべく、実技・鑑賞という2 つの柱を軸に次のような内容を追加・充実させることになった。
 まず、実技としては、「ピアノが両手で弾ける」「歌唱技術を磨く」「楽譜が読める」。次に鑑賞としては、「音楽の良さが分かる」「変遷が分かる」「実技に生きる」ことである。鑑賞では2011(平成23)年に完成した音響設備により高音質で音楽を聴かせることが可能になった。制携帯や制パソコンの導入によって、楽譜を読む練習には専用のWeb サイトを活用したり、参考音源を提供したりしやすくなったことで、より授業の充実につながった。
 2 つ目は、コロナ禍におけるオンライン授業である。2020(令和2)年の全国一斉学校休校を機に本学園ではいち早く全教科オンライン授業を行った。Zoom やMicrosoft 365 を駆使し、少しでも充実した指導ができるように模索した結果、これまでも対面授業で使用していた電子ピアノやオーディオインターフェースを活用することで、音質にもこだわった授業が可能になった。また、本学園が元々制携帯を導入していたことで、授業で使える録音アプリや読譜力を高めるWeb サイトを活用できることも大きなメリットとなった。オンライン授業は、登校再開後も定期的に行われたが、全国的に歌唱の授業が禁止されるなか、本学園ではオンライン授業のおかげでカリキュラム通りの歌唱の授業を行うことができた。徐々に対面での歌唱ができる状況にはなり、歌唱の授業や録音を提出させることによる実技テストの実施も実現したが、1つ大切な取り組みが残っている。それは本学園の伝統でもある合唱コンクール(中学校全学年・高校1年を対象に、文化祭前に予選を行い、文化祭当日に本選を行う)である。数カ月、数年後には再開できるのかもしれないが、2020 年~ 2022 年にかけて取り組めていないことは、生徒にとって必要な経験が不足していることになる。Cubase(DAW 機能を持つ音楽制作ソフト)を使い、マイナスワン音源を使ったハーモニーの取り組みを現在考案中である。
 最後に、2021 年度に音楽室に通信カラオケ機を導入した。テレビなどでよく見かける分析採点機能を持つ機器である。学校行事などでカラオケ大会を開催し、生徒の歌唱力や関心を高めようとしている。

ピアノ実技試験
 2011(平成23)年度から実技科目の1つとして、「ピアノの両手演奏」を取り入れた。普段は1 人1 台の小さな鍵盤楽器を使い練習し、試験ではグランドピアノで実施した。1 学期は『Happy Birthday』を全員演奏することができた。コードを理解することで、初心者でも早い時期から両手で演奏できるようになった。「早速家族の誕生日に弾いてあげたい」という生徒もいた。授業以外でも鍵盤楽器に触れるきっかけになってくれればと思う。

オンライン授業
 コンピュータに専用の機器をつないで電子マイクの声とピアノの音が生徒に聞こえるように設定している。
 ピアノを弾くときは鍵盤と手の動きを見せられるようにピアノの上からカメラで映している。楽譜を見せるときは、電子ピアノとコンピュータを同期させ、ピアノで弾いた音を楽譜に変換するソフトを利用してコンピュータの画面を見せている。また、コンピュータの伴奏に合わせて一斉に歌い、各自の機器で録音した音源をメールで提出させることで、実技テストの評価をしている。カラオケ機導入
 理事長・学園長のアドバイスもあり、公教育では珍しいカラオケ機を導入した。生徒の歌唱力や歌唱に対する関心を高めるため、テレビでもなじみの分析採点機能を活用する。音楽室内で最新の楽曲が扱えることも大きな魅力である。また学校行事で全校カラオケ大会を実施。楽しみにしている生徒は多いようだ。

芸術教育 芸術鑑賞会 ~本物を知る~
創立記念日に行われる芸術鑑賞会
 毎年11 月の創立記念日に合わせてフルオーケストラを聴く芸術鑑賞会を開催している。音楽の「本物を知る」ために、西洋音楽の名作品をプロのオーケストラ(2016(平成28)年度までは大阪交響楽団、2017 年度から兵庫芸術文化センター管弦楽団)の演奏を神戸国際会館で鑑賞する。
 創立記念の式典としての側面も重視している。国歌の演奏から始まり、理事長と学園長のあいさつは、本学園の創立や歴史、未来に向けた話にも触れている。その後、その年度にゆかりのある作品や作曲家を中心に、各年に定めたテーマに沿ってオーケストラの名曲の演奏が始まる。最後にはプロの声楽家による学園歌を聴いた後、生徒・教職員全員がオーケストラの伴奏で合唱してコンサートは締めくくられる。
 肝心の選曲は、学園長のアドバイスのもと、各年度の1 学期から音楽科教員で検討を開始し、指揮者や楽団とも相談しながら最終的に理事長の決裁を経て決定している。内容は、その年度にちなむ作曲家や作品にまずスポット(例えば2020 年度はベートーヴェンの生誕250 年など)を当てている。そして、その作曲家に影響を与えた作曲家やその作曲家が影響を与えた作曲家など時代背景も踏まえて、音楽史やオーケストレーションの変遷が学べるように考慮し、毎年のテーマが設定される。また、オーケストラ作品だけでなく、オペラや歌唱曲など歌手が登場する楽曲をプログラムに含めることで、楽曲の幅を広げるだけではなく、声楽への関心や管弦打楽器以外の表現力を学ぶこともねらいの1 つである。
 本学園の管弦楽部(弦楽部・吹奏楽部)の生徒は、コンサートの中で一部の曲の演奏に参加している。部員にとって、このようなすばらしい舞台でプロと共演できることは、この上ない喜びとなっている。

須磨学園芸術鑑賞会 近年のプログラム
2022年度(創立100周年記念コンサート)
テーマ   須磨学園創立100周年
楽  団   兵庫芸術文化センター管弦楽団
指  揮   牧村 邦彦
ソリスト   松井 るみ(ソプラノ) 鳥山 浩詩(バリトン)
フルート   幸賀 美奈
プログラム
・「ラ・ペリ」より「ファンファーレ」/ポール・デュカス
・国歌「君が代」
・雅楽「越天楽」/近衛 秀麿
・須磨学園学園歌/阿久 悠 都倉 俊一
・アンダンテ・フェスティーヴォ/ジャン・シベリウス
・交響詩「ローマの松」より「アッピア街道の松」/オットリーノ・レスピーギ
・フルート協奏曲 イ長調/尾高 尚忠
・交響曲第15番 ト長調/モーツァルト
・春の声/ヨハン・シュトラウスⅡ世
2021年度(創立99周年記念コンサート)
テーマ   ロシア~国民楽派とバレエ音楽~
楽  団   兵庫芸術文化センター管弦楽団
指  揮   牧村 邦彦
ソリスト   四方 典子(ソプラノ) 萩原 寛明(バリトン)
プログラム
・ロシア国歌
・国歌「君が代」
・ 歌劇「エフゲニーオネーギン」より「ポロネーズ」/チャイコフスキー
・ バレエ「白鳥の湖」より「大フィナーレ」/チャイコフスキー
・ 組曲「ガイーヌ」より「剣の舞」/ハチャトゥリアン
・ 歌劇「イーゴリ公」第2幕より「ポーロヴェツ人の踊り」/ボロディン
・ バレエ組曲「火の鳥」/ストラヴィンスキー
・ バレエ組曲「くるみ割り人形」/チャイコフスキー
・ 須磨学園学園歌/阿久 悠 都倉 俊一
2020年度(創立98周年記念コンサート)
テーマ   楽聖ベートーヴェン生誕250年
古典派からロマン派へ
楽  団   兵庫芸術文化センター管弦楽団
指  揮   牧村 邦彦
ソリスト   森井 美貴(ソプラノ) 大谷 圭介(. バリトン)
プログラム
・国歌「君が代」
・交響曲第94番「驚愕」より第2楽章/ハイドン
・交響曲第100番「軍隊」より第2楽章/ハイドン
・交響曲第3番「英雄」より第1楽章/ベートーヴェン
・交響曲第6番「田園」より第1楽章/ベートーヴェン
・歌曲集「湖上の美人」より「エレンの歌第3番」/シューベルト
・ 劇付随音楽「真夏の夜の夢」より「結婚行進曲」/メンデルスゾーン
・ 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より前奏曲/ワーグナー
・大学祝典序曲/ブラームス
・須磨学園学園歌/阿久 悠 都倉 俊一
2019年度(創立97周年記念コンサート)
テーマ  オペレッタとミュージカル
楽  団  兵庫芸術文化センター管弦楽団
指  揮  岩村 力
ソリスト   四方 典子(ソプラノ) 大谷 圭介(. バリトン)
プログラム
・国歌「君が代」
・喜歌劇「天国と地獄」より序曲/オッフェンバック
・喜歌劇「天国と地獄」より「蝿の二重唱」
・喜歌劇「こうもり」より序曲/ヨハン・シュトラウスⅡ世
・喜歌劇「こうもり」より「侯爵様、あなたのようなお方は」
・喜歌劇「メリーウィドウ」よりイントロダクション/レハール
・喜歌劇「メリーウィドウ」より「ダニロの登場の歌」
・ディズニー・メドレー/メンケン 他
・マイ・フェア・レディ セレクション/ロウ
・サウンド・オブ・ミュージック/ロジャース
・須磨学園学園歌/阿久 悠 都倉 俊一
2018年度(創立96周年記念コンサート)
テーマ  西洋音楽におけるイタリア音楽の役割
楽  団  兵庫芸術文化センター管弦楽団
指  揮  牧村 邦彦
ソリスト  四方 典子(ソプラノ) 松本 薫平(テノール)
プログラム
・国歌「君が代」
・イタリア共和国国歌「マメーリの賛歌」/ノヴァーロ
・歌劇「ヴェネツィアの市」より序曲/サリエリ
・歌劇「魔笛」より「夜の女王のアリア」/モーツァルト
・歌劇「フィデリオ」より序曲/ベートーヴェン
・歌劇「泥棒かささぎ」より序曲/ロッシーニ
・「24の奇想曲」より24番/パガニーニ
・歌劇「ローエングリン」より第3幕への前奏曲/ワーグナー
・歌劇「アイーダ」より「凱旋行進曲」/ヴェルディ
・歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲/マスカーニ
・歌劇「トゥーランドット」より「誰も寝てはならぬ」/プッチーニ
・「ボレロ」/ラヴェル
・須磨学園校歌/阿久 悠 都倉 俊一
2017年度(創立95周年記念コンサート)
テーマ  95周年記念式典
楽  団   兵庫芸術文化センター管弦楽団
指  揮   牧村 邦彦
ソリスト   四方 典子(ソプラノ) 萩原 寛明(バリトン)
プログラム
・祝典序曲/ショスタコーヴィチ
・国歌「君が代」
・雅楽「越天楽」/近衛 秀麿
・須磨学園校歌/阿久 悠 都倉 俊一
・ 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より前奏曲/ワーグナー
・交響曲第15番ト長調/モーツァルト
・交響曲第7番ロ短調「未完成」/シューベルト
2016年度(創立94周年記念コンサート)
テーマ  西洋音楽における「フランス」の位置
楽  団  大阪交響楽団
指  揮  牧村 邦彦
ソリスト  王 由紀(ソプラノ) 油井 宏隆(バリトン)
プログラム
・国歌「君が代」
・歌劇「蝶々夫人」より「ある晴れた日に」/プッチーニ
・「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」/モーツァルト
・交響曲第104番「ロンドン」/ハイドン
・交響曲第3番「英雄」/ベートーヴェン
・フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」/リール
・歌劇「カルメン」より「闘牛士の歌」/ビゼー
・フランス軍隊行進曲/サン=サーンス
・「3つのジムノペディ」より第1番/サティ
・「小組曲」より第4曲「バレエ」/ドビュッシー
・「ボレロ」/ラヴェル
・須磨学園校歌/阿久 悠 都倉 俊一
2015年度(創立93周年記念コンサート)
テーマ  祖国を描いた作曲家たち
楽  団   大阪交響楽団
指  揮   牧村 邦彦
ソリスト   岩川 亮子(ソプラノ) 二塚 直紀(テノール)
プログラム
・国歌「君が代」
・ 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より前奏曲/
ワーグナー
・組曲「ペール・ギュント」より「朝」/グリーグ
・連作交響詩「我が祖国」より「モルダウ」/スメタナ
・歌劇「エフゲニーオネーギン」より「ポロネーズ」/チャイコフスキー
・フィンランディア/シベリウス
・歌劇「ルサルカ」より「月に寄せる歌」/ドヴォルザーク
・ 組曲「子供の領分」より「ゴリウォーグのケークウォーク」/ドビュッシー
・雅楽「越天楽」/近衛 秀麿
・須磨学園校歌/阿久 悠 都倉 俊一
2014年度(創立92周年記念コンサート)
テーマ  ロマン派~稀代のメロディーメーカー~
楽  団   大阪交響楽団
指  揮   牧村 邦彦
ソリスト   平野 雅世(ソプラノ) 小玉 晃(バリトン)
プログラム
・国歌「君が代」
・組曲「くるみ割り人形」/チャイコフスキー
・「アヴェ・マリア」、「菩提樹」/シューベルト
・スラヴ舞曲集第1集第1番/ドヴォルザーク
・大学祝典序曲/ブラームス
・交響曲第1番「春」より第1楽章/シューマン
・「ツァラトゥストラはかく語りき」/R.シュトラウス
・須磨学園校歌/阿久 悠 都倉 俊一
2013年度(創立91周年記念コンサート)
テーマ  生誕200年 ヴェルディ&ワーグナー
楽  団   大阪交響楽団
指  揮   牧村 邦彦
ソリスト   平野 雅世(ソプラノ) 松本 薫平(テノール)
プログラム
・国歌「君が代」
・歌劇「運命の力」序曲/ヴェルディ
・歌劇「運命の力」より「神よ平和を与えたまえ」
・歌劇「リゴレット」より「女心の歌」/ヴェルディ
・歌劇「アイーダ」より「凱旋行進曲」/ヴェルディ
・歌劇「さまよえるオランダ人」序曲/ワーグナー
・歌劇「タンホイザー」序曲/ワーグナー
・ 歌劇「ローエングリン」より「エルザの大聖堂への行列」/
ワーグナー
・須磨学園校歌/阿久 悠 都倉 俊一
2012年度(創立90周年記念コンサート)
テーマ  90周年記念式典
楽  団   大阪交響楽団
指  揮   牧村 邦彦
ソリスト   橘 知加子(ソプラノ) 福嶋 勲(バリトン)
プログラム
・「ラ・ペリ」よりファンファーレ/デュカス
・国歌「君が代」
・ 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より前奏曲/ワーグナー
・雅楽「越天楽」/近衛 秀麿
・交響曲第15番ト長調/モーツァルト
・交響曲第7番ロ短調「未完成」/シューベルト
・須磨学園校歌/阿久 悠 都倉 俊一
2011年度(創立89周年記念コンサート)
テーマ  オーケストラの変遷 後篇
楽 団   大阪交響楽団
指 揮   牧村 邦彦
ソリスト   比良 充宏(ピアノ) 橘 知加子(ソプラノ)
福嶋 勲(バリトン)
プログラム
・ 国歌「君が代」
・ 交響曲第1番第4楽章/ブラームス
・ ピアノ協奏曲第1番第1楽章/ショパン
・ 劇付随音楽「真夏の夜の夢」より「結婚行進曲」/メンデルスゾーン
・「 菩提樹」/シューベルト
・ 歌劇「エフゲニーオネーギン」より「ポロネーズ」/チャイコフスキー
・「 ボレロ」/ラヴェル
・ ロサンゼルスオリンピックファンファーレ/ジョン・ウィリアムズ
・ 須磨学園校歌/阿久 悠 都倉 俊一
2010年度(創立88周年記念コンサート)
テーマ  オーケストラの変遷 前篇
楽 団   大阪交響楽団
指 揮  牧村 邦彦
ソリスト   橘 知加子(ソプラノ) 小玉 晃(バリトン)
プログラム
・国歌「君が代」
・金管五重奏曲/ガブリエリ
・ブランデンブルク協奏曲第3番第1楽章/バッハ
・管弦楽組曲「水上の音楽」/ヘンデル
・交響曲第100番「軍隊」より第4楽章/ハイドン
・歌劇「フィガロの結婚」/モーツァルト
・交響曲第104番「ロンドン」より第4楽章/ハイドン
・交響曲第3番「英雄」より第4楽章/ベートーヴェン
・交響曲第5番「運命」より第1楽章/ベートーヴェン
・須磨学園校歌/阿久 悠 都倉 俊一
2009年度(創立87周年記念コンサート)
テーマ  “父”は偉大なり
楽 団   大阪シンフォニカー交響楽団
指 揮   牧村 邦彦
ソリスト   末原 諭宜(フルート) 橘 知加子(ソプラノ)
小餅谷 哲男(テノール)
プログラム
・ 国歌「君が代」
・ 管弦楽組曲第2番/バッハ
・ 交響曲第94番「驚愕」より第2楽章/ハイドン
・ 交響詩「前奏曲」/リスト
・ 喜歌劇「こうもり」より序曲/ヨハン・シュトラウスⅡ世
・ 歌劇「椿姫」より第一幕前奏曲、「乾杯の歌」/ヴェルディ
・ ワシントンポスト/スーザ
・ 須磨学園校歌/阿久 悠 都倉 俊一
2008年度(創立86周年記念コンサート)
テーマ  他国を眺めてみれば
楽 団   大阪シンフォニカー交響楽団
指 揮   牧村 邦彦
ソリスト   橘 知加子(ソプラノ) 松本 薫平(テノール)
小玉 晃(バリトン)
プログラム
・ 国歌「君が代」
・ ハンガリー舞曲第1番/ブラームス
・ ペルシャの市場にて/ケテルビー
・ 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」より二重唱/モーツァルト
・ 歌劇「アイーダ」より「凱旋行進曲」/ヴェルディ
・ エジプト行進曲/ヨハン・シュトラウスⅡ世
・ 歌劇「トゥーランドット」より「誰も寝てはならぬ」/プッチーニ
・ 大序曲「1812年」/チャイコフスキー
・ 須磨学園校歌/阿久 悠 都倉 俊一
2007年度(創立85周年記念コンサート)
テーマ  85周年記念式典
楽 団   大阪シンフォニカー交響楽団
指 揮   牧村 邦彦
ソリスト   橘 知加子(ソプラノ) 田中 由也(バリトン)
プログラム
・ 祝典序曲/ショスタコーヴィチ
・ 国歌「君が代」
・ 須磨女子高等学校校歌/西田 正 徳増 春三
・ 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より前奏曲/ワーグナー
・ 雅楽「越天楽」/近衛 秀麿
・ フィンランディア/シベリウス
・ 組曲「カルメン」より「ハバネラ」/ビゼー
・ 宇宙戦艦ヤマト/宮川 泰
・ 須磨学園校歌/阿久 悠 都倉 俊一
2006年度(創立84周年記念コンサート)
テーマ  ドヴォルザークの世界
楽 団   大阪シンフォニカー交響楽団
指 揮   牧村 邦彦
ソリスト   橘 知加子(ソプラノ) 児玉 晃(バリトン)
プログラム
・ 国歌「君が代」
・ スラヴ舞曲第1集第8番/ドヴォルザーク
・ 楽曲解剖~新世界第2楽章を使って~
・ 交響曲第9番「新世界より」/ドヴォルザーク
・ 須磨学園校歌/阿久 悠 都倉 俊一
2005年度(創立83周年記念コンサート)
テーマ  ロシア・スラヴの音楽
楽 団   大阪シンフォニカー交響楽団
指 揮   牧村 邦彦
ソリスト   福永 修子(ソプラノ)
プログラム
・ 国歌「君が代」
・ 歌劇「ルスランとリュ ドミラ」序曲/グリンカ
・ スラヴ舞曲第1集第1番/ドヴォルザーク
・ 組曲「くるみ割り人形」より小序曲/チャイコフスキー
・ 交響詩「はげ山の一夜」/ムソルグスキー
・ 歌劇「エフゲニーオネーギン」より「ポロネーズ」/チャイコフスキー
・ 連作交響詩「我が祖国」より「モルダウ」/スメタナ
・ 須磨学園校歌/阿久 悠 都倉 俊一
2004年度(創立82周年記念コンサート)
テーマ  ウィーンを愛した作曲家たち
楽 団   大阪シンフォニカー交響楽団
指 揮   牧村 邦彦
ソリスト   楠永 陽子(ソプラノ)
プログラム
・ 国歌「君が代」
・ 歌劇「フィガロの結婚」序曲/モーツァルト
・ 交響曲第5番第1楽章/ベートーヴェン
・ 劇音楽「ロザムンデ」間奏曲/シューベルト
・ 大学祝典序曲/ブラームス
・ 喜歌劇「こうもり」より序曲・アリア/ヨハン・シュトラウスⅡ世
・ 春の声/ヨハン・シュトラウスⅡ世
・ ピチカートポルカ/ヨハン・シュトラウスⅡ世
・ 皇帝円舞曲/ヨハン・シュトラウスⅡ世
・ 須磨学園校歌/阿久 悠 都倉 俊一
2003年度(創立81周年記念コンサート)
テーマ  ベートーヴェンとその音楽
楽 団   大阪シンフォニカー交響楽団
指 揮   寺岡 清高
ソリスト   並河 寿美(ソプラノ)
プログラム
・ 国歌「君が代」
・ トルコ行進曲/ベートーヴェン
・ 交響曲第41番「ジュピター」/モーツァルト
・ 交響曲第6番「田園」より第1楽章/ベートーヴェン
・ 交響曲第5番「運命」より第1楽章/ベートーヴェン
・ 交響曲第1番第4楽章/ブラームス
・ 須磨学園校歌/阿久 悠 都倉 俊一


芸術科(美術)
美術を通して何かを感じる力、
考える力を身に付ける
 「美術」といっても、範囲は幅広いもの。「表現」として、絵画・彫刻・工芸・デザインのそれぞれの分野があり、できるだけ幅広く経験することが大切である。五感を働かせて豊かに感じたり、想像を広げたりするなど、感性を豊かにすることで、個々の思いを、それぞれの表現方法に応じて、表現技能を伸ばして制作していく。「鑑賞」としては、過去の文化遺産としての美術館の作品などから、身近な生活や地域にある日用品、美術作品、建造物などに見られる表現の特質などに気付くことや、伝統や文化に対する理解を深めていく。それらを通して美術に親しんでいくことを目的として取り組んでいる。

本物を見る感動
 美術の授業での「鑑賞」とは、さまざまな芸術作品を見て、感じて、考えたり理解したりして芸術を味わうことである。大塚国際美術館では、陶板による世界の名画をオリジナルの原寸大で鑑賞する。海外研修では、アジア(故宮博物院)、アメリカ(メトロポリタン美術館、ワシントン・ナショナル・ギャラリー、スミソニアン博物館)、ヨーロッパ(ルーヴル美術館、オルセー美術館、大英博物館、ペルガモン博物館)など、世界の美術館や博物館を訪れる。事前学習として、美術館の特徴や作品、作者について学習する。「写真で見た作品を実際に見て感動した」「大きさと迫力がすごかった」など、本物を見ることでしか味わえない感動が得られる。

美術を遊びでつなぐ「あそびじゅつ」
 中学3 年間、美術科の家庭課題である「あそびじゅつ」に取り組む。約15cm×10cm のはがき大の画用紙のキャンバスにさまざまな課題を描く。約1 カ月ごとに変わるテーマに沿って生徒たちは考えながら制作していく。水彩画・ペン・はり絵などさまざまで、絵画もあればデザインもある。テーマの内容も、季節を表現するもの、年賀状のデザイン、静物画、名画の模写などさまざま。生徒たちは身近なものをしっかり見て描くことや、資料をもとにしてデザインするものもあり、その都度楽しく工夫された作品が登場する。作品は掲示板を使って展示。小さな作品展に生徒たちは興味をもって鑑賞している。

さまざまな表現方法で楽しく制作
 身近なものの形や色などの特徴を感じ取り、粘土で本物らしさを表現した「めざしの本物そっくり」を制作。「野菜・果物の断面」から、観察して自然物の形と色の面白さを発見、強調・単純化して新しい形をつくり出す。画家ピカソの人物画からキュビズムの考えを知り、自分の顔をキュビズムで捉えた自画像を描く。自由に配色して版画で表現。空き容器をどのように使用するか、イメージを膨らませて物語をつくる。名画を模写しながら、自分で考えたものを描き入れて「名画との融合」の世界をつくり出す。さまざまな課題を制作するため、観察して発見、アイデアを形にするなど、制作する過程と完成する楽しさを体感している。

今の自分を表現
 「自画像」は美術絵画の中の重要な種類の1 つである。有名な画家たちも、自画像を主題とした多くの作品を残している。高校では、個性溢れる画家たちの作品を鑑賞。自分の顔をスケッチしてよく観察、どんな表情や色づかいが今の自分に合うのだろうか。構図や背景の表現も工夫しながら自分を表現していく。中学では、「自分像」として自分の姿を制作。今の自分を表現する姿として、普段の生活を振り返って自分らしさを探す。部活動に取り組んでいる姿、趣味に打ち込んでいる姿、家庭でくつろいでいる姿などがある。その姿が動または静なのか、そのポーズが伝わるように材料や用具を工夫して作品に表す。

技術・家庭科
まさに「生きる力」を育む教科
 21 世紀をたくましく生き抜いていくための力とは何か。自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、より良く問題を解決する能力。自らを律しつつ、他人と協調し、他人を思いやる心や感動する心など豊かな人間性。たくましく生きるための健康な身体。これらが21 世紀を生きる子どもたちに必要な「生きる力」である。
 中学1 年では、家庭や家族のことを振り返り、関心をもつとともに自分の身の回りのことや家庭内での仕事ができるように学習していく。中学2 年では、海外研修旅行前の日本文化教育において自国の伝統や特徴を学び、外に発信できるようにする。中学3 年では、環境学習を行い、家庭と世界の環境について学習する。技術分野では、各種の材料を加工する技術と電気エネルギーを使う作品を制作し、環境問題とも関連付けた内容としている。また、簡単なプログラミング学習において、問題解決能力を養う。
 高校家庭科では、社会の一員として自立するために食生活を中心として、他教科と関連付けながらさまざまな切り口から物事を考えられる知力を付ける。
 生活の課題を自ら見つけ、教養が身に付き、かつ楽しく取り組める授業を心がけている。

日本の伝統文化を海外に発信
 海外研修旅行での学校交流会では、日本の伝統文化を紹介する。そのためには自分たちの文化を知らないといけない。浴衣の着付け実習、寿司の調理実習、ふろしきの使い方など、古くから伝わる日本文化を学習する。まずは自国を知り、その上で他国を知ることが大切である。

一人暮らしができる生活力
 大学生になって一人暮らしを始める生徒は多い。栄養バランスの良い食事を摂ることを学び、電子レンジを使用した簡単な献立の調理実習を行う。食のことだけでなく、衣服のことや金銭のことも学習し、生活力を付け自立できるように、将来を見据えた内容を取り入れている。

素材から作り、本物を知る
 現在は、簡単に作ることができる加工食品が多く出回っているが、どのような原料でどのように作られているのかを知ることも大切である。本物を知ることで、違いを実感できる。また調理実習は、連帯感も生まれ主体性や協働性を養うことができる。

簡単なプログラムの作成
 技術の授業では、自分が作った命令文でロボットを動かしたり、プログラミングによる問題解決を学習したりする。実際に思った通り動くととても達成感がある。高校情報の本格的なプログラミングの授業へとつなげられるよう学習していく。

実生活で役立つ、ものづくりを通した学び
 中学1年では主に電気と金属加工の分野を取り扱い、電気スタンドを作る。中学2年では木材加工をテーマとしてブックスタンドやCD ラックなど思い思いの木工作品を、さらに中学3年では中学の総まとめとしてこれまでに学習した要素を取り入れた行あんどん灯を制作する。中学3 年間の実践的、段階的、系統的な学習から得られる技能や考え方は、そのまま日常生活に使えるように、生徒の「生活」を想定した生きる力を付ける授業を展開している。

自らの経験を通して学ぶ
実際に触れて、感じて、発見する校外学習
 本学園は、「経験を通して学ぶ」ことを重視している。中学に入学した生徒は、中学1年から高校3年までで、約80 日の宿泊をともなう研修旅行を経験する。
 研修旅行にはそれぞれテーマがある。国内研修旅行では、まず日本自体を深く知り、その経験をもとに海外研修旅行へとつなげていきたいと考えている。また、自然の中での活動などを通し、仲間との協働的な学びを実践している。
 海外研修旅行は、本学園の中高一貫生のみが参加する。企業・大学・研究所・美術館・博物館・歴史的遺構、建造物などを訪れ、異なる文化に触れることによって、生徒たちは多様で文化的な価値観を学ぶ。また、現地校を訪問し、同年代の生徒と交流する機会を設けている。アジア・アメリカ・ヨーロッパの3回の海外研修旅行を通して、文化をタテの序列で捉えるのではなく、「全ての文化は等価である」というヨコの理解を深め、違いを違いとして受け入れる心を養ってほしいと考えている。海外短期留学は高校1 年生の希望者を対象に実施。

スプリングキャンプ・オリエンテーション合宿
自然と触れ合い、仲間との絆を深める
中学1年で「先輩から学ぶ」
PM・TM、TBM、学習方法
 プロジェクトマネジメント(PM)とタイムマネジメント(TM)を活用できることや、to be mysel(f TBM)シートに自分が思い描く夢を10個書き込むことによって未来へのイメージをより具体化することができるようになる。それによってなりたい自分になるための礎をつくることができる。また、同じ学年の仲間とのつながりをつくる目的もあるが、中学2年や中学3年の先輩から直接PMやTMの書き方や活用の仕方やTBMの書き方を学ぶ時間をとっている。先輩からの話を聞き実際に生徒たち自身で書いてみる。先輩が一人ひとりのPM・TMを見て回り、アドバイスを伝えてくれる。

「キャンドルサービス」で夢を共有する
 キャンドルサービスは2日目の夜に実施する。ここでは一人ひとりがなりたい自分や将来の夢を全員の前で伝える。生徒だけでなく教員も皆に伝えている。そしてなりたい自分を伝え終わったら自分のキャンドルの火を消す。全員が火を消し終え、全員がその夢を共有する。この行事は、これからの学校生活のため1つのチームとして結束力を高める目的がある。
集団生活で「自主性」を育む
 生徒一人ひとりに自主性をもってもらうために多くの役割を生徒自身に与えている。スプリングキャンプでは朝、広場に集まって朝のつどいを行う。ここでは司会や体操係など多くの役割がある。それぞれの役割を責任をもって行うことで、自主性が生まれていく。失敗も多くあるが、その失敗をばねとして今後の学校生活でまた挑戦したいという気持ちを高めることも目的である。

「協働作業」で信頼関係を築く
 スプリングキャンプでは「協働作業」を行っている。年度によって異なることもあるが、主には「カッター訓練」や「オリエンテーリング」などを実施している。カッター訓練は船に乗り実際に海へ出ていく。指示を出すリーダーと班員の息が合っていないとうまく進んでいかない。難しさを感じる場面も多いが、それを経験することによって、互いのつながりをより強くすることができる。
 また、高校1年の春にはオリエンテーション合宿がある。中高一貫の生徒と高校から入学した生徒が、初めて合同で行う校外学習だ。集団行動訓練、PM・TMを用いたグループワークを通して、新たな集団で団結力やリーダーシップを培っている。
春の校外学習
「クラスの交友」を深め、「環境」「芸術」「防災」を学ぶ
新クラスのスタート行事
 中学2年と中学3年の最初の行事。それが春の校外学習である。クラス替えを行った新しいクラスでの交友を深める大切な機会となっている。他の研修旅行やキャンプではクラスを越えた班編成を行うことが多いが、春の校外学習はクラス内で班を組む。班長は立候補制で決めることが多いのだが、新しいクラスになったことで勇気を出して初めて班長に立候補する生徒も少なくない。
 春の校外学習のテーマは大きく分けて3つ。兵庫県広域防災センターやHAT神戸の人と防災未来センター、淡路島の北淡震災記念公園に行く防災をテーマとした学習、大塚国際美術館に行く芸術をテーマとした学習、こうべ環境未来館見学や妙法寺川清掃を行う環境をテーマとした学習である。過去10年を振り返ると次の表の通りである。
 2020(令和2)年度はコロナ禍であり、残念ながら春の校外学習は中止となった。表を見ても分かる通り、毎年必ず同じことを行っているわけではない。学年の事情により臨機応変に行き先を変えるのが本学園の良さでもある。

環境を学ぶ
 神戸市西区にあるこうべ環境未来館でゴミの分別やリサイクルについて学ぶ。大きなクレーンを使って燃えるゴミを運搬している様子や、手作業でプラスチックゴミを分別する様子を見学し、ゴミの分別の必要性を学ぶ。学ぶだけでは終わらない。午後には学校の近くの妙法寺川公園に移動し、実際にゴミ拾いとゴミの分別を行っている。こういった経験が普段の学校生活でも教室美化などにつながっていく。
芸術を学ぶ
 徳島県鳴門市にある大塚国際美術館には世界の名画が実物大のサイズの陶板で展示されている。陶板画なので、作品に触れることも可能。壁画も再現されている。本学園では海外研修でさまざまな美術館に行くので、後に本物を見る機会もある。中学生である間に世界の名画に触れることは、今後の人生において大きな影響を与えるのではないだろうか。
 なお、高校1年でも春のオリエンテーション合宿時に大塚国際美術館を訪れている。
防災を学ぶ
 防災の学習としては、三木市にある兵庫県広域防災センターで煙体験を行い、備蓄倉庫を見学したり、人と防災未来センターで語り部さんから阪神・淡路大震災の話を聞いたり、淡路島の北淡震災記念公園で野島断層を見学したりする。今では阪神・淡路大震災を経験した生徒はいないが、過去に何があったかを学び、何を備えれば良いかを考えることがこれからの人生においても大切なことだと考えている。

サマーキャンプ
「山」と「海」のもたらす未知の体験を、
自然と向き合うサマーキャンプ
 本学園のサマーキャンプは、ウィンターキャンプとは違って、それぞれの学年に設定されたテーマに応じた場所で学年別に実施されている。
 まず、中学1年。「山」をテーマに直近3年間は全てハチ高原で実施している。またコロナ禍に見舞われた2020(令和2)年度の中学1年のサマーキャンプでは、ウィンターキャンプでもハチ高原を訪れることとなり、1年に2度、眼前に兵庫県最高峰氷ノ山を望むハチ高原の大自然に触れることとなった。
 中学2年では「海」がテーマとなる。長年、岡山県笠岡市の瀬戸内海に浮かぶ離島、北木島の廃校を利用してキャンプを行い、地元の中学生との交流を継続し、関係を築き上げてきた。
 中学3年は「深い山」をテーマに、空海の遺した真言宗の総本山で世界遺産でもある高野山の宿坊に宿泊し、大自然の偉大さだけでなく、仏教文化の精髄にも触れることになる。
 例年、この中3サマーキャンプでは3年間の締めくくりとして、学園長の講話を聴くことにしている。自らの学生時代の体験に基づいた内容で、生徒たちにとって、これから迎える高校生活に向けて、また、その後の人生に向けての大きな指針となる。
 喧けんそう噪を離れた自然の中、パソコンや携帯電話から切り離された生活を送り、午前に学習時間、午後に野外活動と規則正しい生活を送ることで、正しい生活習慣を取り戻すこともサマーキャンプの目的の1つになっている。

自然に触れ、自然の中で
「仲間」になる―中学1年
 竹串製作や魚つかみ、星空観察など、自然を体感できるプログラムが満載の中1サマーキャンプ。 まだ十分にお互いのことを知り合っていない中1生たちは、フィールドビンゴや飯はんごうすいさん盒炊爨といった班行動を通じて集団の中で行動することを学び、自分たちの力だけで物事を成し遂げる喜びを知っていく。 班ごと部屋ごとにリーダーをつくり、また多くの係分担を体験することで生徒一人ひとりのリーダーシップや責任感を育む機会とすることも、キャンプの大きな目的の1つになっている。

離島の生活を体験し、かけがえのない
「他者」と出会う―中学2年
 海水浴や漁船に乗り込んでの底引き網体験、年度によってはいかだ競走やシーカヤック体験など「海」の体験に満ちている中2サマーキャンプ。 廃校を借りて行われるこのキャンプは地元北木島の人たちとの何年にもわたる交流の中からつくり上げられてきたもの。地元の中学生との交流は、長年続けられてきているキャンプの大きな目玉である。普段の生活を離れ、遠くに出かけたからこそ得られる出会いがこのキャンプでは生まれている。

静かな奥山で自己と向き合い、
連綿と続く「伝統」を知る―中学3年
 「深い山」をテーマにする中3サマーキャンプでは、林業体験やムササビ観察などの自然に触れる活動もさることながら、静寂に満ちた高野山中で、入定した空海が今なお禅定を続けているとされる奥の院を見学し、世界遺産を巡り、宿坊で行われる住職の講話や写経などを体験する。日本の伝統的な文化を知り、自分のこれからの人生を考える精神面の深さを身に付けることが大きな目的となっている。 次年度は高校生となり、一歩ずつ大人に近づいていく中学3年生にとって、立ち止まって自分自身を見つめ

ウィンターキャンプ「スキー技術」と「リーダーシップ」を学ぶ
雪国で培われる人生の糧
 本学園のウィンターキャンプは中学校開校以来実施されている。2006(平成18)年度(中学全学年で実施)を除き、中学1・2年で実施されてきた。その後、2013年度からは3学年合同で行われている。なお2012年~2015年は竜王高原のホテルタガワに、2016年~2020(令和2)年は木島平のパノラマランド木島平に宿泊した。毎年、湊川神社前に集合し、中学3学年で10台以上のバスを連ねての移動となる。中学校のクラス数が増加し、2012年は3学年で6クラスだったが、今では3学年で2倍の12クラスにまで増えている。
 ウィンターキャンプは他のスプリングキャンプやサマーキャンプと大きく異なる点が2つある。1つ目は午前中の学習がないということ。せっかく雪山に来ているので、午前も午後もたっぷりとスキーをする。2つ目は生徒が主体となって運営するということ。ウィンターキャンプ中に教員は指示を出さない。主に中学3年生のリーダーが各係に指示を出す。夜には学年の垣根を越えて各係が集まるリーダー会議を開き、1日の反省や翌日の目標を話し合う。中学1年生や2年生はこうした先輩の姿を見て学び、翌年は自分たちがリーダーとしてキャンプを成功させていく。
 ウィンターキャンプには午前の学習がない代わりに、スキー講話やスキー検定(バッジテスト)を毎年行う。今までにスキーをしたことがなくてもしっかりとインストラクターに教われば、全員が4級に合格し、翌年は3級に合格する。中には2級に挑戦する者もいる。 スキー技術とリーダーシップの両方の向上が本学園のウィンターキャンプの大きな成果である。スキーの技術やリーダーシップは大人になっても忘れることはない。本学園を卒業した後も卒業生の人生に大きく役立っていることと思われる。

スノーシューで自然を満喫(中学1年)
 ウィンターキャンプではスキー以外の取り組みも行っている。せっかく雪国に来ているので、普段体験できないような自然の中に足を踏み入れる。中学1年ではキャンプ中にスノーシューにも挑戦する。現代版かんじきであるスノーシューを履いて、林の中を列になって歩く。深い雪にはまってしまったり、転んだりしながら雪山を満喫する。休憩中やゴール後はお決まりの雪合戦が始まり、毎年教員がターゲットとなっている。

クロスカントリーの競技の難しさを体験(中学2年)
 中学2年ではクロスカントリーに挑戦する。スキーのときよりも細いクロスカントリー専用の板を履き、雪原や林の中を滑っていく。もちろん、うまくなんかいかない。スキーが得意な人でもあちらこちらで転んでいる。たくさん転びながらクロスカントリーという競技の難しさを、身をもって体験することになる。スキーだけでなくさまざまな経験を積めるのが本学園のウィンターキャンプである。
コロナ禍でのウィンターキャンプ
 2019(令和元)年度のウィンターキャンプ終了後から新型コロナウイルスの影響で学校がオンライン授業となった。その後、登校が再開された後もオンライン授業が続き、2020年度のウィンターキャンプが実施できるのか心配された。しかし、安易に行事を中止にしないのが本学園である。2020年度は実施場所を県内のハチ高原に変更し、1クラスにつきバス2台を用意。さらに学年ごとにホテルを貸し切り、一般の人との接触を極限まで減らして実施した。スキー中もマスク着用でさまざまな不便もあったが、生徒は学年の友人とのキャンプを満喫できた。
 コロナ禍で行事が縮小傾向にあるなか、ウィンターキャンプは少しでも元のようなタテのつながりを意識した他学年合同で行いたいとの思いから、2021年度からは実施場所を2カ所に分けて行っている。中学1年はハチ高原で、中学2・3年は合同で北海道ルスツにて実施している。長時間の夜行バス利用を避けられるなど感染対策の理由から、行き先が北海道となった。

古都研修旅行古都の変遷を学ぶ
古いにしえの都に思いを馳せて
 高校1年の古都研修で過去の日本を知り、高校2年の東京研修で今の日本を見つめ、未来の日本を考える。そして高校3年の平和学習で平和の尊さを学ぶ。この経験を通じて、将来の日本を担う人物に成長してほしいとのメッセージが本学園の国内研修旅行・校外学習には込められている。 高校1年はその学びのスタートとして、過去に日本の政治の中心であった飛鳥・難波宮・平城京・平安京を巡るわけだが、本学園の古都研修は単に旧跡を巡る研修ではない。奈良・京都には多くの寺社仏閣があるが、本学園の研修旅行では、飛鳥・奈良においては法隆寺(=廐戸王<聖徳太子>)・薬師寺(=天武天皇)、そして興福寺(=藤原氏)や春日大社(=藤原氏)・東大寺(=聖武天皇)・西大寺(=孝謙天皇)を、京都においては清水寺(=坂上田村麻呂)・蓮華王院三十三間堂(=後白河上皇・平清盛)を巡る。
 見学地に共通する点は「飛鳥時代から平安時代にかけて日本の政治を動かしてきた人物にゆかりある寺社仏閣」なのである。つまり、高校1年の古都研修を通じて「大王の統治」から「貴族の台頭」、そしてやがて訪れる「武士の政権」を想像させる時代までを学び、高校2年の「東京=武士の時代から近代・現代日本の学び」につながっていくのだ。そのため、京都の代表的な寺院である鹿苑寺の金閣や慈照寺の銀閣、南禅寺や大徳寺といった、いわゆる中世以降に新仏教として確立した宗派に関連する寺院は見学地に含まれていない。「寺社」として、同じくくりとされるものの中にもさまざまな異なる点があることを学べることも、本学園の古都研修の魅力の1つであるように感じる。
 また、行程は前年の見学行程を踏襲するのではなく、毎年検討を重ね、見学旧跡を追加したり、新たに完成した見学施設を見学行程に組み入れたりするなど、常にリニューアルされてきたことも、本学園の古都研修の特徴の1つではないだろうか。2011(平成23)年度の行程と2020(令和2)年度の行程を比較してみると、まず平城宮跡において、新たに建設された「いざない館」や「みはらし館」を見学地に加えた。また、2011年度では東大寺見学後、飛鳥へ移動していたが、2020年度の行程では、東大寺見学後、春日大社と興福寺を巡るコースが追加された。かつて平安時代の後半に院政が展開されていた頃、興福寺の僧兵が春日大社の神木を持って強訴を行ったとあるが、この見学コースはその史実に触れることができる大変興味深いものだ。さらに、2020年度は西大寺も見学地に追加された。聖武天皇の「東大寺」見学に加え、その娘にあたる孝謙天皇の「西大寺」を見学することで、生徒たちは当時鎮護国家思想を掲げ、仏教の力をもって国の安寧を願った聖武天皇・孝謙天皇の想いにより深く触れることができたのではないだろうか。
コロナ禍における古都研修旅行実施と
これからの古都研修旅行
 2020(令和2)年度はコロナ禍により研修実施も危ぶまれたが、「学びを止めない」との方針のもと、できない理由を考えるのではなく、どうすれば実施できるかについて考えようと、数多くの検討が重ねられ、実施にこぎつけることができた。無事研修が実施できたのは関係各所の多大な理解・協力を得られたこと、理事長・学園長のリーダーシップのもと、本学園が「一つ」になれたこと、そして何より生徒たちが規律をもち、常に最善を尽くす姿勢があったからこそと考える。かつて天然痘の流行が収まること、そして政治の混乱が鎮まることを祈念して廬舎那仏を造立した聖武天皇の想い。今、新型コロナウイルス感染症の流行が収まること、そして平和な世の中を強く願う生徒たちの想い。平城京やその周辺を巡った2020年度の古都研修旅行は、どれだけ時代が流れても、決して変わることのない人類の切なる願いがシンクロした、まさに奇跡的な場面であった。
 「過去・現在・未来」の出来事や関連性を学ぶ上で、古を探求し、今を知り、そして未来を模索する力を養う取り組みは、生徒の自己実現に大きな影響を与えるにとどまらず、今や大学受験において「社会科に強い須磨学園」の礎となっている。創立100周年を迎え、新たな歴史的発見を機に古都研修旅行の行程は常に進化しつつ、研修旅行の目的・本質は変わることなく未来の本学園に受け継がれていくものと考える。

首都探訪自分の将来と日本の未来を考える
首都の過去・現在・未来を探る
 高校1年では「古き都を訪ねる」というテーマのもとに奈良・京都を訪ね、寺社仏閣、時代祭の見学などで古都の文化を学んだ。続く高校2年での研修旅行は「現在の都、東京の過去・現在・未来を学ぶ」をテーマに、さまざまな情報を全世界へ発信し未来に向かって発展し続ける首都東京を、政治・学問・文化・産業の4つの観点から探訪、自分自身の将来に照らし合わせながら、首都をさまざまに体感し、学ぶものとする。
 まず徳川家康が幕府を開いてから1964(昭和39)年東京オリンピックまでの街や暮らしの移り変わりを展示している「江戸東京博物館」で東京の過去を学び、この国を動かす中枢である国会議事堂や最高裁判所を見学する。そして、東京スカイツリーから現在の東京を見下ろし、続く班別研修ではその東京を間近で体感する。「日本科学未来館」では最先端の技術に触れることで、自分たちでつくり上げる未来に思いを馳せる。過去・現在・未来という時系列に沿って行程が進むのがこの研修の大きな特徴である。
 また、旅行行程の約半分が班別研修であり、東京に数多く立地している博物館や美術館、将来の希望進路に即した大学、日本経済を支える大企業の本社などを見学する。移動手段は複雑に張り巡らされた東京の公共交通網。移動する方法や時間、施設などでの見学時間も自分たちで決めて研修計画を作成する。この研修旅行で5日間寝食を共にすることにより友人関係を深め、自分たちで計画した班別研修において東京の街を歩き、そこで働く大人たちと接するなかで、責任感や班員同士の協力の精神が育ち、生徒たち自身も成長を遂げていく。下調べから実際の計画、そして実行と、話し合い、調べ、つくり上げたこの研修はかけがえのない思い出となる。自分たちの力で成し遂げたことは大きな自信となり、そうして楽しかったことはもちろん、ハプニングもいずれは思い出として心に残る。他に類を見ない「研修旅行」であると自負している。

江戸東京博物館
 江戸・東京400年の歴史と文化を展示する博物館で、ジオラマや実物大の模型が展示されている。当時使用されていた道具に触れ、現代では使われなくなった乗り物に乗ってみることもできる(2022年12月現在は不可能)。旅行の初日は首都東京の「過去」に触れ、江戸がどのように発展してきたかを学ぶ。

班別研修
 数名のグループに分かれて、公共交通機関を使い、終日東京の街を歩く。大学・企業・博物館など数カ所を選び、行程も自分たちで決めて巡る。綿密に計画を立てて無事に行程をこなすのも、準備が不十分で計画通りに進められないのも、電車の乗り間違いや地図の読み違いなどのハプニングも、そこからのリカバリーも、全てが「研修」。2日間、自分の足で歩き、実際に見て、東京の「現在」の姿を体感する。

コロナ禍での班別研修
 従来の班別研修は、公共交通機関を利用して各班で選んだ研修地を訪問する。しかし2020(令和2)年から2022年はそれがかなわず、「できるだけ感染不安のない状況で、かつ研修は可能」な形を模索した結果、タクシー(ハイヤー)をチャーターしての研修となった。宿泊先にずらりと並んだ車が続々と自分たちを迎え、さまざまな「東京の今」を垣間見せてくれたのは、貴重な経験となったようである。

東京タワーと東京スカイツリー
 2020(令和2)年からの研修は、感染拡大にともなって直接訪問できない場所など、複数の制約があるなかでの実施となった。その代わりに、「現在の都、東京」をその中心(東京タワー)、そして少し離れたところ(東京スカイツリー)の空から眺めた。150m、600mの上空から東京を見下ろし、コロナに負けずたくましく生き続ける街のパワーと、その大きさを実感することができた。

日本科学未来館
 「世界をさぐる」「未来をつくる」「地球とつながる」と題されたゾーンを巡り、世界の在り方や未来とのつながり、地球環境を守ることなどについて学び、考える。また、目の前で行われる実験を見学し、体験することで科学技術の仕組みを理解し、豊かな社会と科学技術とのつながりを学ぶ。そうして世界を捉える視点を大きく広げ、どんな「未来」をつくり上げていくのかを考える。

平和学習
現地を訪れ、体験し、平和の尊さを知る
長崎から広島へ、そして世界へ
 1945(昭和20)年8月、2発の原子爆弾が広島と長崎の上空で炸裂した。そして日本は、世界で唯一の被爆国となった。日本の国民にとって広島と長崎について学ぶことは平和学習の原点であると言える。この悲惨な体験は戦後70年を過ぎた現在もずっと語り継がれており、これからも将来に受け継いでいかなければならない。平和で幸せな未来のために。
 本学園では中学1年で長崎平和学習を、高校3年で広島平和学習を実施している。本学園の研修旅行は、いずれも「経験を通して学ぶ」という基本的な考えのもとに実施されている。経験を通して平和を学ぶ上では、長崎と広島という土地を実際に訪れることは不可欠である。
 この2つの研修では、まず事前学習として平和講話を行い、実際に被爆者(あるいは被爆体験伝承者)から直接話を聴く。その上で、実際に訪れる。長崎でも広島でも、市内の原爆や戦争に関する史跡を巡り、自分の足で、目で、手で、感じながら戦争の悲惨さや命の尊さを心に刻む。そして、セレモニーでは原爆で亡くなった方々を追悼するとともに、平和な世界を守ることを心に誓う。
 平和教育をさらに実りあるものにする体験学習が、中高一貫生が行う海外研修である。これは体験を通して「国際理解」を学ぶ場となる。本学園ではアジア、アメリカ、ヨーロッパの3つの海外研修を実施している。いずれの海外研修でも、ベトナム戦争の戦跡(アジア)やグラウンド・ゼロ(アメリカ)、ザクセンハウゼン強制収容所(ヨーロッパ)といった場所を訪れ、世界史的な視野から平和について学ぶ。

被爆体験者による平和講話
 事前学習として、広島・長崎から、それぞれ被爆体験者や被爆体験伝承者を招いて平和講話を聴く。その話は次の世界をつくっていく生徒たちに、辛さや悲しみを乗り越えて平和の尊さ、命の大切さを伝えてくれる。こうした思いを生徒たちがしっかり受け止め、その心を受け継いでくれることを願う。

長崎平和学習
 爆心地公園にて、原爆で亡くなった方々を追悼し、平和の誓いを読み上げるセレモニーを行う。セレモニーの最後には、中学1年の生徒全員で折った千羽鶴を納める。その後、グループに分かれて語り部と共に、市内の原爆碑を巡る。碑巡りの締めくくりには、原爆資料館を見学。資料館では核兵器の恐ろしさと命の尊さを学ぶ。

広島での班別研修
 広島市内では、袋町小学校や本川小学校の資料館で当時の様子を知り、原爆ドームや元安川を眺め、原爆や戦争の爪痕をたどる。また、おりづるタワーでは新たな折り鶴を納め、平和を祈る。平和記念公園では追悼セレモニーを行う。これが本学園の研修、そして平和学習の締めくくりとなる。

それでも、見ておきたかったもの
 2020(令和2)年度~2022年度の広島平和学習は感染拡大警戒中の実施となった。事前学習の平和講話はオンラインで行われ、2020年度は訪問日程を分散、翌年は国立広島原爆死没者追悼平和祈念館を班別訪問地とするなど制約が多かった。それでも、万全の感染防止策で実施された。高校3年生の今だからこそ、見ておきたいものに出合うために。

ベトナム戦争の悲惨さを知る
 中学2年で訪れるベトナムには、戦争の傷痕や戦いの遺産が数多く残っている。ジャングルの中にあるクチトンネルは防空壕として造られたもので、しゃがんで通れる程度のトンネルがアリの巣のように広がる。また、戦争証跡博物館ではベトナム戦争で使われた武器や銃器を見ることができる。傷ついた兵士や痛ましい被害者など、戦争の非人間性や残忍さを強く感じ、涙する生徒もいる。

グラウンド・ゼロにて
 中学3年のアメリカ研修では、同時多発テロの現場であるグラウンド・ゼロを見学し、黙とうを捧げる。グラウンド・ゼロの印象と長崎の印象とを重ね合わせることによって、世界で起きているテロや紛争を見つめ、より現実的に平和を考えることにつながる。こうして、体験学習が相互に関係し合いながら、生徒たち自身の「知恵」となっていく。

ザクセンハウゼン強制収容所で
考える平和
 ベルリンから少し北にあるザクセンハウゼン強制収容所。かつての厳しい歴史を伝えるこの場所は、高校1年の生徒たちにとっても印象深い見学地の1つである。現存する建築物の中には、過酷な生活状況を伝えるものが残っている。ここでは各自が、平和や戦争について考える。訪問時期が例年11月頃と、寒さが身にしみる頃だけに、強制収容所見学は鮮烈な記憶として生徒たちの心に刻まれる。


アジア研修旅行アジア各国を訪問し、
アジアの一員であることを自覚する
国際的な視野を開くきっかけに
 世界一周のスタートとして、中学2年のときにアジア5カ国・地域を巡る研修旅行を実施する。アジアの文化や歴史を事前学習として学んだ上で現地を訪問。座学では感じることができない雰囲気を肌で感じることができ、より学びを深めることができている。
 台湾やベトナムでは現地の学校を訪問。同じ年齢の生徒たちと実際に個別交流や全体交流を行うことで、非常に仲が深まっていく。日本とは違う国の友だちができることにより、世界に対する心理的な距離が縮まり、アジアを身近なものとして感じることができるようになる。
 歴史的な場所や文化的な場所を訪問する経験を通じて、また学校交流会で現地の生徒たちと触れ合うことによって、日本とアジアとの共通点や違いを強く感じ取れる。それにより、自分たちがアジアの一員であることの理解を深めることができる。この研修が生徒たちの国際的な視野を開くきっかけとなることを期待している。

「学校交流会」で多くの気付きを得る
 アジア研修旅行では現地の中学校と交流を行っているが、現在は台湾の蘭らん雅や 國民中學校、ベトナムのグエン・ザ・ティオ中学校との交流を実施している。学校交流会は全体交流と個別交流の2つを実施している。
 全体交流では英語でのプレゼンテーションやソーラン節を披露する。アジア研修旅行の数カ月前から時間をかけて準備を行う。発表を終えたときの生徒たちはやりきった清々しい表情をしており、普段では味わうことのできない達成感を感じている。また、互いに協力し合ったメンバーとの絆もより一層深まっていく。
 個別交流では事前に生徒たちが現地の生徒に対して知りたいことやこちらから紹介したいことを、英語でコミュニケーションをとることができるように時間をかけて準備する。現地の生徒たちとの交流により、英語で表現することの難しさを知る。それにより英語を学習したいというモチベーションの向上にもつながっている。

実際の場所に立ち歴史・文化を実感
 台湾の台北にある故宮博物院では、日中戦争時に戦火を避けるため、北京の故宮から台湾へ移された中国の歴史的遺品が展示されている。ここでは紀元前の青銅器から清王朝の歴代皇帝が愛用した品々まで数多く見学することができる。
 ベトナムのクチトンネルではベトナム戦争の際に実際に使われた地下トンネルが多く残っている。社会科の授業でベトナム戦争について学ぶだけでなく実際に訪れることによって、その場所の様子や雰囲気、そして戦争の悲惨さを感じ取り、より深い学びを得ることができる。

「オンライン」での学校交流会を実施
 新型コロナウイルス感染症拡大の影響で2020(令和2)年度については海外研修旅行を実施することができなかった。実際に訪問し、現地の同じ年齢の友だちと触れ合う機会がなくなってしまったため、台湾の蘭雅國民中學校と連絡をとり合い、オンラインでの交流会を初めて実施した。
 全体交流では生徒たちが有志でチームを結成し本学園のプレゼンテーションを実施した。個別交流では蘭雅國民中學校の生徒たちと、自己紹介やそれぞれの文化のことを英語で話し合っている様子を見ることができた。初めは緊張感があったが、徐々に緊張も解けて笑顔が見られる場面もあった。実際に会って話をしたいという気持ちを高めてオンラインの交流会は終了した。

アメリカ研修旅行本物で「世界の中心」を感じる
「NASAに行く」ことを選択
 西海岸では企業・産業に触れ、東海岸では政治と文化を感じるアメリカ研修旅行の内容は、「本物を感じる」、まさに本学園オリジナルである。2015(平成27)年に突然学園長より、「NASAに行けるか」という話が出る。従来の行程を白紙に戻して再構築に臨み、保護者会で訪問への理解をもらい、実現にこぎつけた。以後、オーランドへの訪問は、アメリカ研修旅行に欠かせないピースとなっている。

肌で感じたその思いは継続的なものに
 関西国際空港を出発し、西海岸から探訪していく。最初の訪問地サンフランシスコでは、真紅に塗られたゴールデンゲートブリッジに圧倒される。神戸でいつも眺める明石海峡大橋より小さいことはさておき、時差による疲れも吹っ飛び、歴史と規模の大きさを敏感に感じて興奮する生徒たちの姿に、私たち教員もアメリカ研修旅行への思いが一気に高まる。カリフォルニア大学バークレー校、スタンフォード大学への訪問も欠かせない。本学園の中学3年生は、ともすると日本の大学より先にアメリカの大学の景色を目に焼き付ける。卒業後に海外の大学への留学などが多いのも自然な姿である。

シアトルでは世界的大企業の
企業理念を吸収
 ボーイング社の工場を訪問。工場見学では、フットボール場が90個入る大きさであることを知り、見渡せばジェット機が10機以上あることに納得させられるとともに、機体が完成していく工程の綿密さに圧倒される。また、マイクロソフト社を訪れ、企業理念に驚愕させられる。生徒たちは、実生活との結び付きを深く感じ取ることができる一方で、社会との関わりについて考え始めるきっかけにもなっている。シアトルでは、学校交流会も継続的に実施している。

NASAのロケット発射場が、
なぜフロリダに?
 NASA(アメリカ航空宇宙局)のあるケネディ宇宙センターに行く道すがら、生徒たちが現地ガイドから受ける質問である。フロリダがアメリカ本土で最も赤道近く(最も遠心力を利用できる)にあり、地球の自転方向である東向きに打ち上げることで(東が海であるため安全面もクリア)、地球の自転速度をロケットの速度にプラスすることができた、などが理由だそうだ(日本では種子島がそれに該当)。大西洋に面した広大な景色を見ながらバスで走っていると納得できる話である。ロケットに爆弾を付けるとミサイル、ロケットに人を乗せると宇宙船であるという印象的な話を聞きつつ、NASAの現在が、平和的な宇宙探査と宇宙空間の利用を進める任務を司る機関であることを知る。現地では、アポロ計画からスペースシャトルまでの任務を、実機を間近に体験的に知ることができ、発射台の近くまで見学に行ける。
 また、退役宇宙飛行士とのコミュニケーションの機会もある。生徒たちが「宇宙は怖くないのか?」と問うと、笑顔でこう答えてくれる。「十分な訓練と信頼できる仲間がいるから大丈夫だ」と。この言葉は、生徒たちに深く刻まれ、困難に立ち向かうときの原動力になっているように思う。なお、NASAで学べるものは宇宙開発だけではない。それを通じた生まれたさまざまな最新技術もあることが、宇宙好き以外にも魅力的な訪問地となっている要因である。

オーランドは将来を考えることができる
未来都市
 ウォルト・ディズニーが晩年に構想したのが実験的未来都市EPCOT(Experimental PrototypeCommunity of Tomorrow)。ディズニーの死によって、未来をコンセプトにしたテーマパークという形で実現した。象徴となっているのがスペースシップ・アース。パークの中央にあるシルバーの球体の建造物で、この球体を宇宙船地球号に見立て、石器時代から未来のコンピュータ世界までを、タイムスリップで体験できるアトラクションである。ディズニーが最初に構想した未来都市がどんなものなのかを、地球の歴史を通して考えることができる。今では古いテーマパークとなってはいるが、生徒たちにとってはディズニーの果てしない想いを存分に感じることができる場所である。

政治・文化の中心地で研修旅行の仕上げ
 東海岸の訪問地であるワシントンD.C.では、ホワイトハウス、議会議事堂など政治の中心地を見学する。研修旅行も後半になると、英語でのコミュニケーションにも違和感がなくなり、学校交流会も活発に展開される。最終訪問地のニューヨークでは、自由の女神を見学し、グラウンド・ゼロを訪れて世界平和への想いを募らせる。また、メトロポリタン美術館では世界中から集まってきた名画を見ることで、改めて世界の中心地であることを感じる。ブロードウェイでのミュージカル鑑賞は、生徒たちにとっての研修旅行のクライマックス。ニューヨーカー顔負けの手拍子と歓声で、私たち教員が驚いてしまうほどの乗りの良さが印象的である。この年齢でアメリカを訪れることの意味を感じつつ、研修を終える。

ヨーロッパ研修旅行欧州4カ国を訪れ、
人類の歴史・文化の重みを知る
近代文明の揺ようらん籃の地を訪問
 中高一貫の高校1年では世界一周の締めくくりとして、近代文明の揺籃の地ヨーロッパを訪問する。空港を出てバスに乗った瞬間から風景が日本のそれとは異なることに気付く。この土地から近代国家や近代科学が生まれたのだと思うと、見慣れない市街の石畳や何百年も建てられたそのままにある建築物も一層趣深く見えてくる。
 飛行機だけでなく、列車やバスで国境を越えることができるのもヨーロッパの旅の醍醐味である。ユーロスターで地下トンネルを抜けてイギリスからフランスへ、年によってはそのままスイスまで渡った学年もあった。 主にイギリス・フランス・ドイツ・オーストリアの4カ国を巡る研修の途中で、生徒たちはこれまでのアジア研修、アメリカ研修の経験を生かして各地の学校で同世代の生徒たちと時に家族ぐるみの交流を果たしている。クリスマスマーケットやマルシェで街の人たちとも触れ合い、さまざまな歴史・文化遺産を直に目にして、見識を深めていく。
 大英博物館やルーヴル美術館には古代ギリシャ以来続くヨーロッパ芸術の作品だけでなく、この地球上のあらゆる場所で人類が生み出してきた「美」が集積されている。地域性を離れ、そのような全人類的営みに触れることもヨーロッパ研修の目的の1つであり、その体験は世界一周の締めくくりにふさわしいものだと言える。

世界史の現場に立ち、歴史を実感する
 バッキンガム、ヴェルサイユ、サンスーシ、そしてポツダム会談が行われたツェツィリエンホフ。ヨーロッパ研修では在りし日に政治が行われ、歴史を動かした場所である宮殿を数多く訪れる。その他にも、凱旋門やコンコルド広場、ナポレオンが葬られているアンバリッドなど、世界史の授業で学び、教科書で読んだことがここで起こったのだと実感できる数多くの場所を直接目にすることができる。

人類の負の遺産に向き合う
 ドイツ国内にあるナチスドイツの遺構の1つザクセンハウゼン強制収容所を訪れる。時が流れた今なお生々しさを感じさせるこの施設を見学し、生徒たちは一つひとつの命のかけがえのなさ、未来に同じ過ちを繰り返さないことへの責任を学んでいる。
 ドイツでは東西冷戦の痕跡であるベルリンの壁も見学する。行程に余裕のある年には併設されている記念館も含めて、壁のもたらしたいくつもの悲劇とその崩壊による歓喜の瞬間について深く知ることになる。


音楽の都ウィーンでクラシックを鑑賞
 本場でのクラシック音楽鑑賞を楽しみにしている生徒も多い。モーツァルトやシューベルトを生んだ音楽の都ウィーンで美しい調べを堪能する。
 ウィーンでは他にも楽友協会や国立歌劇場を見学する。
イギリスとフランスで学校交流会を実施
 年によってはドイツでの学校交流会を行うこともあるが、イギリスのラングレーパーク高校、フランスのモンテベロ高校とは長年にわたって学校交流の取り組みを続けてきた。
 交流会は、お互いの代表のあいさつに始まり、プレゼンテーションや出し物などで自文化を紹介し合い、異文化理解を深めている。その後は班ごとに分かれて校内を巡回したり、一緒にレクリエーションをしたり、市街を案内してもらったりする。
 ヨーロッパ研修を体験したほとんどの生徒が最も印象に残ったこととして挙げるのが、この学校交流会での体験である。

アメリカでは本場の英語で交流
 2012(平成24)年度は、オデッセイハイスクール、トマスジェファソンハイスクールとの交流が行われた。2013 年度からはワシントンのヘイフィールド高校、2014 年度からはシアトルにあるシヌーク中学校との交流を深めている。
 全体交流では、アメリカ国歌を斉唱し、母語として英語を話す現地生徒を前に、「須磨学園での1 日」などのプレゼンテーションを行う。グループ交流では、折り紙に書道、浴衣の着付けなどを英語で解説しながら、実際に体験してもらう。また、広大な敷地内を案内してもらい、実際に授業を受けることもある。この経験が、海外への進学という1 つの選択肢を生んでいる。


学校交流会の進展
世界中に広がるネットワーク
アジアの国々の英語力に圧巻
 中高一貫開校から続くベトナムのグエン・ザ・ティオ中学校との学校交流をはじめ、マレーシアや中国、台湾などの中学校と交流を行ってきた。現在も交流が続いているもう1つの学校、台湾・蘭らん雅や 國民中學校から生徒が来日し、本学園でも交流を行っている。初めは、緊張からぎこちない笑顔でのあいさつだが、全体交流・個別交流と時間が経つにつれ自然に笑みがこぼれる。全体交流では、伝統のソーラン節や「須磨学園での1日」を紹介するプレゼンテーションを披露する。ジェスチャーも交えながらの個別交流。同じ中学生とは思えないほどの英語でのコミュニケーション力、そして将来への熱い思いに圧倒される。英語でコミュニケーションがとれたときの喜びは、その後の学習に対するモチベーションにもつながっている。

ヨーロッパでの学校交流、
第二の家族との出会い
 ヨーロッパでの学校交流は、2011(平成23)年度イギリス・ロンドン郊外にあるビーバーウッドスクールでの交流から始まった。2012 年度から始まったフランス・リール市内にあるモンテベロ高校とは、隔年でのホームステイも実施している。ここで、生徒たちは第二の家族と出会う。2013 年度からはロンドンのラングレーパーク高校、2015 年度からはドイツのフンボルト高校とヨーロッパでは3 カ国の同年代の生徒との交流を通じてネットワークを広げている。全体交流では、日本に関するプレゼンテーションや合唱、書道を披露し、グループ交流では校内を案内してもらう。広大な敷地内を見学するなか、体育館では、バスケットボールを手に自然と会話が弾んだ。

オンラインでの学校交流
 2019(令和元)年冬、突如、全世界を襲った新型コロナウイルス感染症により、世界中の人たちの日々の生活が変わった。本学園の海外研修旅行も例外ではなく、2020 年度・2021 年度は海外研修を実施していない。しかし、学校交流は続いている。オンラインでの学校交流である。台湾・蘭雅國民中學校との全体交流では、お互いの日常生活のプレゼンテーションだけではなく、現地へは持って行くことのできない琴の演奏を武道館の和室で披露するなど、オンラインならではの強みを生かしている。また、時差が大きいアメリカやヨーロッパの学校とは、メールや動画を活用し交流を深めている。この10 年で築き上げてきた関係は今後も続いていく。

真の国際人への第一歩
 アジア・アメリカ・ヨーロッパの国々の同年代の生徒との交流を通して、お互いにさまざまな刺激を与え合う。それぞれの国の将来を担う生徒たちが、ツールとしての英語を介して、お互いの国の文化を理解し尊重し合う。コミュニケーションが増えるにつれ、違いもあるが、共通点も多くあることに気付く。学校交流がきっかけとなり、世界中にできた友だち。そのネットワークは必ず将来の糧となる。国際感覚を身に付け、真の国際人への第一歩を踏み出す。


エンパワーメントプログラム
英語で交流し、
グローバルマインドを育む
国際的視野に立った学び
 本学園の目玉行事の1つであるエンパワーメントプログラムは、例年夏季休業の期間を利用して5日間開催される。このプログラムでは、生徒5、6名につき外国人大学生・大学院生が1名加わり、さまざまなテーマについて英語で議論を行う。オックスフォード大学やブリティッシュコロンビア大学などの一流の大学・大学院からの学生や日本の大学・大学院に留学している学生、東京大学や京都大学、慶應義塾大学などいずれも一流の大学に所属している。生徒たちは普段ではめったに交流することのできない貴重な機会を得て、国際的視野からの学びを深めている。
 扱われるテーマは、身近なものから世界規模のものまで多岐にわたる。「今世界で何が起こっているのか?」「自分がどう関われるのか?」「自分は将来をどう生きたいか?」正解のない問題を海外の大学生と真剣に考えることで、将来の可能性を大きく広げている
 コロナ禍では、期間を2回に分けて実施した。部屋を複数に分散するなど感染対策も万全である。
 2020(令和2)年度は冬期と春期の開催とイレギュラーの対応だったが、2021年度からは、夏期と春期に分けて開催されている。世の中がこんな状況だからこそ国際的視野に立ち、自分には何ができるのか考えて議論することに意義がある。有意義なものとなるよう国際部一同で支えていきたい。

カナダ短期留学
語学力を磨き、異文化に触れ、
語学と異文化理解の研修
 カナダ短期留学ではカナダ屈指の名門大学ブリティッシュコロンビア大学の学生と、すばらしいESL の教員たちの指導のもと、密度の濃い語学研修を行うことができる。また、英語力の向上だけでなく、カナダの大自然に触れ、先住民の歴史と移民の国としての歴史を学ぶことで、異文化理解とはどういうものなのかを身をもって実感することができる。
 午前中はいくつかのクラスに分かれての授業を受ける。少人数制なので、話す機会が増えることになる。
 午後は外に出ての活動を行う。人類学博物館やダウンタウン散策などに出かける。
 短期留学の後半には、ディスカッションやディベートの授業が中心となる。最初は英語を話すことに緊張していた生徒たちも、自信をもって自分の意見を述べることができるようになっていく。また、異文化に触れ、さまざまな人の意見を聞くことで自分の視野が広がる。
この経験は必ず生徒たちの将来に大きく役立つことになるだろう。

イギリス短期留学(オックスフォード)
大きな学びと友情を育む
 2011(平成23)年からイギリス短期留学プログラムが実施されている。一流大学に留学することによって、参加する生徒の英語能力は激増するだけではなく、多国籍の大学生と交流できて、国際的に自分の立場などを見ることができている。
 オックスフォード大学のプログラムでは、生徒には第二言語として英語学習が行われている。この学習内容をイギリスの観光を通して実践的に使うことで、英語能力が上がっていくのだ。
 オックスフォード大学の短期留学では、R M(Residential Mentor)という大学生が街を案内してくれ、生徒は生涯にわたって貴重な友だちをつくることができている。短期留学が終わってからも、メールのやりとりが続いており、大人になっても自分を担当したRMと友だち付き合いをしている卒業生も多数いる。
 オックスフォード大学のプログラムではRMがさまざまな場所に連れて行き、生徒にイギリスの文化を味わわせてくれる。城や街を案内してくれるのだ。オックスフォード大学は歴史の深い大学であり、キャンパスを探検することだけでもさまざまな学びがある。
 オックスフォード大学のプログラムは英語学習においてプレゼンテーションや「Talent Show」を行う。生徒の得意なことを披露できるような発表である。自分の得意なことを英語で表現できるようになることで、毎年生徒たちはとても楽しく参加している。一緒に参加した友だちの学校以外での素顔を知ることもでき、より深い友情を育んでいる。
 他国に行くことで自分が知らなかった歴史をたくさん学ぶことができる。語学だけではなく必ず文化や歴史の学習が行われている。街を巡り、歴史のある建物や銅像を鑑賞したり博物館に行ったり、この文化の中で歴史のどこを強調して大事にしているのかを観察できる。

イギリス短期留学(ケンブリッジ)
英語によるレベルの高い授業がもたらすもの
 イギリス短期留学は最初オックスフォード大学のプログラムがあり、大変な人気であったため、より多くの生徒にイギリス短期留学を体験させたいという思いからケンブリッジ大学のプログラムが生まれた。ケンブリッジ大学も世界トップレベルの大学であって、世界に影響を与えた多くの偉人がこの大学に通っていた。アイザック・ニュートン、チャールズ・ダーウィン、スティーヴン・ホーキングなどがこの大学から世界を変えたのであり、生徒もその偉人と同じような教育を受けられるチャンスが与えられた。
 ケンブリッジ大学のプログラムがオックスフォード大学のプログラムとどのように違うのかを説明すると、ケンブリッジ大学はよりアカデミックなプログラムである。もちろんオックスフォード大学と同じように生涯にわたる友だちをつくることができるが、語学中心の授業というより英語で教科中心の授業が行われる。例えば、英語で大学レベルの物理の授業を受け、取得した知識を使って実験やアクティビティが行われる。
 生徒の将来に向けてとても貴重な体験であり、日本国内で仕事や生活をしていても、英語を使って多国籍の人々と交流することをこの体験が準備してくれることになる。
 ケンブリッジ大学のプログラムでは勉強が大変だが、週末などは、街に出かけて観光することもある。さまざまな場所に行き、城、博物館、レストランなどでイギリス文化を味わうことができる。
 ケンブリッジ大学のキャンパスだけでも豊かな歴史を感じられるが、街に出かけることで外国に滞在している経験ができる。将来の自分が海外に住むことになったときの貴重な経験であるとともに、日本国内に滞在している外国人の気持ちをより理解することにつながる。
 ケンブリッジ大学のプログラムは将来使える英語を中心とした教育であり、大学の授業を受けていると発表やディスカッションをよく行う。このような教育の中で生徒は実際に使える英語を身に付けるだけでなく、リーダーシップやコミュニケーション能力が上達する。 このプログラムの難易度は生徒にピッタリ合っていて、少しも退屈させないプログラムである。偉人を輩出してきた大学で勉強すると、生徒の学習に対するモチベーションがとても高められる。さらに大学生が研究している内容などを発表してくれるので、生徒には将来やりたいことを考える貴重なチャンスとなっている。



高等教育

1998 - 尚美学園短期大学 教授  
2000 - 尚美学園大学大学院 教授
尚美学園短期大学が4年制の尚美学園大学への改組にあたり、準備委員を務めた。4年制になった尚美学園で、
  • マルチメディア総論、
  • メディアネットワークと社会、
  • 起業論、
  • デジタルビデオ総論、
  • イベントプロジェクト特論
などを大学と大学院で教えた。
2009 - 尚美学園大学大学院 芸術情報専攻 教授
情報分野に加えてアート・マネジメント分野の講義も担当するようになった。
2014 - 尚美学園大学芸術情報学部 音楽応用学科 開設準備委員を務めている。芸術情報学部内でコースの再編を行い、音楽メディアコースと音楽ビジネスコースをして音楽応用学科に編成した。  
2015 - 尚美学園大学芸術情報学部 音楽応用学科 学科長に就任
2016 - 尚美学園大学 名誉教授に就任
尚美学園大学芸術情報学部音楽表現学科 学科長 白石教授と、尚美パストラルホールにて 尚美学園大学芸術情報学部 音楽表現学科 学科長 白石教授と、尚美パストラルホールにて

高等メディアシステム教育
Teaching media system

Technology

メディアシステム工学
尚美学園大学・大学院
東京工業大学工学部
早稲田大学・大学院GITI
工学院大学
マサチューセッツ工科大学 メディアラボ
東京大学 工学部・大学院

パソコン、インターネット、コンテンツを電話、テレビ、郵便、出版、新聞等の従来からのメディアと関係付けを行い体系化。

マサチューセッツ工科大学メディアラボで開催されたシンポジウムでポスター発表。
東京大学工学部『産業総論』1993年5月19日
東京大学工学部『産業総論』1996年5月15日

高等ベンチャービジネス教育
Teaching venture startup bussiness management

Management ベンチャー経営学 / プロジェクトマネジメント
埼玉大学・大学院
尚美学園大学・大学院
東京大学 工学部

ベンチャービジネスに必要な意志決定手法やリーダーシップ理論を学部、大学院修士課程、博士課程で講義。ビジネスの成功と失敗の本質を体系化.
宮城大学での授業風景。

産学協同プログラム

2019 - 東京大学大学院機械工学専攻にてIoTメディアラボラトリー ディレクター就任
還暦の60歳にあたり、これまでの活動をウェブサイト(nishi.org)と本にまとめた。 個人の経歴を自分なりに分析してわかったことは、15年周期で活動が変化していること。30歳までの技術者、45歳までの経営者、60歳までの教育者の3つの時代である。この先の時代は60から75歳までの15年間である。
2019年3月 IoTメディアラボ 年次報告会にて 2019年3月 IoTメディアラボ 年次報告会にて
特定非営利活動法人 IoTメディアラボラトリー理事長非営利活動法人 IoTメディアラボラトリー

エンスー・メカニックとしての移動体開発

  • 自動車関連
LANCIA THEMA 832のフェラーリエンジン

WEBメディア対談:
 対談:西和彦×田中栄(前編)――「だから日本車は買わない」
 対談:西和彦×田中栄(後編)――「クルマはサービス業になる」
日経BPのシンポジウム:
 基調セッション「『セクシー』で『クレイジー』なクルマとは」
 において、西自らの自動車観を語っている。

日経BPのクライアントのために「電気自動車への移行の近未来」というコンサルティングを行った。

  • 船舶関連
はまゆう

ヘリコプターと同じようにGPS、魚群探知機、自動操縦、近海用安全装置、燃料タンク増漕、エンジンチューンアップなど、その船体には大きめの航法システムを搭載したクルーザーを設計。この船舶は後に安全性が評価され事業用に売却された。

雨の中で試運転中
  • 航空機関連

1989年(平成1年)長年の夢であったヘリコプター(350B2)を購入(JA6066)し、GPS表示機、自動操縦、水上着水フロート、燃料タンク増漕など、その機体には大きめの航法システムと安全装置を企画設計し、フランスのエアロスパシアル社で立ち会い実装した。ヘリコプターは後にオーストラリアに売却した。

350B2 拡張仕様を装備した自家用ヘリコプター(浦安のハンガー)

2010年(平成22年)マイクロソフト時代の同僚であったバーン・レイバーンが創立したEclipse Aviationの超小型プライベートジェットの販売を日本代理店として企画、CA13の対空証明に向けて書類を作成した。その後、Eclipseのオーナーが代わり、日本への輸入はなくなり西は航空機輸入事業から撤退した。

eclipse 500の離陸前の写真。後ろの商用機と比べるとその小ささが判る。

2008年(平成21年)米国のAIR FORCE ONE、NEACAPなどの調査研究を行い、「政府専用機のあるべき姿」についての提案をまとめ、航空自衛隊に提案、 政府専用機 747の改修時に提案は一部採用された。

2019年3月まで運用していたB747-400型の政府専用機

建築・都市開発企画研究

オフィス・オフィスビルディング 代々木オフィスレイアウト デザイン  
代々木プライベートライブラリー デザイン  
神戸ミュージアムタワーアパート デザイン  
神田TSビル リノベーション  
上野中央ビル リノベーション  
大宮テレビタワー プロジェクト  
六甲アイランドタワー プロジェクト  
住宅・集合住宅 旧吉田五十八邸 レストア
 
  NYトランプパーク インテリアデザイン  
  パリ Apartment インテリアデザイン  
  白金アパート レストアー  
  須磨マンション リノベーション  
  八ヶ岳ログハウス プロジェクト  
  原宿集合住宅ビラデステ プロジェクト
 
  葉山アパートプロジェクト
 
  神戸北野レジデンス 開発プロデュース  
リゾート開発・ホテルデザイン アマンタミ 基本計画  
アマンニワ(アマン京都) 基本計画  
アマンウミ 基本計画  
アマンサマーパレス(アマン北京) 電気、情報系設計  
サーフサイドビレッジ三崎 プロジェクト  
高島白浜リゾート プロジェクト  
西表島ビーチリゾート プロジェクト  
古今青柳鳴門 レストラン プロデュース  
京都龍安寺 龍仁堂ホテル プロデュース  
旧軽井沢ホテル アンド レジデンス プロデュース  
キャンパス開発 須磨学園板宿キャンパス 改修マスタープラン  
須磨学園会下山キャンパス 改修マスタープラン  
日本先端工科大学(仮称)小田原キャンパス 改修マスタープラン  
大規模都市開発 つきだてエアーソフトキャンパス プロジェクト  
津市工業団地開発企画プロジェクト  
神戸箕谷物流センター 開発プロデュース  
伊賀市夢ポリス工業団地 開発プロデュース

日本先端工科大学(仮称)は、設立準備に取り組み中です。まだ、西和彦の業績として確定しておりません。しかし、実現するべく全力をあげて取り組んでおります。

小田原市荻窪の日本先端工科大学(仮称)のキャンパス予定地

西ライブラリー

1978 - アスキー出版を創業し、月刊アスキー、週刊アスキーを立ち上げた。  
1995 - 蔵書が5万冊を超えたので、個人ライブラリーを開設。
図書館に来訪された林望氏と(ITの未来を読む365冊+α)
2000 - アスキーから退き、出版事業から撤退したが、再開の努力は続けている。
西和彦の個人図書館
2010 - 10年ぶりに出版事業にふたたび参入して、「アゴラブックス:現アカシックライブラリー」を池田信夫と共に設立。  
2011 - 電子出版開発会社「アカシックライブラリー」社長
電子出版会社のアカシックライブラリーでは、電子出版のシステムを出版社や個人に提供し、また、古今の名著を再版する活動を行っている。
 

アートコレクション

-  
大徳寺 立花大亀和尚の「明日来」とともに
- 企業人の大茶人、益田孝、松永安左エ門、松下幸之助にあこがれ、茶道裏千家に入門した。同時に茶道具の収集を行ったが、アスキーの経営危機に際して売却した。一部はCSKによってクリスティーズでオークションされた。 価値のある美術品を売却した後に残った美術参考資料を中心に研究に方向性を変更し、続いている。
『淡交 [別冊] 愛蔵版 3月号』淡交社、1991年
茶道をはじめた動機とその背景をインタビューされ答えた。美術品収集と茶道に関する考えを述べた。

ミュージック

1993 -  
Mostly Classic 表紙
1999 - ザルツブルグ音楽祭と共同して21世紀のための合唱付き交響曲「平和のシンフォニー」を製作した。
CD
裏表紙
交響曲第5番第1楽章から第12楽章の解説
プロデュースしたコンサートのリハーサルにて

映画

1989 - ベム・ベンダースの「夢の果てまで」、エド・ブラナー「ヘンリー5世」、エドワード・プレスマン「ホミサイド」に製作出資した。
1990 -

ジョン・アブネット監督「フライド・グリーン・トマト」をエクゼクティブプロデューサーとして製作した。

カンヌ映画祭ににおいて、フランス「ル・モンド」紙の主催する「映画の未来」でプレゼンテーションした。

映像編集中

nishi.org

 

〒111-0041 東京都台東区元浅草1-6-26 すざく HOUSE 1F
〒250-0042 神奈川県小田原市荻窪1162-2 日本先端工科大学(仮称)8号館 2F
fax:0465-20-7982 / e-mail:info@nishi.org